nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

幻の五新鉄道散策

2013年06月02日 | 文化・歴史散策

2013/06/02   奈良県五条市の幻の五新鉄道散策に行ってきました。

ハイキングコース奈良交通・城戸バス停下車・・・専用道城戸・・・賀名生・・・賀名生の里・歴史民俗資料館・・・専用道出口大川橋・・・新町通り・・・五条市民俗資料館・・・良交通・五条バスセンター

幻の五新鉄道の道路*は、一般車の通行は、NGです。バス専用道路です。ただし、徒歩はOKです。

 👉2014/10/01 からは、バスの通行も中止になりました。

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五新鉄道」は、国鉄(現在のJR)和歌山線の五条駅と紀勢線の新宮駅を結ぶ路線として1939年に着工。太平洋戦争で中断後、1957年に再開されたが、1980年の国鉄再建法成立を受けて建設中止になった。今でもトンネルや路盤が残っています。

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戸バス停             ▼専用道城戸バス停

                                                                                       幻の五新鉄道の散策スタート

  

 

 

 幻の五新鉄道の トンネルは、たくさんありましたが、トンネルの工期は、全て1958年~1959年でした。

  

賀名生(あのう)で寄り道する

歴史民俗資料館    ▼北畠親房公の墓(歴史民俗資料館から北へ200m

                                                                               北畠親房公は、後醍醐天皇の側近でした。

 

            西吉野第二発電所 (水力発電)

                                                                途中に発電所が2ケ所ありました

 

専用道出口大川橋  ここまでが幻の五新鉄道の道です。新町通り

  

松倉豊後守重政之碑

五條市民俗資料室(五條代官所の正門)

松倉重政 (1574~1630)

 松倉重政は、筒井家の家老の家柄であったが、筒井順慶の没後、天正13年(1585年),筒井順慶の養子、筒井定次が大和郡山城から伊賀上野城に転封となり、松倉重政も伊賀上野に従って行った。そして名張城を築城し8,000石の名張城主となったが、筒井定次とウマが合わず、豊臣秀吉の家臣となる。大和国吉野に8,000石を領した。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの功により、大和五條の二見城に10,000石で大名として入城し、城下町の整備をした。元和元年(1615年)大阪夏の陣の功により、元和2年(1616年)肥前島原城に43,000石に加増されて入城した。寛永7年(1630年)小浜温泉で急死。松倉重信の長男。

天誅組の変 文久3年(1863年)

 孝明天皇が攘夷祈願のため,大和行幸を決定する。土佐の脱藩志士らが大和で倒幕挙兵し、十津川郷士らと五條代官所を襲撃。さらに約1,100騎で高取城を攻撃する。高取方は、大砲で反撃したので、攻撃は失敗に終わり壊滅する。大和行幸は中止となる。(京では公武合体派の政変、三条実美ら七卿の長州落ちする。)



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