篠山城は、慶長14年(1609年),篠山盆地の中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、西国の諸大名が動員され「天下普請の城」として築かれた平山城です。徳川家康は、豊臣家との戦いを前にして、西国諸大名が豊臣氏と連携することを恐れ、山陰方面からの援軍を遮断するため、篠山築城を命じた。縄張りは、藤堂高虎があたり、高度な石垣造営技術を誇る穴太衆(あのうしゅう)が動員され、当時における最高レベルの築城技術が利用された。松平康重が初代城主として配されたのをはじめ、譜代・親藩大名が歴代領主に名をつらね、青山氏6万石時代に、明治維新を迎えた。高石垣や水堀が今日に伝えられるとともに、平成12年(2000年),二の丸に大書院が復元された。現在、篠山城は、国の史跡に指定されています。
[所在地:兵庫県篠山市北新町]
<アクセス>JR福知山線・篠山口駅下車。 「篠山口」から神姫バスで「二階町」下車(バス約15分)すぐ。
▼篠山城略図
▼外堀
▼表門跡 ▼鉄門(くろがねもん)跡
▼復元大書院
▼二の丸 ▼二の丸井戸跡
▼本丸 ▼後方の石垣が天守台(本丸)
▼天守台からの眺め
天守台からは南東の方向に篠山城の前身である八上城があった高城山が望めます。
2014/10/25 訪城
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▼武家屋敷群(お徒士町通り)
▼武家屋敷
▼小南家長屋門