皆さん、お久しぶりです。前回に続いて今日は私がお世話になっている先生を紹介します。
私が予防接種に動物病院へ行ったときのことだった。
「こんなに悪いのなら安楽死も考えたいと思います。」
その言葉を聴いた途端、背筋が凍る気持ちになった。
「えっ。まだ生きるよ。あれはまだ生きる目をしている。まだ生きたい顔をしているよ。何もしないでそうするよりも、食べさせて少しでも何かしてあげたほうが気持ちが違うでしょ。」
即答したのは奥さんだった。そして追うように先生が
「他ではするかもしれないけれども、うちでは今の状態ではしない。まだだって生きるもの。あれだけ暴れることが出来るんだから、まだ生きる。あの顔は行きたい顔だもの。ごはんを食べないって言っても、食べさせるんだよ。口の中にいれてあげるんだよ。治るとは約束できないけれど、まだ生きたいって言っているんだから食べさせてあげないと。」
待合室のないとても小さな病院。個人情報保護など全くない。「こんにちは」とドアを開ければ診察台がある。青空待合室。寒かったり雨だったりすれば車の中で順番を待つ。お天気のいい日は偶然出会ったみんなで四方山話をしながら玄関前で順番を待つ。2~3人の飼い主さんたちが私たちを連れて入ればもうぎゅうぎゅう。犬猫関係なく一緒になる。スタッフは先生と奥さんの二人だけ。保健所を退職してから自宅に開院したそうだ。二人で間に合わないときは飼い主さんがにわか看護師や電話番までする。私が避妊の手術をしてもらいに行ったとき、お父さんが連れて行ってくれた。先生は「これからやるから、もし電話がかかってきたり、誰か来たら手術してるからって言っといて。」と言い残して二階の手術室へと私を連れて行った。
その日は注射を終えて診察台でぶるぶる震える私をよそにお母さんは奥さんが会計をしているところを待っていた。そこに飼い主さんだけ呼ばれて入ってきた。検査結果を聞かされ「安楽死」を口にした。先生と奥さんは自分から食べようとしないのならば口の中に入れてやればいい、少し元気になってくれば自分から食べるようになるだろう、治るかどうかはわからないけれど、尽くしてあげないと、と必死に説いていた。そして飼い主さんから頼まれもしないのに、病気の猫ちゃんのために食事の仕度をしていた。聞く気がなくても耳に入ってくる話。お母さんは私をなでながら、先生たちの言葉をしっかりと聞き、感動しているのがわかった。
犬友達のけんたママから「とてもいい先生だよ。」と聞いたのが出会いだった。私が佐藤家に来て少ししたとき、お腹が痛くなった。にいにとねえねがとても心配して「病院に早く連れて行ってあげて。」と頼んでくれた。その時私はまだ生まれて5ヶ月ぐらいだったと思う。奥さんが私を見て歓声を上げたことを覚えている。「あらあら。まぁ、小さくてかわいいこと。」先生はスピッツと聞いてとても私を珍しがった。先生のところにスピッツは当時私一人しかいなかったとか。薬をもらって帰るときに奥さんが言った。「まだ小さいから、いつ具合が悪くなるかわからない。だから、いつでも電話してきてね。夜中でもいいから。留守番電話になっているかもしれないけど、後で聞くから。」お母さんはどんなに安心したことか。
それから7年が経った。特別大きな病気をしなくても、予防接種やフィラリア予防の薬をもらいにと年数回はお世話になる。先生ったら初めて私に注射をするときに、お母さんに抱っこさせて私にこう声をかけた。「ピース、俺じゃねえぞ、お前の母さんが痛いことしてるんだからな。」その痛かったこと。声も出なかった。以来、車に乗せられ、大体の方向がわかるから、もう体ががたがた震えて「先生さようなら」と言うまで怖くて怖くて。そんな私を見て先生はいつも豪快に笑う。「お前はめんこいな~、ピース。弱虫で。」となでてくれる。愛想笑いで尻尾を振るけど、耳はもうぺたりと下がったまま上がらない(だって怖いんだもん)。
今までいろんなことがあった。以前お母さんが話したけれど、キャップを連れて行ったとき、どこのどんな犬かわからない、それが大前提。視触診をし、「血液検査をしなければわからないけれど、見た感じはどこも悪くない。犬猫ネットワークにやるのならば、そこで予防接種など全部してくれる。ノミ取りの薬だけつけてやればいい。子どもが小さいし(ねえねが一緒だった)、どんな犬かもわからないから気をつけるように。」と言われてノミ取りの薬代だけをお母さんは支払った。
この先生のお宅にも犬がいた(最近亡くなったそうだが)。聞けば、ある環境の悪いペットショップで売られていたが病気にかかって処分されるために保健所へやってきた。その犬を先生が引き取った。「まず、あれはひどかった。あちこち病気で。腹は切らなきゃいけないし、ほんとにあちこち悪くてよ。でも、今ではうちのばあさんのいい話し相手になってる。」と話してくれたことがあった。奥さんが白い犬を散歩に連れて行くところを見かけたことがある。
私がいつだったか予防接種に行ったとき、皮膚病に罹っているのを見つけてくれたことがあった。「これ、痒かっただろ、ピース。」と薬を出してくれた。「お金いらない。そこの犬猫ネットワークの募金箱に入れていってくれればいい。」「この薬(塗り薬)もう使わないから持って行っていい。」「早起きして来てくれたからほら(お母さんが先生に診察代を支払うとそこからねえねにお小遣いをくれるのだった)。」診察代を取らないのを他に見たことがある。子どもにお小遣いをくれるのはねえねだけに限らないらしい。薬をもらってきたことがあるとけんたママも言ってたことがある。こういう先生なのだ。病院によっては不要と思われる栄養の点滴をするのが得意なところもある。でも先生は恐らく最低の診察代しかもらわないのではないだろうか。正義感が強く、私たちの立場になって診てくれる。奥さんは優しい。そして肝心の腕もすごい。けんたくんが耳の病気に罹って近所のお医者さんにしばらく通院しても治らず、先生のところに行ったら間もなく治ったとお母さんたちが話していたのを聞いた。似たような話は他にも聞いたことがある。ある病院に通院しても治らない病気が先生のところに変えたら治ったそうだ。その話を先生にお母さんがしていたことがあった。「そんなの、俺が治したんじゃない。治る時期に来たから治ったんだろ。」と言っていた。
私がいたペットショップは、とても古くて臭いがきつい、良い環境とはいえないようなところだった(今はない)。先生がお母さんに「どこから買った?」とお腹をこわして初めて行ったときに聞いた。店の名前を告げると冷静だった先生が「それなら、予防接種をきちんと受けさせないとだめだ。あそこから来た犬が病気にかかっていて、治すのに大変だったことがある。あそこのオヤジとけんかしたことがある。あんな風になるまでして。」と過去を思い出しヒートアップしていくのを奥さんが「まずまず、お父さん。」と手綱を引いていた。私たちのことを思えばこそ、心無い人に対しては容赦ないのだろう。
この間の先生は本当に素敵だった。お母さん、先生のすごさを帰宅してからねえねに話していた。安易に安楽死なんて飼い主の都合で口にするものではないとお母さんは思ったのだろう。私もいずれ老いていく。どんな風になるかは誰にもわからない。だけど、あの先生なら私のことを思って最善を尽くしてくれるに違いない。豪快で優しく、心から尊敬できる先生だと改めて思った出来事だった。
私が予防接種に動物病院へ行ったときのことだった。
「こんなに悪いのなら安楽死も考えたいと思います。」
その言葉を聴いた途端、背筋が凍る気持ちになった。
「えっ。まだ生きるよ。あれはまだ生きる目をしている。まだ生きたい顔をしているよ。何もしないでそうするよりも、食べさせて少しでも何かしてあげたほうが気持ちが違うでしょ。」
即答したのは奥さんだった。そして追うように先生が
「他ではするかもしれないけれども、うちでは今の状態ではしない。まだだって生きるもの。あれだけ暴れることが出来るんだから、まだ生きる。あの顔は行きたい顔だもの。ごはんを食べないって言っても、食べさせるんだよ。口の中にいれてあげるんだよ。治るとは約束できないけれど、まだ生きたいって言っているんだから食べさせてあげないと。」
待合室のないとても小さな病院。個人情報保護など全くない。「こんにちは」とドアを開ければ診察台がある。青空待合室。寒かったり雨だったりすれば車の中で順番を待つ。お天気のいい日は偶然出会ったみんなで四方山話をしながら玄関前で順番を待つ。2~3人の飼い主さんたちが私たちを連れて入ればもうぎゅうぎゅう。犬猫関係なく一緒になる。スタッフは先生と奥さんの二人だけ。保健所を退職してから自宅に開院したそうだ。二人で間に合わないときは飼い主さんがにわか看護師や電話番までする。私が避妊の手術をしてもらいに行ったとき、お父さんが連れて行ってくれた。先生は「これからやるから、もし電話がかかってきたり、誰か来たら手術してるからって言っといて。」と言い残して二階の手術室へと私を連れて行った。
その日は注射を終えて診察台でぶるぶる震える私をよそにお母さんは奥さんが会計をしているところを待っていた。そこに飼い主さんだけ呼ばれて入ってきた。検査結果を聞かされ「安楽死」を口にした。先生と奥さんは自分から食べようとしないのならば口の中に入れてやればいい、少し元気になってくれば自分から食べるようになるだろう、治るかどうかはわからないけれど、尽くしてあげないと、と必死に説いていた。そして飼い主さんから頼まれもしないのに、病気の猫ちゃんのために食事の仕度をしていた。聞く気がなくても耳に入ってくる話。お母さんは私をなでながら、先生たちの言葉をしっかりと聞き、感動しているのがわかった。
犬友達のけんたママから「とてもいい先生だよ。」と聞いたのが出会いだった。私が佐藤家に来て少ししたとき、お腹が痛くなった。にいにとねえねがとても心配して「病院に早く連れて行ってあげて。」と頼んでくれた。その時私はまだ生まれて5ヶ月ぐらいだったと思う。奥さんが私を見て歓声を上げたことを覚えている。「あらあら。まぁ、小さくてかわいいこと。」先生はスピッツと聞いてとても私を珍しがった。先生のところにスピッツは当時私一人しかいなかったとか。薬をもらって帰るときに奥さんが言った。「まだ小さいから、いつ具合が悪くなるかわからない。だから、いつでも電話してきてね。夜中でもいいから。留守番電話になっているかもしれないけど、後で聞くから。」お母さんはどんなに安心したことか。
それから7年が経った。特別大きな病気をしなくても、予防接種やフィラリア予防の薬をもらいにと年数回はお世話になる。先生ったら初めて私に注射をするときに、お母さんに抱っこさせて私にこう声をかけた。「ピース、俺じゃねえぞ、お前の母さんが痛いことしてるんだからな。」その痛かったこと。声も出なかった。以来、車に乗せられ、大体の方向がわかるから、もう体ががたがた震えて「先生さようなら」と言うまで怖くて怖くて。そんな私を見て先生はいつも豪快に笑う。「お前はめんこいな~、ピース。弱虫で。」となでてくれる。愛想笑いで尻尾を振るけど、耳はもうぺたりと下がったまま上がらない(だって怖いんだもん)。
今までいろんなことがあった。以前お母さんが話したけれど、キャップを連れて行ったとき、どこのどんな犬かわからない、それが大前提。視触診をし、「血液検査をしなければわからないけれど、見た感じはどこも悪くない。犬猫ネットワークにやるのならば、そこで予防接種など全部してくれる。ノミ取りの薬だけつけてやればいい。子どもが小さいし(ねえねが一緒だった)、どんな犬かもわからないから気をつけるように。」と言われてノミ取りの薬代だけをお母さんは支払った。
この先生のお宅にも犬がいた(最近亡くなったそうだが)。聞けば、ある環境の悪いペットショップで売られていたが病気にかかって処分されるために保健所へやってきた。その犬を先生が引き取った。「まず、あれはひどかった。あちこち病気で。腹は切らなきゃいけないし、ほんとにあちこち悪くてよ。でも、今ではうちのばあさんのいい話し相手になってる。」と話してくれたことがあった。奥さんが白い犬を散歩に連れて行くところを見かけたことがある。
私がいつだったか予防接種に行ったとき、皮膚病に罹っているのを見つけてくれたことがあった。「これ、痒かっただろ、ピース。」と薬を出してくれた。「お金いらない。そこの犬猫ネットワークの募金箱に入れていってくれればいい。」「この薬(塗り薬)もう使わないから持って行っていい。」「早起きして来てくれたからほら(お母さんが先生に診察代を支払うとそこからねえねにお小遣いをくれるのだった)。」診察代を取らないのを他に見たことがある。子どもにお小遣いをくれるのはねえねだけに限らないらしい。薬をもらってきたことがあるとけんたママも言ってたことがある。こういう先生なのだ。病院によっては不要と思われる栄養の点滴をするのが得意なところもある。でも先生は恐らく最低の診察代しかもらわないのではないだろうか。正義感が強く、私たちの立場になって診てくれる。奥さんは優しい。そして肝心の腕もすごい。けんたくんが耳の病気に罹って近所のお医者さんにしばらく通院しても治らず、先生のところに行ったら間もなく治ったとお母さんたちが話していたのを聞いた。似たような話は他にも聞いたことがある。ある病院に通院しても治らない病気が先生のところに変えたら治ったそうだ。その話を先生にお母さんがしていたことがあった。「そんなの、俺が治したんじゃない。治る時期に来たから治ったんだろ。」と言っていた。
私がいたペットショップは、とても古くて臭いがきつい、良い環境とはいえないようなところだった(今はない)。先生がお母さんに「どこから買った?」とお腹をこわして初めて行ったときに聞いた。店の名前を告げると冷静だった先生が「それなら、予防接種をきちんと受けさせないとだめだ。あそこから来た犬が病気にかかっていて、治すのに大変だったことがある。あそこのオヤジとけんかしたことがある。あんな風になるまでして。」と過去を思い出しヒートアップしていくのを奥さんが「まずまず、お父さん。」と手綱を引いていた。私たちのことを思えばこそ、心無い人に対しては容赦ないのだろう。
この間の先生は本当に素敵だった。お母さん、先生のすごさを帰宅してからねえねに話していた。安易に安楽死なんて飼い主の都合で口にするものではないとお母さんは思ったのだろう。私もいずれ老いていく。どんな風になるかは誰にもわからない。だけど、あの先生なら私のことを思って最善を尽くしてくれるに違いない。豪快で優しく、心から尊敬できる先生だと改めて思った出来事だった。
鳩山首相は「友愛の精神」を政治の理念に揚げました。抽象的な理想主義と批判もされますが、私は面白いと思いました。今までの日本の政治家が口にしないことで、肌の違いを感じています。
聖書にも「友のために命を捧げる以上の愛はない」とキリストは言われています。私たちの究極の幸せは、お互いに友愛で結ばれることではないかと最近強く思うようになりました。先回書いた虫たちとの共生、あるいは食物連鎖も互いがいのちを与え合って生きるワンネス(ONENESS)の姿・友愛の連鎖の姿ではないでしょうか。
昨年、庭を通して二人の人と出会いました。FおばさんとN博士呼びましょうか。あるいは野菜おばさんと植物博士と呼びましょうか。
(1) 野菜おばさん
日本の食料自給率は40%とか。こと国際紛争にまきこまれ食料の輸入が途絶えたら、日本は飢餓地獄に陥るのではないかと言われています。私は両親の影響を受けて危機管理対策をよくしている方です。庭に手押しポンプを設置したのも地震等で水が止まった時のことも考えてのことでした。(レトロ趣味もありますが)
万が一の食糧危機を考えて手を打った方法は農家と親しくなるということ。広い庭があるのですから、そこを畑にして自給できれば一番いいのですが、体力や経験の不足から、ムリです。近くの農家と親戚関係をつくればいいと思いました。「切に願うことはかなえられる」と言いますが、庭師の紹介でFさんがやってきてくれました。我が家から車で15分位の集落に住んでおられる。自家用に色んな種類の野菜を植えているという。田んぼは20枚も持っているとか。(私のやり方は一見自分本位のわがまま、エゴイスティックに思えるかも知れません。消費者と農家が友愛的につながる方向に展開していくことを願います)
年齢はまもなく70歳になられるFさんが、ご主人の軽トラで週に一回野菜を届けて下さることになりました。午前中採って一人暮らしの私の一週間分相当をきれいに小分けし箱に詰め合わせて運んで下さる。例えば7月10日配達記録では
レタス、サニーレタス、インゲン、きゅうり、青じそ、ズッキーニ、ナス、
玉ネギ、紫玉ネギ、ピーマン、プチトマト、じゃがいも、わらび
新鮮そのものです。
「Fさん、代金を請求して下さい」
と申し上げると
「私は今まで野菜を売ったことがないので、値段をつけられない。おくさまが食べておいしいと思ったら、見積もって下さい」
という返事。このやりとりでFさんと私はすっかり意気投合する仲になりました。私は最初から店で買うようなお金で清算して「ハイ、オシマイ」にはしたくなかったのです。結果的には店頭価格より2割位高い「おいしかった代」を差し上げました。Fさんはいつも「多い多い!」とおっしゃいます。でも喜んで下さいました。農家の主婦として、現金収入は嬉しく助かり、何より野菜を作る励みが出てきたと言われます。
野菜の宅配箱を見ながら、15分もおしゃべりの花が咲きます。きゅうりの辛子漬け、チンゲンサイの即席漬けなどノウハウも学びました。一度にたくさん配達される野菜の保存方法も身につけ、買い物に心配することもありません。又、畑のまわり、国道の脇にも花を植えるほど「花っこ」大好きと伺って、途中から花ひと束も運んでもらうことになり、私の玄関はゴージャスな雰囲気に様変わりしたのも予想外の副産物でした。
昨年は長雨で一時レタスなども腐った由。天候に左右される農家の現場も伝わってきます。薬は苗の消毒時のみ使い、あとは手で虫退治するという。Fさんのキャベツには穴だらけと青虫も同伴してきます。それを喜ぶ私をFさんは笑われる。野菜から人とのつながり、今までの人生のこしかたを分かち合うお付き合いになりました。お金以上の物や心のやりとり、友愛のよろこびを味わっております。
(2)N博士の登場
『ちゃぶ台だより』で干し柿づくりを伝授して下さったNさんとは市場の近くの小さい店で時々顔を合わせていました。ところが昨年ひょんなことからNさんの家がわが家から歩いて10分位のところにあることが判明。それからぐっと距離が近くなりました。店での買い物も配達してもらう。
「朝、何時に起きているんだ?」
「ナニ?7時、随分遅いんだな。オレは3時に起きて山菜を採りにいくか、畑仕事をしている。」
いかにも元気で山男のような敏凄さがあります。物の言い方もストレートで歯に衣を着せないかんじ。一見粗野な言動のうちにデリケートな思いやりと優しさがひそんでいて、私の好きな男性タイプの一人です。あの『風と共に去りぬ』のバトラーの日本版(?)と思って下さい。
Nさんが私の所に朝7時きっかりやって来た最初の日。Nさんは肝心の届け物を車に置いて、私の庭にスタスタ(ズカズカがいいかな)侵入して庭を一巡したのです。まるで庭の主(あるじ)のよう!そしてご自分のライフワークである山野草との出会いをとうとうと話し出したのでした。その博識、うん蓄の深さには圧倒されてしまうほどです。
「可憐な山野草を社会的弱者に届ける」という生き方をしているという話にNさんの優しさの謎が解けました。年寄りと女性と病人に対する目線がとても暖かいのです。
庭の草花に関して私の質問に間髪をおかず明快な答えが返ってきます。小学生にもわかる具体的な説明にも脱帽。
「ナメクジを退治するには?」→「夜、寝る前にバナナの皮を皿にのっけて数ヶ所に置いとけ」
「ネジ花ふやしたいけどふえないのは?」→「草かげ、日当りの場所」
コンピューターのような頭脳です。それから私はNさんを「ハカセ」と呼んで、庭の専任教授になっていただきました。
知的著作権は大切にしなければなりませんね。私はハカセの学識の恩恵にそれ相当の見返りをさせてもらおうと思い、店での買い上げに出来る限りのことをしました。配達して下さる時はガソリン代ですとチップを上乗せします。
「ガソリン代として取って下さい」
「そうか、せっかくだから貰おう」と堂々と(?)受け取っていくのが心憎いほど、さわやかです。
そして次の日、又朝7時に
「これ、あなたの好きそうな花だからとってきた」
といいながら、実のついたヤマボウシの枝をポンと置いていかれる。
ハカセがつくっているという畑と育てている山野草のハウスに案内され、私は度肝をぬきました。軽トラで藪の中を押し入り、
「あそこから あそこまで オレの畑だ」
聞くと2000坪あるという。まったく原野と表現した方がよかった。草ぼうぼうの中に野菜が植えられている。
「小さい苗の時は勿論雑草を取るさ。あと自力で育つ力が出たら放任だ!その方がたくましく育つ。虫もまわりの雑草を食って野菜まで手を出さないだろ!草一本ないあなたの庭とは正反対だな。ハハハ」
店のガラス戸にハカセの自筆の貼紙がありました。
わが店の野菜は減農薬有機栽培のものです。
肥料は次のとおり、牛フン、もみがら、木炭、カキ殻、こぬか、魚粕、
コーヒーがら、かんきつの皮、昆布くず、スッポンの骨、有機化合物
それを証明するように、私をアチコチ案内して公開なさる。
ある朝の7時
「お宅の秋海棠(ショウカイドウ)を2,3本もらっていくよ、茶花の花材を頼まれてな」
ハカセは金持ちではなさそう。
「オレの財産は友人だから」
友人たちの使い走りを買って出ているため、ものすごい人脈を有しておられる様子。ハカセの中にも経済の友愛が生きているようです。
聖書にも「友のために命を捧げる以上の愛はない」とキリストは言われています。私たちの究極の幸せは、お互いに友愛で結ばれることではないかと最近強く思うようになりました。先回書いた虫たちとの共生、あるいは食物連鎖も互いがいのちを与え合って生きるワンネス(ONENESS)の姿・友愛の連鎖の姿ではないでしょうか。
昨年、庭を通して二人の人と出会いました。FおばさんとN博士呼びましょうか。あるいは野菜おばさんと植物博士と呼びましょうか。
(1) 野菜おばさん
日本の食料自給率は40%とか。こと国際紛争にまきこまれ食料の輸入が途絶えたら、日本は飢餓地獄に陥るのではないかと言われています。私は両親の影響を受けて危機管理対策をよくしている方です。庭に手押しポンプを設置したのも地震等で水が止まった時のことも考えてのことでした。(レトロ趣味もありますが)
万が一の食糧危機を考えて手を打った方法は農家と親しくなるということ。広い庭があるのですから、そこを畑にして自給できれば一番いいのですが、体力や経験の不足から、ムリです。近くの農家と親戚関係をつくればいいと思いました。「切に願うことはかなえられる」と言いますが、庭師の紹介でFさんがやってきてくれました。我が家から車で15分位の集落に住んでおられる。自家用に色んな種類の野菜を植えているという。田んぼは20枚も持っているとか。(私のやり方は一見自分本位のわがまま、エゴイスティックに思えるかも知れません。消費者と農家が友愛的につながる方向に展開していくことを願います)
年齢はまもなく70歳になられるFさんが、ご主人の軽トラで週に一回野菜を届けて下さることになりました。午前中採って一人暮らしの私の一週間分相当をきれいに小分けし箱に詰め合わせて運んで下さる。例えば7月10日配達記録では
レタス、サニーレタス、インゲン、きゅうり、青じそ、ズッキーニ、ナス、
玉ネギ、紫玉ネギ、ピーマン、プチトマト、じゃがいも、わらび
新鮮そのものです。
「Fさん、代金を請求して下さい」
と申し上げると
「私は今まで野菜を売ったことがないので、値段をつけられない。おくさまが食べておいしいと思ったら、見積もって下さい」
という返事。このやりとりでFさんと私はすっかり意気投合する仲になりました。私は最初から店で買うようなお金で清算して「ハイ、オシマイ」にはしたくなかったのです。結果的には店頭価格より2割位高い「おいしかった代」を差し上げました。Fさんはいつも「多い多い!」とおっしゃいます。でも喜んで下さいました。農家の主婦として、現金収入は嬉しく助かり、何より野菜を作る励みが出てきたと言われます。
野菜の宅配箱を見ながら、15分もおしゃべりの花が咲きます。きゅうりの辛子漬け、チンゲンサイの即席漬けなどノウハウも学びました。一度にたくさん配達される野菜の保存方法も身につけ、買い物に心配することもありません。又、畑のまわり、国道の脇にも花を植えるほど「花っこ」大好きと伺って、途中から花ひと束も運んでもらうことになり、私の玄関はゴージャスな雰囲気に様変わりしたのも予想外の副産物でした。
昨年は長雨で一時レタスなども腐った由。天候に左右される農家の現場も伝わってきます。薬は苗の消毒時のみ使い、あとは手で虫退治するという。Fさんのキャベツには穴だらけと青虫も同伴してきます。それを喜ぶ私をFさんは笑われる。野菜から人とのつながり、今までの人生のこしかたを分かち合うお付き合いになりました。お金以上の物や心のやりとり、友愛のよろこびを味わっております。
(2)N博士の登場
『ちゃぶ台だより』で干し柿づくりを伝授して下さったNさんとは市場の近くの小さい店で時々顔を合わせていました。ところが昨年ひょんなことからNさんの家がわが家から歩いて10分位のところにあることが判明。それからぐっと距離が近くなりました。店での買い物も配達してもらう。
「朝、何時に起きているんだ?」
「ナニ?7時、随分遅いんだな。オレは3時に起きて山菜を採りにいくか、畑仕事をしている。」
いかにも元気で山男のような敏凄さがあります。物の言い方もストレートで歯に衣を着せないかんじ。一見粗野な言動のうちにデリケートな思いやりと優しさがひそんでいて、私の好きな男性タイプの一人です。あの『風と共に去りぬ』のバトラーの日本版(?)と思って下さい。
Nさんが私の所に朝7時きっかりやって来た最初の日。Nさんは肝心の届け物を車に置いて、私の庭にスタスタ(ズカズカがいいかな)侵入して庭を一巡したのです。まるで庭の主(あるじ)のよう!そしてご自分のライフワークである山野草との出会いをとうとうと話し出したのでした。その博識、うん蓄の深さには圧倒されてしまうほどです。
「可憐な山野草を社会的弱者に届ける」という生き方をしているという話にNさんの優しさの謎が解けました。年寄りと女性と病人に対する目線がとても暖かいのです。
庭の草花に関して私の質問に間髪をおかず明快な答えが返ってきます。小学生にもわかる具体的な説明にも脱帽。
「ナメクジを退治するには?」→「夜、寝る前にバナナの皮を皿にのっけて数ヶ所に置いとけ」
「ネジ花ふやしたいけどふえないのは?」→「草かげ、日当りの場所」
コンピューターのような頭脳です。それから私はNさんを「ハカセ」と呼んで、庭の専任教授になっていただきました。
知的著作権は大切にしなければなりませんね。私はハカセの学識の恩恵にそれ相当の見返りをさせてもらおうと思い、店での買い上げに出来る限りのことをしました。配達して下さる時はガソリン代ですとチップを上乗せします。
「ガソリン代として取って下さい」
「そうか、せっかくだから貰おう」と堂々と(?)受け取っていくのが心憎いほど、さわやかです。
そして次の日、又朝7時に
「これ、あなたの好きそうな花だからとってきた」
といいながら、実のついたヤマボウシの枝をポンと置いていかれる。
ハカセがつくっているという畑と育てている山野草のハウスに案内され、私は度肝をぬきました。軽トラで藪の中を押し入り、
「あそこから あそこまで オレの畑だ」
聞くと2000坪あるという。まったく原野と表現した方がよかった。草ぼうぼうの中に野菜が植えられている。
「小さい苗の時は勿論雑草を取るさ。あと自力で育つ力が出たら放任だ!その方がたくましく育つ。虫もまわりの雑草を食って野菜まで手を出さないだろ!草一本ないあなたの庭とは正反対だな。ハハハ」
店のガラス戸にハカセの自筆の貼紙がありました。
わが店の野菜は減農薬有機栽培のものです。
肥料は次のとおり、牛フン、もみがら、木炭、カキ殻、こぬか、魚粕、
コーヒーがら、かんきつの皮、昆布くず、スッポンの骨、有機化合物
それを証明するように、私をアチコチ案内して公開なさる。
ある朝の7時
「お宅の秋海棠(ショウカイドウ)を2,3本もらっていくよ、茶花の花材を頼まれてな」
ハカセは金持ちではなさそう。
「オレの財産は友人だから」
友人たちの使い走りを買って出ているため、ものすごい人脈を有しておられる様子。ハカセの中にも経済の友愛が生きているようです。
今までより栄養学の考え方も近年は研究が進み、様々なデータから食物とガンの関係性が問いただされてきています。
乳製品を多く摂ることは、戦後の日本では栄養価が高い良いものだと思われていました。
ところがそれが乳癌に影響していることがわかってきたそうです。
ただ、医学界、政府は取り上げません。
日本はせっかくいい食品加工(味噌、醤油、納豆など酵母を使ったもの)の伝統を持っているのですから、全世界に提供して世界中の人々を真の健康に導くべき、そういう時代に来ていると久司氏は言います。
「ワン・ピースフル・ワールド」日本から世界を変える新しい精神文明を発信しようという働きです。
日本の伝統的な食事が全世界に取り入れられれば素敵ですね。
マクロビオティックではあらゆる物事には陰と陽という二種類の力が働くと考えています。
陰は遠心力のように外へ向かっていく力で、わかりやすくいうと「ゆるむ」イメージで捉えられます。
反対に陽というのは求心力のようにうちに向かっていく力で、「引き締める」イメージ。
例えば、自分の中にも「今日は家でのんびりしよう」というゆるモードのときと、「仕事をバリバリやるぞー」という引き締めモードのときがありますよね。
前者が陰性、後者が陽性というとイメージしやすくなるでしょうか?
普段の生活の中で自然にやっていることでもあるんです。
例えば、寒い冬は根野菜がおいしいから食べたくなりますよね。
また反対に夏は葉野菜がおいしい。
根菜には体を引き締め熱を内にこもらせる要請の働きがあるから寒い冬にはうってつけで、葉野菜には体をゆるめ熱を発散する働きがあり、暑いときに食べたくなるのです。
毎日の生活の中でこうした知識があれば調整できます。
あまり難しく考えず、体の欲するものを正直に摂るというやり方も、マクロビオティック的なのだそうです。
ただ、悪習慣からとっている場合は良くないので控えるといいでしょう。
私は今までマクロビオティックは厳しくて食べられないものが多い制限食だと敬遠してきました。
今も考え方は納得したものの、習慣と他の家族の意見もありすぐには完全に変えることはできません。
少しづつ取り入れようと思っています。
皆さんもいかがでしょうか。
「まずは玄米食が基本ですので、主食を玄米に替えることをお奨めします。
玄米は稲からモミ殻を取っただけの種子です。適当な水と温度があれば発芽する「生きている水」です。
理想的なバランスで栄養素が含まれているため、体と心を偏りの無い状態(中庸)にしてくれます。
白米では取り除かれるぬかの部分にはビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富に含まれていて、デトックス効果にも優 れています。
主食を玄米に替えるだけで、体にも変化を感じる事でしょう。」
と本より・・・。圧力鍋を用いて炊く方法がより美味しく食べられると紹介されています。
その通りだと思います。
我が家でも圧力鍋が重宝しています。
私は以前は本当に便秘がちで苦しみましたが、玄米に替えてからそれも嘘のことのようです。
日本は温帯地域です。極端に陰性、陽性に偏ったものをどちらも食べバランスをとるのでなく、中庸の食品を摂るようにすればいいようです。
中庸の食品には、玄米・とうもろこし・麦・はと麦・豆腐・テンペ・レンズマメ・ヒヨコマメ・ごま・小松菜・大葉・ねぎ・玉ねぎ・青梗菜・白菜・ブロッコリ・かぶ・ひえ・きび・あわ・そば・全粉パスタ・海藻類・小豆・黒豆・かぼちゃ・キャベツ・カリフラワ・ごぼう・にんじん・大根・自然薯・れんこん・パセリ・・・などがあげられますが、基本的にその季節にその場所で採れるものを食べているのが自然で体にもいいといった所のようです。
他にもレシピを少しマクロビ仕様に替えて工夫すれば取り入れられそうです。
コーヒー → ハト麦茶・たんぽぽ茶・生姜紅茶
砂糖 → メープルシロップ(私は三温糖・きび砂糖・黒糖を使っています。)
ホワイトソース → 豆乳+小麦粉+白味噌+オリーブオイル
ホイップクリーム → 豆腐クリーム(やわらかい豆腐+メープルシロップ+レモン汁を
ミキサーでなめらかになるまで攪拌し、冷やす。)
(ホイップクリームはまだやってないので、トライしたいです。)
〔マクロビアン的日常の生き方〕
●精神を育む胎盤である体を健康にするために、正しい食事を摂り、クリーンな体を保つこと。
●大きな夢を持って好きなことをやれば人生楽しくなる。
(自分の好きなことをやっていなければ、人生を金で売っているようなもの。
やりたい事をやっていれば仕事を引退することもバケーションも必要なくなる。)
マクロビオティックでは、食物の構成を地球と生物の進化の過程から考えます。
以下は『マクロビオティック入門」久司道夫より抜粋の文です。
「地球がガス体から固まって地表に水ができ、単細胞生物が生まれました。(藻など)
そしてそれを食べる軟体動物が生まれ、水中にミネラル成分が増え、海水になり海草や海中植物が生まれ、私たちの祖先である骨を持った脊柱生物、魚が生まれました。
それからやがて陸地が形成され苔や原始的な草が生じ、両生類が生まれます。
続いてシダなどの古代植物ができ、それに対応して爬虫類や鳥類、藻類などの近代植物に対応して哺乳類、種を持った植物や果物に対応してサルに進化しました。
このように地球環境の変化によって植物が進化し、それに対応して動物が進化し、人間への進化は直立する穀類を食べたことが大きな要因となりました。
人間が誕生する際、母胎の中で28億年の単細胞からの生命の進化を再現します。
そして陸上での4億年の進化を生後約一年で再現します。
母胎の中では母親の血液から栄養をもらい、生まれてからは母乳をもらいます。
両方動物性の食物なので、この後は動物性の食物を摂る必要はないのです。
人間としての精神や意識の進化を進めるためには、人間を人間ならしめた穀物を主食にして、陸上4億年の進化のシンボルである豆類、野菜、果物、種子などを副菜に摂ることが大切です。
そして水中での28億年の進化をスープの形で摂ります。(ワカメの味噌汁など)
人間は無限の宇宙からやって来て、大地のエネルギーと共に形成され、また無限の宇宙に向けて精神を成長させて次の世界(故郷)へ旅立っていきます。
羊水の中で胎盤を通じて育てられたからだが、この大気の世に生れ出たように、この世で身体を通じて育てられた精神や意識(霊想)があの世と呼ばれる次の波動の世界に生れ出るという考え方なのです。
この『ユニバーサル・リ・インカーネーション』がマクロビオティックのバックボーンです。」
ここまで、読んでくださった方、ありがとうございます。そしてご苦労様でした。
シュタイナーを勉強したときにも感じた、感動をこれを読んだときにも感じ、肉大好きなのですが、改めていこうと思いました。
ひょうどうともこ
乳製品を多く摂ることは、戦後の日本では栄養価が高い良いものだと思われていました。
ところがそれが乳癌に影響していることがわかってきたそうです。
ただ、医学界、政府は取り上げません。
日本はせっかくいい食品加工(味噌、醤油、納豆など酵母を使ったもの)の伝統を持っているのですから、全世界に提供して世界中の人々を真の健康に導くべき、そういう時代に来ていると久司氏は言います。
「ワン・ピースフル・ワールド」日本から世界を変える新しい精神文明を発信しようという働きです。
日本の伝統的な食事が全世界に取り入れられれば素敵ですね。
マクロビオティックではあらゆる物事には陰と陽という二種類の力が働くと考えています。
陰は遠心力のように外へ向かっていく力で、わかりやすくいうと「ゆるむ」イメージで捉えられます。
反対に陽というのは求心力のようにうちに向かっていく力で、「引き締める」イメージ。
例えば、自分の中にも「今日は家でのんびりしよう」というゆるモードのときと、「仕事をバリバリやるぞー」という引き締めモードのときがありますよね。
前者が陰性、後者が陽性というとイメージしやすくなるでしょうか?
普段の生活の中で自然にやっていることでもあるんです。
例えば、寒い冬は根野菜がおいしいから食べたくなりますよね。
また反対に夏は葉野菜がおいしい。
根菜には体を引き締め熱を内にこもらせる要請の働きがあるから寒い冬にはうってつけで、葉野菜には体をゆるめ熱を発散する働きがあり、暑いときに食べたくなるのです。
毎日の生活の中でこうした知識があれば調整できます。
あまり難しく考えず、体の欲するものを正直に摂るというやり方も、マクロビオティック的なのだそうです。
ただ、悪習慣からとっている場合は良くないので控えるといいでしょう。
私は今までマクロビオティックは厳しくて食べられないものが多い制限食だと敬遠してきました。
今も考え方は納得したものの、習慣と他の家族の意見もありすぐには完全に変えることはできません。
少しづつ取り入れようと思っています。
皆さんもいかがでしょうか。
「まずは玄米食が基本ですので、主食を玄米に替えることをお奨めします。
玄米は稲からモミ殻を取っただけの種子です。適当な水と温度があれば発芽する「生きている水」です。
理想的なバランスで栄養素が含まれているため、体と心を偏りの無い状態(中庸)にしてくれます。
白米では取り除かれるぬかの部分にはビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富に含まれていて、デトックス効果にも優 れています。
主食を玄米に替えるだけで、体にも変化を感じる事でしょう。」
と本より・・・。圧力鍋を用いて炊く方法がより美味しく食べられると紹介されています。
その通りだと思います。
我が家でも圧力鍋が重宝しています。
私は以前は本当に便秘がちで苦しみましたが、玄米に替えてからそれも嘘のことのようです。
日本は温帯地域です。極端に陰性、陽性に偏ったものをどちらも食べバランスをとるのでなく、中庸の食品を摂るようにすればいいようです。
中庸の食品には、玄米・とうもろこし・麦・はと麦・豆腐・テンペ・レンズマメ・ヒヨコマメ・ごま・小松菜・大葉・ねぎ・玉ねぎ・青梗菜・白菜・ブロッコリ・かぶ・ひえ・きび・あわ・そば・全粉パスタ・海藻類・小豆・黒豆・かぼちゃ・キャベツ・カリフラワ・ごぼう・にんじん・大根・自然薯・れんこん・パセリ・・・などがあげられますが、基本的にその季節にその場所で採れるものを食べているのが自然で体にもいいといった所のようです。
他にもレシピを少しマクロビ仕様に替えて工夫すれば取り入れられそうです。
コーヒー → ハト麦茶・たんぽぽ茶・生姜紅茶
砂糖 → メープルシロップ(私は三温糖・きび砂糖・黒糖を使っています。)
ホワイトソース → 豆乳+小麦粉+白味噌+オリーブオイル
ホイップクリーム → 豆腐クリーム(やわらかい豆腐+メープルシロップ+レモン汁を
ミキサーでなめらかになるまで攪拌し、冷やす。)
(ホイップクリームはまだやってないので、トライしたいです。)
〔マクロビアン的日常の生き方〕
●精神を育む胎盤である体を健康にするために、正しい食事を摂り、クリーンな体を保つこと。
●大きな夢を持って好きなことをやれば人生楽しくなる。
(自分の好きなことをやっていなければ、人生を金で売っているようなもの。
やりたい事をやっていれば仕事を引退することもバケーションも必要なくなる。)
マクロビオティックでは、食物の構成を地球と生物の進化の過程から考えます。
以下は『マクロビオティック入門」久司道夫より抜粋の文です。
「地球がガス体から固まって地表に水ができ、単細胞生物が生まれました。(藻など)
そしてそれを食べる軟体動物が生まれ、水中にミネラル成分が増え、海水になり海草や海中植物が生まれ、私たちの祖先である骨を持った脊柱生物、魚が生まれました。
それからやがて陸地が形成され苔や原始的な草が生じ、両生類が生まれます。
続いてシダなどの古代植物ができ、それに対応して爬虫類や鳥類、藻類などの近代植物に対応して哺乳類、種を持った植物や果物に対応してサルに進化しました。
このように地球環境の変化によって植物が進化し、それに対応して動物が進化し、人間への進化は直立する穀類を食べたことが大きな要因となりました。
人間が誕生する際、母胎の中で28億年の単細胞からの生命の進化を再現します。
そして陸上での4億年の進化を生後約一年で再現します。
母胎の中では母親の血液から栄養をもらい、生まれてからは母乳をもらいます。
両方動物性の食物なので、この後は動物性の食物を摂る必要はないのです。
人間としての精神や意識の進化を進めるためには、人間を人間ならしめた穀物を主食にして、陸上4億年の進化のシンボルである豆類、野菜、果物、種子などを副菜に摂ることが大切です。
そして水中での28億年の進化をスープの形で摂ります。(ワカメの味噌汁など)
人間は無限の宇宙からやって来て、大地のエネルギーと共に形成され、また無限の宇宙に向けて精神を成長させて次の世界(故郷)へ旅立っていきます。
羊水の中で胎盤を通じて育てられたからだが、この大気の世に生れ出たように、この世で身体を通じて育てられた精神や意識(霊想)があの世と呼ばれる次の波動の世界に生れ出るという考え方なのです。
この『ユニバーサル・リ・インカーネーション』がマクロビオティックのバックボーンです。」
ここまで、読んでくださった方、ありがとうございます。そしてご苦労様でした。
シュタイナーを勉強したときにも感じた、感動をこれを読んだときにも感じ、肉大好きなのですが、改めていこうと思いました。
ひょうどうともこ