なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

わたしの食い改め その① 医食同源 2013年3月1日掲載

2013年08月01日 | いしかわようこ
兄の不思議な出来事から玄米菜食の世界へ

「元気ねぇ、あなたは百までも生きるよ」と、友人にからかわれる。「わぁ、大変だぁ。それじゃ、あと三十年もあるわ」と大げさに応じる。お世辞を半分差し引いても、うれしい言葉だ。親譲りの腰曲がりも目立ってきたが、病院と縁のない老後を迎えたことをありがたく思う。もともと、私はあまり丈夫な体ではなかった。学校や職場を休むことも多く、「Iさんは弱い」というレッテルを貼られていた。それが、百歳まで生きそうな体になったのには、一つの転機があったのである。

三十五歳のときである。「玄米菜食」という自然食を知ったのだ。玄米をメーンとし、野菜や海草、そのほかを副菜とする食生活である。今では「マクロビオティック」という呼び名で広く知られるようになり、都市部では健康にいいオーガニックレストランとして急速に増えていると聞く。私がこの食養法を知った四十年前は、一部だけのマイナーな世界であった。「玄米と野菜だけ?鳥のエサみたい」とか、「あんなまずいものを食べているのか」などと笑われ、変人扱いされる時代だった。

そんな風変わり?な食事に入るきっかけは兄にあった。兄の体に起こった不思議な出来事から端を発する。当時、兄は重い蓄膿症を患っていて、病院からは手術を勧められていたが、それを玄米食で治したのである。そのことは周りを大いに驚かせた。そのいきさつは、こうである。実は、兄は高校時代に蓄膿症にかかり、鼻の手術をしている。鼻の手術は相当な痛みを伴うらしい。そのつらさを嫌というほど味わったため、再発したとき、手術回避の方法を調べに調べ尽くしたそうである。そして、一つの道として玄米食を知る。早速、町で唯一の自然食品店に足を運び相談したところ、オーナーのKさんにきっぱり言われたという。「Iさん、食事で体質改善をしなければ、手術をしてもまた繰り返しますよ。どうですか、私にだまされたと思って、一ヶ月試してみませんか?」兄はそのことばに従って、食事療法に取り組んだのである。一日二食。一汁一菜とたくあん、梅干し、大好きなタバコはもちろんのこと、肉も魚もコーヒーもご法度。空腹との闘いだったという。しかし、この修行僧のような食事をまじめに実行して一カ月。驚くことに、蓄膿の症状があらかた消えてしまった。痛み緩和に「ビワの葉温灸」という手当をし、三カ月目には完全に治ってしまった。

「食べ物が病気を治す」…逆に言えば「口から入れるものが病気をつくる」という事実を目の当たりにし、私の食事革命「食い改め」が始まることになる。

(つづく)

わたしの食い改め その② “よし、甘いもの絶ちをしよう”

2013年08月01日 | いしかわようこ
医食同源 2013年4月1日発行号に掲載された記事を紹介させていただきます。


実は私にも人知れず悩んでいたことがあった。生理痛という婦人科系の苦しみである。十二歳の春、初潮を迎えてから毎月毎月繰り返される不快で憂鬱な症状である。激しく突き刺すような腹痛とともに吐き気や下痢が半日くらい続く。お腹をさすりながら「忍」と「耐」の数時間。しかし、それ以上につらかったのは、ブルーな心理現象であった。生理が始まる一週間くらい前から、なぜか気持ちが落ち込み、暗雲に覆われてしまう。過去に仕出かした過ち・失敗がよみがえる。他人から受けた心の傷が、またもやうずく。日ごろ抱えるコンプレックス感情が倍加して押し寄せてくる。このブルーウィークに入ると、それまで決心し続けてきた良い習慣を投げ出してしまう。その結果、「私って、何と意志の弱い人間だろう」と自分を苛(さいな)む。周りからは「石川さんのフラフラ病が始まった」と批判されるのがまた常だった。

後に、私にまとわりついた心身的症状も情緒不安定もホルモンのアンバランスから来るもので「月経前緊張症」という病名が付けられていることを知った。病気の一つだったのである。「フラフラ病」は私の意志薄弱ではなく、ホルモンのいたずらと知ったときは、内心ホッとする解放感をもらった。それでも、ホルモンのアンバランスという不具合も食事に由来するのだと自然食理論は警告する。

生理痛をもたらすものは、体質による個人差はあるものの、甘いもの、果物、ジュース、アイスクリーム、煎茶、コーヒーなど体を冷やすものが犯人らしい。私に当てはまるものは、甘いお菓子だ。ごはんよりおやつでお腹をいっぱいにするという「甘党人間だった。特に、どら焼きや、お汁粉などアンコものに目がない。それらを口にできない日は心寂しく、ポッカリ穴があくような「おやつ依存症」だったのだ。

人生は帳尻が合うようにできていると言われる。甘いお菓子のとりこになっていた私には、生理痛や鼻炎という苦しみがツケとして与えられていたのだ。兄の身に起こった奇跡に後押しされて私は決心した。「よし、甘いもの断ちをしよう」と。

金主禁煙のつらさは知る人ぞ知る。私も好きなもの、中毒のように体が欲求するものを「絶つ」には死ぬ思いがした。歯を食いしばっての「アンコ断食」をすること一ヵ月。一ヵ月という時間は、体の赤血球が一回り変化する期間だという。古い血から、新しい血に変わる。悪いものをやめ、よい食事をした効果が表れる期間でもある。私の月ごとの生理は、効果を知るにはピッタリの実験だった。

つづく

わたしの食い改め その③  “食養の大切さを体験からしっかり学ぶ”

2013年08月01日 | いしかわようこ
医食同源 2013年5月1日発行号に掲載された記事です。

「甘いもの断ち」の実験は大成功だった。生理は、実にさわやかに通り過ぎていってくれた。腹痛もなく、暗い憂うつな一週間もなかった。まるでウソのような快適な数日だった。経血の色もきれいだった。それまでのどす黒い塊もなかった。

体験の力は大きい。食養の大切さを、しかと学ばせてもらった。そして本を読み、先達の話を聞き、料理教室に通い、その健康法を夢中になって学んでいった。

今、私の食卓にハンバーグやお刺身、チーズやハムなどは、ほとんど登場しない。今流のファッショナブルなご馳走に比べると地味な「おふくろ定職」のような食事である。でも、心底おいしい。体も心も満足してくれる。

両親を看取って一人になったとき、「ちゃぶ台カフェ」という遊びを始めている。訪ねて来る若い人たちにニッポンの伝統的な食事を饗しながら交流する場である。

「肉や魚、牛乳なしではタンパク不足になりませんか?」
「大丈夫。味噌、醤油、納豆や麩で、私の場合は十分間に合っているみたい。健康診断はオール合格だから」

「でも、今の子どもや若者には肉なしの食事は無理ではないでしょうか?」
「そうね。楽しみとして食べてもいい。ただし、肉には十分な野菜、魚には大根おろし、生姜というふうにバランス中和が大切。陰陽の調和といってね。今、怖い放射能も、この物差しで克服していけると思うよ」

「パンや牛乳はダメなんですか?」
「いいえ。欧米の人にはいいんです。ただ、温帯モンスーンという気候風土に住む私たちには、お米のほうが断然体に合うのです。身土不二といってね・・・」

「食べ物で健康が決まるという単純な論法には抵抗があるんですけど・・・」
「私も同じよ。息食動想(そくしょくどうそう)といって、健康は心身全体のものだから。どんなによい食事をしても、ストレスで血がよどんでしまうし」

「長生きをする人は腹八分目、こまめに動く、クヨクヨしないでゆったりと暮らすのがコツと言ってますものね」

話は食べ物を切り口に、農薬や環境汚染のこと、漢方や東洋医学の世界まで広がっていく。「日本人の体は死んでも腐らないそうよ。たくさんの防腐剤が入っているから」と言うAさんのジョークにみな複雑な表情になる。

悲観的な憂国感情にとらわれてしまうこともあるが、若い人は明るい。「ほら、置かれた場所で花を咲かせなさいと言うでしょ。まず、一人ひとり足元からできることをしようよ」『ちゃぶ台カフェ』のスローガンで締めくくる。

● クルマを降りて、歩こう
● お日様と一緒に起きよう
● 旬(しゅん)の曲がったキュウリを食べよう(夏の場合)
● おばあちゃんの暮らしの智恵に戻ろう        ・・・などなど。

『ちゃぶ台塾』の塾長として偉そうなことをを言う私であるが、今も甘いお菓子の頂き物があると、いっときの快楽に落ちることがある。しかし、体は正直に、優しくたしなめてくれる。胃荒れや鼻づまりとなって。どうも百になるまで、私の食い改めは続きそうだ。   

(終わり)                 

私の未完成交響曲(孤独の谷間から)

2013年08月01日 | いしかわようこ
この一年間で大切な友人との関係が切れました。それも一挙に三人です。
信仰上の友達として長い間心を共有してきたかけがえのない友だちでした。A先輩とは私の方から離れ、B、C二人の友人は向こうから離れていきました。幸いなことは、喧嘩別れでもなく誤解による別れでもなかったことです。信仰上の歩く道で、何を中心とするかが違ってきたため、それぞれのよしとする道を行くことになりました。遠く県外の友で、高い通話料をものともせず話し交流を深め、たくさん励ましと力をいただいた関係です。

Everything is changing. Only changing is eternal.といいますが、わが身でしかと体験しました。(文明が進むにつれて中心に向かって渦巻いていく。20世紀以降、変化は急スピード化する。-シュタイナー  個人の運命も文明の動きも)
それからです、孤独の谷間に入り込んでしまいました。<なな色シスターズの集い>でそのため息をもらしてしまいましたね。ひとり暮しの年寄りの淋しさというレベルのものでないことはわかってもらえると思います。若い時から生涯独身で生きる道を自ら選んだのですから、ひとり暮しの淋しさは覚悟の上。むしろ独りを愉しむ名人と自負しているくらいです。しかし、心が通い合い、響き合うソウルメイトがいなくなったことは大きな痛手でした。

人との関わりで、私には何か大きな欠陥があるのではないだろうか?集団に入っていけない、人とうまくつながって行けない。「一種の発達障害をもっているのでは」とも考えました。もともと私は人と関わることがものすごく不得意です。兄も弟も同じ傾向をもっています。両親に責任転嫁するわけでありませんが、わが家に流れる家系的カルマかも知れません。近所の人や親族とオープンに交わる義理の姉や妹の家族と比較してその違いがわかるのです。わが家は仕事中心に回転し、家族の団らん、気持の交流が極端に不足している家族でした。「オレについて来い!」ワンマンな父親との一方通行の関係。無口で子供の気持と共感することばを発しない母。コミュニケーションの力が育たなかったと今わかります。

陶芸入門講座で作った処女作は縄文式花びん。左右のアンバランス、ゆがみは誰も真似のできない迷作です。このゆがんだ器は“わたしのシンボル”みたいで愛しいです。
家庭環境から由来するパーソナリティの下地、素地は生涯つきまとうのではないでしょうか。さらに、私の人間関係、交友を狭くしている原因があります。私の暮し、生き方、価値観、すべてマイナーな領域だということです。マクロビオティックの食生活、テレビ、ケータイ、ネットなしのアナログな暮し、そしてキリスト教。アメリカで今も前近代的な生活と信仰を踏襲するクェーカー教徒(キリスト教徒の一つ)に似ているかも知れません。

今、人間関係の再構築につとめています。

A:理解されることより理解することを
私は今まで自分の考え、こだわり、価値観を金科玉条のようにふりかざして相手を批判してきたかもしれない。あるいは相手に押しつけ相手を変えようとしてきたかもしれない。
これからは自分を脇において相手の心、世界を知り、受けとめる努力をしていこう。軸を自分から相手に移し、コミュニケーションを重ねる中で自分との接点をさぐっていこう。

B:高きを求めない。ごくごく平凡なつながりを大切にしていく
Think Global,Act local. Globalを心にしっかり持ちながらもそれをふりからさずに、地味な日常のくらし、今日の幸せを分かち合う努力をしていこう。

シューベルトのあの美しい「未完成交響曲」が好きです。未熟さをいっぱいひきづっている私ですが、精一杯「わたしの未完成」を奏でていきたいと思っています。

さしすせそ,ニッポンの宝・調味料!

2013年04月01日 | いしかわようこ
遅ればせながら塩麹ブームの仲間入りをしました。私の場合は塩麹ではなく、しょうゆ麹から入門しました。ある雑誌でしょうゆ麹で仕上げたチャーハンや野菜炒め、パウンドケーキがいかにもおいしそうに見えたのがきっかけです。「食神星」のアンテナが揺れ動いたのです。さあ、それから私の台所は発酵キッチンと化しました。本で紹介されているメニューで、これは!と思うものを試作、試食する日々が続いています。

文句無しに、お・い・し・い。おなかも快「腸」、肌もツルツル・・・・・。
塩麹の火付人となった浅利妙峰さんはこう言っております。和食の伝統調味料さしすせそが新しく変えられたと。砂糖のさ⇒甘酒 塩のし⇒塩麹 す=酢 せ=醤油 そ=味噌、ぜーんぶ麹調味料となる。平成の大変革!

食いしん坊の私が飛び上がるような新しい味覚との出会いでした。宣伝マンとなって、友だちに押し売りもしています。好評だったのは麹納豆、ちりめんじゃこの佃煮、きな粉ジャムです。私にとってのピカ一❁はきな粉ジャムです。きな粉と甘酒を混ぜ合わせたもの。甘党の私はさらにしょうが入り玄米水あめを加えます。パンやクラッカーにぬっていただくとバターや果物ジャムは不要です。このペーストに甘酒を多くしてトロトロにするときな粉プリン!もうやめられないおいしさです。

甘酒(甘麹)によって、体によくないと言われる砂糖とお別れできました。これが私には一番の収穫となります。炊飯器での甘酒作りも続いています。あと、私のお勧めは、うどん、素麺の味つけに塩麹を利用することです。だし醤油と半々で味つけしてみて下さい。とても上品でスッキリした味に仕上がります。チャーハン、焼きそばなど仕上げにしょうゆ麹を回しかけるとバツグンのおいしさ。

本屋さんには麹関係の本などがズラリと並んでいます。始まりは一年位前でしょうか。私は少し出足が遅かったのですが、逆にそれが幸いしたようです。塩麹の爆発的人気が出た第一波の本に対し、少しクレームを出した第二波の本、そして中庸のとれた第三波の本。それぞれの本と出合うことが出来たからです。

(Ⅰ)浅利妙峰さんの本『糀屋本店のレシピ』
浅利さんの初版本からは麹菌のこと、ニッポンの発酵食品の豊かさ、すばらしさを学びました。

(Ⅱ)伏木暢顕さんの本『なま麹の生きた力を活かす』
東京で発酵食レストランを営む伏木さんの警告になるほどと納得した本です。市販の塩麹、しょう  ゆ麹、甘酒は加熱処理されたものが多い。それでは麹菌の持つ酵素が破壊されてしまう。できるだ  け「生」のものを使うようにと。

(Ⅲ)『麹・甘酒・酒粕の発酵ごはん』寺田優・聡美著(PHP研究所)
  目にした中で私が最も共鳴した本です。若い著者夫婦はマクロビアンで穀物、野菜中心のメニュ   ーが多いこともありますが、何より深い精神性に惹かれました。
   
―考え方の癖を作るのは言葉。普段の言葉の選び方で、心の中の発酵具合が変わる。だから「不平不満・愚痴や文句」のような“腐敗言葉”を使わずに、「うれしさ・たのしさ・ありがたさ」のような“発酵言葉”を使う。「発酵する生き方」を目指していた先代の教えです。発酵言葉を使えば自分が変わる。自分が変われば周りも変わって、人間関係も良いものに発酵するというのです。ですから、又、先代は「発酵力は“発幸力”」とも言っていました。

我が家ではカミさんが毎日麹や酒造りの過程でできる酒粕を使った“発酵ごはん”を作ってくれます。料理の「さしすせそ」も砂糖の代わりに甘酒、塩の代わりに塩麹を使い、調味料もすべて発酵食品。味噌も手作りです。子供たちが大好きなカレーやグラタンには酒粕を使ってくれています。我が家の食卓はいつも大人数、総勢12人で囲む食卓はいつもにぎやかです。
(著者は創業340年 自然酒蔵元 寺田本家 24代主)―――――――――――――――――――

洋の東西、発酵食品はじっくりねかせ熟成させます。ワインしかりチーズしかり。いいものほど時間をかける。速醸ものはまずい。さあ、早速あなたの台所でも「さしすせそ」をお使い下さい。そうです、からだも心も幸せがぷくぷく発酵していくでしょう。
とっぴんぱらりのぷう。

(北海道)共働学舎――こんな所でした ばあばの旅だより 2012.10

2012年11月01日 | いしかわようこ
広い敷地の高台に宮嶋望さん設計の六角型建築があり、それはメンバーたちの食堂兼集会所となっています。左下に牛舎や畑。添付のレストラン・カフェは道路に面して建てられています。設立1978年、30年あまり経て、まわりにサポートするスタッフの個人家屋も数軒ありました。

①ホントに素朴な自然環境でした。道路も石ころだらけ。踏み固めて出来た野の道に、野の草花がたくましく伸び伸びはえていて・・・・・中央に沢からの水が小川となってさらさら流れていて・・・・・私の育った「ふるさと」に近い景色でなつかしく感じ、テクテク歩き回ってきました。
②レストラン「ミンタル」は私にとって最高に居心地のいい場所でした。ナチュラルで温かくて、私の思い描いていたガーデンカフェでした。外のテラスに設けられたデッキで時を忘れる幸福感を味わいました。20メートル先の柵内に羊が10頭くらい放牧されていて、時折「メェ~ メェ~」と私にラブコールをよせてくれたものです。暑からず寒からず、北海道のさわやかな風を今も思い出します。
③食いしん坊でしかも安心素材にこだわる私に「ミンタル」はホントに美味しくてお腹にやさしいランチ、ドリンク、スイーツを準備して待ってくれていました。緑に囲まれたガーデンカフェで良心的に作られた食事やお茶をいただくという私の夢を実現してくれる所でした。食器や料理の見映えは高級レストランのそれとは違います。全く素朴で素気なく、どこの家にもあるようなもの、でも心底満足するのはなぜでしょうか。
                         (つづきは又)

いしかわようこ

心は飛ぶ! (北海道)共同学舎へ

2012年11月01日 | いしかわようこ
秋田駅から木内まで歩けなくなった私が、今、北海道ゆきを計画しています。もし旅先から絵葉書が届きましたら、「Iさんやったね!」と拍手してください。行き先は北海道十勝平野の真ん中に位置する「共同学舎・新得農場」という所です。帯広市から少し離れた町にあります。

腰曲がりババアの気持ちをこんなにも駆り立て、「これが最後の旅行になってもいい」と思わせてくれたのは、次の三冊の本でした。

『未来の食卓を変える7人』(書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)出版) 美味しくて安全な食べ物づくりに挑戦しつづける農家たち 
 農業の時代が来る 毎日毎日口にしている野菜や牛乳など、日々どうやって生産されているか知っていますか。有機栽培での野菜作りなど食べ物の未来を考え・・・・現代の農業のあり方・・・・明日、いえ今日からの食卓を変えてみませんか?

☆「人の心を育てる愛の農場」宮嶋望さん、共働学舎新得農場
数年前テレビで大きく紹介されたことがあるそうですから、あるいは皆さんご存知かも知れません

『みんな、神様をつれてやってきた』(地湧社出版)北海道新得共働学舎代表 宮嶋望著
=僕らでつくったエネルギーフィールド=
生き方に迷っている人、人から見放された人、社会を見限った人が
太陽や月、星、山、川、森、土
牛やバクテリアたち協働して、いのちの花を咲かせている。

『いのちが教えるメタサイエンス』炭・水・光そしてナチュラルチーズ
宮嶋望著(地湧社出版)
=世界のチーズを作った共働学舎新得農場の挑戦=
森も牛も畑の作物も、みんな、いのちのシンフォニーを奏でている

この三冊を通して知った宮嶋望さんの生き方、考え方、活動に深く深く共感しました。私がずっと追い求めていたこととピタリ焦点が合っていたからです。

(その一)自然のリズムに沿って生きよう!

職場や家庭で傷ついて立ち直れなくなったとき、少し羽を休めるところがあればいいと思う。そのとき、そばに自然があったほうがいい。仲間がいたほうがいい。そして、気を紛らわすために仕事があったほうがいい。        『未来の食卓を考える』102ページ

北海道・十勝の新得町にあるこの農場には、心と体に障害を持つ者や引きこもり、不登校の若者など、この社会にうまく適応できない人たちがともに暮らし、働いている。1978年の開設時は数人だったメンバーはだんだん増えて、今では70人を超えた。
水と緑の豊かな大自然に囲まれて、メンバーたちは朝まだき牛とともに目覚め、お日様の下で身体を動かし、夜のしじまのなかに眠りにつく。自然の恵みをたっぷりいただき、自然の巡りとともにゆったり暮らすうちに、強ばっていた心身はしだいに解きほぐされて、やがて前向きに日々を生きるようになっていく。
僕らが手がけてきたチーズづくりにも同じことが言える。牛の世話から乳の管理、微生物の扱い、発酵・熟成まで。自然の仕組みに従って、ゆっくる、ゆっくりつくり上げたチーズは何よりも体に良くておいしい。それはやがて世界が認める味になり・・・・。

自然に還ろう。私たち現代人のこころの歪み、からだの病は自然に逆らっているからだ。
自然のリズムに添って暮らそう。ゆっくりと。 『いのちが教えるメタサイエンス』13ページ

(その二)自然のエネルギーをいただこう!

自然のリズムに沿って生きるとき、すべてのエネルギーはちゃんと循環し、人、牛、草木、微生物といった地球上の生命は豊かな生を送ることができる

         “いのちとはエネルギーの循環である”

〇 炭の力ってすごいなぁと教えられました。マイナスイオン放出で場を浄化し、エネルギーを強化してくれるという。

〇 天体(太陽や月など)の動きが生き物に与える影響も大きい。
  新月の時のチーズ、木の伐採――初めて知りました。断然陰暦で暮らそうと思いました。

〇 人との交流、ことばの掛け合い、これもエネルギーの循環、元気のもと
  シェア(分かち合い)のない心は死んでいく、とはまさにその通り。

僕は物質の世界も人間の暮らしも人の心も、この世にあるものはすべて同じ法則で動いていると思っている。たとえば、僕のイメージでは、世界は三つのエネルギーで動いている・・・・。
        『みんな、神様をつれてやってきた』116ページ
                     
私は天地万物の創造者なる神を信じていますので、すべてを貫く共通の存在法則があるはずだと思っています。「愛」という存在法則です。いのちの与え合い、補い合いというワンネスの世界を構築していくこと。
宮嶋さんの本は実に具体的に、そして科学的に(時には直感的に)その姿を解き明かして下さり痛快です。ちなみに宮嶋さんもクリスチャンとか。でも、神とかイエス・キリストということばは2-3回しか出てこない。でもその生き方考え方が神への深い畏敬で覆われているようで、これも私をひきつける要素です。
自然は神秘と不思議に満ちていて、同時に美しい秩序をなしている。それらに触れるたびに僕の心は躍った。すごい!面白い!いったいどうなっているんだろう?
      『いのちが教えるメタサイエンス』14ページ
                        
自然のすばらしい力をもらって、世界一のチーズを作り上げたのです。
 
 “おいしさは自然の中にありました”学舎のチーズにつけられたキャッチコピーです。


(その三)日本再生の道-草の根活動で官を変えていこう!

経済性や効率を最優先する今の社会システムの中で、多くの人たちが倦み、疲れ、生きる意味や喜びを味わえずにいるのでないだろうか。そして回転を加速させていくモーターがやがて焼き切れるように、そろそろこの社会のシステムも限界に来ているのではないだろうか。(中略)

心身に不自由さや悩みをもち、家庭や職場や学校になじめず、心の置き場を失った人たちは、モノにあふれたこの社会で誰もが必要とする“何か”を必死に求めている存在なのではないか。社会の歪みを一身に背負うことによって、僕らに先んじて次の社会をつくるのに不可欠なものを探し求めつづけているのではないか。             『未来の食卓を変える7人』181ページ

歪んだ社会をシフトする“彼らはメッセンジャー”

『 ・草の根から状況を変えていく ・実績を行政に認めさせる ・個人の問題にしない(社会全体の課題と考える) ・新しい“公”をつくっていく 』

今は日本の社会が大きく変化していくチャンスだと思います。いつの時代にも「国家・政府は国民に嘘をついて」きましたが、今回の原発事故でもそれが露呈。めざめた市民たちが立ち上がっています。行動を起しています。(金曜日デモの広がり)

まず、弱い立場にある人たちの衣食住を確保する知識と技術を自分たちの力で探し身につけ、草の根から状況を変えていく。その方法と実績を行政に認めさせる。そいったかたちをとらなければ僕らの暮らしはいつまでたっても変わらないだろう。

市民がそれぞれ横につながって新しい“公”をつくっていく・・・
               『未来の食卓を変える7人』191ページ

共同学舎は一つのモデルとなるに違いない。いざ北海道へ!

いしかわようこ

秋田魁新報 えんぴつ四季 2012.7.25

2012年11月01日 | いしかわようこ
先日、コンポスターによる堆肥作り講座に出席した。予想以上に白熱した教室となった。
講師は、長年実践している農家の主婦のお二人。秋田弁がこぼれる親しみのある語り口で、コンポスターを設置する場所やそのやり方、入れてはいけない生ごみ、EMぼかしのことなどについて簡潔明瞭に説明した。

会場が熱気を帯びたのは、質疑応答の時間である。質問が矢継ぎ早に飛び交った。
「ひどい臭いがするのはなぜ」「ハエやウジがわいて困る」「完熟まで2年もかかるのか」
――。皆さん、真剣な表情と声。講師からは経験に基づく答えが返ってくる。「生ごみの水切り不足と考えられます」「生魚のくずは必ず火を通してから入れること」「時々、土や刈り草で覆ってください」など。他にもたくさんのアドバイスがあった。

私も質問した。「生ごみに羽虫のような小さな虫がたかるのはなぜか」。参加者の何人かがうなずいた。原因は水分過多だった。EMぼかしを多めに入れてかき回すことで解決できるそうだ。「スイカやメロンの皮は小さくと言われ、5ミリh幅に切っているが」というと笑われてしまった。「そんなに神経質にならなくてもいい」と。

コンポスターのふたを開けると、かなり熱っぽい。微生物による発酵熱のためである。コンポスターで作った堆肥は素晴らしい。草花も野菜も青々と元気に育つ。生ごみと農薬を少しでも減らすためにも、そして地球のためにもコンポスター熱が広がっていってほしいものである。

いしかわようこ

人間っていいなぁ!

2012年07月02日 | いしかわようこ
(一) 博士の出世
私の愛する庭の博士こと、レットバトラーの近況をお伝えします。
 
去る5月8日、新店舗を持ちました。何とそれも株式会社として躍進の開店です。市民市場の近くで、鈴和商店の向かい。店の名前は前と同じ“百花展『花ごよみ』”(ひゃっかてん?百貨店の心意気でしょうか)。時折山野草の幟がひらめいています。山野草が博士の専門領域で生き字引(今ではコンピューター)並みの知識を持っておられます。

元の小さくて見すぼらしい店で商売が成り立つのか、私は人知れず案じてきました。「ウチの見せは車を持たぬ年輩の婦人層」「一回500円か2000円止まりの買い物をする人だけ」「オレは全然もうけようと考えない、店の貸借料とパート店員の給料とオレの飲み代月10万あればいい」という無欲さ。

ところがです。世の中は面白いですね。強力なパトロンがついていたのです。秋田で一・二の会員を擁する茶道の家元とのご縁が出来ました。茶花を提供するというつながりが生じました。茶席に用いられる茶花は特殊な世界です。普通の花やさんの流通機構からはみ出す特殊なものらしいです。山野草を育てている博士が脚光を浴びるようになったわけです。例えばこの二月90歳の誕生日を迎える家元の盛大なお祝い茶会が開かれました。某ホテルで一千人招待のものです。さあ茶花の注文が一年前から入りました。「延齢草」の氏名です。茶会の主旨にそった重大な役割をもちます。博士の出番です。秋田で最も寒さが厳しい二月○日7・8分咲きの8を育てなくてはならない。一鉢だけでは失敗も伴うので五鉢準備し、冬ストーブの暖を借りたりしながら無事納入する。謝礼は大きい。「ケタが一つ違うんだ。」

百花展「花ごよみ」の新店舗もユニークな造りです。茶花提供の店らしく半分高くした畳敷きの空間を設け、そこで茶の湯もできる形です。床の間茶道具も準備され博士流!?の茶花が飾られる。あと半分はテーブルとイスのサロン風。イスに腰掛けて博士の人間コンピュータ講義を伺うことになります。扱う商品は花のほかに野菜と骨董品(二回に山ほど積まれているらしいですがまだ整理がついていないとの事)野菜は博士こだわりの有機栽培で自信まんまん。ちなみに店は会員制です。会員の紹介によって加入できるしくみですが、会員でなくてもフラリ店に行って買うことも可能。(休日:水曜・日曜)

博士は朝早く起きては畑仕事。社長兼、百姓兼、山野草栽培家。週一回会員宅に野菜や花の宅配。八面六臂の大活躍です。「オレの骨密度は軽く100をオーバーしているんだ。検査すると測定不能と出るんだ。ハハハ」野生型レットバトラーの面目躍如ではありませんか!

店の入り口に愉快な木彫りの看板がかかっています。「宮内庁御用無」大家さんの作品らしいですが、博士お気に入りの立て札です。先日伺った時は玉ねぎとニンニクがインテリアのようにぶら下がっていましたが、葉物野菜は並べていません。段ボール箱に入れておくそうです。鮮度を保つためですね。

(二)わが道を行こう
博士の動きを拝見しておりますとオリジナルな生き方が輝いて見えます。不景気が叫ばれる今の日本ですが、博士のような元気な人もいるのです。人マネでなく、自分の得意分野で株式会社を起こし―――(もっとも一円あると株式会社は設立できるとか)―――花と野菜と骨董品で自分も人も喜ぶ道を歩いています。愛するレットバトラーをますます応援したくなります。

最近、山川亜希子さんの新しい本を読みました。『宇宙で唯一の自分を大切にする方法』(To you only one in the World)大和書房
「あなたはこの世界にたった一人しかいないかけがえのない存在です。この世界で余計な人は一人もいません。誰もがそれぞれに自分の、自分にしかできない生き方をするためにここにいるのです」
オンリーワンとはよく言われますが、ようやくストンと心の中に入るようになりました。ダメなところ一杯あるけど私はOnly One。どこを見ても私と同じ人はいない。神さまはそのように一人ひとりを創り、限りない愛のシャワーを注いで生かして下さっている。何というありがたさ。何というよろこび。自分も人も、みんなを抱きしめたい。人間っていいなあ!

いしかわようこ

遺言書を書く年齢になりました

2012年05月01日 | いしかわようこ
69歳。私の人生サイクルはシュタイナーの七年周期ではなく、九年ごとにやってきます。ことしはその変わり目の年です。 どんな変化がやってくるのでしょうか。自分なりに心の準備をしているところです。
 先ずずっと気になっていた遺言書をしたためました。(簡単な手書き書面です)人生90年とも言われる長寿高齢社会になりましたが、私は体があまり丈夫な方ではなく、呼吸困難に陥って何度も死にかけていますので、残りは短いといつも感じてきました。それに独り身ゆえ、まわりに迷惑をかけないように、最期を迎えたいとも思ってきたからです。(呼吸困難は腰曲がりという体型から来る横隔膜圧迫が原因)
 これからやってくる介護のこと、延命治療のこと葬儀や遺産相続のことなど私の希望があります。正月休み、近くに住む兄と甥には直接来てもらってその旨を伝え、世話を依頼しました。大阪に居る弟には電話で伝えました。三人とも快く了解して下さり、安心しているところです。

 遺言書を書くことは精神的にとてもいい作業となります。まだ人生、これからが本番という若い皆さん(なな色シスターズの他のメンバーのこと)には少し早いかもしれませんが、60代に入りましたら是非なさってみて下さい。何がいいかと言うと、人生の味わいがぐんと濃くなります。まるで濃縮ジュースかスープを飲むような心の充実感を感じます。

① 感謝の気持ちでいっぱいになります。自分の来し方(こしかた)を振り返りますと、どれだけたくさんたくさんの方々に世話になり支えられてきたかわかります。その中でも特別に助けていただいた大切な人が浮かび上がってきます。そういう人に心の中で手を合わせてこう申し上げることが出来ます。「本当にお世話になりました。あなたと出会えた私の人生は幸せでした。心からお礼申し上げます。」と。

② お詫びの気持ちでいっぱいになります。自分の至らなさゆえに不快感な思いをさせた方々、傷つけたであろう方々に頭を下げてお詫びの念を送ります。「Oな思いをさせて本当に申し訳ありませんでした。未熟だった私を許してください」(信仰者としては神への感謝とお詫びが筆頭にくるのは申し上げるまでもありません)


③ 人生の残り時間で自分が一番したいこと、大切にしたいことがわかってきます。「余命一年」と告知された人のように物事の優先順位がはっきりしてきます。本当にしたいこと、やるべきことの的が絞られてくるのです。またしたくても能力的に無理なことは潔くあきらめることもでき、気持ちがすっきり整理されてきます。

私の人生の中で「なな色メール」の皆さんはシュタイナーのいう「ソウルメイト」のような存在でした。あたたかい友情を寄せていただきました。皆さんから発信された知的情報にどれだけ刺激され、啓発されたか知れません。「人の幸せは心と心の通じ合いにある」と言われますが、本当にたくさんの幸せをいただきました。ありがとうございました。(何だかお別れの手紙のようですね。いつか生前葬をしたいと思っています。)

第一回目の遺言書を綴って、今は次のような思いで暮しを紡いでおります。
① 神への祈りと愛を献げたい。(一日を貫く課題、集中的には朝夕)
② 庭仕事を愉しみたい。(草花や樹木の世話、自然と共に暮らしたい)
③ 食事はじめ日常の生活をていねいに美しく調えていきたい。
④ 縁ある方々とのつながりを深めていきたい。
⑤ 地球も宇宙もすべて一つにツナガッテイルトイウワンネスの理念を深めていきたい。(具体的には自分の言動が「和・輪・環」のタネまきでありますように。)
外面的には何の社会貢献もない生活です。あるいは独りよがりで独善的なところもありますが、私はこういう向き、タイプのようです。宮沢賢治のいう「デクノボー」の生きかたが好きです。   「そういう者になりたい」  (雨ニモマケズの最終句)

何年かのち、私のささやかな家族葬が終わって、兄弟や身内の者たちが会食しながら私のうわさをすることでしょう。
「あいつはホントに変わり者だったなぁ。おいしい外食もせず、庭から採ってきたタンポポの葉っぱで喜んでいる奴だったから・・・。」
骨箱に入っている私はクシャミをしてカタコト音をたてるかもしれません。

いしかわようこ


ブータンについての記事(なな色メール発行前に個人的に書いたものもご覧下さい。)

いますぐ原発の廃止を ~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~  

2012年05月01日 | いしかわようこ

いますぐ原発の廃止を  ~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~ 日本カトリック司教団

日本に住むすべての皆様へ

東日本大震災によって引き起こされた福島第1原発の事故により、海や大地が放射能に汚染され、多くの人々の生活が奪われてしまいました。現在でも、福島第1原発近隣の地域から10万人近くの住民が避難し、多くの人々が不安におびえた生活を余儀なくされています。
 
原子力発電の是非について、わたしたち日本カトリック司教団は『いのちへのまなざし―21世紀への司教団メッセージ―』のなかで次のように述べました。

「(核エネルギーの開発は)人類にこれまでにないエネルギーを提供することになりましたが、一瞬のうちに多くの人々のいのちを奪った広島や長崎に投下された原子爆弾やチェルノブイリの事故、さらに多くの人々のいのちを危険にさらし生活を著しく脅かした東海村の臨界事故にみられるように、後世の人々にも重い被害を与えてしまうことになるのです。その有効利用については、人間の限界をわきまえた英知と、細心の上に細心の注意を重ねる努力が必要でしょう。しかし、悲劇的な結果を招かないために、安全な代替エネルギーを開発していくよう希望します。」

このメッセージにある「悲劇的な結果」はまさに福島第1原発事故によってもたらされてしまいました。この原発事故で「安全神話」はもろくも崩れ去りました。この「安全神話」は科学技術を過信し、「人間の限界をわきまえる英知」を持たなかったゆえに作りだされたものでした。
 
わたしたちカトリック司教団は『いのちへのまなざし』で、いますぐに原発を廃止することまでは呼びかけることができませんでした。しかし福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして、そのことを反省し、日本にあるすべての原発をいますぐに廃止することを呼びかけたいと思います。

いますぐに原発を廃止することに対して、エネルギー不足を心配する声があります。また、CO2削減の課題などもあります。しかし、なによりまず、わたしたち人間には神の被造物であるすべてのいのち、自然を守り、子孫により安全で安心できる環境をわたす責任があります。利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊いいのち、美しい自然を守るために原発の廃止をいますぐ決断しなければなりません。

新たな地震や津波による災害が予測されるなか、日本国内に54基あるすべての原発が今回のような甚大な事故を起こす危険をはらんでいます。自然災害に伴う人災を出来る限り最小限にくい止めるためには原発の廃止は必至です。
 
原発はこれまで「平和利用」の名のもとにエネルギーを社会に供給してきましたが、その一方でプルトニウムをはじめとする放射性廃棄物を多量に排出してきました。わたしたちはこれらの危険な廃棄物の保管責任を後の世代に半永久的に負わせることになります。これは倫理的な問題として考えなければなりません。
 
これまで、国策によって原発が推し進められてきました。その結果、自然エネルギーの開発、普及が遅れてしまいました。CO2削減のためにも、自然エネルギーの開発と推進を最優先する国策に変えていくようにわたしたちは訴えます。また、原発は廃炉にするまで長い年月と多くの労働が必要になります。廃炉と放射性廃棄物の処理には細心には細心の注意を払っていかなければならないでしょう。
 
確かに、現代の生活には電気エネルギーを欠かすことはできません。しかし大切なことは、電気エネルギーに過度に依存した生活を改め、わたしたちの生活全般の在り方を転換していくことなのです。
 
日本には自然と共生してきた文化と知恵と伝統があり、神道や仏教などの諸宗教にもその精神があります。キリスト教にも清貧という精神があります。そして、わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり「単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲」などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。わたしたちは、たとえば節電に努める場合も、この福音的精神に基づく単純質素な生活様式を選び直すべきです。またその精神を基にした科学技術の発展、進歩を望みます。それが原発のない安心で安全な生活につながるでしょう。


2011年11月8日 仙台にて  日本カトリック司教団

紹介者:いしかわようこ

ブータン・人類の希望の国  ①

2012年03月25日 | いしかわようこ
昨年11月、美しく若い国王夫妻の来日によって「ブータン旋風」がまき起こりました。テレビのない貧乏貴族の私は残念ながらその映像を見ることができませんでしたが皆さんはどんな印象をもたられましたか?秋田市長の穂積さんは広報のコラムで次のように書いています。
「凛とした中にも常にほほ笑みをたたえた柔和な表情、話しかけるときの慈しみに満ちたまなざし、それでいてなぜか懐かしいようなほのぼのとした空気、ブータンから来た国王夫妻の身のこなしは“人間にとって真の豊かさや幸せ”を雄弁に物語っていたように思います。」 
(広報あきた24.3.2号)
私は本に紹介されている写真を通して、手を合わせて合掌する姿に一番心魅かれました。信仰者としての精神性が表れていると思いました。

実は国王夫妻来日以前から私はブータン王国に関心を寄せていました。それはいわゆる有名な「国民総幸福量」という言葉によってです。日本はじめ世界各国が“経済のさらなる発展”という錦旗をふりかざしながら疾走している中でGNP8国民総生産)よりGNH(国民総幸福量)こそ、大切と言う国とはどんな国なのだろう?・・・経済大国ではなく幸福大国を目指すという気骨あるアンチテーゼを提唱する国とは?・・・ずっと憧れのような思いを抱いてきました。

「求めよ、さらば与えられん」、ブータンを知る機会が訪れました。その最初は一月十一日秋田さきがけに西田文信氏の『ブータン王国から学ぶこと』という記事でした。西田氏は秋田大学国際交流センター准教授でブータンの言語研究者(日本では一人)。政治的にも経済的にも行き詰まり、希望が失われた今の日本、特に3.11後“このままではいけない。社会のあり方を大きく変えていかなければ”という思いを持ち続けていた私に一条の光をさしこんでくれる内容でした。また地元秋田に愛着をもつ一人として、秋田もブータンにして行けるというエールにいたく共鳴したのです。

続いてラッキーにもその西田先生の講演があることを市の広報で知り、いの一番に申し込み、いの一番に会場に出向きました。中央図書館明徳館での市民向け文化講座。演題は『ブータン王国の文化・社会・言語』定員50名。二日間の連続講話。私は都合で初めの一日だけの参加でしたが。毎年研究の為ブータンを訪問しておられるという先生のお話は具体的で説得力あるものでした。スクリーンに一般庶民の食事メニューが映し出されたとき目を大きくして頭にしっかり刻みつけました。(激辛とうがらしの話など後日紹介させていただきます。)

その後さらに詳しく情報を得たのは次の二冊の本です。
『ブータン王国はなぜこんなに愛されるのか』田中敏恵著 小学館 1470円
『地球の歩き方「ブータン」』         ダイヤモンド社 1890円    つづく

シンプルな幸福感

GNH(Grass National Happiness is more important than Grass National Product.)という理念の意味するものを4代国王のことばで拾い上げていきますととてもシンプルです。でも深い意味が内包されている気がします。
「私が国民総幸福量という言葉で表現したかったのは人生の充足である」
「“幸福”というのは非常に主観的なもので個人差がある。だから本来は国の方針とはなりえない。私が意図したことはむしろ“充足”である。それはある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に誰もが感じることである。この充足感を持てることが人間にとって最も大切なことである。私が目指していることはブータン国民一人ひとりがブータン人として生きることを誇りと思い、自分の人生の充足に充足感を持つことである。」
本『ブータン王室はなぜこんなに愛されるのか』より

思うにこれはGNH第二位の経済大国である私たち日本人に欠けているものではないでしょうか。希望する職につけない、派遣社員、失業、血縁地縁の欠如した無縁社会。飽食の豊かさと共に増える不健康。そして原発事故による見えざる恐怖etc.

四代国王の愛用句“ガー・トト、キー・トト”(ゾンカ語)心身ともに心地よい状態という一見素朴にも聞こえる幸福観は大地震で家屋、家族を失った方には切実にせまる“日常性の幸せ”を表現しているのでは、と思います。
「ブータンは、近代化はするが西洋化はしない」(同書60ページ)
ブータンはヒマラヤ7.000メートルの銀嶺を背に地上1.000メートルにいたる斜面山岳地帯。「最後の秘境」とも言われてきた。長い間陸の孤島として鎖国状態だったため近代化の歩みは遅い。国連加入は1971年。しかし国際社会へのデビューが遅れた分ブータンは先進国の陥ったジレンマをつぶさに見ることになります。経済の高度成長がもたらした光と影を。特に負の面として環境破壊や公害、地方の過疎化、伝統文化の衰退、行き過ぎた競争社会がもたらした貧富の差、失業、自殺率の増加などなど。
 
北に中国、南にインドという大国にはさまれた弱小国ブータンはそういう先進国の状勢を踏まえてGNHの概念を醸成してきたに違いありません。国の政策として四つの柱を打ち出している。
①健全な経済成長と開発 ②環境保全と持続的な利用 ③伝統文化の保護と振興 ④良い統治

このようにGNHという理想を掲げるブータン国の現実はどうなのだろう。国家予算の3割はインド、日本などの国際援助による。道路、電力などのインフラ整備は決定的に遅れている。発電はブータンの最大の産業。爆流が落下する山岳地帯ゆえ、水力発電で得た電力をインドに輸出。それが最大の外資獲得となっている。しかし険しい地形に阻まれて国内の送電網は未発達。都市郡での普及には時間がかかる模様。しかし電気代は安いため、いったん電化された地域ではテレビ、ビデオ、炊飯器、ラジカセなどが急速に普及している。

ただ羨ましいことは、教育費と医療費の無料(国家蔵出の三割、識字率約六割)国土の森林面積の割合を60%以上の維持を定めるエコ国家。たばこ喫煙の制限、環境保護のためポリ袋の使用が制限されているので現地調達は難しい!ヤッホー!

ブータンは現代の桃源郷になれるか?

日本の江戸時代にスリップしたような面影をもっていたブータンも、最近首都ティンプーなどは急速に都市化が進んでいるという。民族衣裳ゴ・キラの布地もインドから機械折りの安価なものが流通。特にインターネットテレビの導入によって世界の情報が一瞬のうちに入ってくる。「陸の孤島」「秘境」「桃源郷」というイメージは徐々に変容していくに違いない。「近代化はするが西洋化はしない」とは四代国王の言葉であるが、若い世代は西洋の刺激に敏感に反応していくのでは、と予想される。

鎖国から明治維新、と西洋文化の導入、西洋に追いつけ追いこせの経済政策をとってきたわが国日本。日本の伝統文化は衰退、消滅の危機に瀕している。ブータンが「ブルータス、おまえもか」とならないように私は切に願う。でも私は次の二点からブータンに期待する。不完全な人間の為すこと故GNHの理想の100%成就とはありえない、私は60%達成でいいと思う。そしてその60%をブータンはかなえてくれるのではないかと。理由は・・・一つは小さい国だから。二つめは政教一致の国だから。
(一) 小さい国だからできる
 ブータンの国土面積は日本の九州位だという。そして人口は約70万人(東京都大田区の人口と同じ)。国土は険しい山岳と急崚な渓谷によって分断され谷ごと、村ごとに言語が違うといわれるほど多様で複雑な文化を持つ。また山岳の牧畜民と中標高地帯の農耕民、南部亜熱帯と高度による多様性もある。(ちなみに国際空港のあるパロ、そして首都ティンプーの高度は2500メートル位。人によっては空気の薄さを感じ、息切れ、頭痛、吐き気などの症状をきたらすらしい。しかし、どこに行くにも1000メートル以下の谷底に下りたかと思うと3000メートル以上の峠を越える、という高度馴化のくり返しで慣れやすいともいわれる。)

ヒマラヤ山脈を背にするブータン。その国土の多様性があるとしても単純に言えることは「小さい国」だということ。「小さい国」といえばモナコ王国やバチカン市国を思い出す。それほどでないとしても私は「小ささ」に注目したい。GNHという理想は小さい国だから達成できる。否 逆に言って小さくなければ達成できないのではないか、私の推論である。


68歳の初冬だより

2011年12月01日 | いしかわようこ
毎日どんな暮らしをしているんですか?と尋ねられました。夫なし、子どもなしの独り者、しかも70近くなった初老の日常をちょっぴり紹介させていただきます。

Ⅰ)食いしん坊の粘液質ですので、先ず食生活から。

木枯らしが吹く頃、のれんやテーブル掛けを温かい暖色系に変えるように食器も衣替えします。涼し気な藍のせとものからぼってりと厚手のあるものへ。土鍋、耐熱皿、うるし碗の登場です。

土鍋(鍋焼きうどん)、常滑焼(とこなめやき)耐熱鉢(ビビンバ用)、同じく常滑焼耐熱皿(大きい皿ではスパゲッティ)、川連塗りの朱碗

朝食は“わたし流ビビンバ”。常滑焼(とこなめやき)のビビンバ用耐熱鉢をあたため作り置きのごはん、お惣菜、佃煮などを蒸し焼きするのです。この春思うことあって電子レンジを手離しましたのでこれがレンジの代わりです。ご飯は玄米か胚芽米、お惣菜はキンピラ、麩・厚揚げ、切干大根、ひじき、ぜんまいなどの煮物、佃煮というのはちりめんじゃこと大根葉を炒って味付けしたものです。最後にグリーン野菜のおひたしをトッピングしてごまドレッシングを振りかけて出来上がり。新聞や趣味の軽い本を読みながらもぐもぐもぐ・・・・30分。

食後のデザートも愉しみの一つ。香りのよいほうじ茶に干し柿とクラッカー。クラッカーにはジャムをのっける。干し柿もジャムも手作り。季節の果物ジャムですが、今はりんごとさつまいものきんとん風ジャム。ノンシュガーの私の十八番ジャムです。熟しトロトロの柿ジャムも作ってみました。外食も中食も味覚に合わないので、もっぱらハンドメイド。
従って台所に立つ時間は結構長いです。一日二食ですが、準備、後片付け3~4時間でしょうか。

調理したアツアツをそのままテーブルへ。冬の何よりのごちそうです。後片付けもラクチン。基本は穀物菜食のマクロビオ食ですが、サンマ、ハタハタ、塩鮭の三平汁もいただきます。寒い雪国の冬、ある程度の動物性食品は体をあたためてくれるからです。


Ⅱ)腰曲がりおばあちゃんのストレッチも欠かせない日課です。

大腰筋というインナーマッスルを鍛えるトレーニングを始めて一年、前より腰の力が強くなった気がします。骨盤体操や片足立ち、あるいはラジオ体操もどきなど。“わたし流ストレッチ”を約30分。天気の良い日は外出して歩け歩け運動40分。JR駅の階段昇り降りや通路での背面歩き(後ろ向き歩行)。電車の時刻より10分早く出ての筋トレです。田舎の駅でラッシュ時間でなければ人も少なくそれが可能なのです。私には格好のジムとなっています。独り暮らしで歩けなくなるという事は一番の障害になりますので、出来るだけの自主トレに励んでいるところです。重いもの、大きいものの買い物の時は車を使います。車?そう、手押しシルバーカー?でも今は高齢化社会で買い物の宅配サービスが行き届いて楽になりました。

最近読んだ五木博之さんの養生の本はとても参考になりました。(『養生の実技』『きょう一日』)

どんな養生法でも強調されるのは ①冷えに気をつける ②少食 ③疲れたときは早く寝る ④深い呼吸 ⑤快便 ⑥呑気に暮らす くよくよしない ⑦すべてホドホド、良い加減に
・・首元・足元を冷やさない工夫、足湯or半身浴、くつ下4枚かさねばきを勧める人もいます!(青木美泳子著『ずぼらな青木さんの冷えとり毎日』)
例)シルクの5本指くつ下→エクスタイルのくつ下→木綿のくつ下→ウールの手編みくつ下


Ⅲ)本という友だちいっぱい

白内障手術をして、視力10倍、お目目ぱっちりになったのですが、なぜか眼精疲労が激しいのです。若い時から結膜が弱かったのでそのせいかも知れません。テレビ、映画が一番こたえます。ケータイもパソコンも人さまのを見るだけで目がチカチカする感じ。もっぱら本だけ。それも一日3時間までが許容範囲です。その半分を『聖書』拝読に当て、残りを趣味の本に当てています。

今読んでいる本 ①佐藤初女さんの本(90才のメッセージ・森のイスキア20年記念) ②無農薬・有機ガーデニング手引き ③暮らしのヒント集:『暮らしの手帖社』 ④健康法:からだのメンテナンス ⑤ぬいもの:森南海子著『布への祈り』この本にとても刺激を受けています。この本に載っていた五十肩ウォーマーが友人のSさんに役立ったようです。私は古市のやわらかい布で上っ張り(作務衣)を作ってもらいました。軽くて、あたたかくて、着やすいというのが高齢者の願うところとなります。

Ⅳ)神サマとの同居生活

形としては独身、老人の一人暮らしですが、実は同居人がいます。人ではなく、神サマと呼ばれる方が心の中に内住してくださっております。その名はキリスト・イエス。結婚している皆さんがご主人とひとつ屋根の下で素顔のお付き合い、交わり、会話を交わしているように、私も心の中で神サマと四六時中お付き合いしています。24歳の時、洗礼すなわちイエスさまとの同棲生活が始まり、40年あまりが経ちました。修道院に入って熱烈な献身を捧げようとしましたが、なぜか続きませんでした。私の人生はイエスさまに喜んでもらいたい一心でがんばったつもりですが、なぜかどれも成就せず、挫折の連続です。
(わが計らい ことごとく つぶされる!)

皆さんと知り合った頃、信仰的な起業“ちゃぶ台カフェ”をもくろみました。色んな人と親しく交流し友情と信仰を育みたいと思いました。きっと、神サマも喜んで応援してくださると期待をしたのですが、フタを開けたもののカフェは閑古鳥の鳴くばかり。なぜ?なぜ?と悩み、とことん落ち込みました。もう自分の人生にすっかり失望し神サマに泣きつきました。 死なせてください と頼みました。そんな時、階段の中ほどから空中に浮いて落っこちる出来事が起こったのです。床にたたき打ちのめされて神サマから※ゴシャガレてしまったのです。※訳:叱られる(秋田弁)

神サマはご自分をさしおいて私が自分の考えでアレコレ計画したり行動したりすることをずっと嫌われていたようです。「どうして我輩にまかせないのか。我輩に預けるならあなたの一番幸せな人生を実現してやるのに。まだわからないのか。」

神サマにゲタを預けること。今流で言えば、自分という車のハンドル、運転を神サマにまかせること。ですから今、私が同居人キリスト・イエスに申し上げることは、ただ
「主のお望みどおりになさってください。」
という心の明け渡しです。お粗末ですが、ようやくイエスさまを愛することを学んでいます。

外面的には大震災ボランティアも原発反対運動もしていません。(ごめんなさい!)町内の民生委員の依頼もありましたがお受けしませんでした。ちっとも人のため社会のため直接役立つことはしていません。でも、私に代わって神サマが存分に動いてくださっている気がします。これは信仰者の陥りやすい自己満足かも知れません。皆さんのご意見を聞かせてください。

私の人生も、日々の暮らしも、未熟・未完成交響曲の演奏中です。

いしかわようこ

いのちの通い合い(1)

2011年09月01日 | いしかわようこ
面白い新聞記事を読みました。
信州でワイン農場をもっている画家でもありエッセイストでもある玉村豊男さんの「隠居志願」コラムからの文に目を通してください。

『花の霊』
私はどちらかというと目に見え手で触れることができるものしか信じない、というタイプの人間で、もちろん霊感はないし、オカルト的な現象にもまったく興味はないのだが、二年ほど前、たまたま知り合った整体の専門家に腰痛があることを告げたところ、なんとも不思議なマッサージを受ける羽目になった。彼女は、私を横にして目にタオルをかけると、ぶつぶつ口の中で呪文を唱えはじめた。それから一時間あまり、からだにはほとんど手を触れることなしに、うっ、うっ、と吐息を漏らしながら、タオルの隙間からおそるおそる覗き見したところによれば、なにかを取り出しては捨てるような動作を何度も繰り返した。
「はい、もう大丈夫」そういって施術を終えた彼女の顔は、真っ赤に上気して汗ばんでいる。彼女の話によれば、私のからだの中には腐った花の霊が棲んでいて、棘のある枝がとぐろを巻いていたそうだ。それを全部掻い出して除霊したという。そういわれてもにわかに信じるわけにはいかないが、たしかに、揉んでも叩いてもいないのに、からだはウソのように軽くなった。あれ以来、私は庭から花を採ってきてアトリエで絵を描き終わると、ゴミ箱に捨てる前に、萎れかかった花に両手を合わせ、モデルになってくれたことを感謝する言葉を口の中で唱えている。あまり人には聞かれたくないけれども、どこかで花の霊をないがしろにしてはいけないと思っているのである。現実主義者も地に落ちたものだが、あれから腰痛は出ていない。

この話から、①花にも霊はあるのか、②除霊とは何か、を考えました。先ず霊という言葉を外して、草花にも人のことばが通じるとはよく耳にすることです。「きれいだね!」「よく咲いてくれたね!」とほめてやると、ますます美しく咲き続けるという。ぞんざいに扱ったり、無関心に放りっぱなしにすると、枯れたり腐っていくとも言われます。

一人の友だちからこんな話を聞きました。洗濯機の寿命がきて動かなくなったけど、買い換えるお金がない。そこで洗濯機に向かって「今までたくさんお世話になりありがとう。もう少しがんばってくれないかな」と手を合わせてポンとたたいたら、又動き出してくれたという。笑い話のようですが、どんな物にも共鳴しあう魂が宿っていると信じる人はいます。古来からのアニミズムです。ご来光を仰ぎ、高山や大木を崇め尊ぶ心を昔の人は持っていました。各国の先住民族の方々はすべての物を畏敬する暮らしをしてきたようです。私たち現代人が忘れてしまった感性かも知れません。

いしかわようこ

いのちの通い合い(2)

2011年09月01日 | いしかわようこ
たとえばこんなエピソードを聞いたら人はどんな反応をするでしょうか。華道家安達瞳子さんが小学生になって初めて花ばさみを持ったとき、ご尊父から先ず言われたのは「花を切る時はゴメンナサイとお詫びするんだよ」と。それが生け花手習いの第一歩だったそうです。

又、ある80代の女性は庭の隅に<花塚>を設けて落ちた花、枯れた花がらを埋めているとか。シュタイナー関連の幼児向けカードや絵には花や鳥の傍らに必ず小人が描かれています。バラにはバラの、水仙には水仙の精霊がいて、その霊が芽を出す時から枯れるまで育て見守っていると。花だけでなく、どんな生き物でも、石ころのような無機質のような物にいたるまで、そう考えています。シュタイナーの思想では「先ず霊ありき」で目に見える世界は、見えない霊の世界の反映と考えます。たとえば、殺人という目に見える出来事も、先ず「憎い!殺してやりたい!どんな風に殺すか」という思いから始まりますよね。想念という目に見えない精神の世界(霊とか魂とか表現は違っても)こそ、ありとあらゆるものに浸透している実体で、目に見える現象はそのあらわれであると。

私は「人のからだ」という図鑑を見るのが好きです。そこに描かれている人体図、特に頭のてっぺんから足の先まで張り巡らされた血管やリンパ管、あるいは神経の網の目を見ると、驚嘆してしまいます。皮膚で覆われて目に見えない自分のからだの中で、血液が、リンパ液が、そして神経が、すみずみまで流れている神秘に、心が震える気がします。

人のからだは、小宇宙とも言われます。果てしなく続く大宇宙の凝縮したかたどりという意味でしょう。食物連鎖のことを考えると、この世界は同じいのちの水路が浸透する一つの世界(ワンネス)ということが具体的にイメージできます。プランクトンをえさに小魚は生き、その小魚をイワシが食べ、そのイワシでマグロは大きくなり、そして人のからだに入る。私の大好きな庭でも<いのちのピラミッド>が展開します。目にかけているムクゲの新芽をアブラムシが吸い、そのアブラムシは小鳥のおいしいえさになり・・・という具合に。

最近読んだ佐藤初女さんの本に、上手な表現がありました。
<食べたものが自分の一部となる>
すべての食べ物には<いのち>があって
いったん口に入ったものは生涯私たちの一部となって生きていきます。
小学校で話をしたときのこと。
4年生の子が手を挙げて、「いのちは大切だっていうけれど、僕たちはミワトリや牛を殺して食べているのはいいんですか?」と言いました。
「殺して食べているのではないの。いのちをいただいて、それがからだに入って、一緒に生きていくんだよ」と言ったら「わかりました」と言ってくれたわ。(『いのちのことば』東邦出版)

いのちは、お互いに支え合って、響き合って、ワンネスの世界を構築していると私は思います。この「ひとつ」の世界、同じいのちの水が浸みとおる世界は、ジクソーパズルの絵に似ていると。100のピースの絵とすると、一つのピースが欠けても完成しない。地球という生態系も同じ。人間のわがままで本来の生態系がくずれ、狂い出しています。かけがえのない一つ一つのピースを人間が欲によって葬っていくことで、地球といういのちが大きくひずんでしまったのではないかと。死因の上位を占める“がん”“動脈硬化”“糖尿病”など、目に見えるシンボルかも知れません。健康な細胞を破壊する悪性腫瘍、血液がにごったり、ドロドロしてしまう症状、ひどい便秘など、地球の姿にそのまま通じるのではないでしょうか。私は思うのです。地球環境の問題も、今の生活習慣病といわれる病も<いのちのつながり>を無視し、断ち切っている人間の罪ではないかと。

私の整体士さんがこう言われます。「頭痛にしろ腰痛にしろ足のしびれにしろ、筋肉の凝りが原因です。老廃物が固まり、その下を流れる血管の流れを遮り、神経を圧迫するために痛みが生じます」と。網の目のようにからだを走る血管と神経の道をふさぐ固まりが体調をくずすように、ひとつのつながったいのちの世界で、私たちのエゴという自分中心の固まり、執着がワンネスの生態系を崩していっている。

除霊という心霊ヒーリングの経験はないのですが、先祖の祟りとか、前世の償いということよりも、自分の心の固まり、コリをほぐす霊の整体(------整心、浄霊)ということを、私たち一人ひとりしてもらわねばならないかも知れませんね。すべての生き物、生きとし生けるものとつながる連帯性をしっかり心に刻み、ひとつの輪となりたいものです。できることなら、もう一度幼な子に還って「お花がイタイイタイと泣いているよ」と言い、なでてやる心を取り戻したいなと切に思うこの頃です。


いしかわようこ