斎宮城は、室町時代の後半、戦国時代の頃、斎宮の住人、野呂三郎が築城した平城です。野呂三郎は、弘治元年(1555年)12月に南伊勢のあぶれ者数百人と結託して、勝手に借物を破ろうと企て、徳政の乱(つまり徳政一揆:負債の破棄を要求する暴動)を働いた。一味の者どもがほら貝を吹き、ときの声を上げて、あちこちを焼き払い、斎宮城に立て籠もった。しかし、伊勢国司・北畠材親(きちか)配下の伊勢南部の武士によって討伐された。その後、廃城となった。現在、城跡は、明治39年(1906年)に始まる神社統合命により、明治44年(1911年),旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した竹神社となっている。
[所在地:三重県多気郡明和町斎宮字牛葉(竹神社)]
<アクセス>近鉄山田線・斎宮駅下車徒歩約5分
▼案内板 ▼斎宮城跡碑
▼竹神社(斎宮城跡)
現在は、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して、竹神社になっています。
2014/06/08 訪城