nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

八田城(はったじょう)

2014年10月12日 | 三重県の城郭・環濠

  八田城は、桓武平氏の流れをくみ、相模国(現在の神奈川県),三浦半島に勢力をもっていた三浦義明の孫三浦五郎左衛門盛時が鎌倉時代に相模からこの地に移住して、標高約58m,山麓からの比高差約34mの山頂に立地する平山城を築城しました。堅固な城になったのは室町期である。城の中心は、土塁に囲まれた曲輪(郭)で、その東・南の2ケ所に虎口(出入り口)があります。主郭の東にも曲輪がある他、見張り台、井戸、堀切などの城の施設がありました。この地では、「三浦」姓を改め、「大多和」姓を名乗り、津市美杉町多気を本拠とする伊勢国司の北畠氏の配下となりました。永禄12年(1569年),盛時より10代にあたる大多和兵部少輔監物が城主の時、織田信長の伊勢侵略の際、木下藤吉郎(豊臣)秀吉に攻められるも、龍城しました。しかし、北畠具教は織田信長と和睦したため、城を開城しました。その後、天正4年(1576年)の北畠氏滅亡により、本城も陥落し、大多和氏は下之庄村に隠棲、帰農して、子孫は姓を元の「三浦」姓に改めました。現在、八田城跡は、市指定史跡になっています。

[所在地:三重県松阪市嬉野八田町字城山]

<アクセス>近鉄・伊勢中川駅下車徒歩で約60分(約5.1Km)又はタクシーで約10分。

八田城山(八田城)              ▼八田城跡碑

 

八田城跡の概要

八田城の縄張り図

東屋(あずまや)

砦門

 

堀切          ▼土塁

 

             曲輪

 

史跡指定記念看板(主郭) ▼見張り台

 

あぶな橋       ▼井戸跡

 

2014/10/12訪城  2018/10/13訪城



最新の画像もっと見る