nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

八上(やがみ)城

2014年10月26日 | 兵庫県の城郭・環濠

  八上城(別名、八上高城)は、室町時代から戦国時代にかけて、丹波地方の有力国人である波多野氏が本拠地にした山城です。波多野氏は、応仁の乱の戦功によって多紀郡小守護代となり、永正5年(1508年)に、高城山(標高460m)の主峰部に八上城を築き本城とした。その西側の法光寺城は、八上城の支城である。天正3年(1575年),織田信長の丹波侵略の一環として、明智光秀に攻められ毛利氏の支援があったが、兵糧攻めにより天正7年(1579年)八上城は、落城し、波多野氏は滅亡した。この合戦で明智光秀の母(祖母とも)が磔になった城としても知られている。以後前田茂勝などが八上城へ入ったが、慶長14年(1609年)の篠山城築城により廃城となった。現在、八上城跡は、国史跡になっています。

[所在地:兵庫県篠山市八上内字高城山]

<アクセス>JR福知山線・篠山口駅下車タクシー

高城山(八上城跡)              ▼八上城(本城)と法光寺城(支城)

 

国史跡 八上城跡概要

八上城概略図

八上城の縄張り

八上城跡碑            ▼春日神社

 

 

春日神社から高城山(八上城跡)への登山道が整備されています。

 

2014/10/25  訪城

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足利尊氏、亀山篠村八幡宮で挙兵 元弘3年(1333年)

 討幕軍(2万余騎),京都市中の六波羅探題軍(6万余騎)を攻め、鎌倉方は近江へ敗走。

波多野氏、八上城を本拠とする 大永6年(1526年)

 多紀郡の土豪波多野氏、守護細川氏に叛し八上城に拠る。丹波国内に有力国人衆が割拠

八上城の戦    天正6年(1578年)

 東丹波に侵略してきた織田信長方の明智光秀と波多野秀治・秀尚が八上城で激突。明智光秀、波多野兄弟を安土城に伴うが、織田信長、波多野兄弟を処刑。八上城方、人質の明智光秀の母(祖母とも)を処刑。

戊辰戦争   慶応4年(1968年)

 倒幕の流を受け、丹波山国地域の農民らが、山国隊を結成、関東・奥州を転戦した。現在、10月の京都時代祭の先頭を飾る。



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