岩村城は、源頼朝の重臣加藤景廉が美濃恵那郡遠山荘の地頭に任じられ、文治元年(1185年)、標高717mの城山一帯に築城された山城です。山頂に本丸が築かれ、二の丸、八幡曲輪、出丸などが階段状に配置された。加藤氏は、加藤景廉の嫡男景朝から遠山氏を名乗った。
室町・戦国時代には、美濃遠山七家の岩村遠山氏の本拠となっていた。織田氏と武田氏の東美濃をめぐる抗争の場となり、天正3年(1575年)、遠山氏が滅亡し、その後、城主は川尻秀隆、団忠正、森長吉、森忠政、田丸直昌とめまぐるしく代わり、慶長5年(1600年)の関ケ原の戦後、松平(お給)家乗が岩村城に入った。戦国時代、屈指の山城であった岩村城でしたが、江戸時代になると山上に住む理由がなくなり、慶長6年(1601年)に松平家乗は山麓に居館を造り、城下町も整備した。
明治6年(1873年)、廃城令により岩村城は解体されたが、平成2年(1990年)、山麓の居館跡に藩主邸の一部と表御門、平重門、太鼓櫓などが復元された。
[所在地:岐阜県恵那市岩村町岩村]
<アクセス>明智鉄道岩村駅から徒歩40分。
JR名古屋駅⇒中央本線(約60分)⇒JR恵那駅⇔明智鉄道・恵那駅⇒飯羽間駅⇒極楽駅⇒岩村駅
▼岩村城の概要
▼岩村城略図
▼藩主邸 ▼太鼓櫓
▼岩村城登山口 ▼下田歌子先生の生誕地
▼下田歌子の概説
下田歌子先生は、日本の女子教育の先駆者であり、実践女子大学の創設者です。
▼登城坂の登っていく
▼霧ヶ井
▼六段壁
上段の石垣を補強する目的で下段に石垣が築かれた。
▼長局埋門
▼昇竜の井戸(本丸) ▼本丸
▼本丸
▼本丸からの眺め
▼出丸 ▼南曲輪
2019/10/06訪城