大和・新庄城は、築城時期は、定かではないが、布施氏によって屋敷山古墳の墳丘を利用して平時の居館として築かれた城砦である。布施氏は、その後、没落滅亡し、かわって慶長6年(1601年)に紀伊和歌山から桑山一晴が一万六千石で入府し、新庄藩となった。しかし、天和2年(1682年)に改易になり、その後、永井直園が新庄藩一万石の大名として入府し、文久3年(1863年)八代藩主永井直壮が櫛羅陣屋に移すまで存続した。現在、国の指定史跡となっている屋敷山公園の中にある屋敷山古墳が新庄陣屋のあった所で、入口に石碑と案内板が設置されている。
[所在地:奈良県葛城市藤井(屋敷公園)]
<アクセス>近鉄新庄駅から徒歩約15分(1.3Km)
▼新庄城虎口 ▼新庄城石碑
▼屋敷山古墳の墳丘を削って、かっては、大奥、御殿、物見櫓、等が並んでいた。
▼古墳の堀は、そのまま水堀とした。
2013/04/14 訪城