曽根城は、永禄年間(1558年~1569年)の初期,揖斐川の支流平野井川の湾曲部を利用して稲葉通貞により築かた平城です。本丸は、約1000坪、二の丸を含めると約5000坪と推定されます。その子稲葉良通(一鉄)は、斎藤龍興・織田信長に仕え、稲葉貞通の代の天正16年(1588年)に郡上八幡に移封。後は、西尾光教が入府するが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦後に揖斐陣屋に移り、慶長6年(1601年)廃城となった。享保19年(1734年),稲葉一鉄が母の菩提をともなう為に建立した華渓寺が、本丸跡に移築された。また、城跡周辺は、曽根城公園として整備されています。
[所在地:岐阜県大垣市曽根町1丁目]
<アクセス>JR大垣駅下車、大垣駅北口より名阪近鉄バスで大野バスセンター行きに乗車 「曽根」下車徒歩8分
▼曽根城の概要
▼曽根城跡図
▼曽根城本丸跡に建つ華渓寺
▼曽根城の石垣 ▼曽根城公園
▼曽根華渓寺の福水
2014/02/9 訪城
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◆稲葉良通(一鉄) (1516年~1588年)
美濃崇福寺の僧侶だったが、牧田合戦で一族討ち死にのため家を継ぐ。土岐・斎藤氏に仕える重臣で、美濃・曽根城主。しかし、斎藤龍興の代の永禄10年(1567年)氏家直元・安藤守就とともに、織田信長に内通、稲葉山落城の因を作った。以後、氏家直元。安藤守就とともに西美濃三人衆と称された。織田信忠が美濃支配を譲られた後も、三人衆は、織田信長に直属した。姉川合戦で徳川家康援軍として武勇を上げた。本能寺の変後、秀吉・勝家の対立深まる中、秀吉方に属した。その後、揖斐郡・清水城に移り、74歳で病没。
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✡梁川星厳記念館(華渓寺境内)
当地出身(曽根出身)の江戸時代の漢詩人梁川星厳とその妻紅蘭を記念した梁川星厳記念館です。
▼梁川星厳邸宅跡(大垣市指定史跡) ▼梁川星厳・紅蘭の像(曽根城公園)