(一) 博士の出世
私の愛する庭の博士こと、レットバトラーの近況をお伝えします。
去る5月8日、新店舗を持ちました。何とそれも株式会社として躍進の開店です。市民市場の近くで、鈴和商店の向かい。店の名前は前と同じ“百花展『花ごよみ』”(ひゃっかてん?百貨店の心意気でしょうか)。時折山野草の幟がひらめいています。山野草が博士の専門領域で生き字引(今ではコンピューター)並みの知識を持っておられます。
元の小さくて見すぼらしい店で商売が成り立つのか、私は人知れず案じてきました。「ウチの見せは車を持たぬ年輩の婦人層」「一回500円か2000円止まりの買い物をする人だけ」「オレは全然もうけようと考えない、店の貸借料とパート店員の給料とオレの飲み代月10万あればいい」という無欲さ。
ところがです。世の中は面白いですね。強力なパトロンがついていたのです。秋田で一・二の会員を擁する茶道の家元とのご縁が出来ました。茶花を提供するというつながりが生じました。茶席に用いられる茶花は特殊な世界です。普通の花やさんの流通機構からはみ出す特殊なものらしいです。山野草を育てている博士が脚光を浴びるようになったわけです。例えばこの二月90歳の誕生日を迎える家元の盛大なお祝い茶会が開かれました。某ホテルで一千人招待のものです。さあ茶花の注文が一年前から入りました。「延齢草」の氏名です。茶会の主旨にそった重大な役割をもちます。博士の出番です。秋田で最も寒さが厳しい二月○日7・8分咲きの8を育てなくてはならない。一鉢だけでは失敗も伴うので五鉢準備し、冬ストーブの暖を借りたりしながら無事納入する。謝礼は大きい。「ケタが一つ違うんだ。」
百花展「花ごよみ」の新店舗もユニークな造りです。茶花提供の店らしく半分高くした畳敷きの空間を設け、そこで茶の湯もできる形です。床の間茶道具も準備され博士流!?の茶花が飾られる。あと半分はテーブルとイスのサロン風。イスに腰掛けて博士の人間コンピュータ講義を伺うことになります。扱う商品は花のほかに野菜と骨董品(二回に山ほど積まれているらしいですがまだ整理がついていないとの事)野菜は博士こだわりの有機栽培で自信まんまん。ちなみに店は会員制です。会員の紹介によって加入できるしくみですが、会員でなくてもフラリ店に行って買うことも可能。(休日:水曜・日曜)
博士は朝早く起きては畑仕事。社長兼、百姓兼、山野草栽培家。週一回会員宅に野菜や花の宅配。八面六臂の大活躍です。「オレの骨密度は軽く100をオーバーしているんだ。検査すると測定不能と出るんだ。ハハハ」野生型レットバトラーの面目躍如ではありませんか!
店の入り口に愉快な木彫りの看板がかかっています。「宮内庁御用無」大家さんの作品らしいですが、博士お気に入りの立て札です。先日伺った時は玉ねぎとニンニクがインテリアのようにぶら下がっていましたが、葉物野菜は並べていません。段ボール箱に入れておくそうです。鮮度を保つためですね。
(二)わが道を行こう
博士の動きを拝見しておりますとオリジナルな生き方が輝いて見えます。不景気が叫ばれる今の日本ですが、博士のような元気な人もいるのです。人マネでなく、自分の得意分野で株式会社を起こし―――(もっとも一円あると株式会社は設立できるとか)―――花と野菜と骨董品で自分も人も喜ぶ道を歩いています。愛するレットバトラーをますます応援したくなります。
最近、山川亜希子さんの新しい本を読みました。『宇宙で唯一の自分を大切にする方法』(To you only one in the World)大和書房
「あなたはこの世界にたった一人しかいないかけがえのない存在です。この世界で余計な人は一人もいません。誰もがそれぞれに自分の、自分にしかできない生き方をするためにここにいるのです」
オンリーワンとはよく言われますが、ようやくストンと心の中に入るようになりました。ダメなところ一杯あるけど私はOnly One。どこを見ても私と同じ人はいない。神さまはそのように一人ひとりを創り、限りない愛のシャワーを注いで生かして下さっている。何というありがたさ。何というよろこび。自分も人も、みんなを抱きしめたい。人間っていいなあ!
いしかわようこ
私の愛する庭の博士こと、レットバトラーの近況をお伝えします。
去る5月8日、新店舗を持ちました。何とそれも株式会社として躍進の開店です。市民市場の近くで、鈴和商店の向かい。店の名前は前と同じ“百花展『花ごよみ』”(ひゃっかてん?百貨店の心意気でしょうか)。時折山野草の幟がひらめいています。山野草が博士の専門領域で生き字引(今ではコンピューター)並みの知識を持っておられます。
元の小さくて見すぼらしい店で商売が成り立つのか、私は人知れず案じてきました。「ウチの見せは車を持たぬ年輩の婦人層」「一回500円か2000円止まりの買い物をする人だけ」「オレは全然もうけようと考えない、店の貸借料とパート店員の給料とオレの飲み代月10万あればいい」という無欲さ。
ところがです。世の中は面白いですね。強力なパトロンがついていたのです。秋田で一・二の会員を擁する茶道の家元とのご縁が出来ました。茶花を提供するというつながりが生じました。茶席に用いられる茶花は特殊な世界です。普通の花やさんの流通機構からはみ出す特殊なものらしいです。山野草を育てている博士が脚光を浴びるようになったわけです。例えばこの二月90歳の誕生日を迎える家元の盛大なお祝い茶会が開かれました。某ホテルで一千人招待のものです。さあ茶花の注文が一年前から入りました。「延齢草」の氏名です。茶会の主旨にそった重大な役割をもちます。博士の出番です。秋田で最も寒さが厳しい二月○日7・8分咲きの8を育てなくてはならない。一鉢だけでは失敗も伴うので五鉢準備し、冬ストーブの暖を借りたりしながら無事納入する。謝礼は大きい。「ケタが一つ違うんだ。」
百花展「花ごよみ」の新店舗もユニークな造りです。茶花提供の店らしく半分高くした畳敷きの空間を設け、そこで茶の湯もできる形です。床の間茶道具も準備され博士流!?の茶花が飾られる。あと半分はテーブルとイスのサロン風。イスに腰掛けて博士の人間コンピュータ講義を伺うことになります。扱う商品は花のほかに野菜と骨董品(二回に山ほど積まれているらしいですがまだ整理がついていないとの事)野菜は博士こだわりの有機栽培で自信まんまん。ちなみに店は会員制です。会員の紹介によって加入できるしくみですが、会員でなくてもフラリ店に行って買うことも可能。(休日:水曜・日曜)
博士は朝早く起きては畑仕事。社長兼、百姓兼、山野草栽培家。週一回会員宅に野菜や花の宅配。八面六臂の大活躍です。「オレの骨密度は軽く100をオーバーしているんだ。検査すると測定不能と出るんだ。ハハハ」野生型レットバトラーの面目躍如ではありませんか!
店の入り口に愉快な木彫りの看板がかかっています。「宮内庁御用無」大家さんの作品らしいですが、博士お気に入りの立て札です。先日伺った時は玉ねぎとニンニクがインテリアのようにぶら下がっていましたが、葉物野菜は並べていません。段ボール箱に入れておくそうです。鮮度を保つためですね。
(二)わが道を行こう
博士の動きを拝見しておりますとオリジナルな生き方が輝いて見えます。不景気が叫ばれる今の日本ですが、博士のような元気な人もいるのです。人マネでなく、自分の得意分野で株式会社を起こし―――(もっとも一円あると株式会社は設立できるとか)―――花と野菜と骨董品で自分も人も喜ぶ道を歩いています。愛するレットバトラーをますます応援したくなります。
最近、山川亜希子さんの新しい本を読みました。『宇宙で唯一の自分を大切にする方法』(To you only one in the World)大和書房
「あなたはこの世界にたった一人しかいないかけがえのない存在です。この世界で余計な人は一人もいません。誰もがそれぞれに自分の、自分にしかできない生き方をするためにここにいるのです」
オンリーワンとはよく言われますが、ようやくストンと心の中に入るようになりました。ダメなところ一杯あるけど私はOnly One。どこを見ても私と同じ人はいない。神さまはそのように一人ひとりを創り、限りない愛のシャワーを注いで生かして下さっている。何というありがたさ。何というよろこび。自分も人も、みんなを抱きしめたい。人間っていいなあ!
いしかわようこ
以前にSさん紹介の佐々木正美先生の本『完・子どもへのまなざし』を読みました。シリーズの前作二冊も再読しました。日本社会のあり方に厳しい警告が示唆されています。
★現代の発展した国ほど個人主義が幅を利かせており、お互い相手に対する責任を持ちたくないので、干渉を嫌い深い関係を避け、犯罪においてすら“自由”となっている。
★小さい子どもたちがままごとをするとお母さん役が存在せず、果たして始まったおままごとの登場人物たちは各々好きなことをしている。
★お母さんが中心になって担う子育ても“虐待”という問題が著しく増えています。(高齢者に対しても同じく)
★核家族家庭、同居家庭に関係なくそれぞれにある短所が現れている。それは大人が“自分が愛されたい”という存在であり、そのままの子どもを愛せない状態にあるからだというのです。人を信じる力が弱く、“ひきこもり”、“コミュニケーション能力の低下”が生じているのは家庭内で安心して本音を言えない状況だからと。
著者の佐々木正美先生は児童精神科医です。人間の成長について、エリクソンのライフサイクルモデルを引用しています。シュタイナー教育での発達段階と共通しており、とても納得させられました。
乳幼児期は愛される喜びを与える時期です。その時期にありのままを受け入れられた、愛されたという実感のある、母性性が十分に与えられた子どもにしか次の父性性(社会的規律)が伝わっていかないというのです。私たちはつい子どもの将来のことを心配してあれもこれもできる子になってほしいと望みますが、今幸福でない子どもに将来の夢や希望を明るく描くなどできないと。
子どもは近くにいる大人の影響を受けます。“子供は親の鏡”と言います。我が家の子どもたちを見ていると本当にそう思います。自分の悪いところが見えてハッとする時があります。「子どもが思いやりのある関りを周りの人間と持てているのか?」それは、私たち大人が人の不幸を共に悲しみ、喜びを一緒に喜べているか、相手のことを思いやって生きているのかによります。本当に自律した大人というのは、うんと迷惑をかけることができる人を沢山持っていて、相手からも迷惑をかけられることを受け入れることができるものとのこと。
「人間は人との交わりによって不安はなくなるのです。配偶者から失いたくない存在だと思われていれば自分に十分自信を持てる。自分を信じる事ができれば夫婦という関係だけでなく他の人も信じることができるものである。その結果、友人や知人に恵まれ、さらに自分に対しての自信が育つ。」 「母親が育児に肯定的になれるかなれないかはこのことがとても大切でいくら夫が育児に協力的だとしても、夫婦がお互いに尊敬し合い大切に思い合っていない家庭は育児も上手くいかないのです。」佐々木先生の本より・・・。
それから健康な家庭では父親がイニシアティブを持っているものだと著書にありました。父性が薄いと母親が父性を満たそうと女性らしくない関わり方となってくるともあります。我が家も正にその有様でした。私は家庭内を仕切っているつもりでしたが、私の強い態度は反発を招き家庭内の平和を乱していたようです。夫から家族が求めているのはスーパーウーマンでなく、女性らしさや母性のある母親だと言われました。
<エリック・H・エリクソンのライフサイクルモデル>
発達課題
Ⅰ 乳児期「基本的信頼」 愛情を受けて育つ事で人を信じることができるようになる
Ⅱ 幼児期(2-4歳)「自立性」 体の排泄や清潔への欲求を穏やかにくり返し教えること。自尊感情を傷つけてはいけない。→自己卑下、劣等感、敵意、拒否感情へつながる
Ⅲ 児童期(4-7歳)「自主性」 いたずらは実験。遊びは共感する心。
Ⅳ 学童期(小学校)「勤勉性」 社会のルールを守り、社会的役割、責任を果たし生きる。友だちと教えあう喜び。お互いに育ち合っていく。(健全に経過するには前期3項目の課題をしっかりと根っこに持っていること)
Ⅴ 思春期(13-17歳)「アイデンティティー」 “自分というものはこういうもの”の実感“アイデンティティーの確立”時期。価値観を共有できる友だちを持つ;自分の中に取り込みたくなるような人との出会いで成長する
Ⅵ 成人期 「親密性」(前提に自己の確立が必要)
他者とお互いに対等の関係で交わる人間関係の営みをもつこと
自分を懸けるほどに信頼できる人と出会った時人は生き生きといきることができる(生産性、創造性・・・社会的貢献)
Ⅶ 壮年期 「世代性」
次の世代に先人から受け継いだ文化、技術、思想などを自分が生きてきた証として実践してきた事を加え、教え伝えていく(人間社会の倫理)
(現代の日本社会では家庭、地域社会の崩壊により古いものを伝えていくことがなく、幸福な壮年期が送れないでいる
Ⅷ 老年期 「統合」
健全な壮年期を送った後、自分の老いを受容し、宇宙の秩序の中に生を受けたこの人生を幸福だったと思うことができる
(あなたは今どの時期ですか?)
今は皆自己中心でわがままになっているのではないでしょうか。“クレーマー”が増えているという話も数年前から聞きます。本書でも自分の要望が通らないと文句を言う、他人と一緒にくつろぐ事ができない人間が多くなっているとあります。子どもを地域やスポ少やボランティア活動など色んな場へ連れ出し、自分たち家族以外の家族と一緒にレジャーを楽しむなど、多くの人と関わりを持つのがいいとのこと。学童期は友だちと学び合うことが大事なのです。
“家庭の役割”
1・ ありのままの自分を安心してさらけ出せる場であるということ・・・母性性
2・ 人は何のために生きるのか、どういう価値観をもって生きていくのか、どういう理想を持つべきかなど考えていく(家庭内の主義・ルール・規程)・・・父性性
たとえ片親であろうとも、これがしっかりしていれば大丈夫でしょうし、また、家庭内の二人以上の大人の考えがバラバラでまとまりなく、しかも反目しあっているようでは誰も幸せになれないのです。これから私は家族それぞれのいい所を認めていきたいと思います。自分ばかり頑張ろうとせず他の家族の力も上手に借りて支えあいたいです。特に子どもたちには、彼らの長所を感じ取って本人たちに伝え、気付かせてあげたいです。
ひょうどうともこ
★現代の発展した国ほど個人主義が幅を利かせており、お互い相手に対する責任を持ちたくないので、干渉を嫌い深い関係を避け、犯罪においてすら“自由”となっている。
★小さい子どもたちがままごとをするとお母さん役が存在せず、果たして始まったおままごとの登場人物たちは各々好きなことをしている。
★お母さんが中心になって担う子育ても“虐待”という問題が著しく増えています。(高齢者に対しても同じく)
★核家族家庭、同居家庭に関係なくそれぞれにある短所が現れている。それは大人が“自分が愛されたい”という存在であり、そのままの子どもを愛せない状態にあるからだというのです。人を信じる力が弱く、“ひきこもり”、“コミュニケーション能力の低下”が生じているのは家庭内で安心して本音を言えない状況だからと。
著者の佐々木正美先生は児童精神科医です。人間の成長について、エリクソンのライフサイクルモデルを引用しています。シュタイナー教育での発達段階と共通しており、とても納得させられました。
乳幼児期は愛される喜びを与える時期です。その時期にありのままを受け入れられた、愛されたという実感のある、母性性が十分に与えられた子どもにしか次の父性性(社会的規律)が伝わっていかないというのです。私たちはつい子どもの将来のことを心配してあれもこれもできる子になってほしいと望みますが、今幸福でない子どもに将来の夢や希望を明るく描くなどできないと。
子どもは近くにいる大人の影響を受けます。“子供は親の鏡”と言います。我が家の子どもたちを見ていると本当にそう思います。自分の悪いところが見えてハッとする時があります。「子どもが思いやりのある関りを周りの人間と持てているのか?」それは、私たち大人が人の不幸を共に悲しみ、喜びを一緒に喜べているか、相手のことを思いやって生きているのかによります。本当に自律した大人というのは、うんと迷惑をかけることができる人を沢山持っていて、相手からも迷惑をかけられることを受け入れることができるものとのこと。
「人間は人との交わりによって不安はなくなるのです。配偶者から失いたくない存在だと思われていれば自分に十分自信を持てる。自分を信じる事ができれば夫婦という関係だけでなく他の人も信じることができるものである。その結果、友人や知人に恵まれ、さらに自分に対しての自信が育つ。」 「母親が育児に肯定的になれるかなれないかはこのことがとても大切でいくら夫が育児に協力的だとしても、夫婦がお互いに尊敬し合い大切に思い合っていない家庭は育児も上手くいかないのです。」佐々木先生の本より・・・。
それから健康な家庭では父親がイニシアティブを持っているものだと著書にありました。父性が薄いと母親が父性を満たそうと女性らしくない関わり方となってくるともあります。我が家も正にその有様でした。私は家庭内を仕切っているつもりでしたが、私の強い態度は反発を招き家庭内の平和を乱していたようです。夫から家族が求めているのはスーパーウーマンでなく、女性らしさや母性のある母親だと言われました。
<エリック・H・エリクソンのライフサイクルモデル>
発達課題
Ⅰ 乳児期「基本的信頼」 愛情を受けて育つ事で人を信じることができるようになる
Ⅱ 幼児期(2-4歳)「自立性」 体の排泄や清潔への欲求を穏やかにくり返し教えること。自尊感情を傷つけてはいけない。→自己卑下、劣等感、敵意、拒否感情へつながる
Ⅲ 児童期(4-7歳)「自主性」 いたずらは実験。遊びは共感する心。
Ⅳ 学童期(小学校)「勤勉性」 社会のルールを守り、社会的役割、責任を果たし生きる。友だちと教えあう喜び。お互いに育ち合っていく。(健全に経過するには前期3項目の課題をしっかりと根っこに持っていること)
Ⅴ 思春期(13-17歳)「アイデンティティー」 “自分というものはこういうもの”の実感“アイデンティティーの確立”時期。価値観を共有できる友だちを持つ;自分の中に取り込みたくなるような人との出会いで成長する
Ⅵ 成人期 「親密性」(前提に自己の確立が必要)
他者とお互いに対等の関係で交わる人間関係の営みをもつこと
自分を懸けるほどに信頼できる人と出会った時人は生き生きといきることができる(生産性、創造性・・・社会的貢献)
Ⅶ 壮年期 「世代性」
次の世代に先人から受け継いだ文化、技術、思想などを自分が生きてきた証として実践してきた事を加え、教え伝えていく(人間社会の倫理)
(現代の日本社会では家庭、地域社会の崩壊により古いものを伝えていくことがなく、幸福な壮年期が送れないでいる
Ⅷ 老年期 「統合」
健全な壮年期を送った後、自分の老いを受容し、宇宙の秩序の中に生を受けたこの人生を幸福だったと思うことができる
(あなたは今どの時期ですか?)
今は皆自己中心でわがままになっているのではないでしょうか。“クレーマー”が増えているという話も数年前から聞きます。本書でも自分の要望が通らないと文句を言う、他人と一緒にくつろぐ事ができない人間が多くなっているとあります。子どもを地域やスポ少やボランティア活動など色んな場へ連れ出し、自分たち家族以外の家族と一緒にレジャーを楽しむなど、多くの人と関わりを持つのがいいとのこと。学童期は友だちと学び合うことが大事なのです。
“家庭の役割”
1・ ありのままの自分を安心してさらけ出せる場であるということ・・・母性性
2・ 人は何のために生きるのか、どういう価値観をもって生きていくのか、どういう理想を持つべきかなど考えていく(家庭内の主義・ルール・規程)・・・父性性
たとえ片親であろうとも、これがしっかりしていれば大丈夫でしょうし、また、家庭内の二人以上の大人の考えがバラバラでまとまりなく、しかも反目しあっているようでは誰も幸せになれないのです。これから私は家族それぞれのいい所を認めていきたいと思います。自分ばかり頑張ろうとせず他の家族の力も上手に借りて支えあいたいです。特に子どもたちには、彼らの長所を感じ取って本人たちに伝え、気付かせてあげたいです。
ひょうどうともこ
5月、Sさんがブログで教会での唄野夫妻(カトリック信者の方)のお話会のこと、そして夫婦間のワークを紹介していました。
① 相手の話を聞くワーク:夫(妻)にどんな話をしたいか?
20分かけて相手に伝え、それをリピートしてもらい相手の理解を確認するというもの。(理解してもらえたと納得するまで繰り返す)
② 相手が素敵になる事を大事にし合う。→相手が何をしている姿を一番素敵と思うか?
相手にいつまでもイイ男、イイ女でいてもらうために。「日本の女性は妻である前に母となり、夫を顧みなくなる事が多いが素敵な所をいっぱい褒め、好きなものを作ってあげたり、夫の大切な人や物を大事にしてあげては?」メールで夫の態度を愚痴った私にSさんがアドバイスしてくれた言葉です。
図書館で佐々木先生の本を借りる際、同じ棚に並んでいた日野原重明先生の本『テンダー・ラブ』も借りていました。何気なく手に取った本でしたが、日野原先生の著書は小さい本ながらとても内容が濃いものでした。ホスピス病院での実際の例の他にも彼の博識ぶりと優しい文に感動させられました。ちょっと文中から抜粋し紹介したいと思います。
★ テンダー・ラブ:自分の幸福を考えるよりも、自分に何ができるかをまず考えること
★ 愛するということにはまず自分をよく知ることである エーリッヒ・フロム
★ 愛を感じられなくなった夫婦へ
愛には、与える愛と受ける愛とがあり、愛はその二つの思いと行動のバランスのなかに成り立つものです。コップに水を注ぐことなくしてコップに水を受けることばかりをしておれば、容器はだんだんひからびたものになってしまいます。クリスタル・ガラスのように透明だった心の器も、不透明な重い陶器のようになって、あなた自身にも自分の心が透けて見えなくなります。
あなたが愛に飢えてやるせない気持ちになったとき、もう一度あなた自身、すなわち内なるあなたのなかで会話をしてみてください。どんなに日常の仕事や家庭内の雑事で忙しい思いをもつ方でも、朝、目覚めたひととき、または夜のひととき、床の中で眼をつむったまま、深い息を数回繰り返してから内なる自分に問いかけてみてください。自分は本当に愛を相手に注いでいたかと。自分は、愛の息吹で相手の心を満たすことよりも、受けることばかりを考えてはいなかったかと。(中略)しばらく相手から離れて自分の行動を反省してみてください。そのためには自分に語りかけをする時間をもつことが大切です。(ひとときでも瞑想できる時間を意識して探す努力をすること。)
★ アン・モロウ・リンドバーグ夫人の『海からの贈り物』が紹介されていました。
「女はそれとは反対に、一人で静かに時間を過ごすとか、ゆっくりものを考えるとか、お祈りとか、音楽とか、その他、読書でも、勉強でも、仕事でも、自分を内部に向かわせて、今日の世界に働いている各種の遠心的な力に抵抗するものを求めなければならない。それは体を使ってすることでも、知的なことでも、芸術的なことでも、自分に創造的な生き方をさせるものなら何でも構わないのである。それは大規模な仕事や計画でなくてもいいが、自分でやるものでなくてはならなくて、朝、花瓶一つに花を活けるのは、詩を一つ書いたり、一度だけでもお祈りするのと同様に、忙しい一日の間、或る静かな気持ちを失わずにいる結果になることもある。要するに、少しでも自分の内部に注意を向ける時間があることが大切なのである。」(「つめた貝」より)
★ 年を重ねるにつれて夫婦が互いにもつ信念を理解し、互いに尊敬し合う気持ちが次第に深くなれば、同じ山の頂上を目指して登山する同志のような人生のパートナーとしての関係を続けることができます。夫婦生活が長くなるにつれ、最初は互いに向き合って話す時間がありましょうが、子どもができたり、会社の仕事が増えて、朝は早く帰りは遅くなるにつれ、夫婦の向き合う時間が少なくなっていきます。
⇒ サン・テグジュペリ:「愛というものは、互いに相手の顔を眺め合っているものではなくて、同じ方向に二人で一緒に目を向けることなのである。」
⇒ アン・モロウ・リンドバーグ:「夫と妻とが一緒に同じ方向を眺めているだけでなしに、外の世界に向かっても別々のことをしながらも、心は一つにして社会に繋がりをもち、二人は本格的に人間の社会の一部となることが大切だ」
それから、私は数年前からフラワーエッセンスやチャクラの話のメルマガをヒーラーの方から取っています。ハンズオンヒーリングの王由依さんのメルマガです。
その中に愛情を司るハート・チャクラについてのワーク、「自分自身のこだわりや憤りを解いて、その経験や相手を自分の胸の中に受け入れるスペースを作ったり、相手を許して手放すように努める。」がありました。「自分と意見の違う人を受け入れられない」「強い競争心や嫉妬心を感じる」「自分と異なる相手(人種、文化、性別等)に偏見を持ってしまう」などは、ハート・チャクラのストレッチが必要なサイン。ハートのテーマを扱うフラワーエッセンスを併用するのも効果的とのこと。
「私たちのハートも、つらさや困難に出会い、それを克服していくことで強くなっていく。好きなものを愛することはやさしい。しかし、好きではない相手を、なお人間として受け入れるよう努めることで、ハートはもう少し大きく、もう少し大人になっていく。過去に自分を傷つけた相手を許し、手放すことで、ハートはもう少し深さを増す。
本物の勇気は、恐れを克服することでしか身につかない。ハートも、人生でのさまざまな経験を通して傷つき、そしてそこから回復することで、いっそう強く、大きく、しなやかになっていくのだ。これがハートの持つ変容の力であり、人間として地上に生きることの意味でもある。」メルマガより抜粋文。
今回の記事を書くのがすでに今の私にとってワークとなったようです。これから周りの人を大切にしながら生きていこうと思います。チャクラ・セルフ・ヒーリングの本も数年前に買ったものをまだ読んでいなかったものもあり、行っていく予定です。
ひょうどうともこ
① 相手の話を聞くワーク:夫(妻)にどんな話をしたいか?
20分かけて相手に伝え、それをリピートしてもらい相手の理解を確認するというもの。(理解してもらえたと納得するまで繰り返す)
② 相手が素敵になる事を大事にし合う。→相手が何をしている姿を一番素敵と思うか?
相手にいつまでもイイ男、イイ女でいてもらうために。「日本の女性は妻である前に母となり、夫を顧みなくなる事が多いが素敵な所をいっぱい褒め、好きなものを作ってあげたり、夫の大切な人や物を大事にしてあげては?」メールで夫の態度を愚痴った私にSさんがアドバイスしてくれた言葉です。
図書館で佐々木先生の本を借りる際、同じ棚に並んでいた日野原重明先生の本『テンダー・ラブ』も借りていました。何気なく手に取った本でしたが、日野原先生の著書は小さい本ながらとても内容が濃いものでした。ホスピス病院での実際の例の他にも彼の博識ぶりと優しい文に感動させられました。ちょっと文中から抜粋し紹介したいと思います。
★ テンダー・ラブ:自分の幸福を考えるよりも、自分に何ができるかをまず考えること
★ 愛するということにはまず自分をよく知ることである エーリッヒ・フロム
★ 愛を感じられなくなった夫婦へ
愛には、与える愛と受ける愛とがあり、愛はその二つの思いと行動のバランスのなかに成り立つものです。コップに水を注ぐことなくしてコップに水を受けることばかりをしておれば、容器はだんだんひからびたものになってしまいます。クリスタル・ガラスのように透明だった心の器も、不透明な重い陶器のようになって、あなた自身にも自分の心が透けて見えなくなります。
あなたが愛に飢えてやるせない気持ちになったとき、もう一度あなた自身、すなわち内なるあなたのなかで会話をしてみてください。どんなに日常の仕事や家庭内の雑事で忙しい思いをもつ方でも、朝、目覚めたひととき、または夜のひととき、床の中で眼をつむったまま、深い息を数回繰り返してから内なる自分に問いかけてみてください。自分は本当に愛を相手に注いでいたかと。自分は、愛の息吹で相手の心を満たすことよりも、受けることばかりを考えてはいなかったかと。(中略)しばらく相手から離れて自分の行動を反省してみてください。そのためには自分に語りかけをする時間をもつことが大切です。(ひとときでも瞑想できる時間を意識して探す努力をすること。)
★ アン・モロウ・リンドバーグ夫人の『海からの贈り物』が紹介されていました。
「女はそれとは反対に、一人で静かに時間を過ごすとか、ゆっくりものを考えるとか、お祈りとか、音楽とか、その他、読書でも、勉強でも、仕事でも、自分を内部に向かわせて、今日の世界に働いている各種の遠心的な力に抵抗するものを求めなければならない。それは体を使ってすることでも、知的なことでも、芸術的なことでも、自分に創造的な生き方をさせるものなら何でも構わないのである。それは大規模な仕事や計画でなくてもいいが、自分でやるものでなくてはならなくて、朝、花瓶一つに花を活けるのは、詩を一つ書いたり、一度だけでもお祈りするのと同様に、忙しい一日の間、或る静かな気持ちを失わずにいる結果になることもある。要するに、少しでも自分の内部に注意を向ける時間があることが大切なのである。」(「つめた貝」より)
★ 年を重ねるにつれて夫婦が互いにもつ信念を理解し、互いに尊敬し合う気持ちが次第に深くなれば、同じ山の頂上を目指して登山する同志のような人生のパートナーとしての関係を続けることができます。夫婦生活が長くなるにつれ、最初は互いに向き合って話す時間がありましょうが、子どもができたり、会社の仕事が増えて、朝は早く帰りは遅くなるにつれ、夫婦の向き合う時間が少なくなっていきます。
⇒ サン・テグジュペリ:「愛というものは、互いに相手の顔を眺め合っているものではなくて、同じ方向に二人で一緒に目を向けることなのである。」
⇒ アン・モロウ・リンドバーグ:「夫と妻とが一緒に同じ方向を眺めているだけでなしに、外の世界に向かっても別々のことをしながらも、心は一つにして社会に繋がりをもち、二人は本格的に人間の社会の一部となることが大切だ」
それから、私は数年前からフラワーエッセンスやチャクラの話のメルマガをヒーラーの方から取っています。ハンズオンヒーリングの王由依さんのメルマガです。
その中に愛情を司るハート・チャクラについてのワーク、「自分自身のこだわりや憤りを解いて、その経験や相手を自分の胸の中に受け入れるスペースを作ったり、相手を許して手放すように努める。」がありました。「自分と意見の違う人を受け入れられない」「強い競争心や嫉妬心を感じる」「自分と異なる相手(人種、文化、性別等)に偏見を持ってしまう」などは、ハート・チャクラのストレッチが必要なサイン。ハートのテーマを扱うフラワーエッセンスを併用するのも効果的とのこと。
「私たちのハートも、つらさや困難に出会い、それを克服していくことで強くなっていく。好きなものを愛することはやさしい。しかし、好きではない相手を、なお人間として受け入れるよう努めることで、ハートはもう少し大きく、もう少し大人になっていく。過去に自分を傷つけた相手を許し、手放すことで、ハートはもう少し深さを増す。
本物の勇気は、恐れを克服することでしか身につかない。ハートも、人生でのさまざまな経験を通して傷つき、そしてそこから回復することで、いっそう強く、大きく、しなやかになっていくのだ。これがハートの持つ変容の力であり、人間として地上に生きることの意味でもある。」メルマガより抜粋文。
今回の記事を書くのがすでに今の私にとってワークとなったようです。これから周りの人を大切にしながら生きていこうと思います。チャクラ・セルフ・ヒーリングの本も数年前に買ったものをまだ読んでいなかったものもあり、行っていく予定です。
ひょうどうともこ
最近心に響いた詩を紹介します。
~ひかりの場所をつくりなさいーグレース大聖堂からのメッセージ~
ひかりの場所を、つくりなさい。
なぐさめと、よろこびと、苦しみと、悲しみがつどう場所を。
そこで、だれかが羽をやすめ、また他のだれかが飛び立ってゆける場所を。
あなたから生まれたものは、その人の一部をなし、それらの人は、
やがておのおのの役割を果たすようになるでしょう。
すべての感情は、大事なものです。
悲しみも、苦しみも、怒りも、いずれもが、木々のように、水のように
自然でうつくしさをはらんでいることを思い出して。
だから歩き続けなさい。
あなたが不得手なことは、他の誰かが助けてくれるでしょう。
いま、つながっている人たちが、あなたのことを助けてくれるでしょう。
だから、苦手なことはそのひとたちの手を借りて、
あなたは自分の得意なことに目を向けなさい。
努力はしなくてよいのです。
あなたがひかりの場所をつくるとき、多くのひとが、力をかしてくれるでしょう。
あなたの不完全さは、すでに調和の一部をなしているのです。
だから、与え続けなさい。
天から与えられた才能を、人の役立つように。
あなたの後ろには、幾多のひとがおり、あなたを守っているのです。
守られている、だから恐れず前にすすみなさい。
ひたすらにあなたの役割を果たし続けなさい。
あなたとあなたの夫が結びついたのは、すべてのことを可能にするためです。
(廣瀬裕子さんのブログよりご友人がサンフランシスコのグレース大聖堂にて受け取った詩)
この詩を知ったのは、秋田でほんのちょっとの関わりしかなかったけど、とっても素敵な子育てライフを実践しているNさんのブログ『Happy natuRaku life』をたまに読ませていただいているからでした。
もう一つ心に響いた詩を紹介します。
辛いことが多いのは
感謝を知らないから
苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるから
悲しいことが多いのは
自分のことしか分からないから
心配事が多いのは
今を懸命に生きていないから
行き詰まりが多いのは
自分が裸になれないから
この詩は、最近ある二箇所の場で私に降ってきました。
職場の事務所で見かけて、ハッとした。その数日後、ネットの中で知人のフェイスブック内で紹介されていて・・・。
辛い辛いと嘆くのは、今ある幸せに気づいて感謝をするのを忘れているから。
そう気づかされました。
ひょうどうともこ
~ひかりの場所をつくりなさいーグレース大聖堂からのメッセージ~
ひかりの場所を、つくりなさい。
なぐさめと、よろこびと、苦しみと、悲しみがつどう場所を。
そこで、だれかが羽をやすめ、また他のだれかが飛び立ってゆける場所を。
あなたから生まれたものは、その人の一部をなし、それらの人は、
やがておのおのの役割を果たすようになるでしょう。
すべての感情は、大事なものです。
悲しみも、苦しみも、怒りも、いずれもが、木々のように、水のように
自然でうつくしさをはらんでいることを思い出して。
だから歩き続けなさい。
あなたが不得手なことは、他の誰かが助けてくれるでしょう。
いま、つながっている人たちが、あなたのことを助けてくれるでしょう。
だから、苦手なことはそのひとたちの手を借りて、
あなたは自分の得意なことに目を向けなさい。
努力はしなくてよいのです。
あなたがひかりの場所をつくるとき、多くのひとが、力をかしてくれるでしょう。
あなたの不完全さは、すでに調和の一部をなしているのです。
だから、与え続けなさい。
天から与えられた才能を、人の役立つように。
あなたの後ろには、幾多のひとがおり、あなたを守っているのです。
守られている、だから恐れず前にすすみなさい。
ひたすらにあなたの役割を果たし続けなさい。
あなたとあなたの夫が結びついたのは、すべてのことを可能にするためです。
(廣瀬裕子さんのブログよりご友人がサンフランシスコのグレース大聖堂にて受け取った詩)
この詩を知ったのは、秋田でほんのちょっとの関わりしかなかったけど、とっても素敵な子育てライフを実践しているNさんのブログ『Happy natuRaku life』をたまに読ませていただいているからでした。
もう一つ心に響いた詩を紹介します。
辛いことが多いのは
感謝を知らないから
苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるから
悲しいことが多いのは
自分のことしか分からないから
心配事が多いのは
今を懸命に生きていないから
行き詰まりが多いのは
自分が裸になれないから
この詩は、最近ある二箇所の場で私に降ってきました。
職場の事務所で見かけて、ハッとした。その数日後、ネットの中で知人のフェイスブック内で紹介されていて・・・。
辛い辛いと嘆くのは、今ある幸せに気づいて感謝をするのを忘れているから。
そう気づかされました。
ひょうどうともこ
「もの」から「心」へ。物質的な豊かさから、精神面での充実に価値を置く時代を迎えていると言われている。それをアカデミックに説明してくれる本に出会った。広井良典氏の著作『創造的福祉社会―「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』ちくま新書2011年。
広井氏は、過去人類は、特定の社会構造が拡大・成長を遂げたのち環境や資源の制約に行き着くと、「定常化」(拡大をやめて留まると私は理解した)を始め、ベクトルを社会の内面に向けて文化的な充実期を迎えるという仮説をたてている。狩猟・採集時代、農耕社会の時代にもそれぞれ「拡大」と「定常化」の時代があり、定常化の時代にさまざまな宗教や文化的に素晴らしい産物がもたらされたという。
最初の定常化時代は、狩猟・採集時代の「心のビッグバン」。今から約5万年前のこの頃、加工された絵画や彫刻などの芸術作品が一気に現れたらしい。次の定常化は紀元前5世紀前後。この時期に「普遍的な原理」を志向する思想・宗教が地球の各地で同時に誕生した。ギリシャ哲学、インドの仏教、中国の儒教や老荘思想、中東での旧約思想などである。これらの思想は、人類が自ら属するコミュニティーを超えて「人間」というものを普遍的に見始め、同時に「欲望の内的規制」を説いている点で共通している。今に至る壮大な宗教や思想の草創期のこの時期のことを、歴史学者は「枢軸時代(ヤスパース)/精神革命(伊東俊太郎)」と呼ぶそうだ。
数百年前から始まった工業化社会の限界につきあたっている今が、第三の定常化の時代だと広井氏は言う。ここ数百年、産業化、工業化、情報化、金融化と社会の姿を変化させて拡大路線をたどってきた我々の社会が、先進国を中心に行詰まっているというのは、世界の情勢を見れば周知の事態だ。この閉塞状況を、広井氏は「定常化」の時代ととらえ、新しい社会像を構築していく時期が来たと前向きに考えているのである。
それでは広井氏はどのような社会像、価値観を提案しているのであろうか?『創造的福祉社会』に詳しく述べられているが、学術的で回りくどい表現が多く、私には大雑把な理解しかできなかった。ただ、内容は参考になるものが多いので、彼が示したことをポイントにして何点か述べてみたいと思う(→以下が私のコメント)。
①時間(歴史)」に対して「空間(地理)」が問題解決をする社会
高度成長期のように、やがてくる豊かな未来のために今の労働を辛くても頑張るという一方向の生活の仕方(拡大する経済成長が将来の幸せを生む)、つまり時間の経過が幸せを生むことは見込めない時代になった。むしろ、空間(地理的環境)の違いの多様性を重要視すべき時代になっている。多様な地域の豊かな特性が共存し、各地域の固有の資源や価値、伝統、文化を再発見していくことが人々の幸せを生む社会になっている。
→「時間」と「空間」という対比は理解しにくい表現。自分が住む地域の豊かさを、住民が享受しながら、他の地域の素晴らしさも認め合い(国内外問わず)、他の地域と文化面や経済面その他さまざまな領域において上手に交流・連携し合いながら、「今」を同時に豊かに生きることが、多様な「地域」の併存の価値ということではないかと思った。
②ローカルからグローバルへの多層な社会の構造
人々の帰属単位は地域(ローカル)でありながら、生活に関わることすべてがローカルで解決するわけではない。生産/消費の重層的な自立と分業が必要と広井氏は言う。
・食糧生産および「ケア」はローカルで
・工業製品やエネルギーについてはナショナル~リージョナル(ただしエネルギーも
究極的には自然エネルギーを中心にローカルで)
・情報の生産/消費ないし流通はグローバルで
・時間の消費 自然やコミュニティー精神的な充足に関わる時間の過ごし方はローカルで
→地産地消の生活。エネルギーの自立など、今後目指したいところ。しかし、情報についてはグローバルでと提案されている。となると共通言語の英語の力は必要だ。
③「都市型コミュニティー」の養成
日本の社会をウチとソトを使い分ける内向きの「農村型コミュニティー」。内部の結束力は高いが、グループ内での序列に従って行動する必要があり、暗黙の規範に従わなければならず(空気を読む)、息が詰まるコミュニティーでもある。それに対して「都市型コミュニティー」を増やしていきたい。そこでは集団を超えた普遍的な規範原理、日常的なレベルでの節度を保った誠実なコミュニケーション、コミュニティーを豊かにする活動を行うNPOなどの存在などが重要になる。
→都会にいても田舎にいても、日本では閉じた狭いグループ社会に属さないといけないことを痛感する。個人の自由が認められつつ、帰属感も持てる都市型コミュニティーの概念は面白い。人々の関係性も「定常化」とともに進化させていきたい。
④コミュニティー醸成型の空間構造を持つ街づくり
コミュニティー感覚(人々のゆるやかなつながり意識)を持って暮すことの豊かさを大事にする。街の中心部の便利な場所に高齢者や子育て世代、若者などが住みやすいように公共住宅を建設し、買い物の利便性を上げるだけでなく、コミュニティーとしての質もあげる(市場を中心とした歩行者天国、カフェテラスでの交流、住民のニーズにきめ細やかに対応できるNPOの活躍など)。地域づくりのまとめ役として「地域総合プランナー」を置く。
→都市型コミュニティーによる街づくりの案。秋田でも住民が集って生活が豊かになる場を作れたらと思うが、時間はかかるだろう。縦割り行政を廃止して、「地域総合プランナー」というような行政政策横断的な役割を担う人が欲しい。
⑤「福祉と環境と経済」あるいは「平等と持続可能性と効率性」
広井氏は少ない労働力で多くの商品を生産するという従来の生産性を見直すべきだと言う。これからの時代は「人余り(失業)」「資源不足(有限で貴重な環境資源)」となるため、「人」を多く活用し、「自然資源」を節約した社会を作っていくのが重要。具体的に言うと、今までは生産性が低いとされていた教育や福祉の分野(ケア分野)に労働力を投入するということだ。こうしたケア分野に人的資源を割り当てる新しい労働集約社会は、資源を多く使わないという点で環境に優しい。また、経済的にも効率が良いと言う(教育に力を入れることで、人生のスタートラインをできるだけ平等に置くことができる。また優秀な人材の育成は、質の高い労働者を生み、結果的には経済を活性化させる力となり、それは経済効率性を上げる。ケア分野への人材投入は、労働力を多く必要とする点で、失業の解消につながる)。新たな労働集約型社会は、さまざまな点で相乗効果が期待されるというのだ。
→抽象的な3つの単語を並べて説明するのは広井氏が得意な手法。しかし、ポイントの羅列は行間を自分で読み込まないといけないのでわかりにくい。ケア分野に多くの人材を投入するのは理想的だし、労働者も創造的に働けてやりがいにつながると思う。それの相乗効果が、環境面にも経済面にもあるというのは、画期的な考え方だ。この広井氏の提案を、さらに具体的に案を練って実現できたらと願う。
今の閉塞状況を「創造的福祉社会」と呼んで前向きにとらえる広井氏の考え方に賛同したい。ローカルの良さを生かすことを後押しされ、秋田というローカル色が濃い地域に住む人間として嬉しく思う。
さて、私ができることは何であろうか。彼が提唱するような大きな政策的な問題には、今のところは関われない。できるのはせいぜいローカルの生活の充実だろうか。先日、朝日新聞で広井氏が「多極集中」を薦めていたが、多極の豊かさを感じ取ることなら出来るかも知れない。私が住むこの場所でできることを考える。まずは、ここ秋田の魅力を色々発掘してみたい。美味しい食材の発見。豊かで魅力的な地域の訪問。伝統的な祭りの再発見などなど。秋田を見て、聞いて、感じて楽しむ。それを、私ならさしずめブログで発信。このニュースレターも発信源になってくれるだろう。発信した後にすることについては、もっともっと考えていきたい。
それから私が大事にしたいと思っているのは、身の回りの人同士で支え合い、お互いの活動を認め合うこと。小さな齟齬には片目をつぶり、人との出会いを大切にしたい。ローカルで暮らすということは、狭い人間関係の中で暮らさないといけないということだ。状況によっては、嫌な思いを経験することもある。その相手と、間をおかずに会わないといけないこともある。ウチとソトを使い分けないといけないムラ社会の日本、そして秋田で、自分を救ってくれる個人的なセーフティーネットになるもの。そのひとつは、心のポケットをたくさん持つことだと思う。例えば帰属集団をたくさん持つこと。ひとつの関わりで嫌な思いをしても、他のグループでの自分を保持することができれば、人間は心のバランスが保て、安心した気持ちになる。日本の社会が、「都市型コミュニティー」になるのはすぐには難しいと思うが、自分が属するコミュニティーの中で、回りの人達と楽しく関わるすべを磨いていけたらなと思う。
広井氏は、『創造的福祉社会』を“一人ひとりが自らの関心にそくして多様な活動を行っていく。そのような試みと具体的な実践のプロセスの一歩一歩の中に、これからの「創造的福祉社会」は確実に展開していくことになるだろう”と結んでいる。それは、素晴らしい社会だ。しかしその実現のためには、一人ひとりの営みの多様性を、素晴らしいもの、価値あるものと認め合う心の広さが必要だ。個人的には、自らの営みを楽しみながら、他人の営みも尊重できるようなバランスの良い心の状態を保っていきたいと思っている。
<著者紹介>
広井 良典(ひろい・よしのり)
1961年岡山市生まれ、東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障や環境、医療、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア等をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。
『コミュニティーを問なおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞。
『ケアを問いなおす』『死生観を問いなおす』『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)
『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞)
『定常型社会』(岩波新書)
『グローバル定常型社会』『生命の政治学』(岩波書店)
『ケア学』(医学書院)など多数
広井氏は、過去人類は、特定の社会構造が拡大・成長を遂げたのち環境や資源の制約に行き着くと、「定常化」(拡大をやめて留まると私は理解した)を始め、ベクトルを社会の内面に向けて文化的な充実期を迎えるという仮説をたてている。狩猟・採集時代、農耕社会の時代にもそれぞれ「拡大」と「定常化」の時代があり、定常化の時代にさまざまな宗教や文化的に素晴らしい産物がもたらされたという。
最初の定常化時代は、狩猟・採集時代の「心のビッグバン」。今から約5万年前のこの頃、加工された絵画や彫刻などの芸術作品が一気に現れたらしい。次の定常化は紀元前5世紀前後。この時期に「普遍的な原理」を志向する思想・宗教が地球の各地で同時に誕生した。ギリシャ哲学、インドの仏教、中国の儒教や老荘思想、中東での旧約思想などである。これらの思想は、人類が自ら属するコミュニティーを超えて「人間」というものを普遍的に見始め、同時に「欲望の内的規制」を説いている点で共通している。今に至る壮大な宗教や思想の草創期のこの時期のことを、歴史学者は「枢軸時代(ヤスパース)/精神革命(伊東俊太郎)」と呼ぶそうだ。
数百年前から始まった工業化社会の限界につきあたっている今が、第三の定常化の時代だと広井氏は言う。ここ数百年、産業化、工業化、情報化、金融化と社会の姿を変化させて拡大路線をたどってきた我々の社会が、先進国を中心に行詰まっているというのは、世界の情勢を見れば周知の事態だ。この閉塞状況を、広井氏は「定常化」の時代ととらえ、新しい社会像を構築していく時期が来たと前向きに考えているのである。
それでは広井氏はどのような社会像、価値観を提案しているのであろうか?『創造的福祉社会』に詳しく述べられているが、学術的で回りくどい表現が多く、私には大雑把な理解しかできなかった。ただ、内容は参考になるものが多いので、彼が示したことをポイントにして何点か述べてみたいと思う(→以下が私のコメント)。
①時間(歴史)」に対して「空間(地理)」が問題解決をする社会
高度成長期のように、やがてくる豊かな未来のために今の労働を辛くても頑張るという一方向の生活の仕方(拡大する経済成長が将来の幸せを生む)、つまり時間の経過が幸せを生むことは見込めない時代になった。むしろ、空間(地理的環境)の違いの多様性を重要視すべき時代になっている。多様な地域の豊かな特性が共存し、各地域の固有の資源や価値、伝統、文化を再発見していくことが人々の幸せを生む社会になっている。
→「時間」と「空間」という対比は理解しにくい表現。自分が住む地域の豊かさを、住民が享受しながら、他の地域の素晴らしさも認め合い(国内外問わず)、他の地域と文化面や経済面その他さまざまな領域において上手に交流・連携し合いながら、「今」を同時に豊かに生きることが、多様な「地域」の併存の価値ということではないかと思った。
②ローカルからグローバルへの多層な社会の構造
人々の帰属単位は地域(ローカル)でありながら、生活に関わることすべてがローカルで解決するわけではない。生産/消費の重層的な自立と分業が必要と広井氏は言う。
・食糧生産および「ケア」はローカルで
・工業製品やエネルギーについてはナショナル~リージョナル(ただしエネルギーも
究極的には自然エネルギーを中心にローカルで)
・情報の生産/消費ないし流通はグローバルで
・時間の消費 自然やコミュニティー精神的な充足に関わる時間の過ごし方はローカルで
→地産地消の生活。エネルギーの自立など、今後目指したいところ。しかし、情報についてはグローバルでと提案されている。となると共通言語の英語の力は必要だ。
③「都市型コミュニティー」の養成
日本の社会をウチとソトを使い分ける内向きの「農村型コミュニティー」。内部の結束力は高いが、グループ内での序列に従って行動する必要があり、暗黙の規範に従わなければならず(空気を読む)、息が詰まるコミュニティーでもある。それに対して「都市型コミュニティー」を増やしていきたい。そこでは集団を超えた普遍的な規範原理、日常的なレベルでの節度を保った誠実なコミュニケーション、コミュニティーを豊かにする活動を行うNPOなどの存在などが重要になる。
→都会にいても田舎にいても、日本では閉じた狭いグループ社会に属さないといけないことを痛感する。個人の自由が認められつつ、帰属感も持てる都市型コミュニティーの概念は面白い。人々の関係性も「定常化」とともに進化させていきたい。
④コミュニティー醸成型の空間構造を持つ街づくり
コミュニティー感覚(人々のゆるやかなつながり意識)を持って暮すことの豊かさを大事にする。街の中心部の便利な場所に高齢者や子育て世代、若者などが住みやすいように公共住宅を建設し、買い物の利便性を上げるだけでなく、コミュニティーとしての質もあげる(市場を中心とした歩行者天国、カフェテラスでの交流、住民のニーズにきめ細やかに対応できるNPOの活躍など)。地域づくりのまとめ役として「地域総合プランナー」を置く。
→都市型コミュニティーによる街づくりの案。秋田でも住民が集って生活が豊かになる場を作れたらと思うが、時間はかかるだろう。縦割り行政を廃止して、「地域総合プランナー」というような行政政策横断的な役割を担う人が欲しい。
⑤「福祉と環境と経済」あるいは「平等と持続可能性と効率性」
広井氏は少ない労働力で多くの商品を生産するという従来の生産性を見直すべきだと言う。これからの時代は「人余り(失業)」「資源不足(有限で貴重な環境資源)」となるため、「人」を多く活用し、「自然資源」を節約した社会を作っていくのが重要。具体的に言うと、今までは生産性が低いとされていた教育や福祉の分野(ケア分野)に労働力を投入するということだ。こうしたケア分野に人的資源を割り当てる新しい労働集約社会は、資源を多く使わないという点で環境に優しい。また、経済的にも効率が良いと言う(教育に力を入れることで、人生のスタートラインをできるだけ平等に置くことができる。また優秀な人材の育成は、質の高い労働者を生み、結果的には経済を活性化させる力となり、それは経済効率性を上げる。ケア分野への人材投入は、労働力を多く必要とする点で、失業の解消につながる)。新たな労働集約型社会は、さまざまな点で相乗効果が期待されるというのだ。
→抽象的な3つの単語を並べて説明するのは広井氏が得意な手法。しかし、ポイントの羅列は行間を自分で読み込まないといけないのでわかりにくい。ケア分野に多くの人材を投入するのは理想的だし、労働者も創造的に働けてやりがいにつながると思う。それの相乗効果が、環境面にも経済面にもあるというのは、画期的な考え方だ。この広井氏の提案を、さらに具体的に案を練って実現できたらと願う。
今の閉塞状況を「創造的福祉社会」と呼んで前向きにとらえる広井氏の考え方に賛同したい。ローカルの良さを生かすことを後押しされ、秋田というローカル色が濃い地域に住む人間として嬉しく思う。
さて、私ができることは何であろうか。彼が提唱するような大きな政策的な問題には、今のところは関われない。できるのはせいぜいローカルの生活の充実だろうか。先日、朝日新聞で広井氏が「多極集中」を薦めていたが、多極の豊かさを感じ取ることなら出来るかも知れない。私が住むこの場所でできることを考える。まずは、ここ秋田の魅力を色々発掘してみたい。美味しい食材の発見。豊かで魅力的な地域の訪問。伝統的な祭りの再発見などなど。秋田を見て、聞いて、感じて楽しむ。それを、私ならさしずめブログで発信。このニュースレターも発信源になってくれるだろう。発信した後にすることについては、もっともっと考えていきたい。
それから私が大事にしたいと思っているのは、身の回りの人同士で支え合い、お互いの活動を認め合うこと。小さな齟齬には片目をつぶり、人との出会いを大切にしたい。ローカルで暮らすということは、狭い人間関係の中で暮らさないといけないということだ。状況によっては、嫌な思いを経験することもある。その相手と、間をおかずに会わないといけないこともある。ウチとソトを使い分けないといけないムラ社会の日本、そして秋田で、自分を救ってくれる個人的なセーフティーネットになるもの。そのひとつは、心のポケットをたくさん持つことだと思う。例えば帰属集団をたくさん持つこと。ひとつの関わりで嫌な思いをしても、他のグループでの自分を保持することができれば、人間は心のバランスが保て、安心した気持ちになる。日本の社会が、「都市型コミュニティー」になるのはすぐには難しいと思うが、自分が属するコミュニティーの中で、回りの人達と楽しく関わるすべを磨いていけたらなと思う。
広井氏は、『創造的福祉社会』を“一人ひとりが自らの関心にそくして多様な活動を行っていく。そのような試みと具体的な実践のプロセスの一歩一歩の中に、これからの「創造的福祉社会」は確実に展開していくことになるだろう”と結んでいる。それは、素晴らしい社会だ。しかしその実現のためには、一人ひとりの営みの多様性を、素晴らしいもの、価値あるものと認め合う心の広さが必要だ。個人的には、自らの営みを楽しみながら、他人の営みも尊重できるようなバランスの良い心の状態を保っていきたいと思っている。
<著者紹介>
広井 良典(ひろい・よしのり)
1961年岡山市生まれ、東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障や環境、医療、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア等をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。
『コミュニティーを問なおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞。
『ケアを問いなおす』『死生観を問いなおす』『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)
『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞)
『定常型社会』(岩波新書)
『グローバル定常型社会』『生命の政治学』(岩波書店)
『ケア学』(医学書院)など多数