なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

白鳥哲監督作品『リーディング』の感想と、『蘇生Ⅱ』のこと

2020年02月22日 | ともこ
昨年8月に白鳥哲監督の『リーディング』という映画を見る機会があり、その時にすぐ書いた記事が下記です。
私個人のblogにはアップしていました。なな色メールに載せてもいいと他のメンバーにもお断りいただいていたのに今になりました。
明日、同監督の映画『蘇生Ⅱ』が隣の市、由利本荘市で上映会があり、何と!白鳥哲さん、いらっしゃいます!秋田県初の講演会です!

蘇生・・・地球の蘇生です。微生物や菌が原始の地球環境を整えたように、今も、人間のせいで破壊された地球環境を改善させるには、微生物や菌の力をうまく使っていきましょう。という希望の持てる内容のようです。では、夏に観た作品の記事を・・・。
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エドガーケイシー・・・名前は聞いたことがありましたが、霊能力者で、チャネラーだったという事くらいでした。
今回、彼の行ってきた業績について白鳥哲監督の映画『リーディング』を観て、知りました。

やはり、チャネラーで、別次元の大いなる力(神?)の教えを語れる人でした。
契機は二度あり、子どものころから精霊や亡くなった人を見ることが元々出来ていたようですが、ある日、天使のようなものに望みを尋ねられたことがあり、「人を助けたい、病気の子供など」って、答えた後それは消えた・・・。
その後、23歳になった時、失声症を患い、なかなか治療が難しく(肉体的な異常が無いのに治せなかった)催眠療法を試したところ、催眠中に自らの状態と治療法をぺらぺらと語り、その通りに催眠時にエドガーに声をかけて治療すると・・・治りました・・・。
「喉のどこだかの筋肉に血液がちゃんと巡らせることが出来たから治ったよ・」みたいな事をエドガーに語られた通りの状態になったから治ったのだと催眠をかけたのですね・・・。

これが元で、他の人の治療もその催眠状態になってチャネリングして行っていった訳です。
その数も半端ではなく、1万4千件以上の実績の記録が残っており、更に記録の無いものも多くあったと!

ただ、その治療の方法は、具体的で実践しやすいもので、ひまし油でのマッサージや、生野菜を食べて(粉ゼラチンを振りかけて吸収力を上げる方法も!)腸内洗浄をするとか・・・。毎日オレンジを摂って、炭素フラーレン?とヒマシ油シップで治った話や、子宮筋腫がありながら妊娠を乗り越えた方の話も映画の中に収められていました。主治医が奇跡だと驚いていたと・・・。
方法自体は、難しくなく、簡単ですが、信じて実践できるかどうかで治りが違うと・・・。
生野菜をとにかく食べようというので、農薬の使われていないものを手に入れるという事が難しい事かも知れませんが・・・。

彼によると現代の死に至る病気の代表、「癌」というのは、血液の劣化が引き起こしているものだとのこと。それを改善すれば、早ければ早いほど、完治すると。
それには四つの方法があり
1、 血液の酸性過多を改善すること
2、 老廃物をしっかり排泄できる身体にすること
3、 血液の凝固力が下がると、癌化しようとする細胞と闘えない(これは他では誰も提起していない)
4、 血液の酸素供給能力の低下を改善すること
具体的には・・・食事を(生野菜)中心に!その病状によっては食べなくすと良い食品があるようです。
アトピー(乾癬)の人は、茄子科の野菜や、夏野菜と一般的に言われているものをやめると急速に改善したとか。
国内外の実際に病気が治っていったご本人のお話から、医師として関わった方の声、必ずしも治らなくとも、カルマが解放されると穏やかな死を迎えられたという話。
エドガーケイシーの資料を保管しているセンターや、日本にもセンターがあり、彼の遺した叡智を民間に利用できるようにとシステムがあります。(知らなかった!!)

エドガーケイシー氏は、クリスチャンだったので、ある日、催眠中に、患者の過去世からの影響だと話し始めた事象にとても戸惑ったようでした。
今でこそ、ワイス博士が、退行催眠で治療をする中で、過去世の存在を科学的に解説していますが、驚いたことでしょう。
過去世で、本人が体験したり、人間関係から得た気持ち(記憶)がカルマとして魂に刻まれるのです。許しを出来たときに、カルマから解放される・・・。

彼が行った催眠時に話した言葉は、アカシックレコードと言われる、ある次元にある図書館の本から智慧を引き出すような作業で、「リーディング」と呼ぶようになったとのこと。
人々の体を治すためのことを、フィジカルリーディングと言い、他にもライフリーディング、預言や夢解釈などもされていたようです。

何度も辞めようと思ったり、悩みもあったようですが、妻が結核になった際にもリーディングで治せて、改めて人々への奉仕の気持ちで後世にも語り継ぐことを決めたと。
この結核の時の治療は、ひまし油をカプセルに入れて一日三回飲めと、医師たちもすぐ処方箋を書こうとせず、友人の医師に頼んでいたようなシーンも・・・。

彼はお医者さんでは無かったのですね。写真を生業としていたようですが、後世にも実践してきた事を遺そうと決めてからはリーディングに集中することにしたようです。

CARE・・・手当て   育成という意味があると映画では言ってました。ハロルド博士は更にそれらについてこう解説をしています。
C:血液・リンパ・氣・プラーナなどの循環 (英語でのスペルが?)
A:消化吸収(胃内のPHを整える)→すっごく基本ですが! ゆっくり噛んで食べる!
R:リラクゼーション(瞑想と祈り)毎日できると良い
E:エリミネーション 排泄・呼吸・汗・解毒(ホリスティック医学)

ヒマシ油シップは温熱も加えてパックにすると効果的に解毒を出来るものとのことです。
ラストの方は宗教的だと思いましたが、人は一人では生きていけないものです。
自然にも勝てません。この世に生まれて生かされていることには意味があり、それを無視して生きるには辛すぎる世界です。

人が目指す生き方・・・自分を神の内に手放して水路となる。
           神を賛美する
宇宙は、我々の人生を導いてくれている。自分に望まれていることは何か?と問い続けること。人生の邪魔をしているものの正体は自分である。

祝福の水路となりなさい。

映画のエンディングは、『西の魔女が死んだ』の「虹」の調べが・・・。
そして、あの詩は・・・聖書でしょうか?・・・でしたね!


心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、 その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。

(「マタイ福音書」五章3―12節)


上映会を企画してくれた秋田市でサロンもしているFさんのブログを紹介しておきたいと思います。
まなび舎つきとたいよう



#リーディング#白鳥哲監督作品#地球蘇生プロジェクト


心のままに・・・無意識に自由に!=錐体外路系運動!

2018年08月10日 | ともこ
野口整体、特に気構えなく受けたので、勝手に体が動き出したのには本当に驚きでした。

私が野口整体に出会ったのは3月でした。前からたまに耳にし雑誌で目にしていたものと知り、夢中です。でも、一人で自宅でやっては見たものの上手く動き出せず、そのうちそれから、多重人格の主人公の韓国ドラマに嵌まり、多重人格について気になり『24人のビリー・ミリガン』を読み始め、彼に魅了された多くの人々のうちの一人になり、今も続編を読んでいますが、沖縄旅行もその間に入れ、沖縄についての基地の本、辺野古の海の本、本土返還などの歴史的な事柄の本を読みながら・・・今に至っています。

片山洋二郎さんの本も5年ほど前から持っていましたが、実践にすぐ役立ちそうな方法や体癖の分類表など載っているのですが、使えずにいました。今回野口晴哉大先生の著書を購入し読んでみるととっても琴線にふれる事柄ばかりでした。

「文明生活を見直そう」「自分の体の要求に従うこと」「無心(天心)で行い、良くしてやろうなどと驕らない。」
野口整体は愉気と錐体外路系活元体操、潜在意識教育、体癖・・・
体で感じて、実際手を当てたり、感応反応が起こったり、文章で読んだだけでは楽しさが伝わらないので、やりあいっこしたいです。愉氣の際は呼吸を合わせるのが大事なようです。

秋田市内泉などで活元体操の会を開いている野々村さんという方がいます。3月に秋田、泉での会が東北で初の講座だったという宮崎先生。九州から来ていただいていたとのこと。
結構レベルの高い穴追いという感覚の赴くままに(溝が出来て吸い込まれる感じ、砂時計の砂が穴の中に吸い込まれて落ちていくような感じ)指を移動させていくものも教えてもらいました。自宅で長男の顔を借りてやってみたけれど、感覚が出てこなかったのです。まだまだ・・・。

12主体癖論:腰椎の1番から5番のどこに集力しているか、でその人の性質(体癖)が分けられます。

腰椎1番 ;上下型一種:性の大脳昇華型…頭で考え行動しない→哲学者、案を考え出す
(よく考える人);上下型二種:大脳昇華型だが、頭の疲れを体で感じるタイプ→歴史研究家、まとめる人、(内へ向かうタイプで胃潰瘍になる傾向)
腰椎2番 ;左右型三種:性の消化器、感情昇華型、好き嫌いが主体→八つ当たりする(肝
(感情の人)  臓を壊しやすい)
左右に揺れる ;左右型四種:感情昇華型だが繊細。嫌なことがあるとすぐに食欲をなくす。(自分の内へ潜る。拗ねる。よく歩くことで改善。右足を伸ばすと消化機能が    アップ(ガスが出る)
腰椎3番 ;前後型五種:性の呼吸器、運動昇華型。理性的だが明るく動いてばかり。
     (利害を考える、筋が発達)
     ;前後型六種:呼吸気昇華型だが呼吸器が弱い。孤独を好む。情熱を信仰や思想に注ぐ。
腰椎4番 ;捻じれ型七種:性の泌尿器、行動昇華型。衝動的で闘争心が強い。腎臓が丈夫。
(強くなろうと (ケンカを売る)
 する人)  ;捻じれ型八種:衝動的だが腎臓を壊しやすい。命令を守る。(自分に勝とうとする、売られたケンカは買う)
腰椎5番 ;開閉型九種:性の生殖器、本能昇華型。執念強く一つのことに集中する。縮む
   ;開閉型十種:本能昇華型だが抱擁力がある。弱いものを抱え込んで離さない。緩む
反応過敏型十一種:ヒステリー体質として次々と病気にかかる。ある時期から他の12種に変貌することが多い。
反応型遅鈍型十二種:異常に対しての反応が鈍く、無病体質で一見丈夫。だが、急に倒れることが多い。

病気についての言葉がけ・・・捻じれ型に、「大したことない」は禁句。かえって悪化する。
上下型に、「ひどいよ。」と脅すのはだめ。思い込んで悪化してしまう。

などなど。混合型となるのが通常だとのこと。大変興味深いのですが、体癖についても、あ
まり分類分けに囚われすぎないように、とも書籍にありました。けど、分析とか好きな私は
気になって気になって・・・。え?これって一種??
片山さんの本から簡単な分類のものもコピーしておきますね。焦らず、ゆるりと取り入れたいです。愉氣して、相手を感じて(感応して)、楽しく健康に・・・。

野口晴哉氏の『整体入門』から
「人間には体表に表れている体力だけが体力のすべてではなく、潜在している体力も体力であることを自覚し、自発的に行為すれば、こういう力を活発に喚び起こすことができるのだ。体の勢をつくり、体の力を発揮するためには、感情をちゃんと発散すること。笑う時には声をあげて笑う、泣くときには泣き、怒るときには怒る。

人間らしく活き活きした原始の生き方にフィードバックし全力で生きる、文明生活を見直す、発達しすぎて人間の力が弱まっている。」

今、山田征さんの『自然エネルギーのホントのこと』という本を手に入れることが出来たので読んでいます。その中にも、ローマ帝国が滅びた理由(周辺の森林を裸にして人間の生活の便宜ばかり図ったためというのですが、今、当に、現代世界中の各地で自然破壊が行われ、そのせいなのか異常気象で災害が生じています。
山田征さんの事を知ったのはAKOちゃんというヒッピーのような出で立ちで日本を縦断して脱原発、脱肉食、脱自然エネルギーなど紙芝居にして妹さんのママチャリで行脚している人から教えてもらいました。それが5年位前のことでした。
さて、沖縄、辺野古の基地移設については、翁長県知事が7月27日、認撤回の意思表明をやっと出しました。それでも、工事は全く中断されず、辺野古、大浦湾の一部が、囲いで繋がり、中のサンゴが成功確率の一番低い暑い時期に移植を行って、自然保護に留意しているふりだけでどんどん進められています。

この理不尽な現実と、秋田でも同じようなことが今始まっています。秋田市新屋の住宅地近郊の自衛隊訓練地でのイージス・アショアという不要なミサイル迎撃設備配備と、由利本荘市の海岸沖1㎞に400基に及ぶ大規模な洋上風力発電(巨大風車)の建設計画です。

『ZAN ジュゴンが姿を見せるとき』という辺野古の海を扱った映画の上映会をしていと考えています。是非時間のすり合わせなどして見に来てください!

先日、秋田駅東側の大道路に面した場所に横向きに建てられていて、正面側が空き地だからか閑静な佇まいを呈した素敵なハーブティのティールームを知ったのですが、皆さん「メリッサ」さんご存知ですか?
月の本や、ハーブは勿論、布ナプキンや手作りアクセサリー(作家さんの持ち込み)もあり、すっかりファンになりました!
なな色シスターズの会、是非そこで持ちたいですね!



(と、久しぶりに文書をなな色シスターズのお姉さま方に出したところ、後日、このメリッサというティールームは、以前Sさんがいつもはネット販売のセレクトショップ『蕗だより』の実物展示販売のショップをしたところだったとのこと・・・。流石!なるほどの素敵な空間でした。)


ひょうどうともこ

『非暴力・平和・糸車 ガンジーに学ぶこれからの生き方』片山佳代子著~

2014年11月13日 | ともこ
秋田、大仙市にお住まいで、以前インドにいらっしゃった時に出会ったガンジーの思想を伝えることをライフワークとし、講演活動、糸紡ぎのワークショップをされていらっしゃいます。

片山さんのことばを抜粋します。

「今あるのは行き過ぎた便利さではないでしょうか。その結果、お金さえあれば一人で何でもできると思い込んでしまい、感謝を忘れた不幸な私たちがここに存在すると思うのです。ガンジーはそのことを見抜いていたから、手仕事の普及に全力を注いだのです。糸を紡ぐ一時間は、自己を浄化する一時間であるとして、糸紡ぎを勧めました。」


労働について・・・

「ガンジーは、『子どもを育て、家庭を維持管理していくことは、女性がその全エネルギーを費やさねばならないほどの十分な仕事である。』と主張して、工場などで女性が働くことをやめさせなければならないと考えていましたが、それは女性を差別しての考えではなく、女性に本来の仕事に目覚めてもらいたかったからです。男性についても同様で、農村で様々な農業や手工業に従事するのが本来の人間の生き方であると主張しました。

・・・中略・・・

母親が仕事に出ている家庭であれば、女性が家事・育児と仕事に忙殺されるのはよくありません。耕すこともしない男性が、外で働く女性たちに家事・育児を一方的に押し付けていれば、女性にとって家事がイヤなものになるでしょう。ガンジーが自ら率先して糸を紡いだように、今の日本であればさしずめ、家族みんなで料理をするというのが『男は耕し、女は織る』に至る第一歩だと私は思います。」


男女同権について・・・

「女性の地位が向上したことは喜ばしいことです。しかし、『平等という鍵を手に入れて檻を開けた女性たちは、男性たちが入っているもっと大きな檻の中に出てきただけだった』という指摘があります。」

「戦士にならないで。」

「子どもと共に生きる今を楽しむこと」と。



今、フルタイムの仕事をしていますが、もう少し、ゆとりが欲しいです・・・。
家事はすごく・・・放棄させていただいています。・・・仕事中心になってるのですが、楽しいといえば楽しいのですが、本当に、ゆとりが欲しいです。

精神的に、体力的に、同僚たちがガタがきています。・・・・頑張れって、これ以上言えないです。

ともこ

セルフカウンセリングの本の紹介です。

2014年11月02日 | ともこ
『I be マッピング』のこと・・・


精神科医、名越先生の本『自分を支える心の技法』のこと・・・

心理学って深いですよね。

ともこ

最近の学びです。

2014年11月02日 | ともこ
いのちの電話の事務長さんのお話

青森県の SAN Net の方のお話

リトルターンのように

2014年11月02日 | ともこ
かれこれ17年前、私が秋田に来て最初の家族で行った行楽の場がにかほ高原のジャージー牧場でした。そこへは子どもたちが小さいころは定期的に訪れていました。

今はバーベキューハウスや動物とのふれ合いスペース、ミニコンサートのイベントなども、と発展を遂げていますが、私個人としては6,7年程前のもう少し素朴なピアノを置いたカントリールームがただ隣接されているだけというくらいの風情が好きでした。

青紫の色調を多用したイラストが素敵な『LITTLE TERN』(リトルターン)ブルック・ニューマン作、五木寛之訳の小さな本に出会ったのもその頃でした。(リサ・ダークスという人の絵が本当に素敵です。)
 
ある日突然、飛翔できなくなったリトルターン(あじさし)がその喪失のうちに“旅”へとライフシフトを変え、その間に出会った自己の感情、友人たちとの関係、友情が描かれています。今、私は精神科疾患の方と仕事で関わっています。壊れた自身を自覚しているリトルターンが彼に重なります。

今年の3月から訪問看護ステーションに勤務となりました。訪問看護の仕事は、医療依存度が高い状態でも在宅(自宅)で生活を続けられるように、地域の介護保険サービスの利用、また医療機関との架け橋の役割もします。

脳梗塞などの病気となり急性期を過ぎて病院での治療が終了した後どうすれば住み慣れた家で自分らしく暮らしていけるか、在宅でのリハビリ(予防的なものから病院のOTの計画に基づいたものまで)、ターミナル期(治療の限界のため積極的治療は求めず、病院ではなくご自宅で穏やかに最期を迎えたいという方のための緩和ケア)などです。

今私のいる訪問看護ステーションは、すでに数年前からのプロジェクトにより、複合型多機能施設と一体型の事業所へとなったのです。それと秋田県内では初めての定期巡回訪問介護・訪問看護という事業所も併設しています。

地域に密着したサービスも色々あるのですね。毎日勉強になります。

それとともに今まで苦手意識のあった精神疾患の方への看護の担当もすることになりました。8月末には全国訪問看護協会による研修を仙台へ3泊4日かけて受けてきました。支援のための訪問看護師の存在意義がよく理解できて学びとなりました。“待つ姿勢が大事”“聞き役に回る”これは私の一生の課題!

訪問看護師の仕事は、今まで学んできたすべてを発揮できる場できるやりがいを感じられる仕事です。ただ、家庭にも影響が大きく、家族にも様々手伝ってもらっていて、本当に感謝しなくてはと思っています。

リトルターンは毎日をひたむきに生きることで、大切な自分を取り戻していきます。私も毎日の出会いと別れを大切にひたむきに生きていきたいです。

ともこ

『非暴力・平和・糸車 ガンジーに学ぶこれからの生き方』片山佳代子著~

2014年11月02日 | ともこ
秋田、大仙市にお住まいで、以前インドにいらっしゃった時に出会ったガンジーの思想を伝えることをライフワークとし、講演活動、糸紡ぎのワークショップをされていらっしゃいます。

片山さんのことばを抜粋します。

「今あるのは行き過ぎた便利さではないでしょうか。その結果、お金さえあれば一人で何でもできると思い込んでしまい、感謝を忘れた不幸な私たちがここに存在すると思うのです。ガンジーはそのことを見抜いていたから、手仕事の普及に全力を注いだのです。糸を紡ぐ一時間は、自己を浄化する一時間であるとして、糸紡ぎを勧めました。」


労働について・・・

「ガンジーは、『子どもを育て、家庭を維持管理していくことは、女性がその全エネルギーを費やさねばならないほどの十分な仕事である。』と主張して、工場などで女性が働くことをやめさせなければならないと考えていましたが、それは女性を差別しての考えではなく、女性に本来の仕事に目覚めてもらいたかったからです。男性についても同様で、農村で様々な農業や手工業に従事するのが本来の人間の生き方であると主張しました。

・・・中略・・・

母親が仕事に出ている家庭であれば、女性が家事・育児と仕事に忙殺されるのはよくありません。耕すこともしない男性が、外で働く女性たちに家事・育児を一方的に押し付けていれば、女性にとって家事がイヤなものになるでしょう。ガンジーが自ら率先して糸を紡いだように、今の日本であればさしずめ、家族みんなで料理をするというのが『男は耕し、女は織る』に至る第一歩だと私は思います。」


男女同権について・・・

「女性の地位が向上したことは喜ばしいことです。しかし、『平等という鍵を手に入れて檻を開けた女性たちは、男性たちが入っているもっと大きな檻の中に出てきただけだった』という指摘があります。」

「戦士にならないで。」

「子どもと共に生きる今を楽しむこと」と。



今、フルタイムの仕事をしていますが、もう少し、ゆとりが欲しいです・・・。
家事はすごく・・・放棄させていただいています。・・・仕事中心になってるのですが、楽しいといえば楽しいのですが、本当に、ゆとりが欲しいです。

精神的に、体力的に、同僚たちがガタがきています。・・・・頑張れって、これ以上言えないです。

ともこ

降りていく思想―ナマケモノ倶楽部とガンジーと昌益

2014年11月02日 | ともこ
『つながるあきた地宝プロジェクトチーム』(以降「つながるあきた」)のその後。仕事の多忙にて私はほぼ活動できなかったことは今年の残念大賞3つのうちの1つです。
最も残念な出来事は愛猫の死…。

1年半の付き合いでしたが、未だにすごく大きなスペースを私の中に占めています。変な猫でした。風来坊なあいつは夜帰ってこない日もあり、来たいときにやって来て、対等な関係だったような感じがします。食糧はこちらが与えていたけれど。事故で片足を無くしても2階の窓から出入りしていました。私にはジャニーズのKAT-TUNの亀梨和也風に見えていました。(大島弓子の漫画をご想像ください)

さて「つながるあきた」ですが、春には男鹿の大竜寺のイベント『スケッチャ・オブ・ミャーク』(宮古島のおばあが主役)上映会でフードを担当し、月一回の座談会を持っていました。「te-to-te」という食品を扱う活動時のグループも出来ています。

糸紡ぎの手作業をレクチャーする会も県内で持たれていらっしゃる大仙市にお住まいの片山佳代子さんをご存知の方もいらっしゃると思いますが、ガンジー思想の書籍を書いていらっしゃいます。彼女は安藤昌益の活動にも加わっています。(江戸時代に「直耕、直織」=「自ら耕し、自ら織ること」の重要性を説いた人物)

この秋、「安藤昌益を世界に広める会が秋田での国民文化祭に、大館にてナマケモノ倶楽部の辻信一さんをよんでの講演会を催しました。私は仕事の調整も上手く出来ず残念ながらお会いし損ねました。“人は何のために生きるのか?”という質問に「人に与えるため」と答えられていたとのこと。

初夏から8月中、つながるあきたで秋田県内数箇所でのナマケモノ倶楽部の映画、『川口唯一の「自然農という生き方」』のリレー上映をしました。実は、このナマケモノ倶楽部のゆっくりノートから出来たDVDの上映会は、つながるあきたの次のステップの活動として私が提案していたものでもありました。

メンバーの中ではファームガーデンたそがれの菊地さんなどは、ナマケモノ倶楽部を良くわかっていらっしゃり、北秋田市での上映会は大盛況となったようでした。森のテラスという所は、環境もとても緑が多くて素敵なところのようでした。

横手での上映会ではトランジションあきたの方に協力を依頼しました。なかなか参加者は募れず集客率は不良でしたが、ここに集まった方とは色んな考えをシェア出来て、今後も大切にしていきたい方々との出会いでした。NPOの世話役をしている方、湯沢市で自然農の田甫をされている方など。

イベントを興すには本当に情熱とエネルギーが必要です。本当は、ナマケモノ倶楽部のゆっくりノートシリーズの他のDVDサティシュ・クマール氏のものや、その他、沖縄の米軍基地問題の『標的の村』なども上映会を出来たらと思っていたのですが。

辻さんがいらしていた15日、潟上市(菊地さんの地区)で急遽、『ヴァンダナ・シヴァの「いのちの種を抱きしめて」』の上映会が催されたのでした。(これも私は不参加・・・。)

春に少しやってみた私の自然農法の畑は、仕事の多忙さにかまけていたら本当に雑草まみれで家族がご近所に恥ずかしいからとあまりに言うので止めました。ゴールデンウィークにジャニス・ジョブリンをかけながら泣く泣く草むしりと畝崩しをして土地を返しました。

ファームガーデンたそがれのKさん、ブログの中に不自然さの奇妙さについて書いた後「ついでに言っとく、人の生き死にもだ。」というくだり、私の琴線に触れたポイントです。

彼の田んぼが稲刈りの時期に泥濘が強く、人手が必要だと窮地の知らせが先日あり、微力ながら稲刈りを手伝わせていただきました。最初は男性陣のグループに混ざり、黙々と作業に集中していました。農薬を用いない田んぼにはトンボやカエル、カマキリが楽しそうに暮らしていました。私も裸足で地球に嵌って来ました。気持ちよかった~♫リフレッシュできました!帰りの道中では、すっごく年下のかわいいボーイフレンドができました。

我が家の新顔ミトンも連れて行きたかったです。本名:ミトンの亮、人呼んでミーすけ、生後3ヶ月のやんちゃな仔猫です。この子は『タイタニック』の頃か、まだテレビのホームコメディものに出ていた頃の初々しい” レオ様”(レオナルド・ディカプリオ)っぽいかも!!


ともこ

持続可能な社会のためのコミュニティづくり

2014年03月18日 | ともこ
2月15日に青森弘前での反原発映画祭に『つながるあきた地宝プロジェクトチーム』のメンバーも協力していたので誘われ、出かけて来ました。京都大の放射線研究の第一人者小出裕章先生の講演と、映画『福島、生き物の記録』を見に。そして、ミニライヴに出ていたアイサさんに会うために。

私たち一家が東京にいた頃、彼女のご主人が西荻窪の駅近くでバーをしていて仲良くなっていたのでした。私たちが秋田に越した後、彼らも福島県浪江町にUターンしていました。年賀状での近況報告以外の行き来はなく、アイサさんとは私は面識がなかったものの、あの地震の後、避難して逃げ延びていることを祈りながらメールを数回送っていました。そして、フェイスブックで奥さんの名前を見つけ、青森に避難している一家の無事を確認したのでした。

地震発生時から放射能のことを気にしての避難生活については岩上氏の百人百話の配信を見せてもらいました。移住、福島に残っている人に向けての一時避難や、ノンベクレル食材の運搬ボランティア、十和田での金曜行動(サウンドデモ)など、彼女からは吸収したいことが沢山でいい刺激を受けています。

実際の生活も太陽光パネルで電気の自給自足を行い、麻製品のことも彼女からの発信で初めて知ったのでした。彼女の歌『覚醒』…立ち上がれ、目を覚ませ、大人たち…力強くてあったかい歌声です。

全国規模で政治を変えようと活動している座間宮ガレイ氏は沖縄からの航空路が大雪のために変更を余儀なくされ、ネットでの呼びかけで現れた協力者によって車で送られて懇親会からの参加でした。流石!ネット選挙講師。小出先生が宇都宮氏のことを応援されていたことがきっかけで政治に興味を持ったという秘話も。

懇親会では大間原発に反対されている函館の方たちとお会いしました。風船を飛ばし風向きの計測というものも企画されています。福島から秋田へ避難している方々とも会えて少し交流しました。秋田避難親子の会の方や、『kakusei』と言う映画にも出演されているAさんのお子さんたちはうちの二人の子ども達とちょうど同じ年代で、上お子さんが福島県の相馬市に残っていらっしゃいます。下のお子さんと避難されていて、残してきた上のお子さんへの気持ちで、心がちぎれそうな心情を抱えていらっしゃると感じます。

さて『つながるあきた地宝プロジェクト』の今後は、ナマケモノ倶楽部の上映会(まずは「自然農」の川口由一さん)、マルシェ、座談会の三本立てで持続可能な世の中への変革を手伝うという気の長い活動をしていく方向になりました。

マルシェでは、ノンベクレル表示、産地を提示することで食についての意識の持ち方へ働きかけ、地元の農家さん等活性できればという話となっています。その横で私は環境にやさしい製品の紹介、布ナプキン販売、『ママ✿レボ』の小売りと『脱原発をめざす女たちの会』のリーフレットの配布をして原発についても発信したいと思っています。

ひょうどうともこ

冬眠のあとはまっすぐ伸ーびろ!

2014年03月18日 | ともこ
このなな色メールが発刊される頃は”啓蟄(けいちつ)”の頃でしょうか。旧暦ではまだ2月になったばかりなのですがこの啓蟄とは、冬の間、土の中で春を待っていた虫や小動物が活動を始めるころを示します。冬眠から目覚め、思いっきり伸びをしたいですね。

少し前、小寒、大寒という一年の中で一番の寒い時期があります。この3月で小学校を卒業する長男ですが、剣道スポ少をさせていました。剣道では土用の直前に鍛錬のための早朝の稽古があり、夏はそのまま”土用稽古”冬は”寒稽古”といいます。毎回その頃になると嫌で嫌で「もうやめる!」と言い出していました。特に冬は温かい寝床から出て冷え冷えとした稽古場へ早朝に行くというのがどんなにつらいか。連れて行く親も容易ではありませんでしたが、冷たい床を裸足で稽古して本当によく頑張ったと褒めてやりたいと思います。

そして2月に入り初午の行事があり、大寒の時期が終わります。この5年間の慣習でした。これも今年度で終わりです。子どもが成長していくと暮らしもまた様変わりしていきますね。

初午という行事は、立春を過ぎた初めての午の日のお祭りで、稲荷神社で豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願するもので、京都伏見のお稲荷さんが発祥の地とのこと。本来は旧暦の2月の行事なので、今の3月のちょうど稲作を始める時期に農耕の神様を祭るようになったものなのです。新暦の2月では、秋田では大雪の中の行事となっています。一ヶ月ずらしてもいいようなのに。今年だと3月12日が立春後の初午となっています。

我が家の甘えん坊の息子も剣道スポ少も終わり初午の最後の務めも終え、中学校での新生活のスタートをきるために、大きく伸びをする時期に来ているのでしょうか。最近はもっぱらゲームに興じていますが、これがタチ悪く、オンラインで友達と一緒にチームに参加し、敵チームと戦う。戦争ものです。こういうゲーム最近多い気がして世の中も改憲だ、集団的自衛権の行使だと言っているので心配です。

原爆の被害のことを描いた絵本『ひろしまのピカ』が六年間、読み聞かせボランティアの方から聞かせてもらった本の中で「 一番覚えている。」「戦争は嫌だと思った。」とつい最近立派な感想をボランティアのスタッフにお礼と共に述べたと聞いたはずなのに。(実は昨年より、私も朗読ボランティアのメンバーに入ったのでした。)

群青色のモノトーンで幼児を主人公にした『かあさんはどこ』と、満州での実話から作られた『金のひしゃく』という戦争孤児を描いた絵本を図書館で見つけたのでそっと部屋に置いています。『はらぺこあおむし』の作者エリック・カール氏も子供時代に戦争を体験したと以前テレビで話されていました。戦後、街に色が戻ってきて嬉しかったと言っていたのが印象的でした。


日野原先生の『十歳のきみへ』もこの春休みに聞かせたいと思います。特にこの部分!

なぜ人と人が殺し合うの?                     

戦争はよくない。人を殺してはいけない。なのに、なぜ世界から争いが亡くならないのでしょうか。なぜ人がにくみ合い、戦争でいのちをうばい合うことをいまだに続けているのでしょうか。

平和が、ここにあって、あそこにないとしたら、それは「平和」ではないのです。世界中のすべての人がおたがいに平和でありたいと手をつなぎ、助け合うときに、みんなの見つめる視線の先にあるのが「平和」です。                                                    
世界のどこか一か所でも、人々のいのちが おびやかされているような国や地域があるのならば、世界はまだ平和ではないのです。

戦争で失うまでは「そこにあることがあたりまえ」だと思っていたもの、家族や、だんらんや、しあわせや、のんびりとした時間や、あたたかい食事や、けんかのできる兄弟姉妹や人の情けや思いやりや、そのほか数えあげればいくらでもあるごくありふれたものが、じつはどれもかけがえのないものであったことに気づくことができた。 
いのちに しがみつくようにして 生きていく日々のなかで、人からなにかをいただくたびに、人の厚意にふれるたびに、わたしたちはそのありがたさを実感しました。人々のうえにお日さまが照ることも、雨が大地をうるおすことも、夜が来て また朝がめぐってくることも、みなありがたく感じていました。

戦後 日を追うごとに、生活にゆとりが生まれてきました。自分の子や孫たちのために望んだ生活でもありました。食べ物や着るものに不自由しないゆたかさを手に入れさえすれば、戦争以前のおだやかな生活にもどれると、わたしたちは思っていたのです。

つつましい生活の中にある小さなしあわせをも実感できていたのに、ゆたかさを追い求めるようになってから、そのセンサーをにぶらせてしまいました。
ありがたいと感じていたものたちから ありがたみが消えた。ほかの人のことをおもんばかる想像力もおとろえてしまいました。                  「ほかの人の痛みは、その人の痛みであって わたしには まるで関係ない」と思うことになれてしまえば、たとえば戦争も「ここ」にないかぎり 自分が解決に乗り出すべき問題として自覚されることさえなくなってしまいます。   

寿命――からっぽのうつわのなかに いのちを注ぐこと。それが、生きるということです。わたしがこれから先生きている時間はきみに比べるとずっと短い一瞬一瞬の時間をもと意識してもっとだいじにしてせいいっぱい生きたい。

ほかの人のために時間をつかうと、ほかのことで味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされます。わたしは大きな喜びをもらうことに欲ばりです。ほかの人のためにつかった時間を入れた皿がからっぽ、なんていうことだけはならないように努力していきたいものですね。                            
日野原重明


先の絵本のあとがきに、戦争は子供たちから子供時代を奪うものだとありました。命を脅かすものからは子供は守られていなくてはと思います。

…自由に伸びて欲しいから…。

なな色メール No.25 Desember 2013

2013年12月02日 | なな色シスターズ



なな色メール 紙面の表紙です。クリックすると拡大されますので、ご覧ください。

十二月のうた

熊はもう眠りました    
栗鼠(りす)もうつらうつら
土も樹木も大きな休息に入りました
ふっと思い出したように 
声のない
子守唄   
それは粉雪
ぼたん雪              
         
 
師も走る
などと言って 
人間だけが息つくひまなく
動きまわり 
忙しさとひきかえに
大切なものを 
ぽとぽとと
落としてゆきます


詩 茨木のり子



今季は秋田のアーティスト、牛込謙治さんの『空間を飛び交うモノたち』というイラストで飾りました。

とっても柔らかで賑やかなような、ほっとするような絵が12月っぽくて。

彼の作品はとってもファンタジックで暖かみがあり、癒されること間違いありません。『ほのかなあかり』というホームページで雑貨やTシャツも販売しています。

               
早いものでこのなな色メールも2006年の秋に始めてから7年が経ちました。

一端の編集者、物書き気分が味わえてとっても愉しいです。

忙しい毎日の中、埋もれず、へこたれずやってこられたのもこの文集のおかげかもしれません。私にとって、学びの場であり、発信の場であり、生きがいでもあります。ここにいさせていただけてありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします!




森田ゆりさんのエッセイ

2013年12月01日 | さとうえりこ
以下は森田ゆりさんのエッセイ(財団法人大阪府人権協会 人権を語るリレーエッセイより抜粋)

自分が知っている「自分」は氷山の一角でしかない
 
子どもを虐待する親のための支援プログラム「MY TREE(マイ・ツリー)ペアレンツ・プログラム」は、エンパワメントの考え方に基づいて開発しました。プログラムをスタートする前に「このプログラムはあなたに“いい親”になってもらうためではなく、自分のなかにある知恵や持続力、自己治癒力に気づいていってもらうためのプログラムですよ」と話します。そして同じように幼い子どもたちも力をもっていることも。
 
氷山をイメージしてみてください。ご存知のように、氷山の大部分は水面下にあります。わたしたちが見ている氷山は海面から出ているほんの一部分でしかないのです。それと同じで、わたしたちは自分自身のことを誰よりも知っているつもりでいますが、実は知らない部分がとても大きいのです。自分の子どもについても同じです。親である自分が一番よく知っていると思いがちですが、知っているのは表面に出ている部分だけであり、親も子ども自身も知らない部分がたくさんあります。「MY TREE(マイ・ツリー)ペアレンツ・プログラム」では、水面下にある親や子どもの力に気づいていきます。

虐待をやめるために必要なことは
 
「MY TREE(マイ・ツリー)ペアレンツ・プログラム」の目的は、「セルフケアができる」「問題解決力を身につける」のふたつです。セルフケアとは、もっとも簡単な言い方をしてしまえば「日常生活をエンジョイできる」ということです。今日という日をすべて楽しむというのは誰にとっても難しいことですが、少なくとも「楽しいことがあったな、いい時間があったな」と思えること。問題解決力とは、対立を乗り越えるためのスキル(技術)です。子どもを虐待している親の多くは、夫や親、近所の人などとの対立の影響のなかで子どもに対して暴力をふるっています。ですから、さまざまな対立関係をうまく乗り切れるようになることが大切なのです。意見が違ったり感情的な確執があったりした時に、暴力以外の方法で乗り越えましょうということです。このふたつの目的が達成されれば、「虐待をしない」という一番の目標は達成されます。
 
参加者の中には、行政機関で「そんなやり方じゃダメですよ」という“指導”を受け、傷ついている人もいます。虐待がダメだということはわかっているけど、どうしようもなくて苦しんでいるのです。そこへ“お説教”を聞かされれば、「自分はなんてダメなんだろう、くだらない人間なんだろう」と自尊感情は低下する一方です。効果がないばかりか、虐待を深刻化させてしまいます。もちろん行政機関の人は傷つけるつもりはないでしょうが、残念なことにこうしたケースはよく見られます。

当事者に「役に立つ」情報を

子どもを虐待している親のなかには、過去に自分自身が虐待を受けたという人が少なくありません。トラウマを抱えた人にはプログラムと併行してカウンセリングや治療を受けてもらうこともあります。ただ、これを「虐待の世代連鎖」と単純化してしまうのはとても問題です。
 
虐待している親たちの過去を聞いていくと、自身も親から虐待されたという人が多いのは事実です。けれども子ども時代に虐待を受けた人がおとなになると虐待者になるかといえば、そうではないのです。現在、国際的な学会では信頼できる調査結果に基づき、「虐待を受けた人が自分の子どもを虐待する割合は約3割と認識されています。それなのに、日本の虐待問題に関わる専門家は安易に「虐待は連鎖する」とだけ発言し、それがマスコミを通じて広く浸透するようになりました。
 
過去に虐待を受け、トラウマを抱えながら生きている人たちの中には「いつか自分も虐待するのでは」という不安に怯える人もいます。「虐待してしまうのが怖いから、結婚しない、子どもも産まない」という人もいます。専門家もマスコミも苦しんでいる人の不安を煽り、さらに苦しめるのではなく、苦しんでいる人の「役に立つ」ことをしてほしいというのがわたしの願いです。
 
虐待問題は倫理や道徳によって解決することはありません。虐待行動の背後にある感情こそがこの問題の糸口です。虐待をしている人は、表面的な怒りの感情の背後にあるほんとうの感情を見つめていく必要があります。そして虐待を受けた子どもは、虐待がもたらした感情=気持ちを誰か信頼するおとなにしっかりと受けとめてもらい、聴いてもらわなければなりません。

さとうえりこ

My Treeペアレンツプログラム

2013年12月01日 | さとうえりこ
子どもを虐待してしまう親の回復プログラムです。

2001年、森田ゆりさんによって開発されました。

子どもにダメージ「My Treeペアレンツプログラム」をご存知ですか。
を与えるような関わりをしてしまう。
子育てに苦しさを感じてしまっている。
感情のコントロールがきかない。
気が付けば子供を叩いている。
暴言を吐いてしまう。
無視してしまう。
子どもが可愛く思えない。
子育てにしんどさを感じている。
そんな思いを持っている親を支援するプログラムです。

去年、このプログラム紹介が2日間秋田市内で行われた。
その時印象的だったのはペアになり、「○○さん、あなたは大切な人なのです。」とお互いに言い合うことだった。
私は数年前、聖体奉仕会で石川さんが講師を務めたあの日の事を思い出した(シュタイナーの楽光。)二つとして同じものがないキャンドルが容易され、
「○○さん、あなたはあなたのままでいいのです。」
とペアになって言い合ったことがあった。胸が温かくなったことを思い出す。
講習では、偶然隣に座った方は若い女性だった。私は彼女に提案した。「せっかくですから、苗字ではなくお名前で呼びましょうか。」と。するとよりストンと胸の中に入り、じ~んとして来た。
(これは自己肯定プログラムと呼ばれていることをのちに知った。)

このプログラムの実践者養成・集中講座が10月に行われた。
2日間に渡る講座は有意義だった。
この講座は虐待してしまう親のアシスト役になるためのものである。
講義内容は
マイツリーの目的
子ども虐待とドメスティック・バイオレンス
アサーティブネス
ファシリテーション
コメント返し


グループワークで親役をしたことを少し紹介してみたい。
10人程度の輪を作り、ファシリテーターとサブファシリテーターがぶつけても痛くないボールをみんなの前でキャッチボールをする。
最初は和やかに行われる。そのうち、ファシリテーターがサブファシリテーターの取れないところにわざと投げたり、ぶつけたりする。それからサブファシリテーターが投げたボールをファシリテーターがわざとそっぽを向いて受け取らない。という動きをした。これを見た親たちは何を感じたか話してもらう。
「顔が怖かった。」「意地悪だと思った。」
私が感じたことは「あ~私にも覚えがある。」ということだった。
子どもたちが幼稚園、小学生の頃だっただろうか。「あのね、お母さん、今日学校でね・・・」と話しかける子どもに対して家事に追われた私は「後にして。今忙しいから。」と言ったことが度々。

会話をボールに見立て、ファシリテーター=私(親)、サブファシリテーター=子ども、とした場合過去の私がそこにいた。
ボールを使って会話を視覚化すると、とても良く分かった。
この目的は私たちがファシリテーターとサブファシリテーターをやり「親に気づいてもらいたい」ということである。これに対して私は親としての過去が出てきたのだ。
講師の先生は言う。「答えを言うのではありません。気づいてもらうのです。気づいてもらうために導くのです。」
そうなんだよ!答えを教えてもらっても身につかない。自分で気づいて、わかって、だからこそ初めて私のものになる!
参加して私が得たことはこれである。

最後に、将来辛そうにしている誰かを見かけたらこんな風に思ってほしい。
子どもを怒ってしまうようなそんな人を見かけたらその人の怒りの裏側を見てあげて欲しい。
「恐れ」「不安」「悲しさ」「絶望」「自信のなさ」「喪失感」など怒りの裏には傷つき体験がある。これをケアする必要があるということを知っていてほしい。


東北では初めて行われた養成講座。今後この種がどのように発芽するのか、どんな花が咲くのか、今後が楽しみである。

さとうえりこ

健康のコラム『ホリスティック医療について』

2013年12月01日 | ともこ
私は今介護施設内の看護師として勤務しています。地域の在宅包括支援の中で短期の施設利用をされる方の健康面のお手伝いをするのが仕事です。家族、医療機関との連携が重要となります。実際、医師との連携の難しさや、結局西洋医学がまかり通っていてすぐ薬剤で解決しようとする人間の多いことにうんざりしています。中には昔ながらの民間療法に長けたしっかりした高齢者の方との嬉しい出会いや要らない薬を使いたがらない昔ながらの地元のホームドクターもいますが。

私が目指す理想の医療は、根本治療と、生活改善と死の受容です。ホリスティック医療に関心があり、ホメオパシーもその中の一つの手法だと思っています。

ホリスティック医学の提唱者でもある医師クリスティン・ペイジの『チャクラー癒しへの道』を随分と時間をかけて読み進んでいます。彼女はホメオパシー療法医です。(職業を選択する年頃になって、人々を救いたいと医師を選びましたが、研修医となると「生は神聖なもの。死は敗北である。」と教えられ、対象はただ肉体だけという学びで命が抜け落ちている事に徐々に気づき疑問を持ちます。(E・Q・ロス博士と同じです。)

人間を全体として見るには心と体だけでなく魂も考えるべきなのです。代替療法、リフレクソロジー、鍼灸、ホメオパシー療法では体内と流れる気や生命力がブロックされた時に生じる肉体的不調和から病気になると考えられています。この内なる真実と結びつくと、治癒が始まるのです。WHOでも魂の健康が唱われています。

彼女の言葉を紹介します。“私たちは本来霊的な存在です。この地球でやるべき仕事を成し遂げるため、感情、論理的思考、肉体という三枚の洋服を身につけており、それらが合体してパーソナリティやエゴができているのです。病気になるのは肉体などパーソナリティの波動のみに注目し魂のレベルの波動をないがしろにしていることで、心が不調を感じ取り緊張、不満、怒り、憂うつなどの症状が出、それでも気づけないと病気になる…。病気は変化をもたらすための乗り物であって、治癒は元にもどるということでないのです。医者にかかって「(体を)治してください。」と言うだけは無責任なのです。感情的な問題こそを大事にするべきで、自分を知り、自分を表現する、自分に敬意を持ち評価することが大事なのです。

感情的な問題をきちんと解決されない限り、たとえ病気の症状を最新の薬で一時的に抑えられたとしても、不調和な心の状態はそのまま放置され、いつかまた現れます。心身に衰弱や消耗の兆候があらわれたら、友人からの助言と考えるべきです。

全ての生命体にとって病気は体罰でも衰えの前兆でもなく、バランスを回復するための自然なプロセスの1つです。今に生かせるもの以外を捨て去ることで、前へ進む能力を得られるのです。

 感染症に罹患するのも病原菌が問題なのではなく、土壌(個人の内側の状態と外側の環境)によるのです。すべての出来事は変化のための機会(プロセス)なのです。生命の目標は、精神と物質の総合交流をはかりながら、意識レベルを高めていくことです。”

こういう次元を考えていく必要が今後はあると思います。

幸せの見つけ方

2013年12月01日 | ともこ
わが家の子どもたちは映画やドラマが好きです。特に長男はアメリカンヒーロー物からハリウッド映画、スパイアクション物、ジャッキー・チェン・・・若い男女のラブストーリーも明るくコミカルなもの(私の好み)も一緒に観ます。彼は胆汁質です。
長女は憂鬱質なので好みにうるさいしクール。作り物にはなかなか心を動かされないようですが、そこは青春盛り。最近は女子力をアップさせるべくネットでお勧めの映画のDVDを借りています。

さて、先月家族で観たテレビドラマ『幸せの見つけ方教えます』仲間由紀恵扮する片づけのアドバイザーが主人公でした。

そしてその客として登場し人生が変わった若い女性を『純と愛』でヒロインを演じた夏菜が演じ、明るく躍動感のあるドラマへとスパイスを効かせていました。彼女はどうしようもない散らかった部屋の住人として登場します。ですが、主人公のアドバイスを受けて、見事変身を遂げます。嫌々働いていた電話セールスの会社を辞め、何とその片づけのプロの仕事をしたいと申し出るのです。片づけの仕事に魅せられたのです。そして好きな仕事に就けて生き生きと働きます。

その後更にエピソードが。家具が屋外にまでごった返した家に住む女性が登場。ブローチを失くしたので見つけたいと片づけを依頼します。何故家具が多いのか?それは、今はもう社会人となって家を出た息子のランドセルや勉強机を子ども部屋丸ごと大事に保存している所からもわかるように過去にすがって生きているからです。失くしたブローチも息子が初めてのバイトのお金で買ってくれたもの。切なかったです。実は息子さんは自分の反対を押し切り他家に婿入りし、全く会っていない状態。本当は息子を許し、自らも許してもらってまた会いたいのだという気持ちが隠されてきたことが浮き彫りとなるのでした。格言が随所に出てきます。


「片づけは自分のためにするもの」 「片付けとは、過去にかたをつけるということ」


このドラマの主人公にはモデルがいました!片づけコンサルタントとして書籍も出版されている“こんまり”こと近藤麻理恵さんです。(弟子入りを志望するスタッフのお話も実話で書籍に載っていました。)

私が何故、こんなに夢中になったかというと、彼女の考え出したルールが魅力的なのです。場所別の通り一遍の整理術ではなく、物の種類別に一箇所に集め出して持っておくか捨てるかの餞別をします。その判断基準が“ときめく”か“ときめかない”か。自分の心に聴くのです。“必要か”や“いつかのため”ではないのです。「そのいつかは一生来ません」ときっぱりと彼女は言います。家電製品の取扱説明書などの書類もたった一つのクリアケースにまとめる位で事足りると。確かに我が家の家電製品用の分厚い書類ファイルも結局は開かずのファイルになっています。ばっさり必要なし!と判断するのは気持ちがいいです。合理的でクール!惚れました!そして実践してみると、とってもすっきり気分爽快です。“今の自分を大事に”“今が未来へつながっている”“過去は過去”“こだわりは捨てよう”“本当の自分の気持ちに素直になりましょう”ってことです。“自分に正直に!”これは私のモットーです。とっても気に入りました。

ときめくモノに囲まれた生活を送ることが片づけ祭りのゴールです。自分が住む家を清らかな空気の漂うパワースポットにすることだそうです。家の一画(本棚の一番上の段などでも)に神聖なものを飾る場所をつくる。和室の床の間や、神棚がそういう役割ですね。お部屋を神社のような空間にするですって?これまた、どこかで聞きました!美輪さんの言っていた法華経のこころにも通じます!驚きです。(自分が神仏、家が神社という心構え)

こんまり流でときめかないモノをなくしていくと、カチッと量がわかるとのこと。ガンジー思想を提唱して世界を旅したサティシュ・クマール氏によると「幸せ=満たされた状態“これで十分”」ということとあります。まさに足るを知るですね。

何故捨てられないのか?原因は2つ。「過去に対する執着」と「未来に対する不安」とのこと。

自分にとって何が必要か、何があれば満たされるのか、何を求めているのかが見えていないからますます不要なものを増やしてしまう。それでいくと私は将来不安型かも?英会話のCD、ワークショップのプリント、いつかやりたいこと、またいつか見返したいもの・・・。「いつやるの?」「今でしょ!」という事で、今やらない事のやれるいつかは一生来ないと彼女は断言します。ちょっと諦めの悪い私にはショックな言葉でしたが、腑におちました。(完成品があってもう不要のはずのなな色メールの原稿もとっていましたが、これは過去に執着していただけ。自分を褒めてお別れしました。)

・場所別に整理整頓するのではなく、カテゴリー(物)別に家中から一旦一箇所の床に全員集合させてから選別を始めること。
・順番はより個人的なもの(胸に近いもの)から。衣類→本→書類→小物類→思い出品
・基準はあくまでも、ときめくか、ときめかないか。
・とにかく立てて収納(見える、衣類は立つようにたたみコンパクト化)
・モノは捨てたり手放す前に「今までありがとう。さようなら。」とお別れをすること


色々理想の世界がまた降ってきています。私はすぐ本を買ってしまって、本依存症かも知れません。本を集めれば安心している変な自分に気づきました。『ゆほびか』の全く読めていない号を本棚の奥から発見した時はあせりました。大事に持っている秘蔵の雑誌『アイシスラテール』『リンカラン』『天然生活』も永久保存したいときめく号だけ残しました。


自分が本当にしたいことが見えてきました。アロマ、瞑想など取り入れたスピリチュアル生活、ひも活用、畑、整体、頭でっかちではない身の丈にあった暮らしをこそ大事にしていきたいです。感謝の心を持って自然に逆らわず、生かされている喜びを素直に表わし、神事を大切にした生き方を大切にしたいです。麻と縄文文化の本を綺麗になった部屋でゆっくりと味わいながら読むのが目下の目標です。


広くなった部屋でゆっくりキャンドルを灯してヨガやレイキ、瞑想が出来る!も。今年は冬至の前後には廃油で作った世界に一つだけの私のキャンドルでキャンドルナイトをしたいな…。

♪ うきうきわくわく ♪