聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた)

ふたりの聖徳太子とは、竹田皇子と押坂彦人大兄皇子です。
隅田八幡神社人物画像鏡にある日十大王とは聖徳太子のこと。

酒船石と亀形石造物の謎

2019年11月29日 | 日本書紀の謎


飛鳥には沢山の石造物があります。飛鳥観光ではこの石造物も人気のスポットになっています。用途の不明なものが多く、謎の石造物とされます。
一番人気は何といっても亀石でしょうかね?
亀かどうかはわかりませんが、なんかカワイイ造形ですよね。
この亀石の他にも、今回書くつもりである、酒船石や、亀形石造物、そして橘寺の中にある二面石、吉備姫王のお墓にある猿石も人気です。
あと弥勒石、須弥山石など・・・そしてマラ石も(*^▽^*)

石造物とはいえないけれども、古墳で使用されていた石舞台古墳や鬼の俎・鬼の雪隠なども石で造られた遺構である。
石舞台古墳は飛鳥では一番の観光名所です。
これらの石造物を訪れるのもいいですよ。ただ、車で回ると、止めた場所から少し歩かないと行けなくなるところもありますので、季節的に良い気候であれば、飛鳥観光はレンタサイクルで巡るのがお勧めです。

もう一つお勧めの石造物が・・・すこし離れていることもあり、飛鳥観光においてもあまり訪れる人が少ないのが益田岩船です。近くで見るとその大きさにびっくりしますよ。
ぜひ訪れて下さい。ただし、夏場は蚊が多いのと、私はここでマムシに遭遇しました。要注意です。しかし一見の価値のある石造物ですよ。



今回はこの酒船石や関係すると思われるの亀形石造物に関する謎です。酒船石の上部に彫られた不思議な形状から、いろいろ説が存在します。清酒を作る施設なのでは?という説から、この石は酒船石と名付けられています。

有力な説は酒船石は祭祀用の施設だろうということです。ですが一体どんな祭祀をおこなったのというのでしょうか?
説明できるのなら説明してみなさいよ・・・って言いたいのですが・・・。
それはないだろうと私は思うのですが・・・?
祭祀用の施設なんかではなく、実用的な施設だったように思います。


私は酒船石の謎ときに関しては、そんなに難しいものではないように思うのですが・・・?(*^▽^*)

古代の施設ですし、案外簡単なものですよ。どうして複雑に考えるのか私には理解できない。
酒船石の下には、水をためる亀形石造物があるわけですから、上部から水を流して下部の受け皿にたまる時間を計ったものですよ。
こんなの凄く簡単な推測ではないのか?

酒船石から流した水を下の受け皿(亀形石造物)に流すということは、時間を計っているのです。酒船石、亀形石造物のある施設は漏刻(水時計)であるという推測ををもう少し詳しく書いていきます。

飛鳥水落遺跡は、斉明天皇6年、皇太子であった中大兄皇子が作ったと伝えられる「漏刻」台の跡であるとされています。しかしそうではない。
もう何度も書いてきましたが、天智系天皇である桓武天皇により、孝徳大王の功績を天智の功績として改竄している。天智が天皇に即位したというのも桓武天皇による改竄である。

飛鳥水落遺跡はこの時に大王だった孝徳大王により造られたものである。天智系天皇である桓武天皇により、孝徳大王の功績を天智の功績として改竄している。

そしてこの酒船石、亀形石造物の施設もまた、孝徳大王によって造られた飛鳥水落遺跡に先立つ漏刻だったのではないのかな?




上の酒船石の写真をを見て下さい。水は手前、頭のような円形部分から中央の楕円形の部分を通り向こう側に流れる傾斜になっています。下部の設置面に石を置き意図的に傾斜を作っています。傾斜になっているということは下に水を流すためです。そして、その下には受け皿の形状になっている亀形石造物があります。
この傾斜を利用して、下の亀形石造物に水を流していると推測できますよね。

この頭のようなところから水を流して、なんか手を広げているような2本の溝があるでしょう。この左右に流す二本の溝は、流れる水の量を調整するものである。石の上部の形状は、下に流す水の量を一定にする働きをしている。

水を頭の円形部分から流すと、小判型の中央部分をも通るのですが、水量が多くならないように左右に水を逃がすようになっている。つまり下に流す水の量はそんなに多いものではないと思われます。

この頭の円形部分や中央の小判型の部分は、溝よりも深く掘られていて水が溜まるようになっています。これも重要であるように思う。これによって流れる水の量を調整している。つまり、溝の底辺部分の高さまでは、円形部分や小判型の部分には常に水が溜められる状態にあるわけです。これによって下に流す水の量を調整するようにできている。

そして広げた手のような溝の付け根の部分にも左右、外側に向いた溝があります。これも余分な水を左右に流して、下に流す水の量を調整し一定にするためのものである。この左右にある丸く掘られた部分も、中央の小判型の部分と同様である。溝よりも深く掘られていて水を溜めることができます。下に流す水以外は再利用したのです。

手前から向こうにかけて傾斜になっています。水は少しづつこの傾斜を利用して流している。流れる水の量が多くなった場合に余分な水を外に流れるように二方向の溝が掘られている。酒船石の上部の形状は、下に流れる水の量を調整するためのものである。流す水は少量です。

流す水を一定にするには難しい問題ですが、これで、頭のような部分から流す水が、多少多くても少なくても、つまり流す水の量が一定でなくても、余分な水を外に流し、下に流れる量を一定に調節できます。

単に下に水を流すだけならこんな複雑な形状にしなくていいわけです。
酒船石の上部の複雑な形は、水の量と流れを一定にする、つまり下に流す水の降下速度を一定にするものである。
漏刻(水時計)は、この水を流す速度を一定にすることが重要です。流れる水の量が一定なら、速度も一定になり下の受け皿に水が溜まる時間も一定になる。
亀形石造物は水がたまるような形状になっています。最後の受け皿ともいえるこの亀形石造物に水がたまる時間を一定にするためのものである。



そしてこの亀形石造物は、尻尾の部分から水を抜くようにできていることからも推測できる。水を抜かないと続けて時間を計れないからです。酒船石、亀形石造物が水時計だろうと思う大きな理由です。

亀形石造物は重い石でできていますので、水を抜くのには下部から抜く必要があるのです。水がいっぱいに溜まれば尻尾の部分の栓を抜いて水を抜くわけです。これを繰り返すことで時間を計ったのです。時間を連続で計る、つまり計りなおすのは、たまった水を抜く必要があります。砂時計が身近にありますのでわかりやすいですが、砂が下にたまればひっくり返して計りなおすわけです。

亀形石造物の受け皿は大きいため、水が満杯にたまったという状態を知るのは難しいことです。受け皿に水が満たされた状態を知るための細工もしている。尻尾の部分の上部の縁に小さな溝を作っています。この溝から水が流れはじめると、受け皿に水が満たされたことが分かります。このように精巧に作られていることからも、時間を計ったものだと推測できます。

亀形石造物の手前には楕円形の水槽があります。これは亀形石造物の水を抜いている時間に流れてきている水を溜めるものです。
亀形石造物から水を抜いている時間は、その前にある水槽から、亀形石造物に流れる水を栓を使っていったん止めて、抜いている時間に流れてきた水を手前のこの水槽に溜めます。
そして亀形石造物の水抜きが終わったら、水槽から亀形石造物にふたたび水を流せば、抜いている時間に流れていた水を亀形石造物に流すことができます。
これで正確に連続して時間を計ることができます。

前回に書きましたが、亀形石のある高台の施設は戦乱に備えての防御用の城である。この城の内部から下の亀形石造物・小判形石造物のある施設に水を流して時間を知らせていたように思うのですが?

酒船石、亀形石造物のある施設は、時間を計る施設、漏刻である。難しく考える必要はないように思います。

この施設はこの後も、使用されていたことからも、祭祀用の施設なのではなく、実用的なものであったということが推測できます。
この酒船石、亀形石造物こそ日本で最初の漏刻、水時計だったのでは?渡来人との戦乱に備えて、斉明天皇(本来は孝徳大王)が行ったとされる土木工事、亀形石造物のある丘陵を防御用に整備しなおした時期、655年頃に造られたものである。

四天王寺にある亀形石も、この酒船石遺跡と同構造だともいうことからも祭祀用の施設なんかじゃないことがわかる。四天王寺に天皇が住まいしているわけもなく、つまり祭祀とは何ら関係ないことがわかる。
四天王寺でも時間を計ったのです。時間がわかるということは重要ですよね。









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