なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

なな色メール No.25 Desember 2013

2013年12月02日 | なな色シスターズ



なな色メール 紙面の表紙です。クリックすると拡大されますので、ご覧ください。

十二月のうた

熊はもう眠りました    
栗鼠(りす)もうつらうつら
土も樹木も大きな休息に入りました
ふっと思い出したように 
声のない
子守唄   
それは粉雪
ぼたん雪              
         
 
師も走る
などと言って 
人間だけが息つくひまなく
動きまわり 
忙しさとひきかえに
大切なものを 
ぽとぽとと
落としてゆきます


詩 茨木のり子



今季は秋田のアーティスト、牛込謙治さんの『空間を飛び交うモノたち』というイラストで飾りました。

とっても柔らかで賑やかなような、ほっとするような絵が12月っぽくて。

彼の作品はとってもファンタジックで暖かみがあり、癒されること間違いありません。『ほのかなあかり』というホームページで雑貨やTシャツも販売しています。

               
早いものでこのなな色メールも2006年の秋に始めてから7年が経ちました。

一端の編集者、物書き気分が味わえてとっても愉しいです。

忙しい毎日の中、埋もれず、へこたれずやってこられたのもこの文集のおかげかもしれません。私にとって、学びの場であり、発信の場であり、生きがいでもあります。ここにいさせていただけてありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします!




憲宝と地宝④

2013年08月01日 | なな色シスターズ
ここに一つ、マクロビオティックのサイトで見つけた文章を紹介します。(どこのサイトだったか、忘れてしまいましたが、とても素敵な言葉だったのでお借りします。)

訂正します!サティシュ・クマールさんの言葉でした。ナマケモノ倶楽部で紹介されていたものです。
      

              ★Soil★    

ソイル(土)とは、土、大地、環境やエコロジーのことです。私たちは土から生まれ、土に還る存在です。私たちの食べものも、衣服も土から来ます。家の建材も土から来ます。つまり、ソイルは、自然界全体を指す言葉なのです。ならば、土を敬い、祝福しようではありませんか。土が神聖だからこそ、いのちは神聖なのです。土の上で働く農民、農耕そのものも神聖です。大地への畏敬なしに、この世の平和はありえない。私たち人間には、土、地球、自然との平和が必要です。

ところが今、私たちは自然に戦争をしかけている。大地を毒し、動物たちを狭いオリに押し込め、海の魚を乱獲し、川を汚染し、豊かな森を伐り倒している。これはまさに自然に対する戦争です。
必要なのは、自然界との和平。だからこそ、まずソイル(土)なのです。


              ★Soul★

土を大切にすることは、自分を大切にすること。自分を大切にできればこそ、幸せで、健やかで、しなやかな体と心と魂があればこそ、地球を大切にすることもできるのです。

心や体を病み、不幸せで自殺を考えるような人が、どうして他人を、家族やコミュニティを、地球を大切にできるでしょう。自分が健やかで、幸せで、満ち足りていることも必要なのです。だから、自己実現と自己啓発は大切です。
詩、音楽、アート、工芸などの文化的活動、畑仕事、瞑想、ヨガ……、どんな活動でもいい。健やかで幸せな自分をつくるのです。それが人々のため、地球のためなのです。これが、3つの真ん中にソウル(心)を置いた理由です


             ★Society★

そして、ソサエティ(社会)。人々も大切にしなければいけません。現在、世界人口の6分の1、10億以上の人々が飢えに苦しんでいる。なんとひどい社会経済システムを、私たちはつくってしまったのでしょう。

世界は不正に満ちています。飢える人々がいる一方で、食べ物を捨てている人たちがいる。世界中で、40~50%の食べ物が無駄にされています。特に裕福であればあるほど、食べ物を無駄にしている。これが、私たちの社会の仕組みなのです。東京やニューヨークやロンドンのレストランでは、毎晩大量の食料が廃棄されている。スーパーマーケットでも、賞味期限切れの食品が何トンと捨てられます。なんともったいない!

私たちが食べ物を無駄にする分、世界は飢える。だから、無駄のない、フェアで平等な、分配の社会システムが必要です。誰ひとり、飢えることのないように。これが第3の柱、ソサエティ(社会)です。
「土・心・社会」が一体となって、私たちの運動はホリスティックなものとなります。



自然と共存した社会に生きたいですね。 

私は読み聞かせボランティアにも参加する事になりました。言葉を感じる/声にする/表現する、考えているばかりでなく実行する波が来てるようです。マヤ暦では7月26日が新年です。新しい年、黄色い銀河の種の年が始まりました。前年の学び、つながりから更にパワーアップしている実感があります。

自然と仲良くつき合って持続可能な開発を 

2013年04月01日 | なな色シスターズ
未来のためにできること 新シリーズに寄せて
自然と仲良くつき合って持続可能な開発を         蟻川芳子さんの記事

地球温暖化問題に世界を挙げての取り組みが進み、日本も低炭素社会の実現に向けて、着々と省エネのすすめとともに再生可能エネルギーの開発政策がとられている矢先、東日本大震災、それに伴う福島原発事故が発生した。化石燃料に頼らないエネルギーへの転換が求められているなか、原子力発電もその一環として稼動していた。もちろん、安全を前提としてのことである。

近年の生活は、エネルギーに支えられている。平均寿命の延長にもエネルギーが貢献している。食糧が豊富になる、衛生状態が良くなる、医療が発達する、厳しい温度を緩和できる等、結果として寿命が延びることに繋がる。移動時間を短縮するのも、物品の生産性を高め経済を活性化するにも、エネルギーが必要である。

原子力発電はウラン235の核分裂によるものである。ウランの中で0.7%しか存在しないこの同位体を、濃縮して核燃料とする。ウランは地殻中に低濃度で広範囲に分布して存在し、鉱床として産出するのは比較的少ないので、海水に微量存在するウランの濃縮・回収も行われているくらいである。したがって、そうたやすく得られる資源ではない。さらにたとえ爆発が起きることは想定外であったにしろ、核分裂による莫大なエネルギーとともに、放射性廃棄物が生成することは、自明の理である。原子力発電はもともと、再生可能エネルギーへの“繋ぎのエネルギー”であるから、一刻も早く安定供給が可能な自然エネルギーの普及は喫緊の課題である。

太陽光は、総量も大きく最も手軽で永久に得られるエネルギー資源と考えられるが、密度は希薄で昼夜、天候や季節による変動が大きい。しかし1973年、中東産油国を巻き込んだ戦争は日本経済を直撃し、石油から太陽エネルギーニ目を向けさせる契機となった。翌年当時の通産省はサンシャイン計画を策定、実用化に向けた開発を推進してきたが、1993年には地球環境問題への取り組みへと、その目的が変更した。これが、ニューサンシャイン計画である。1997年、二酸化炭素排出を規制する京都議定書の採択、1999年には省エネを意識した建物づくりが浸透し、日本は太陽電池生産量が世界一になった。しかし2007年、世界で利用されている太陽光発電システムの大半は日本が製造していながらも、その設置数はドイツに追い越されている。

一般に太陽光を始め自然エネルギーはエネルギー密度が小さいので、通常想定される土地面積では小容量設備とならざるを得ない。太陽エネルギーは熱エネルギーと光エネルギーに分けられるが、太陽熱を利用した発電は可動性でしかも集熱効率の高い集光器が必要なことから、日本ではなかなか実用化に至らない。一方光を利用するのが太陽電池による前述の太陽光発電であり、一般にはシリコン半導体を用いている。シリコン(珪素)は地殻を構成する主成分元素(約47%)であるが、半導体に用いる高純度、薄膜の結晶系シリコンを製造するためには、投入するエネルギー及びコストの面で不利である。ビルや住宅の屋根や壁を利用する小規模システムが有利とされるゆえんは、これらにある。

現在夢のような計画が動き出した。サハラ砂漠で強い日射を利用して太陽光発電を行い、世界に供給する計画である。コストを抑えるために砂漠の砂からシリコンを取り出す技術と、長距離送電を可能にする技術開発が必要であることから、実現は50年先とも見積もられている。

自然エネルギーの利用にしろ工業製品の製造にしろ、私たちは自然からの資源の恵のもとで豊かな生活を送ることができる。1974年に制定された自然保護憲章には、「自然は人間に対し恩恵とともに試練をも与えるものである」と謳っている。「今こそ自然の厳粛さに目覚め、・・・・(中略)自然をとうとび、自然の調和をそこなうことなく、節度ある利用につとめ、自然環境の保全に国民の総力を結集すべき」としてこの憲章を制定した。自然は万物の宝庫であるとともに、この度経験もした恐ろしい存在でもある。自然と仲良くつき合っていくことこそ、持続可能な開発(sustainable development)が期待される。

日本女子大学教育文化振興桜楓会  桜楓新報  



蟻川先生は今年3月までは日本女子大学の学長だったそうです。

東日本大震災後を生きる私たちをとりまくさまざまな問題について、未来を見据え、考えるためのヒントを随時掲載していく新シリーズに寄せて、化学者の視点から蟻川先生にお願いしたものだという事です。

化学者としての視点から学ぶことは多いですね。勉強してこその批判だと思いました。

”脱肉食(アンチミートイーター)”のすすめ Ⅴ まずはミートフリデイを作ってみませんか?

2013年04月01日 | なな色シスターズ
 次の引用文は健康の側面からのものです。

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日本は季節、雨量など農作物を栽培するには適した国です。しかし、牛を放牧するにはあまり適した土地がないので牛を飼育するには日本はあまり適していない国です。牛を飼う土地のない国は酪農の歴史もないし酪農食品を食べてきた歴史もあまりありません。それだけに酪農食品に対して日本人は弱く、肥満や高脂血症、糖尿病などの病気になりやすい体質をしています。なのに「肉を食べろ、牛乳を飲め」と国や栄養士、医者などが勧めています。その結果が近年の肥満です。

肥満は糖尿病、高脂血症、高血圧などのリスクが高まる病気の元です。唾液に澱粉を分解する酵素を持っているのは動物では人間だけです。このことで分かるように人間は穀類を中心に摂ることが一番効率よく栄養が摂れ、消化もスムーズに行え、体に負担をかけずにエネルギーを生み出すことができる動物です。体に負担をかけないからこそ健康になれるのです。そんなことはまったく無視して今の栄養学では栄養とカロリー計算とバランスのみを最重要視しています。栄養があって色々な食品を1日30品目摂るようなバラエティーに富む食生活をするよう勧めています。

しかし、これは本当でしょうか。肉を食べなければ筋肉が付かないと思っている方がほとんどだと思いますが、ゴリラやサルなどは果物だけであれだけの体をつくっています。馬や牛は草だけであれだけ大きな体を維持しているし健康です。動物にとって偏食があたり前。動物で雑食をしているのはイタチとタヌキとネズミくらいで大半の動物は超偏食です。それでこそ健康でいられるのです。

日本は農耕民族で昔から穀類や野菜類を中心に食べてきました。体もそれらを効率的に消化するように日本人の腸は肉食をする欧米人に比べ長くなっているなど植物性食品には強い反面、動物性食品には遺伝的に弱い体をしています。このような体のため日本人は大豆製品など穀類を摂ることで血液の流れなどが良くなる体質をしています。特にアジア系女性は白人女性に比べ脂肪の溜まりやすい体質をしています。欧米人の体質と日本人の体質は違いますが、栄養学や医療などは、欧米人とアジア人は同じということを前提にすべてを行います。

私の住む山口県柳井市の近くに錦帯橋で有名な岩国市があります。その岩国市には米軍基地があり白人のアメリカ人は冬でもTシャツ1枚という人を町でよく見かけます。しかし、日本人には冷え性が多い。これは牛や豚の体温は高めで(アメリカ人)魚は冷たい水の中で体温が低いこと(日本人)に似ています。その体温の低い日本人が常温で固まる動物性脂肪を摂れば血の流れが悪くなることは火を見るよりも明らかです。このように人種や地域を無視してドイツから持ち込んだ栄養学を無理矢理日本に当てはめてしまったため医療費30兆円超の病人大国日本になってしまいました。
栄養があるなしではなく、日本や日本人に合った食品か、日本人に必要な食品かどうかという視点で食品は見ていただきたいと思います。

「肉食や乳食は、寒冷な自然環境であるため、穀類やイモ類の収穫が期待できない地域で生まれた『代用食文化』である。」
(『伝統色の復権』島田彰夫著・東洋経済・P.126)

肉や乳製品をたくさん摂るようになって今まで日本になかった病気が増えました。その一つに肥満があります。現在、日本には糖尿病患者が690万人、糖尿病予備軍が680万人います。肥満は糖尿病などの原因になります。糖尿病になる食事とは高脂肪・低繊維食です。ファーストフードで提供されるメニュー、暖めるだけですぐに食べられる加工食品などに高脂肪・低繊維食品が多く、アメリカでもそれらをジャンクフード(ガラクタ食べ物)と呼ぶほど人の健康にとって価値のない食品です。ファーストフードや加工食品に多く使われているのが肉です。この肉に脂肪が多く含まれています。

財団法人 山口県社会保険協会が配布した冊子『これならできる健康日本21』(監修 長谷川敏彦)
「日本人の食生活で、最も大きく増えたのが動物性脂肪の摂取です。脂肪のとり過ぎは、心臓病や脳卒中の原因になります。とり過ぎには十分注意しましょう。」
「洋食には高脂肪の乳製品が比較的多く使われているのでさっぱりメニューの和食にかえましょう。」
と乳製品は高脂肪食品と注意しています。

社会保険を払っている人たちが病気になれば、診療に対する保険料を払わなければならない立場の団体は肉や乳製品のとり過ぎを注意します。その反対に食肉を普及させる団体である畜産振興事業団は以下のような行動をとります。畜産振興事業団は沖縄の長寿と肉食習慣の関係を調べるため高名な栄養学者や骨董店経営者で料理研究家の魚柄仁之助氏などで調査団をつくり調査をしました。

沖縄の長寿老人は肉はあまり食べずむしろ魚の方が好きという結果がでました。畜産物の販売を拡大しなければならない畜産振興事業団にとって沖縄は豚肉の消費量が日本一なので当然肉を多く食べているだろうと考えていただけにまったく逆の結果が出たことに困惑しました。しかし、畜産振興事業団が出したハンドブックには調査結果とは違い、沖縄の長寿老人はたくさんの肉を食べるから長生きができるかのように書かれていたそうです。そのハンドブックは全国の保健所に無料で配布されたため、いかにも肉は日本人の健康や長寿には必要な食品かのように思わせるウソの情報を信じ、栄養士などが肉や乳製品の普及に力をそそぎました。(『うおつか流 清貧の食卓』魚柄仁之助著・農文協・P.59)

病気が増えれば保険金を支払わなければならなくなり運営が難しくなる社会保険庁などは動物性食品の弊害(本当のこと)を注意するが、畜産振興事業団など畜産物の販売を拡大することを目的につくられた団体は真実とは異なる(ウソの)調査結果を無料で配布してまで畜産物を多く摂らせようしています。栄養士がカロリー計算をしなければならないのは牛乳を飲め、肉を食べろなどカロリーの高い動物性食品を摂るからであり、日本の伝統食を食べていればカロリー計算などはしなくても済みます。ウソの情報に騙されて体に良くない動物性食品を多く摂るから病人が増え医療費を国家予算の3分の1まで使う病人大国になったのです。このまま行けば日本は医療費に潰されてしまいます。
 
「もろもろの汚染の中で、もっともおそろしい汚染は、消費者の頭の汚染である」(バックミンスター・フラー)と言われるようにウソの情報を流してでも物を売ることが当たり前のことのように行われています。このようなことは早く止めていただきたいと思います。新聞広告のように「牛肉を食べると元気になる。」は間違いで「牛肉を食べると元気は出なくなる」がホントです。元気な人でも肉食をすると元気が出なくなるのですから病気の人ならなおさらです。使えるエネルギーのほとんどを消化に回せば病気も治りません。だから、病気の人は一度、肉や牛乳、卵を食べないという食生活を試してみてはいかがでしょうか。病気も快方に向かうかもしれません。
「このB・ベンナー病院は世界で最初の自然療法病院です。この病院では、食事に肉や牛乳、卵を一切使わずに、黒パンや野菜、果物、ヨーグルトとといったRaw foodsを軸に治療を行い、患者には毎朝ニンジンジュースとリンゴで作ったジュースを出していました。」
(『東洋の智恵は長寿の智恵』渡辺昇一・石原結實 著・PHP研究所・P.82) (注)ベルツ=ドイツの医学者。明治9年に東京医学校(現在の東京大学医学部)に招かれ、同38年まで日本に滞在、わが国の近代医学の発展に寄与した。日本にドイツの栄養学も紹介。 

<エコロジカル・ヘルシーショップ三友“肉を食べると元気になるはホント?”より引用> 

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つづきは

ブータン ②  ブータンは現代の桃源郷になれるか?

2012年03月24日 | なな色シスターズ
ここで私の個人的体験を聞いてほしいと思います。私はこの三月から所属する教会を変えました。ブータンとは全く関係のないある理由からです。今までいたA教会は信徒数1000人を超える教会で新潟狂句三県のうち一番大きい教会でした。今度移ったのはその一割弱の小さいT教会です。日曜日の礼拝に出席する350人から約50人のこじんまりしたコミュニティに身を置いて感じたことは家庭的なあたたかさでした。A教会では顔はわかるけど名前も住む所も職業もほとんどわからない。ごく一握りの人としか交流できなかったのです。(私の内気な性格も原因しますが)
T教会は学校の一クラスの集団規模ですから新入りの私の「初めての顔」にすぐ声がかけられる。色々世話してくださる。中略

物事は表裏一体ですから「小さい共同体」には小さい故のマイナスは当然予想されます。濃密な人間関係はうまく機能している時は喜びをもたらしますが、反転するとうっとうしくなるのが世の常ですから。(覚悟しています。)ブータンの小ささに注目しましたのは自分のこういう体験を重ね合わせたからです。ですから現国王の次の言葉にとても共感しました。
「私は常にわが国のサイズは最高の利点となると信じてきました。なぜなら小さい国と少ない人口は国としてよりうまく管理していけるからです。」
小さい国ゆえのメリットを国王は最大限に活用しておられる様子です。国民との意思疎通をはかるために絶えず顔と顔の触れ合う機会をもつ。昨年ご成婚した若い国王夫妻は式場の町(プナカ)からティンプーまで歩いて沿道の国民に挨拶し祝福を受けたという。オープンカーのパレードではなく徒歩のパレード!昼食も抜きで歩き続け、宮城にたどり着いたのは真夜中だった由。このエピソードに王室と国民の距離が以下に近いかがうかがい知れる気がします。これは「小さい国」だからこそ可能です。「家族国家」ともいえるブータンだからこそ次のような五代国王戴冠式のことばも生まれてくるのでしょう。
「私が在位している間、国王としてあなた方を統治することは、決してありません。
 私は子どもたちの手本となるような善き人としての人生を歩んでいきます。
 私にとってあなた方の希望と願いを叶えることが人生の目標であります。
 私は親切、正義、そして平等の精神をもって、昼夜を問わず、あなた方に仕えるつもりです。」
こういうメルヘン的なメッセージを発信できる国家規模。大国の大統領や首相がまねたら噴飯物でしょう。国の施政の目ざす精神性がブータンでは見事に表現されていることはうらやましいです。日本も国のあり方が複雑になりすぎました。思い切って軌道修正をはかり「小さい政府」「地方自治」の方向に変わることを願うものです。

私がA教会からT教会に移って自分という一人の重みを感じ、義務ではなく主体的にコミュニティに関わって行こうと意識が変えられたように、行政も小さくなった方がいいのではないでしょうか。一人ひとりの参加意識が強まると共に一人ひとりの人間の充足感、満足感が深まっていくはずです。その意味で、私はガンジーの農村共同体という社会構築の考え方に賛同したい。次ぎの文は浅井幹雄監修『ガンディー 魂の言葉』(太田出版)からの引用です。
【夢はいくつもの村から成る共和国】
「農村の未来についてわたしがもつ夢は、村一つひとつが経済的にも政治的にも独立した存在となり、それらが相互に助け合ってひとつの共和国をつくることだ。
 村落は食糧や生活必需品の自給自足を基本とし、水資源の管理、基礎教育の施設運営なども自ら行う。(後略)」

ガンディーの思想は小さいながら、インド各地のアシュラム活動として継続しているという。機械文明からの脱却、西欧中心のグローバル経済の暴力を指弾するガンジーのことばは強い。その行き詰まりの予告は当たって今の世界情勢となっている。
「大切なことを忘れないでほしい。機械が主役の産業文明は悪である。」
「機械が人類の文明を破壊する終末を想像することができる。」
「そんなことは、これまでの歴史にはない。だから起こるはずがない。そう思い込んでいる人は、
 人間のもつ大きな可能性を見ない人だ。わたしたちは、まず、そんな思い込みから自由になろう。そして、自分の心が正しいと思うことをやってみればいい。」

ブータンは統治掌握がしやすい小国ゆえに、国民一人ひとりの最大限の充足ある生活という政治の基本を是非貫いて行ってほしい。また、地形の不利な条件ゆえ農業の機械化、送電網の配備も相当むずかしいと予想されますが、かえってそれは他国が陥った轍を踏まない健全な開発成長となるに違いありません。

経済力より幸福力という高い夢をブータンは実現していってほしいと切に願うものです。ただ、人間性の悲しい面があります。「笛吹けども踊らず」ということばのように上の方からの思いが下にそのまま伝わらないという現実です。私の弟のいる会社は社員150人の中規模会社です。経営能力、人徳共に優れたトップに恵まれています。M専務の就任時の挨拶はブータン国王のことばに似て感動的でした。
「私は皆さんがこの会社に勤めて本当に幸せだったと思える会社にすると誓います。」
今の不況で営業成績は伸び悩みながら、150人の社員とその家族を路頭に迷わすことは出来ないと必死の努力をしている。しかし管理職にある弟から見て、社員の就業意識は低い。“わが会社を自分の手で盛りたてる”という気概に乏しいと嘆きます。

先代(4代)国王の戴冠式での演説の一部を引用します。国民一人ひとりへの切なる訴えに心打たれます。この国王の手でブータンは民主体制に移行していきます。
「現在、われわれの前にある最も重要な課題は、将来にわたるわが国の継続的発展を確実なものとするために経済的自立を達成する事である。ブータンの人口は小規模であるが、豊富な土地と豊かな自然資源、健全な計画を以って近い将来にわれわれの目標である経済的自立の達成を実現することができるのである。
あなた方国民においては自身の快適な生活の構築が政府によってすべて行われるべきであるという態度を身につけてはいけない。あなた方のささやかな努力は政府の多大なる努力よりはるかに功を奏すのである。」      1974年

今の5代国王も国民一人ひとりの意識を涵養してやまない。国内の大学で自ら学生たちに語りかける機会を定期的に設けている。そこで発せられる言葉には、国の未来を若者たちとともにつくり上げていこうという姿勢が示されている。
「この国の歴史にとって今は非常に特別な時期と言えます。民主化成功に向けての尽力いかんによって、これからのブータンに安定した未来が訪れるかどうかが決まるのだと思います。そしてそれを担っているのがあなた方なのです。」
「私はあなた方の望みを自分のものとして受け入れ、その達成のために働きかけていきましょう。ですから、あなた方は大きな野望を抱いてください。大きな希望を抱いてください。あなたと、そして私たちの国のために。」

若い国ブータン、小さい国ブータン、これからの人類に希望の灯をかかげてほしいものです。「山紫水明 偉人を生む」という諺がありますが、ブータン王国は名君を生んでいます。王政から民主的な立憲君主制に変えたのも国王自らのリードによります。これは歴史上珍しい変革でした。
「ブータンは小さいが強い国です。」(4代国王)

(一) 政教一致だからできる
ブータンはチベット仏教の一つドック派を国教とする仏教国です。国王とジェ・ケンポ(大僧正)の地位は同格。GNHという理念、価値観にはこの宗教的背景があるといわれます。
田中敏恵氏のことば・・・
「ブータンではかつて家族からひとり僧侶として出家させるのが不文律のようになっていたという。今ではそこまでの割合で割合ではないにせよ、親戚まで含めた一族には僧侶になった者が必ずいるそうだ。寺院以外でも僧侶の姿はあちこちで見かけるし、彼らと一般大衆の距離も非常に近い。僧侶たちの生活がブータンの人々の生活のお手本であり、価値観に大きく影響を与えているのだ。」

今枝氏・・・
「ここが日本と一番大きく異なるところだと思うのですが、ブータンの僧侶は皆無所有で独身なのです。誰ひとり自分が所有する家屋を持っていません。持ち物といったら、腕時計とラジオ、懐中電灯に携帯電話、その程度でしょうか。他は着替えを2・3着、そんなものです。しかし、人々に尊重され同時に人々を感化する存在でもある。ブータンの人々は、たとえ豪華なものを所有していなくても、人は尊敬される存在になれるし、心の充足を得ることもできるのだということを実感しているのでしょう。身近な存在である僧侶たちを一つの手本として実質社会において生きる哲学や幸福について理解しているのだと思います。自分の一族に僧侶というお手本となる人がいる。そのことが精神的に大きな支えとなるのだと思います。

田中敏恵氏著書より
「仏教の教えがリアルであるということ。それは人々の暮らしを律し、人生観に影響を与えるのも確かであろう。ブータンでは、国王や首相の演説にも仏教の教えや用語が出てくることが非常に多い。身近な存在の僧侶、そして国を牽引する存在の王や首相もまた、信仰心の篤い仏教徒である。輪廻転生を信じる民は、来世での幸せを願い、現世で努めて善い行いをしようとし、進んで人を助け、徳を積む。そのような人生観は若者たちの心境にも大きく影響するだろう。」

国民の幸福という理念はどんな国家もそれを精神的柱にしているはずです。ただ、その実現を物質的豊かさ、経済成長に力を注いで来ているのが大半の国の現状です。その中で過度な経済発展に偏することなく、人間性の深い精神的な充足という幸福観を掲げるブータンは異色な存在だと思います。それは仏教という国教がバックボーンにあるからだと私は思うのです。

西田先生の講演のあと、個人的に二、三お伺いしました。
① 総人口における僧侶・尼僧の割合(資料がなく残念ながら不明とのこと)
② 僧侶と民衆の距離が近いということですが?
「はい、ブータンではしょっちゅう何かあるとお坊さんを呼んで集まりをしています。子供が生まれた、誰々が結婚した・・・色んな出来事があるとお坊さんに法会を営んでもらい村人みんなで会食をするんです。」
③ 一般の人も読経とかするのですか?
「はい、皆さんまじめです。仏壇を飾ることにお金をたくさんかけています。」
④ 小学校とか学校で仏教のことを教えているのですか?
「はい、宗教の時間が設けられています。」
⑤ ブータン語(ゾンガ語)で「ありがとう」とはどう言われますか?
 「“カディンチェ(ラ)”といいます。」
 (私は合掌しながら西田先生にお礼を申し上げました。
先生、今日はとてもよい勉強をしました。カディンチェラ!)

終わりに

私がブータンに心魅かれるのは個人的な理由も加わっています。私は終戦後外地(今の中国・天津市)から父の郷里である男鹿半島の加茂青砂という躃村に移り住みました。そこで3才から9才までの六年間暮らすことになります。当時加茂は前に日本海、後ろには険しい山がせまり近くの町に出るのは難業で「陸の孤島」といわれていました。学校は複式学級で二学年合わせて15~16人。学校の先生は小さい船に乗って赴任してきました。それを村の人が全員で浜辺に立って出迎えたものです。夏は海で泳ぎ、春秋には野山をかけめぐり、冬はそり遊びに興じた私の子ども時代は今思うと天国のようでした。村の生活は豊かではありませんでしたが、人の交わりは濃く、さまざまな人間ドラマに彩られていたと思います。加茂青砂という名のごとく海水の透明度は深く美しい岩砂の村です。今道路が整備され、街の人がこの地に第二の人生を求めて移り住む人も増えているとか。(私もお金があればセカンドハウスを建てたい。)

ブータンの人は自分たちを「天国に住む者たち」と言うそうですが、私はその気持ちがわかる気がします。大自然は時として苦しみをもたらしますが、その懐は深く、人の心を大きく抱擁してくれます。幸せの真髄がそこにあります。

まだ行ったことも、また、これからも行く可能性は全くありませんが、私の中にはブータンがありありと想像できるのです。


ポルカこと いしかわようこ

明けましておめでとうございます。

2012年03月22日 | なな色シスターズ
私たち「なな色シスターズ」の季刊誌は、次回3月末に編集することになりました。

一月遅らせることになりました!!

次回の記事は5月中旬ころのアップになるかと思います。


またの訪問をお待ちしています。

それまでは、リンクのメンバーのブログもご覧になってくだされば、嬉しく思います。


自在屋さんでの集い

2011年05月30日 | なな色シスターズ
5月28日協和町の自在屋にてなな色シスターズの会がありました。この日は小雨でした。緑が色濃くなんと綺麗だったことでしょう。黒文字の葉のにおいの芳しいこと!雨といっても、本当に小雨で、散策している間に止みはじめ、葉に溜まった水滴が雫となる様子を目の前で見て感動!雨もいいものです。

山菜はにかほ市の山にもありますが、自在屋で、協和の里山で川井さんと話しながら過ごすあの時間。タイムスリップしたかのような不思議な佇まいの大きな家。里山の食材の豊かさといったら!川井さんは次々に山菜の名前とどうやって食べるかなども教えてくれ、覚えきれずに何度も聞き直してしまいました。“あまどころ”サッと茹でてマヨネーズ、“うるい”おひたしや味噌汁。“ちょちょりこ”(山にんじん)など。また、訪れたいと思います。

自在屋では、午前中、自在屋の周辺里山を散策しながら山菜採り、それから自在屋に帰ると、川合さんが大きな木の板に自在屋に関するお題(クイズ)を書いたものをそれぞれ一人3,4枚持たされました。それは昔暮らしを知らないと答えられない問題ばかり。例えば

①うちにある蓑(みの)は何で作られているのか?
②壁や戸にある穴(直径12センチ程)は何のためのものか?
③囲炉裏の部屋に収納する場所があります。それはどこ?
④玄関の下の長方形のものは何?(床石)  ヒント:先祖は鉱山を持っていた。
⑤自在屋の簾の材料は?

答えは・・・ここで答えを書き込むと、このブログを読んで『自在屋』に行くことに決めた方の楽しみを取ってしまってはいけないので、こんな感じで。
①〇〇だの木 
②〇の通り穴 
③どこかに隠し〇が・・・。頑張って探してください。
④〇〇め
⑤山菜の一つ、”い〇〇り”

その後、いつもお昼のだまこ汁用に大きなすり鉢に大きなすりこぎでだまこ作りをします。お昼はだまこ汁と沢山の野菜中心のお料理に舌鼓をうちました。いつも食べきれないほどの量で、残りのお料理を持ち帰るタッパーとなべ(持参!)に詰めて、お土産。

それから、最近感動したこと気になったこと、報告したいことをそれぞれ話し、思いをシェアしました。
T・H:原発問題について関心を広めようとしていること(『六ヶ所村ラプソディ』の映写会と知人より配布の冊子『PKO法「雑則」を広める会』の紹介、今勉強中の原発についての本の紹介
E・S:被災地の支援に関わったこと(シュタイナーの勉強会での仲間、大潟村のS・Sさんが奔走してくれたとのこと)、東京のご友人がアロマサロンの仕事の合間をぬって被災地へボランティアへ行くと決めた話(ご友人のブログ
S・S:赤旗日曜新聞に掲載の「1900年以降に世界で起きた巨大地震の震源地と世界の原発所在地を重ねた地図」の紹介、小学校にヨミキカセボランティアで行っていること。絵本『カポックの木』アマゾンの木を切るのをやめた男の話の紹介
S・K:山川夫妻が昨年カミーノ秋田で講演をした際にもらったという直筆サイン入りカレンダー、以前原稿に書いたものに関する品(廃校になった小学校が作った校歌のオルゴール、初任の職場で出会った神父様のお写真)の紹介

それから、今回私(T・H)は木のポーズ(ヨガ)と、レイキでの天の気と地の気を体を通すというワーク(マクロビオティックの哲学にも通じる)をしました。Sさんが紹介してくれた絵本にも木が自然の象徴として扱われており、偶然のシンクロニシティを感じました。

秋田の里山の木々は気持ち良さ気に恵みの雨を浴びていました。

企画してくれたSさん、ありがとう。皆に会えて嬉しかったです。やはり、一年に一回くらい集まりたいと思いました。今回参加できなかったY・Ⅰさんにも本当にお会いしたかったです。一番年長で他のメンバーのことを優しく見守ってくれているY・Ⅰさんは4人にお揃いのかわいいティーカップをプレゼントしてくれました。

<編集:ひょうどうともこ>


なな色シスターズの集い

2011年05月29日 | なな色シスターズ
5月28日(土)久しぶりになな色シスターズの集いを持ちました。
場所は、協和町自在屋 50年前の暮らしを実践している川井さんご夫妻の自然体験塾です。

9時半に集合。小雨が降るなか、まずは野へ散策に出かけました。

あけび 花を見るのは初めてです。

うるい・・・おひたしが美味しいそうです。

日本の自然は、雨上がりが一番綺麗!川井さん+カッパ姿のなな色シスターズ

川井さんを囲んで♪

家に戻って、だまこ鍋作り。

かまどで炊いたご飯を使います。

よいしょ、よいしょ。大きなすり鉢で、お米をつぶします。

囲炉裏にかけられた鍋。魚も焼いていました。


川井さんの奥様、悦子さんが作ってくださったご馳走です。
うるい、うど、わらび、こごみ、たらのめに、あぶらこし・・・。素晴らしい山の恵みの品々に一同感激!
野菜のみでこれだけバラエティーに富んだ料理ができるとは、びっくりです。

野の花を入れて焼いたパンケーキ。形が綺麗に揃っています。優しい味がしました。

食事の後は、メンバーの皆さんの持ち寄りトピック紹介タイム。

トップバッターは、Tさん。
原発問題についてわかりやすく説明してある冊子を紹介してくれました。

原発や、再生可能エネルギーなどのテーマを扱った本、雑誌も持参。並べて見せてくれました。
よく勉強しています!刺激になるなぁ。

2番手は、Eさん。友人のエッセンスKさんの震災支援ボランティア活動について、サイトのコピーを手に説明しています。
エッセンスKさんのパワフルな活動があるのは、Eさんがネットワーク作りに一役買ったからですよね。
ひとりひとりの力が、大きな力につながる姿を見せてもらった気がします。

Sさん。なな色メールで書いた文章に関わるカレンダー、写真、オルゴールを持参してくれました。いつも温かい文章を書いてくれるSさん。ゆかりのある品々は、初めて見るものでも懐かしい気がします。

Sです。絵本『カポックの木』を紹介しました。アマゾンの熱帯雨林で、木を切ろうとした男の人に、森の生き物達が切らないでと語りに来る話。絵が魅力的です。
人間も地球の豊かな恵みを受けて生きているのだから、仲間の生き物たちと共存していきたい・・ことを、シンプルに伝えています。

Yさんがいらっしゃれなかったことを、残念に思います。
次回は、Yさんも交えて集いを持ちたいですね。
<報告者 しょうじせつこ>