nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

上狛環濠

2013年05月22日 | 京都府の城郭・環濠

 室町時代に興福寺領だった上狛の大里を村と田畑を堀(水路)で仕切り、堀(水路)の内に土塁を築き,竹藪や雑木林を連ね城郭化した。その中に家々があった。集落内には、この村の武士の頭(国人)であった狛氏の居館(狛城)が文明年間(1469~1487年)に築城された。狛氏は、興福寺領狛野荘の下司・公文職として同荘を基盤に大きな勢力を持っていた。上狛環濠集落は、東西330m,南北360mで戸数約300戸の山科地域最大規模の環濠集落である。有名な山城の国一揆の舞台でもある。現在は、木津川市の市指定史跡となっている。                       

[所在地:京都府木津川市山城町上狛]

アクセス>JR奈良線・上狛駅から徒歩5分(西へ約300m)

上狛環濠集落の場所

 

上狛環濠集落の概要

上狛環濠集落を囲んだ堀(水路)

 堀(水路)は、農業用水路・排水路として利用された。    

 

上狛環濠集落を囲んだ堀(水路)

 

上狛環濠集落の街並み  ▼長屋門を設けた豪農の屋敷の民家が多い。

 

2013/05/21  訪城

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山城の国一揆     文明17年~明応2年(1485年~1493年)

 南山城地域における畠山義就と畠山政長の戦に対して、文明17年(1485年)12月11日に、石清水八幡宮で南山城の国人(土着の在地領主)は、両軍の撤兵を要求する決議を行い、両軍を撤退させることに成功し。文明18年(1486年)2月13日には、宇治の平等院に集まって自分たちの地域の法律、「国中掟法」を定め、国人や農民による自治が始まった。国一揆は、明応2年(1493年)9月11日、稲屋妻城の陥落をもって終結する。

[畿内を中心とする主な国一揆]

 和泉の国一揆 1473年~1492年

 摂津の国一揆 1478年~1482年

 山城の国一揆 1485年~1493年

 丹波の国一揆 1489年~1492年

 

土一揆国一揆の違い✡

 土一揆は、土地を取り上げるな、借金の証文をほごにせよ、といった徳政を要求し、農民や運送労働者が実力行使に出るもので、徳政を勝ち取れば静まる。

 国一揆は土一揆と違い、一定の地域が団結して外部権力の介入を拒み、自分たちの利益を守ろうとする運動で、国人と呼ばれる土着の武士たちが表面に立って指導した一揆です。

狛氏(こまし)・・・室町時代から戦国時代に、現在の京都府木津川市山城町上狛を本拠とする国人(土豪)でした。狛氏は、奈良興福寺領の狛野庄の荘官である下司(げし)をつとめるとともに、一方では、室町幕府の管領細川氏の被管となり、応仁、文明の乱には、東軍細川勝元方に武士として参加した。



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