青蓮院門跡は、天台宗の祖、最澄が比叡山を開くにあたって造られた住坊(青蓮坊」が起源で、創建は、1150年、開基は行玄です。天台宗比叡山延暦寺の五ケ所門跡の一つとして、皇室と関わりが深く、高い格式を誇ってきました。別名を栗田御所といい、江戸時代には後桜町上皇の仮御所になっています。約6000坪の境内全域が国の史跡に指定されています。
[所在地:京都市東山区栗田口三条坊町69-1]
<アクセス>京都市営バス5・46・100系統「神宮道」下車徒歩3分または、地下鉄東西線「東山」下車徒歩5分
▼栗田御所(青蓮院門跡)境内図
▼シン殿・・・重要な法要を行う。
親鸞聖人が第三代門主磁円により得度を受けた場所でもある。
▼庭園
2014/11/5 訪問
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
栗田御所(青蓮院門跡)からシャトルバスで「将軍塚・青龍殿」へ行きました。
▼将軍塚青龍殿
▼将 軍 塚
延暦3年(784年),桓武天皇は都を奈良から京都南方の長岡に移しましたが、いろいろと事故が続きました。そこで和気清麻呂らは狩りに事よせて天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨、進言しました。天皇はその勧めに従って794年平安建都に着手したのです。天皇は、都の鎮護のために高さ2.5m程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯させ、塚に埋めるように命じました。これがこの地を「将軍塚」と呼ぶ由来になっています。国家の大事があると将軍塚が鳴動したという伝説が、「源平盛衰記」や「太平記」に残されています。今、この塚のほとりから眼下に京都の街を眺めるとき、栄枯盛衰の永い歴史が思い出されます。
▼将軍塚青龍殿
▼後継之松
▼将運塚からの眺め・・・・京都タワーが見えます
▼将軍塚からの眺め・・・京都御所が見えます
▼将軍塚からの眺め ・・・金戒光明寺が見えます
2014/11/5訪問