名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

1997年10月の寺だよりに掲載しました

2016年10月25日 22時38分52秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 医療費の不正請求が発覚して、大阪の安田病院はつぶされた。医者と看護婦の数が基準以下の劣悪な病院だったと、マスコミは、口をそろえて安田病院を非難した。しかし、安田病院事件は、医療機関のモラルを問えば済むほど単純な事件ではない。
 普通ならば、誤って安田病院に入院しても、実体が判れば、退院、転院をする。それにも関わらず、安田病院に100人以上の患者がいたということは、彼らが行路病人だったことを暗示する。行路病人とは、帰るところも引き取り手もない病人のことである。
 健全な経営を目指す医療機関は、行路病人の長期入院を嫌う。現行の医療保険制度では、3ヶ月以上の入院患者は儲からないからである。しかし、憲法が最低限文化的な生活を保障する以上、行政機関は彼らを放置できない。安田病院は、医師と看護婦の数を減らし、医療費を水増し請求することで、これら行路病人を引き受けていた。それは、行政にとっても都合のいい存在だったに違いないのだ。
 本当に問題なのは、行路病人の処遇である。実は、安田病院事件は、その歪んだ解決方法だったというに過ぎないのだ。

1997年9月の寺だよりに掲載しました

2016年10月25日 22時33分34秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 先日、兵庫県庁某課から送られてきた書類を読んでいて、思わず唸ってしまった。書かれている日本語が、間違いとは言わないまでも、どうにも奇妙である。
 奇妙な文章は、多く、アホが書く。しかし、この文章の奇妙さは、それとは違っていた。むしろ、かなりの読書家、それも、岩波書店の翻訳物を読み過ぎて、悪影響を受けた者の文章のように思われた。
 岩波書店は立派な出版社である。しかし、立派な出版社であり続けようとして、極度に「誤訳」の指摘を怖れた。結果として、岩波の翻訳物は、訳文としては正確だが、日本語としては醜悪になってしまった。
 若い頃、プラトン、アリストテレスから始まって、マルクスの資本論にいたるまで、ずいぶんと、岩波文庫のお世話になった。もし、ここに並べる日本語が、読むに耐えないとしたら、その理由の第一は書き手の未熟、第二は、岩波文庫のせいということにしておきたい。

1997年8月の寺だよりに掲載しました

2016年10月25日 22時14分14秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 もし、我々が、何かのはずみで感謝の気持ちを持っても、心そのものは見せられない。「感謝しています」と、口に出しても、ふだんから、嘘もつけば悪口も並べているから、信用されない。それでも、手間と金をかければ、感謝の心はともかく、その手間と金だけは、本物である。感謝の心など届かなくても、はがきと品物は確実に相手に届く。
 それならば、感謝の心を深くは問わず、歳暮中元、時候の挨拶状など、時期を決めて一括して形で済まそうというのが、この社会のお約束事である。
 世の中には、新しがって、こういうお約束事を虚礼と称して軽んずる者がいる。しかし、彼らは、古い習慣を軽んじたために、結果的には、次々に新しい虚礼を定着させるのに荷担してしまった。父の日、母の日、バレンタインデーにホワイトデー。果ては、スイートテンダイヤモンドなどと、結婚10年で、女房にダイヤを贈れと言う宝石屋まで現れる始末。
 古いお約束事を守ること、必ずしも悪ならずである。

1997年5月の寺だよりに掲載しました

2016年10月25日 03時23分48秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 通天閣の北、大阪の日本橋は、関西随一の電気屋街である。最近では、家電製品の安売り店よりも、コンピューターの安売り店が増えて、不況だというのに、大勢の若者を集めている。
 その一方で、浮浪者の数もまた、確実に増加している。電気屋街の南、阪神高速のえびす入り口付近の高架下には、段ボールの家が並び、電器店が閉店すると、段ボールの家さえない浮浪者たちが、電気屋街に集まって来る。閉じられたシャッターには、「この前で寝るな」と書かれているものもある。浮浪者の寝泊まりする場所は、更に北にも広がり、千日前の道具屋筋にまで及ぶ。
 電気屋街の南には浪速警察署があるが、彼らを保護すれば、税金を支出しなければならなくなるから、見て見ぬ振りを決め込んでいる。
 通天閣の北、大阪の日本橋は、今日の日本を象徴する街であり、明日の我が身を考えさせられる街である。

1997年3月の寺だよりに掲載しました

2016年10月25日 02時30分22秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 最近、路上で曲芸をするサルを見かけることが多くなった。ほっぺたにイモを押し当てて、口をパクパクさせながら、こともあろうに自動車の運転をしている。このイモ、ケータイデンワという新しい品種で、サルどもには大変な人気だという。 以前から、ムセンノマイクというなすびをかじりながら車を運転できるサルはいた。しかし、数が少なかったので、昨今のイモザルほどには目立たなかった。
 自慢じゃないが、私の運転は、両手でも危ない。そんなことは百も承知で、私もイモを片手に運転してみたい。あれだけの数のサルがやっているのだ。きっと、あのイモをほほに当てると気持ちが良いに違いない。
 実は、お彼岸が終わったら、関東へ行くつもりでいる。日光サル軍団で、あの芸を習うのだ。