聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた)

ふたりの聖徳太子とは、竹田皇子と押坂彦人大兄皇子です。
隅田八幡神社人物画像鏡にある日十大王とは聖徳太子のこと。

櫛墓の神大一比売 

2009年10月02日 | 卑弥呼はカムオオイチヒメ
記紀に邪馬臺國、卑弥呼の記述がない限り、もうこれは王朝が変っているとしか考えられません。国名は変っていませんが・・・。しかし大王家は「万世一系」でなくてはなりません。この大きな墓が、他家のものでは都合悪いわけです。
ですので、この大きな墓に眠る女性を「孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲媛命」として、自分たち歴史に組み込むということをしているのでは?それで・・・まず、名前は必ず変更するはずですよね。それでは、卑弥呼は誰?名前は?・・わかりませんよね。ですが・・・私は完全に卑弥呼のことを抹殺することは出来なかったと思うのですが・・・どうでしょう?以下想像ですが・・・。
倭迹迹日百襲媛命は、神大市比売ともいわれています。それで、このカムオオイチヒメが本当の名前の可能性があるのでは?この箸墓も大市墓といわれています。普通、所在地から付けるということで、地名の大市からから名付けられたと言われています。市場の神だといわれているのですが、どうでしょうか?纏向が卑弥呼共立後に発展していったのであれば、これは逆ということもあるのでは?それと大市ではなく大一なのでは?つまり・・・神大市比売が葬られているから、この墓は大市墓と呼ばれ、大市墓があるので、此処が大市という地名になったと思うのですが・・・?
ですからこの箸墓の被葬者はカムオオイチという名で、此処、大和に邪馬臺國が存在していたなら、卑弥呼の名は、神・大・一・比売(カムオオイチヒメ)なのでは?カムオオイチヒメ・・・卑弥呼に相応しい名だと思うのですが。スサノオの2番目の妻とされている、神大市姫命こそ卑弥呼なのでは?スサノオこそミモロの神です。朱砂の王です。この神婚こそ邪馬台国と出雲族の融和策です。卑弥呼が、三輪山の祭祀をおこなったのだと思います。
それでどうして箸にしなければならなかったのでしょう?ハシにちかい言葉で呼ばれていたからだと思うのです。それで箸墓(ハシハカ)でなくて、やはり櫛墓(クシハカ)かな???

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三輪山は神奈備 

2009年10月02日 | 卑弥呼はカムオオイチヒメ
畿内に邪馬臺國が存在していたとしたら、もう大和(奈良盆地)しかありえなわけですよね。大和に邪馬臺國が存在していたなら、纏向が中心地なわけです。どうして此処が中心地かというと、この纏向に辰砂(水銀)が集められ、中国に輸出されたのだと思います。この時期大量に産出されたように考えています。近くから集められた辰砂を川を使って運びだすには、適地だったのだと思います。多くの労働力が必要とされたため、人々が集まって来たのだと思われます。
そしてやはり、三輪山が神として存在しているからです。三輪山は神奈備です。この時代の祭祀の重要性を考えると、此処がやはり中心地です。この時代は自然崇拝ですよね。三輪山は、神が宿る場所、依り代です。それで、この三輪山の神の依り代から、神懸かりして神託などを伝えたのが卑弥呼なのでは?ですので、魏志倭人伝には鬼道とか記述されていますが、・・・三輪山が大神として、神の依り代として存在している限り、卑弥呼の祭祀は三輪山への祭祀です。
魏志倭人伝には、卑弥呼は共立されたとされます。共立されて争いは治まったのですが、これは卑弥呼が、融和策として三輪山の祭祀を行なうことで争いが治まったということだと思います。この時代はまだ自然崇拝や祖霊信仰などの原始宗教です。ですので、卑弥呼の居住地は、三輪山から遠く離れることはありえないように思います。
卑弥呼は此処、箸墓に眠っています。それと臺与はホケノ山古墳だと思うのですがこれはどうなのでしょうか?ともかく、卑弥呼は、孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲媛命ではないと思います。 (写真は三輪山)

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三輪山伝説

2009年10月02日 | 卑弥呼はカムオオイチヒメ
箸墓古墳は卑弥呼の墓の有力候補です。この箸墓には、伝説があります。三輪山伝説です。しかしこの伝説にはおかしなところがありますよね。以前から指摘されているところです。箸の伝来の時期にとズレがあるというところです。ですので、墓を作った土師氏の墓だから箸墓になったと言う説がありますが、・・・そんな墓を作った氏族の名が墓の名になるわけないでしょう。これはやはり、書記に箸で陰を憧いて死んだと記述されているからでしょう。
これ、箸の伝来時期を考慮にいれなかった記紀編纂時のミスじゃないでしょうか?ですので、この伝説は改竄されています。だいたいにおいて、この伝説がおかしいと思うのですが・・・?三輪山の神が蛇になったとか、その三輪山の神との約束を破って、箸で陰を憧いて死んだという箇所がおかしいと思うわけです。
悪く書かれていますよね。この女性は、三輪山の神と結婚し、巫女として、神懸かりして人々を災難から救くい、信頼され、愛され、それで人々はこの大きな墓を作った・・・というような伝説のはずです。
倭国大乱は、倭国の勝利となったように思います。しかし内政においては、神への祭祀の問題があるわけです。銅鐸を放棄させたものの争いは続き、それで卑弥呼を王?に共立し、三輪山の祭祀を行うことで争いは収まったわけです。三輪山伝説の三輪山の神(出雲の神)との神婚は、融和政策だと考えられます。
神の宿る山、三輪山は三諸山ともいわれます。伝説は、三輪山の神は大物主大神としていますが、スサノオなのでは? (写真は箸墓古墳)

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