なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

シンプルな買い物を アズマカナコさんの記事紹介

2013年08月01日 | ともこ
持たない暮らし4 シンプルな買い物を 省エネ生活研究科のアズマカナコさんの記事紹介
秋田魁新報 2013年6月14日  くらし 話題より

この記事を読んでアズマカナコさんという方を初めて知りました。冷蔵庫が無い生活にびっくり!なな色メールで紹介させていただきました。

以下記事本文抜粋


わが家には冷蔵庫がありません。2年前の東日本大震災の後、被災地で必要としている人がいることを知り、思い切って寄付をしました。それから冷蔵庫のない生活をしています。

でも、いきなり冷蔵庫なしの生活をスタートさせたわけではありません。今から6年ほど前に、近所の人から「60年前は家に冷蔵庫がなかった」という話を聞き、当時はどんなものを食べていたんだろう、と興味が湧きました。
その人や近所のお年寄りから詳しく話を聞いているうちに実際に試してみたくなり、まねしてみることにしました。

冷蔵庫をなくす前に、まず中身を減らしてみようと思い、状況を知るために何が入っているのかを書き出してみました。すると、自分が思っていた以上にたくさんの食材が入っていたことに気付きました。多めに買い過ぎていたものや、冷蔵しなくてもよい調味料や乾物までありました。この点検作業だけでも、中身がだいぶ減りました。中身を書き出す習慣ができると、うっかり使い忘れたり、買い過ぎたりすることもなくなりました。買い物も意識してみると、常温で保存可能なものは意外とあることに気付きました。

例えば、野菜は洗ってあるものよりも泥つきのもの、カット野菜よりも丸ごと。乾物や干物、日本の伝統的な調味料の塩、しょうゆ、みそ、みりん、酒、砂糖、油など。冷蔵庫は、あくまで買ってきてから調理するまでの一時保管の場所と考えるようになりました。常温保存できるものを中心に、生鮮品は使い切ることができる分だけを購入するようにしたところ、ロスもなくなり、買い物や料理もシンプルになりました。



!!!

うちの冷蔵庫はもったいないものを取ったままにしているので、もったいないもの製造庫だーーー…。

まめに、丁寧に、家事をやる気にならなくちゃ!と反省しきりです。

ひょうどうともこ

わたしの食い改め その① 医食同源 2013年3月1日掲載

2013年08月01日 | いしかわようこ
兄の不思議な出来事から玄米菜食の世界へ

「元気ねぇ、あなたは百までも生きるよ」と、友人にからかわれる。「わぁ、大変だぁ。それじゃ、あと三十年もあるわ」と大げさに応じる。お世辞を半分差し引いても、うれしい言葉だ。親譲りの腰曲がりも目立ってきたが、病院と縁のない老後を迎えたことをありがたく思う。もともと、私はあまり丈夫な体ではなかった。学校や職場を休むことも多く、「Iさんは弱い」というレッテルを貼られていた。それが、百歳まで生きそうな体になったのには、一つの転機があったのである。

三十五歳のときである。「玄米菜食」という自然食を知ったのだ。玄米をメーンとし、野菜や海草、そのほかを副菜とする食生活である。今では「マクロビオティック」という呼び名で広く知られるようになり、都市部では健康にいいオーガニックレストランとして急速に増えていると聞く。私がこの食養法を知った四十年前は、一部だけのマイナーな世界であった。「玄米と野菜だけ?鳥のエサみたい」とか、「あんなまずいものを食べているのか」などと笑われ、変人扱いされる時代だった。

そんな風変わり?な食事に入るきっかけは兄にあった。兄の体に起こった不思議な出来事から端を発する。当時、兄は重い蓄膿症を患っていて、病院からは手術を勧められていたが、それを玄米食で治したのである。そのことは周りを大いに驚かせた。そのいきさつは、こうである。実は、兄は高校時代に蓄膿症にかかり、鼻の手術をしている。鼻の手術は相当な痛みを伴うらしい。そのつらさを嫌というほど味わったため、再発したとき、手術回避の方法を調べに調べ尽くしたそうである。そして、一つの道として玄米食を知る。早速、町で唯一の自然食品店に足を運び相談したところ、オーナーのKさんにきっぱり言われたという。「Iさん、食事で体質改善をしなければ、手術をしてもまた繰り返しますよ。どうですか、私にだまされたと思って、一ヶ月試してみませんか?」兄はそのことばに従って、食事療法に取り組んだのである。一日二食。一汁一菜とたくあん、梅干し、大好きなタバコはもちろんのこと、肉も魚もコーヒーもご法度。空腹との闘いだったという。しかし、この修行僧のような食事をまじめに実行して一カ月。驚くことに、蓄膿の症状があらかた消えてしまった。痛み緩和に「ビワの葉温灸」という手当をし、三カ月目には完全に治ってしまった。

「食べ物が病気を治す」…逆に言えば「口から入れるものが病気をつくる」という事実を目の当たりにし、私の食事革命「食い改め」が始まることになる。

(つづく)

わたしの食い改め その② “よし、甘いもの絶ちをしよう”

2013年08月01日 | いしかわようこ
医食同源 2013年4月1日発行号に掲載された記事を紹介させていただきます。


実は私にも人知れず悩んでいたことがあった。生理痛という婦人科系の苦しみである。十二歳の春、初潮を迎えてから毎月毎月繰り返される不快で憂鬱な症状である。激しく突き刺すような腹痛とともに吐き気や下痢が半日くらい続く。お腹をさすりながら「忍」と「耐」の数時間。しかし、それ以上につらかったのは、ブルーな心理現象であった。生理が始まる一週間くらい前から、なぜか気持ちが落ち込み、暗雲に覆われてしまう。過去に仕出かした過ち・失敗がよみがえる。他人から受けた心の傷が、またもやうずく。日ごろ抱えるコンプレックス感情が倍加して押し寄せてくる。このブルーウィークに入ると、それまで決心し続けてきた良い習慣を投げ出してしまう。その結果、「私って、何と意志の弱い人間だろう」と自分を苛(さいな)む。周りからは「石川さんのフラフラ病が始まった」と批判されるのがまた常だった。

後に、私にまとわりついた心身的症状も情緒不安定もホルモンのアンバランスから来るもので「月経前緊張症」という病名が付けられていることを知った。病気の一つだったのである。「フラフラ病」は私の意志薄弱ではなく、ホルモンのいたずらと知ったときは、内心ホッとする解放感をもらった。それでも、ホルモンのアンバランスという不具合も食事に由来するのだと自然食理論は警告する。

生理痛をもたらすものは、体質による個人差はあるものの、甘いもの、果物、ジュース、アイスクリーム、煎茶、コーヒーなど体を冷やすものが犯人らしい。私に当てはまるものは、甘いお菓子だ。ごはんよりおやつでお腹をいっぱいにするという「甘党人間だった。特に、どら焼きや、お汁粉などアンコものに目がない。それらを口にできない日は心寂しく、ポッカリ穴があくような「おやつ依存症」だったのだ。

人生は帳尻が合うようにできていると言われる。甘いお菓子のとりこになっていた私には、生理痛や鼻炎という苦しみがツケとして与えられていたのだ。兄の身に起こった奇跡に後押しされて私は決心した。「よし、甘いもの断ちをしよう」と。

金主禁煙のつらさは知る人ぞ知る。私も好きなもの、中毒のように体が欲求するものを「絶つ」には死ぬ思いがした。歯を食いしばっての「アンコ断食」をすること一ヵ月。一ヵ月という時間は、体の赤血球が一回り変化する期間だという。古い血から、新しい血に変わる。悪いものをやめ、よい食事をした効果が表れる期間でもある。私の月ごとの生理は、効果を知るにはピッタリの実験だった。

つづく

わたしの食い改め その③  “食養の大切さを体験からしっかり学ぶ”

2013年08月01日 | いしかわようこ
医食同源 2013年5月1日発行号に掲載された記事です。

「甘いもの断ち」の実験は大成功だった。生理は、実にさわやかに通り過ぎていってくれた。腹痛もなく、暗い憂うつな一週間もなかった。まるでウソのような快適な数日だった。経血の色もきれいだった。それまでのどす黒い塊もなかった。

体験の力は大きい。食養の大切さを、しかと学ばせてもらった。そして本を読み、先達の話を聞き、料理教室に通い、その健康法を夢中になって学んでいった。

今、私の食卓にハンバーグやお刺身、チーズやハムなどは、ほとんど登場しない。今流のファッショナブルなご馳走に比べると地味な「おふくろ定職」のような食事である。でも、心底おいしい。体も心も満足してくれる。

両親を看取って一人になったとき、「ちゃぶ台カフェ」という遊びを始めている。訪ねて来る若い人たちにニッポンの伝統的な食事を饗しながら交流する場である。

「肉や魚、牛乳なしではタンパク不足になりませんか?」
「大丈夫。味噌、醤油、納豆や麩で、私の場合は十分間に合っているみたい。健康診断はオール合格だから」

「でも、今の子どもや若者には肉なしの食事は無理ではないでしょうか?」
「そうね。楽しみとして食べてもいい。ただし、肉には十分な野菜、魚には大根おろし、生姜というふうにバランス中和が大切。陰陽の調和といってね。今、怖い放射能も、この物差しで克服していけると思うよ」

「パンや牛乳はダメなんですか?」
「いいえ。欧米の人にはいいんです。ただ、温帯モンスーンという気候風土に住む私たちには、お米のほうが断然体に合うのです。身土不二といってね・・・」

「食べ物で健康が決まるという単純な論法には抵抗があるんですけど・・・」
「私も同じよ。息食動想(そくしょくどうそう)といって、健康は心身全体のものだから。どんなによい食事をしても、ストレスで血がよどんでしまうし」

「長生きをする人は腹八分目、こまめに動く、クヨクヨしないでゆったりと暮らすのがコツと言ってますものね」

話は食べ物を切り口に、農薬や環境汚染のこと、漢方や東洋医学の世界まで広がっていく。「日本人の体は死んでも腐らないそうよ。たくさんの防腐剤が入っているから」と言うAさんのジョークにみな複雑な表情になる。

悲観的な憂国感情にとらわれてしまうこともあるが、若い人は明るい。「ほら、置かれた場所で花を咲かせなさいと言うでしょ。まず、一人ひとり足元からできることをしようよ」『ちゃぶ台カフェ』のスローガンで締めくくる。

● クルマを降りて、歩こう
● お日様と一緒に起きよう
● 旬(しゅん)の曲がったキュウリを食べよう(夏の場合)
● おばあちゃんの暮らしの智恵に戻ろう        ・・・などなど。

『ちゃぶ台塾』の塾長として偉そうなことをを言う私であるが、今も甘いお菓子の頂き物があると、いっときの快楽に落ちることがある。しかし、体は正直に、優しくたしなめてくれる。胃荒れや鼻づまりとなって。どうも百になるまで、私の食い改めは続きそうだ。   

(終わり)                 

私の未完成交響曲(孤独の谷間から)

2013年08月01日 | いしかわようこ
この一年間で大切な友人との関係が切れました。それも一挙に三人です。
信仰上の友達として長い間心を共有してきたかけがえのない友だちでした。A先輩とは私の方から離れ、B、C二人の友人は向こうから離れていきました。幸いなことは、喧嘩別れでもなく誤解による別れでもなかったことです。信仰上の歩く道で、何を中心とするかが違ってきたため、それぞれのよしとする道を行くことになりました。遠く県外の友で、高い通話料をものともせず話し交流を深め、たくさん励ましと力をいただいた関係です。

Everything is changing. Only changing is eternal.といいますが、わが身でしかと体験しました。(文明が進むにつれて中心に向かって渦巻いていく。20世紀以降、変化は急スピード化する。-シュタイナー  個人の運命も文明の動きも)
それからです、孤独の谷間に入り込んでしまいました。<なな色シスターズの集い>でそのため息をもらしてしまいましたね。ひとり暮しの年寄りの淋しさというレベルのものでないことはわかってもらえると思います。若い時から生涯独身で生きる道を自ら選んだのですから、ひとり暮しの淋しさは覚悟の上。むしろ独りを愉しむ名人と自負しているくらいです。しかし、心が通い合い、響き合うソウルメイトがいなくなったことは大きな痛手でした。

人との関わりで、私には何か大きな欠陥があるのではないだろうか?集団に入っていけない、人とうまくつながって行けない。「一種の発達障害をもっているのでは」とも考えました。もともと私は人と関わることがものすごく不得意です。兄も弟も同じ傾向をもっています。両親に責任転嫁するわけでありませんが、わが家に流れる家系的カルマかも知れません。近所の人や親族とオープンに交わる義理の姉や妹の家族と比較してその違いがわかるのです。わが家は仕事中心に回転し、家族の団らん、気持の交流が極端に不足している家族でした。「オレについて来い!」ワンマンな父親との一方通行の関係。無口で子供の気持と共感することばを発しない母。コミュニケーションの力が育たなかったと今わかります。

陶芸入門講座で作った処女作は縄文式花びん。左右のアンバランス、ゆがみは誰も真似のできない迷作です。このゆがんだ器は“わたしのシンボル”みたいで愛しいです。
家庭環境から由来するパーソナリティの下地、素地は生涯つきまとうのではないでしょうか。さらに、私の人間関係、交友を狭くしている原因があります。私の暮し、生き方、価値観、すべてマイナーな領域だということです。マクロビオティックの食生活、テレビ、ケータイ、ネットなしのアナログな暮し、そしてキリスト教。アメリカで今も前近代的な生活と信仰を踏襲するクェーカー教徒(キリスト教徒の一つ)に似ているかも知れません。

今、人間関係の再構築につとめています。

A:理解されることより理解することを
私は今まで自分の考え、こだわり、価値観を金科玉条のようにふりかざして相手を批判してきたかもしれない。あるいは相手に押しつけ相手を変えようとしてきたかもしれない。
これからは自分を脇において相手の心、世界を知り、受けとめる努力をしていこう。軸を自分から相手に移し、コミュニケーションを重ねる中で自分との接点をさぐっていこう。

B:高きを求めない。ごくごく平凡なつながりを大切にしていく
Think Global,Act local. Globalを心にしっかり持ちながらもそれをふりからさずに、地味な日常のくらし、今日の幸せを分かち合う努力をしていこう。

シューベルトのあの美しい「未完成交響曲」が好きです。未熟さをいっぱいひきづっている私ですが、精一杯「わたしの未完成」を奏でていきたいと思っています。

おのれを修めて 世のためつくす

2013年08月01日 | S.S.
 7月20日21日と上智大学で日本コミュニケーション障害学会(日コミ)が開かれ、久々に学会に出席してきました。言語聴覚士(ST)には職能団体としての日本言語聴覚士協会(RST)があるのですが、私が今回参加した日コミは、STが国家資格化されるずっと前に設立された40年以上の歴史がある学会。STだけでなく教員、心理職、研究者など幅広い分野の人が会員になっているために、同じテーマについて多面的な見方で分析・報告がなされ、興味深い報告を聞くことができます。
 報告者の真剣な思い「障害を持った方のために自分ができるベストを尽くして役立ちたい。そのために学び合いたい。」は、会場の参加者に直に伝わり、熱気あふれる集まりとなりました。日コミには臨床経験豊富なこの道の第一人者と呼ばれる先生方も多いのですが、皆さん常に一臨床家としてできるベストのことを求道し続けています。社会的な権威に頓着しない潔い生き方には、人生の上で何が大事であるかを選び取らなければ、実のある仕事はできないという手本を示して下さっていると思います。

 さて、タイトルに戻りましょう。
『文武両道 自主自律』
『品性の陶冶(とうや)~わが生わが世の天職いかに』
『おのれを修めて 世のためつくす』
これらは実は、A高校140周年語り継ぐ「秋高精神」として、今年創立140周年を迎えるA高校が掲げているスローガンで、紫色の旗に印刷されて各教室に貼られているほか、『おのれを~』は紫色のタオルに印字され売り出されています。明治初期に創立された伝統校の雄々しくも気高い自負が感じられるメッセージ。私はこのなかで、『品性の陶冶』『おのれを修めて世のためつくす』ということばが気に入り、その意味を自分の中で考えています(私は卒業生ではないので、単に良いことばをいただいたという程度の思いでいると捉えて下さい)。
陶冶の意味を広辞苑で引くと(陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから)人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。薫陶をさらに引くと(香をたいてかおりをしみこませ、粘土を焼いて陶器を作りあげる意)徳を以て人を感化し、すぐれた人間をつくること、とありました。高校生を育てるためのことばではありますが、50歳を過ぎた自分に対して今一度自戒の念も込めて、品性を磨きたい・・・そんな風に思います。

『おのれを修めて 世のためつくす』で思い出すのは、大学の同窓生が集まると口にする『津田スピリット』ということばです。逆境に負けない不屈の精神。厳しい状況を、生半可ではない努力を積んで乗り越える・・・というような意味で使うものだと思っています。最近先輩から、もともとは死ぬほど英語を勉強することをさしたと聞きました。英文科の教授陣は本当に厳しく(本当に怖く)、学生達はものすごく緊張感のある授業を受けながら、寝ても覚めても英語漬けの大学生活を送っていたと聞きます。それで留学せずとも、レベルの高い英語力を身につけることができた。厳しく叩かれて初めて本物の力を得ることができる。それがひいては「社会への貢献」につながる。100年前の卒業式で大学の創立者の津田梅子先生は「知恵と知識のたいまつ」を手のなかで輝かせながら次世代に繋ぎ、「真摯で謙虚な姿勢」で「社会に役に立つ力」を、どんな場にあっても発揮してほしいと伝えたそうです。『津田スピリット』とともに心に留めおき、ことあるごとに原点として立ち返りたいメッセージだと思っています。

 人生の折り返し地点もとっくに過ぎた今、自分が進むべき道の照準が少しずつ定まりつつあります。2年半の間、秋田で暮す日々の楽しいできごとや感じたことを綴ったブログも先月で終了にしました。楽しいだけでは、人のために役立つことはできないのだと思っています。今まではSTとして中途半端だった。主婦業、子育てを言い訳にして、合い向かう方達の困り感にタイムリーに寄り添うことは充分にしてこなかった。学ぶ努力も足りなかったと思います。
「社会貢献」なんて立派な表現は、私に似つかわしくない。子どもを上手に愛せない母親のもとに生まれ、いたぶられて育った気弱な私が、頼りない足取りながら藁をもつかむ思いで生きてきた道すがら、私を助けてくれた人達がいたから今の私がある。その方達への感謝の思いも込めて、自分ができることを一生懸命行っていきたい・・・そんな思いでいます。その時に、一瞬ではあっても、きら星のごとく輝く時を、合い向かう方達と共有することができれば幸せだなぁと思います。そのためには、おのれを修める厳しい鍛錬が必要。この歳になっていますから、誰かが律してくれるわけではない。自ら課さなければいけませんね。

『虹の戦士』ということばが、少し前から意味もなく頭の中をよぎります。「戦士」なんて、随分構えた表現ですね。でも、世の中が「楽に、容易に、ゆるりと」が良いとされている時代に、安易に流れやすい私が何か実のあることをするためには、「戦士」であるくらいの気構えが必要なのかも知れません。
ネットで『虹の戦士』について調べたら、びっくりするような内容がヒットしました。カナダのネィティブアメリカンを始めとして「地球を救う戦士」の言い伝えがあったのです。我々が『なな色シスターズ』であり、冊子が『なな色メール』であることを考えると不思議なつながりを感じますが、今はまだ私には、何故自分の頭の中に『虹の戦士』ということばが浮かんできたのか、言い伝えられている『虹の戦士』と自分が行おうとしていることにつながりがあるのかピンと来ていません。今後、何かしらのつながりが生き生きと感じらることがあったら、自分なりに探って皆さんにお伝えしたいと思っています。

一人に寄り添う記者でありたい 

2013年08月01日 | S.S.
津田塾大学同窓会 秋田支部同窓会紙への研修報告

 講師 秋田魁新聞記者 三浦 美和子氏    
2013年6月30日 秋田キャッスルホテル・ハウスにて
 
 講師の三浦美和子さんに初めてお会いしたのは、15年近く前のことでした。当時イトーヨーカドー子ども図書館の存続運動に関わっていました。母親達が手さぐりで始めた小さな運動を、拾い上げて記事にしてくれたのが三浦さんでした。大学卒業後間もないフレッシュな記者三浦さんの取材が印象に残っています。

 実は、私は魁購読者ではありません。三浦さんが担当されていた「くらし」欄の記事はほとんど読んだことがない私。三浦さんが今回の研修会用に自ら持参して下さった記事を読んで、久しぶりに(いえ改めて)三浦さんが書かれたものに出会いました。

 読ませていただいたのは、『あの子ときた 県内自死遺族の思い』と『がんと生きる』というシリーズの中から1つずつ。取材を受けた方の置かれた状況を淡々と描きながら、心の深いところからの思いを丁寧に汲もうと、込み上げてくる感情の波もそのままに伝えている記事でした。同じ立場にいる人なら、きっと泣いてしまう。そうでない人だって、胸にぐっと迫ってくるものがある。三浦さんは、魁の読者にこんな力強い記事を発信し続けてきたのか・・・と思ったら、そのことに感動して涙が出そうでした。

 個人の経験・生活史に寄り添って、声なき声を丁寧に描いていく三浦さんの表現スタイルに対して、当事者の置かれた状況を社会の問題点のひとつとして捉え、提言や対策を投げかける社会性を持たせることも大事なのではないかと、社内で意見を言われることもあるそうです。三浦さんのレクチャー後の同窓生の皆さんの活発な意見交換を聞きながら、私は卒論作成の際に指導教官に言われたことを思い出していました。

「社会の分析の方法には、ミクロ(個)からマクロ(社会)へのアプローチとその逆がある。どちらも長短あり、それぞれに意味がある。ミクロから出発する場合は、関わる主体に徹底的にコミットすること。主体に心から共感できるかどうかが卒論として扱ってよいかどうかのカギになる。深くコミットしながら、そこから見える世界を描くことで、個人が住んでいた社会を生き生きと描き出せる。マクロからのアプローチの場合は、対象とする社会を俯瞰的な目で見ることで、客観的な分析ができ、他の社会との比較も可能となるし、反省的な視座も得られる。ただし、個のささやかな思い、一度きりの人生のかけがえのなさなどは、マクロとしてまとめられた時点で切り捨てられることも自覚しておく必要がある。いずれにせよ留意すべきは、これが社会科学のアプローチであるということ。」

 魁新聞を良く読んでいる友人に三浦さんのことを聞いたら、心に沁みる文章を書いてくれる記者さんでファンだと言ってくれました。学童保育に勤めている彼女のところにも取材に来てくれたそうで、友人は、謙虚で飾らない三浦さんの取材姿勢に感心していました。秋田の人は、発信があまり得意ではないと聞きます。声高に自分を語るより黙って我慢するのが美徳とされる文化。でも、皆さん語りたい思いはたくさんあるはず。そのような中で、個である当事者に寄り添い誠実にその人たちの声を描くという三浦さんの記者としてのスタンスは、ミクロからのアプローチとして一本筋が通っているように私には思えました。自然体で爽やかな三浦美和子さんの記者魂にふれたひとときでした。
                                           報告 同窓会員 S.S

『怒りのダンス』=人間関係のパターンを変えるには=    

2013年08月01日 | ともこ
怒りの感情について良書を見つけました。紹介したいと思います。

「世の中、怒れる女は「あばずれ」と嫌われ、バッシングを受けます。女性は得てして養育者であり、ご機嫌を取る者、平和の作り手、揺れ動くボートを支える台であるとされてきました。意見、怒りを押しとどめ、表現する事にさえ罪悪感を感じ「素敵な淑女」として振舞うことを奨励されます。
ところがこの本では怒りは物事に対する感じ方の一つで、何か理由があり、自分が一体何に対して怒っているのか知ることが大事なのだと書いています。怒りの感情には敬意と注意を払いましょう、と。
「怒りのエネルギー」は、大事に扱うと以前より明瞭で確かな自己を獲得できる素晴らしいスキルです。

<パートナーカップルとの関係改善>

二つの視点:シーソーバランス(上下関係)/ 分離と共同のバランス(偏ると非自立的)が大事

<子供との関係改善>

母親になると自分のコントロールの範疇を超えてコントロールできるし、そうすべきだと信じるように促される。良き母親である事を求められ、自らも世間に証明することを望むが、実際には実現せず、怒りが蓄積。
PET(親業):トマス・ゴードン博士(人間関係づくりモデル)に習って Iメッセージで。
             責めメッセージ「あなたは…」―→「私は…」自助メッセージ

子供のどんな行動なら自分は黙認し、あるいは黙認しないかの区別、子供の不品行にはどう対処するのか、明瞭に決めておく。曖昧な境界やその時の感情任せで行わない。
また、家族メンバーが固執し続けている良くない関係のパターンがある時、自分自身が果たしている役割を変化させて見る事も、出来る事の一つである。過去の子ども時代を過ごした家族の関係を振り返ると、何に不安があって今固執しているのかが判明することもある。

<怒りを効果的に活用するには>

Ⅰ 怒りの真実の源に焦点を当てる―――⇒自己を明確にする(怒り、不安な心に気づく)

Ⅱ 冷静に、素直に伝える(交渉する)

Ⅲ 問題の明確化(問題の状況、自分の立場、何が望みか、責任の所在、変化するべきは何(誰)?)

Ⅳ 卑劣な策略を使わない(非難、解釈、レッテル貼り、説教、論争など)いつものパターン?

Ⅴ Iメッセージで伝える(相手を責めない)

Ⅵ 相手に曖昧な要求をしない。明確に伝える

Ⅶ 人はそれぞれ違うのだと理解する(あなたと私の考えは違って当たり前)、認める

Ⅷ 自分のダンスのステップを変える。相手を変えようとしない(パターンから抜け出せる)

Ⅸ 一人一人の人間は自分の行動に責任を持っていることを認識する

Ⅹ 他者に対してその人がどう考えたり感じたりしているか、どうするべきか宣言しない

Ⅺ 第三者をダシに使って話さない(問題の焦点がぼやけてしまう)⇒Iメッセージに変える

Ⅻ 何度も乗り越える覚悟が必要(元の悪いパターンに内外から戻りたがる)               」

前回のなな色メールでは胆汁気質のSさん、Eさんのお二方が怒りの感情の事を書いていましたね。私も胆汁気質です。前向きな働きかけにこの感情を使うことが出来るようになりたいです。

憲宝と地宝①

2013年08月01日 | ともこ
残暑お見舞い申し上げます。皆様夏本番いかがお過ごしでしょうか?

秋田は良い所ですね。特に私の住むにかほ市象潟は山あり海ありですのでそう感じます。私の夏の日の思い出といえば、広島にある母方の実家に夏休み中ずっと一緒に里帰りし、尾道は向島で一緒くらいの歳の従兄妹たちと毎日海に浸かって夏を満喫したことです。瀬戸内のキラキラと眩しい島と島の間の海がありありと浮かびます。堤防から船着場に飛び込んで泳いだり、引潮の河口で綺麗なガラス片を見つけては宝物にしていたこと、畑のトマトに塩をふってもらってまるかぶりして食べたことが思い出されます。

7月の末から二週間、象潟の浄土真宗のお寺のKさんが代表でされている福島っ子たちの保養プロジェクトがありました。私は3日程海遊びのところ限定ボランティアとして参加をしました。子供たちの良く遊ぶこと。いわきでは目の前に海があっても海水浴が安心して出来ないのですから、こっちでははじけているのでしょう。そう思うと切ないです。曇り空だと油断してせっかく買い揃えていた日除けグッズを持参せずいたら午後からの照りに既に潮にまみれていたしでまたまた赤く日焼けてしまい、「走るー、走るー!」状態に。(広島弁で、ヒリヒリと痒い時に言う)これまた従兄妹たちとの思い出ですが。毎年夏休みが明けて大阪に帰ると学校中で一番黒く日焼けしていました。実際、桃の葉エキス入りローションを薬局に買いに走る事に…。ホメオパシーのレメディ、ベラドナとカンサリスも交互にとりました。

母の旧姓は村上といいます。先祖は広島の村上水軍です。(海賊として栄え、有力な勢力として毛利元就の時代に協力をした)今年参議院議員に緑の党から出馬した三宅洋平氏も村上水軍の子孫と彼のスピーチを知人のフェイスブック内の動画で知り、急に親近感がわきました。彼の正直な意見に感動してぎりぎり終焉に応援させてもらっていました。彼の老若男女を問わない人気ぶりは凄かったですね。17万代という票が集ったのに落選したなんて驚きの事実です。とある有力な政党であれば14位で入選だったそうです。選挙のシステムの意味がわかりません。これでは大きい政党が有利な仕組みに作られていて、疑問符?です。参議院議員選挙では、自民が圧勝でしたね。この四月に知人の誘いで憲法について学ぶ機会を持ちました。人権を謳った稀にみる素晴らしい憲法を誇り、そして護るべきと今はっきりと思っています。山本太郎氏が参政することになって、うやむやにされている問題にメスを突き立ててくれることを期待していますが、もうテレビ番組では被ばくというワードを出したとたんにCMカットや話題をすりかえられたり、ネット上で誤解を招く解釈で、発言した言葉を使われたり、ネガティブな風当たりを受けていてとっても心配です。

宮崎駿氏の新しい映画は関東大震災、第二次世界大戦という日本にとってとても苦難の時期だった時が舞台ですね。彼とその他『ほたるの墓』の高畑監督のスタジオジブリが毎月発行している小冊子『熱風』に掲載の文章が選挙直前にネット上で話題になりました。

宮崎駿氏の「憲法を変えるなどもってのほか」より
 ・ 最大の問題は国民の無関心。憲法を変えようなんてもってのほか論議が必要。
 ・ 「戦前の日本は悪くなかった」と言いたいのかもしれないけれど、悪かったのだ。
 ・ 慰安婦の問題もそれぞれの民族の誇りの問題だからきちんと謝罪して賠償すべき。
 ・ 憲法は目標であって、条文をよくしたら貧乏人がいなくなるとかそんなのあり得ない。今やっている仕事が
   おもしろいとか、友人とホッとするいい時間を持つだとか、好きな亭主の顔見たらうれしいとか、これからは   そういうことで生きていかないといけない。」 (高畑監督の記事は後日紹介させていただきます。)

憲宝と地宝②

2013年08月01日 | ともこ
「女性の権利が守られない社会は、人も生きられない社会だ。」アメリカの民生委員として日本国憲法の女性の人権の条項を作成してくれたベアテ・シロタ・ゴードンさんの言葉です。彼女はアート(芸術文化)をアジア、日本からアメリカへと紹介するという天職に就く中で「アートは世界共通の心(ハート)を持っている。世界をアートでつなぎたいという夢を亡くなるまで抱いていました。そして、世界中を廻って感じたことの中に、どこの国の女性も家族の幸せを願って生きているので平和が大切だと理解している。今の世界を平和へと導くのは女性だと言っていました。

仕事をレギュラー勤務でしていると「主婦って毎日お休みのようでいいなぁ。」となるのですが、(専業主婦の方々、ごめんなさい!)主婦業をきちんとするといくら時間があっても足りず、休んでいる暇なんてありません。女の敵は女ではありません。先月お昼のテレビ放送で自民党が三年の育児休暇を女性に保障する政策について話題にし、主婦と働く女性にインタビューをしていましたが、お互い対立の意見でした。


以下は上野千鶴子さんの活動ネットアクション“WAN” に掲載の記事

安部政権は景気回復のための切り札として「女性の活用」を唱え上場企業の役員ひとり以上を女性にとか言い出している。働いてももらいたい他方で子どもも生んでもらいたい、というので「女性手帳」だの「3年抱っこしほうだいの育休」を提案してもいる。

女性の労働参加がなければ少子高齢化がすすむ日本の未来はありえないから動機は不純だが方向は正しい。

しかし方法がまちがっている。

「女性手帳」は各方面から批判を浴びて、ひっこめた。「3年育休」のほうはどうか。

3年育休と突然言われて、女性のあいだからはとまどいの声が生まれた。

これまでそんな要求を女性の側からしたことがなかったからだ。

3年間も仕事を休みたくない、そのあいだにすっかり取り残される、それに長期にわたる育休は、その後の昇進や昇給、退職金や年金にまで影響する。それより現在の働く女性のあいだでは、職場復帰の時期が早期化している。

ほしいのは育休明け保育だ。3歳児保育なら充足率は高い。足りないのはゼロ歳児、1-2歳児、病児、夜間、一時保育だ。そこに

「3年育休」なんて言われたら、ははあーん、これは3歳児未満の保育の充実にお金を使う気がないのだなと解釈するのが正しい。

女を3年家に閉じこめておいて子育てに専念してもらうほうが安上がりだからだろう。

それ以前に現在の育休制度の点検をすべきだろう。

1年育休だって期間を切り上げて早めに職場復帰するひともいるご時世だ。

昔にくらべれば職場復帰の保証があって、育児に専念できるのは福音といってよいが、だからといってまるで自分が授乳タンクのような気分で孤立育児を強いられる状況は変わらない。

期間限定だと思えばこそがまんできる。それに出産の原因をつくったもうひとりの当事者である男親の育休取得はいっこうに進まない。

1991年に育休法ができたあと取得経験者に調査をしたところ、以下のようなことがわかった。まず第1にまるまる1年の休みよりも、時短や在宅勤務のようなかたちで職場となんらかのつながりを保ち続けていたいと思う女性が多かったことだ。

第2に実際に育休をとった女性たちが例外なくこぼしたのは、子どものいない夫婦だけの時代に夫と培った暮らしの協力体制が1年間の「専業主婦」生活のなかですっかり役割分担体制に変わってしまうことだ。

妻が家にいれば夫はとめどなく妻の負担の上にあぐらをかく。

育休前より育休あけのほうが子育ての負担がどっと来るのに夫のほうは手抜きが身についている。

その夫をふたたび協力体制に持っていくまでにたいへんな苦労をした、と多くの女性がこぼした。

なかには夫を変えるのをあきらめて自分で何もかも背負ってしまうスーパーウーマンもいる。

女性を「活用」したいという政治がほんとうに女性の思いを大事にしてくれているかどうかについては、警戒したほうがよさそうだ。

(『京都新聞』「現代のことば」2013.6.10付け)

育児を家でゆったりと出来るのはいい事です。それを授乳タンクと言い放っている文章には賛同しかねますが、ただ家庭内に閉じ込められていると感じてしまう時にはそんな風に考えてしまう事もあります。そういう人は社会に出て働くなど何かするべきです。ただ、母性を子どもに注ぐ必要がなくなるというのでは良くありませんよね。母性を大切にしてもOKな社会、大事なのは母性と仕事の両立です。

ベアテさん;「女性は家庭を守る役割はあるとしても、家の中にずっといないで、自立心を持ち、社会と関わるべきです。そうでないと、世間知らずでは育児においても十分な大人としても意見を提供できないし、何かに夢中になっている人のほうがはつらつとしていられる。反対に職業に就いているならそれはそれで、家計の為だけでなく自分を大切にして自分磨きもしようというつもりでいるべき。

NPOの活動に関わった社会貢献もいい活動で、日本はまだ初期段階の展開であり、手作り感があって、きっとやりがいを見出すものとなる。」

武田邦彦氏のツイッターにあった見解を拝借・・・             

「第二次世界大戦後、女性の社会進出が進み、男性社会に飛び込んだ女性の大半は差別を受け、苦しみ、挫折した。

その原因を「男性」に求めたのは失敗で、理由は〔男性社会はもともと男性の論理でできている/男性は女性のために自分たちが不利になる改良をしない/女性のための社会は女性が作らなければならない〕と。

「男性と女性は同じなのだから同じ取り扱いを受けるべきだ」と女性は言った。

それは正しい。

でも、そう言うと男性は「同じ取り扱いをしているよ」と素っ気ない。

「同じ取り扱い」が「女性に不利」になるのは、男性社会だから・・・。戦後の女性の辛さ、悔しさを見ていると、私には「作戦不足」という感じがする。勝つためには正義を主張するだけでは無く、作戦が必要なのでは無いだろうか?」        (H.25/4/13)


もう成人した姪っ子が子どもの頃に「女は損だ」と仕事と家事をこなしていたお義姉さんを見ていて話していました。本当のジェンダーフリーの社会にしないと、結婚して子どもを育てたいという女性がいなくなるのでは?秋田では封建的な家父長制度の考えが根強いと感じます。我が家は当にその葛藤と確執が起きている現場です。面白がるしかないです。




憲宝と地宝③

2013年08月01日 | ともこ
今、私は“つながるあきた地宝づくりプロジェクト”というグループに入り、田中優さんのトークイベント(9/29)に向けて協力の呼びかけ、協賛金集めを行っています。この活動の中で講演会だけに終わらず、つながった人、店舗、農産業家と協力し合い秋田の良いものを紹介し、交流、流通させる活動をワークショップなどと共に行っていきたいとメンバーの意識が高まってきており、とっても充実しています。

メンバーも素敵な人ばかりで良い刺激を受けています。こども未来ねっと秋田の若いママさんたちの素直で自然体なところ、潟上で農薬や化学肥料に頼らない稲づくり、野菜づくりをしている青年(『ファームガーデン黄昏』のKくん、太陽光発電機器会社の青年実業家『エナジーイノベーション』のOくんなどなど。


以下に“つながるあきた 地宝づくりプロジェクト”を紹介します。

わたしたちは、3.11大震災による東電福島第一原発の深刻な大事故を経験し、これまでの「原発はクリーンエネルギー」という認識が過去のものとなり、反原発、脱原発の道へと舵取りが求められるようになった。原子力政策の論点が、経済性、利便性からの出発であったのに対し、反原発、脱原発提案については、根本的に人間が制御することのできない核融合についての正義的問いからのはじまりであることが重大なポイントであり、これまでの政策がたどり着いた壁は、この近代文明にとっての袋小路のようにも見える。
 
事故を契機に、関心を高めることになった「身の回りのエネルギー」やわたしたちの身体をつかさどっている「食」について、従来の認識ではなく、新しい発想による意識の転換が必要な時にきたのではないだろうか。すなわち、これまでの社会が優先してきた経済、利便性が母なる地球であり自然を犠牲にしてきたのに対し、未来はその地球、いのち、循環をもとに再生・循環のフィードバックが連動する自然循環型・共生型社会へと向かうべきである。

年間3万人もの自殺者を出してしまう社会は異常だと思う。私たちの意図するところは、身の周りの暮らしを身近な自然と共に満ち足りて、鳥たちが唄えば自分たちも笑っていられる。そんなあたりまえの暮らし、真の豊かさを取り戻すことである。わたしたちはまた、これからの未来を担うこどもたちを育てる世代でもある。わたしたちにはこどもたちに明るい未来を手渡す義務がある。地球、いのち、循環、地域、自然などを基礎とした循環的で優しく、支え合うような社会の入り口をつくって、彼らに渡すまでがわたしたちに課されたミッションである。

エネルギー政策について、原子力に賛成、反対という対立軸をつくるのではなく、「なんだ電気だってやってみたら自給自足できるんだ」というもうひとつの選択肢を提示したい。一方、食については、「生きる」と同義的な自然根本的な営みであることを再認識し、今、もっとも無防備な状態にある子どもを守っていくという観点から、最良の選択ができるようなしくみを構築したい。そのような新しい視点で県内地域を見渡すとき、実に豊かでユニークな自然の循環と資源が備わっている事に気づかされる。海や山々、田畑、人々が織りなしてきた暮らしすべてが私たちの貴重な宝、「地宝(ちほう)」であり、この未来のエネルギーを最大限引き出し、暮らしの中で 活用できるようにすることを目標としたい。


秋田を離れられたSさん(「こども未来ねっと」、元「ママの願いネットワーク秋田中央」)がメンバーを揃えてくださいました。感謝しています。

憲宝と地宝④

2013年08月01日 | なな色シスターズ
ここに一つ、マクロビオティックのサイトで見つけた文章を紹介します。(どこのサイトだったか、忘れてしまいましたが、とても素敵な言葉だったのでお借りします。)

訂正します!サティシュ・クマールさんの言葉でした。ナマケモノ倶楽部で紹介されていたものです。
      

              ★Soil★    

ソイル(土)とは、土、大地、環境やエコロジーのことです。私たちは土から生まれ、土に還る存在です。私たちの食べものも、衣服も土から来ます。家の建材も土から来ます。つまり、ソイルは、自然界全体を指す言葉なのです。ならば、土を敬い、祝福しようではありませんか。土が神聖だからこそ、いのちは神聖なのです。土の上で働く農民、農耕そのものも神聖です。大地への畏敬なしに、この世の平和はありえない。私たち人間には、土、地球、自然との平和が必要です。

ところが今、私たちは自然に戦争をしかけている。大地を毒し、動物たちを狭いオリに押し込め、海の魚を乱獲し、川を汚染し、豊かな森を伐り倒している。これはまさに自然に対する戦争です。
必要なのは、自然界との和平。だからこそ、まずソイル(土)なのです。


              ★Soul★

土を大切にすることは、自分を大切にすること。自分を大切にできればこそ、幸せで、健やかで、しなやかな体と心と魂があればこそ、地球を大切にすることもできるのです。

心や体を病み、不幸せで自殺を考えるような人が、どうして他人を、家族やコミュニティを、地球を大切にできるでしょう。自分が健やかで、幸せで、満ち足りていることも必要なのです。だから、自己実現と自己啓発は大切です。
詩、音楽、アート、工芸などの文化的活動、畑仕事、瞑想、ヨガ……、どんな活動でもいい。健やかで幸せな自分をつくるのです。それが人々のため、地球のためなのです。これが、3つの真ん中にソウル(心)を置いた理由です


             ★Society★

そして、ソサエティ(社会)。人々も大切にしなければいけません。現在、世界人口の6分の1、10億以上の人々が飢えに苦しんでいる。なんとひどい社会経済システムを、私たちはつくってしまったのでしょう。

世界は不正に満ちています。飢える人々がいる一方で、食べ物を捨てている人たちがいる。世界中で、40~50%の食べ物が無駄にされています。特に裕福であればあるほど、食べ物を無駄にしている。これが、私たちの社会の仕組みなのです。東京やニューヨークやロンドンのレストランでは、毎晩大量の食料が廃棄されている。スーパーマーケットでも、賞味期限切れの食品が何トンと捨てられます。なんともったいない!

私たちが食べ物を無駄にする分、世界は飢える。だから、無駄のない、フェアで平等な、分配の社会システムが必要です。誰ひとり、飢えることのないように。これが第3の柱、ソサエティ(社会)です。
「土・心・社会」が一体となって、私たちの運動はホリスティックなものとなります。



自然と共存した社会に生きたいですね。 

私は読み聞かせボランティアにも参加する事になりました。言葉を感じる/声にする/表現する、考えているばかりでなく実行する波が来てるようです。マヤ暦では7月26日が新年です。新しい年、黄色い銀河の種の年が始まりました。前年の学び、つながりから更にパワーアップしている実感があります。