小泉城は、室町時代に、興福寺衆徒で国人の小泉氏が、築城した平城です。長禄3年(1459年)筒井順永に攻められ落城。その後、文明7年(1475年)にも落城、天正8年(1580年)に織田信長の一国一城令により、城は、破壊される。その後豊臣秀長が大和国を治めた時、その家臣(家老)であった羽田長門が小泉城に入り外堀を造り、小泉氏の館跡を拡大する。慶長6年(1601年),豊臣家に仕えていた片桐且元の弟片桐貞隆が小泉城を含め15,000石で大名に加わる。そして大坂の役が終わると、今度は徳川家康から16,400石に加増され、元和9年(1623年)片桐貞隆は小泉城に戻ってきた。そして小泉城址に陣屋を構え、小泉藩祖となった。2代藩主片桐石見守貞昌は、茶人として有名で、茶道石川流の祖である。片桐氏は、初代貞隆から12代貞篤まで、代々小泉の地を離れることなく明治を迎えた。明治6年(1873年)の廃城令により城は取り壊された。
[所在地:奈良県大和郡山市小泉町]
<アクセス>JR小泉駅から徒歩10分
▼片桐城の石碑(小泉城の別名)
▼小泉城石碑(主郭跡)への入り口 ▼小泉城主郭跡
▼小泉城石碑 ▼外堀跡
2013/04/27 訪城
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慈光院は、寛文3年(1663年)当地の大名であった小泉藩2代藩主の片桐石見守貞昌(石州)が、父貞隆の菩提寺として自分の領地内に建立した臨済宗大徳寺派の寺院である。
[所在地:奈良県大和郡山市小泉町865]
▼茨木城楼門⇒茨木城より移築して屋根を書院とあわせて茅葺きに葺き替えて当院の山門とした。
▼書院(茅葺きの屋根)
▼庭園
書院で、抹茶とお菓子を頂きました。
2013/04/27 訪問