住職の娘です。
新型コロナの感染拡大中、相変わらず密になれない教行寺です(^^ゞ
今日の午前は、お一人お参りのご予約を頂き、神戸市北区からお越しくださった方がありました。
コロナに関係無く、エアコン無しの当寺本堂はいつも通り窓全開、たよれるのは扇風機のみ!
例年通り、蝉の合唱がにぎやかで、境内や本堂の風景は変わり映えしないですね。
ただし、今年のお茶接待は、ペットボトル+紙コップ…そこは申し訳ないです😅
このご時世なので坊主も例年より時間的余裕があって、ご参拝頂いた方とのんびり過ごさせて頂けるのは有難いことでした!
お勤めとお話の後は、仏様と一緒に20分ほど、心静かにお過ごし頂きました。(←「ご自由に〜」と言いつつ「放置」という気楽さ…汗)
窓から通る涼しい山風を感じつつ、ゆっくり流れる時間。
帰り際に「ここに座っていると、なんだか自然と頭が下がりますね…落ち着きます」と仰られ、合掌しておられました。
こういうご仏縁にあわせて頂くと、ただただ嬉しく思います。
住職や私は特に何も思っていませんが、タイトルの「密になれない寺」というのは、通常のお寺としてはネガティブな表現で自虐ネタです。
ただ、このようなコロナ騒動などで社会の価値観の軸が変化すれば、良し悪しの判断は反転したりズレたりします。
本来「[密であるのが望ましいが]密になれない」という言葉は、現状、まさに[密であるのが望ましい]が消え失せ、通常のネガティブーポジティブのズレが生じている言葉だと思います。
南無阿弥陀仏
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