長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

内柴金メダリストの裁判

2012-09-13 08:37:11 | Weblog
内柴の裁判が行われ、「準強姦」で裁かれている。
その一部が、テレビで、放映され、内柴被告は合意だったと主張している。
これはとんでもないことだと私は思う。
というのは、合意だったか合意ではなかったかの以前の問題だからである。
性行為をもたれた女性は、教え子であり、まだ18歳の未成年者である。
それを、記憶がなくなるほど酒を飲ませたところにいたこと自体問題である。
当然、そこは監督者として、飲酒を止める立場である。
さらに、一人で介抱するということで、担いでホテルまで連れて行ったという。
そんなことをすれば、如何に聖人君子であろうとも、理性を失うことだってある。
だから、まずそのような状況になることを避けるべきである。
教え子ということと18歳だったということがなければ、合意かどうかで争えば良いけれど、この2点がある限り、裁判で合意と主張すること自体直ちにやめなければならないと思っている。

姉の入院と連絡方法

2012-09-13 08:10:09 | Weblog
前に、姉が入院して、姪たちに電話をしようとしたけれど電話番号が変わっていたことについて書いた。
その後、年賀状にメールアドレスが書いてあることを思い出し、年賀状をひっくり返して、アドレスのところへメールを送ってみた。
エラーが出なかったので、変更されていないと思い、姉の病状を聞くメールを送信した。
ところが、返事はまだ来ない。
たぶん、このメールアドレスは、パソコンのメールアドレスであり、姪はケータイをいつも使っているので、ほとんどパソコンは開いていないのではないかかと思われる。
これも、パソコンのメールは、手続きをすれば、ケータイから見るようにすることが出来るのかもしれないが、そうしなかった場合には、開くまできたことさえ分からないのだから、文明の利器もなんとも不便なものである。


核燃再処理継続

2012-09-13 08:09:38 | Weblog
政府が、使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル政策」を当面継続する方針だという。
ただ、これは選挙が迫ってきたための選挙政策に過ぎないような気がする。
というのも、大飯原発の再稼動もあまり議論されずに決めてしまった。
結果的には、再稼動しなくても、電力は足りたようである。
それがここへ来て、急に原発ゼロを言い出した。
世論がゼロを支持しているというだけで、政府で原発ゼロにするために何をどうすればよいか十分検討された様子もない。
また、原発ゼロにすれば、核燃料サイクル政策も中止することになるのだが、そうすると青森県など困るところがあるため、すぐに中止が打ち出せないだけではないだろうか。
次々と、選挙のために政治がゆがめられていくような気がしてならない。

奇跡の一本松

2012-09-13 08:09:02 | Weblog
東日本大震災の津波で、松原の中から1本だけ生き残ったために、多くの人が、希望を与えられたという。
そのために、枯れてしまったけれど、切断して、防腐処理をしたり、枝葉はかたどりしてレプリカにされ、再びもとの位置に立てられるという。
その費用が1億5千万円だという。
被災者に希望を与えたという点では計り知れないけれど、私は少しやりすぎのような気がする。
景勝地で、待つ1本でも無いとと、景観がすっかり変わってしまうという場所なら、元通りの松も必要だけれど、ただ希望を与えられたからだけなら、石碑の一つも立てればよいような気がする。
とはいいながら、私が小さいときには、長良川の川面に大きな松が這い松となって張り出しており、泳ぎに行ったときは松ノ木の上から川へ飛び込んだものである。
また、秋の写生会のときには、松を中心にしてよく絵を描いたものである。
それが大きくなって、田舎へ帰ったときには、松が切られて、跡形もなくなっており、がっかりしたものである。
それからすると、5年か10年しか持たなくても、地元の人が松を立てたいといえば、松を立てるのがよいことかもしれない。