『心の扉を開く』〔聖なる日々の言葉〕・・・アイリーン・キャディ著 山川紘矢・川瀬勝・羽成行央訳
『フィンドホーンへのいざない』・・・・・・寺山心一翁
『愛の波動を高めよう』・・・・・・・・・・アイリーン・キャディ著 山川紘矢・亜希子訳
byともこ
みちこさんより
『フィンドホーンの魔法』・・・・・・・・・ポール・ホーケン
『Opeing Doors Within』(「心の扉を開く」の原文)
『Gift from the Findhorn Gardens』・・Margot Henderson
『The Finndoho-Nn Garden Story』
アイリーンさんの言葉は詩のような感じなので、原文で読んだほうが、感動すると思います。やさしい英語です。
『フィンドホーンへのいざない』・・・・・・寺山心一翁
『愛の波動を高めよう』・・・・・・・・・・アイリーン・キャディ著 山川紘矢・亜希子訳
byともこ
みちこさんより
『フィンドホーンの魔法』・・・・・・・・・ポール・ホーケン
『Opeing Doors Within』(「心の扉を開く」の原文)
『Gift from the Findhorn Gardens』・・Margot Henderson
『The Finndoho-Nn Garden Story』
アイリーンさんの言葉は詩のような感じなので、原文で読んだほうが、感動すると思います。やさしい英語です。
フィンドホーンは、瞑想、祈りを取り入れて生き、精霊からのメッセージを実践しその土地で育つはずのない作物が豊かに実り、そういったことが有名になると共に人々が世界各地から集まり、癒しの場としてのワークショップが開かれる場となっているところです。
以下はインターネットより取り入れた紹介文です。
イギリスは来たスコットランドにあるインターナショナル&スピリチュアルコミュニティー、フィンドホーンは、年間約70カ国、1万4千人以上もの人が訪れるスピリチュアルコミュニティ、また特和活動、環境問題において国連と深い関係にあるNGOとしてその名が世界中に知られています。
コミュニティという言葉が文字通りあてはまるように、特定の宗教や一人の指導者によってつくられた団体ではありません。
歌やダンス、アート、自己の内面を見つめるインナーワーク、そして、コミュニティ生活を通して英語を学ぶなど、毎週、さまざまなワークショップが行われ、一人ひとりが自分でしか味わえない唯一の”体験”をお土産に自分の場所へ戻って行きます。
そう、フィンドホーンはまさに「体験」する場所。
自分探しの旅でたどり着く人、体や心の癒しを求めてやって来る人、そこへ行く意味がよくわからないけど、見えない糸に導かれてくる人。国籍も年齢も性別も宗教観もばらばらなら、そこへ行く目的も理由も十人十色。
だから、本当に経験してみないと、フィンドホーンってどんなところかわからないのです。
でも、これは言ってもいいと思います。
自分が本当に自分のやりたいことへ前進しようという前向きな意思を持って行くならば、自分がこれからの人生で必要としている情報、人、体験とフィンドホーンでめぐり合えるということ。これをフィンドホーンマジックなんて呼ぶ人もいます。
ホメオパシー医であるマリオン・リーがフィンドホーンコミュニティに参加したのは、1976年のこと。
そして、フィンドホーンに咲く花々を使い、フィンドホーンフラワーエッセンスを生み出しました。日本人の中ではこのフラワーエッセンスを通して、フィンドホーンを知る人が多いようです。
以下はインターネットより取り入れた紹介文です。
イギリスは来たスコットランドにあるインターナショナル&スピリチュアルコミュニティー、フィンドホーンは、年間約70カ国、1万4千人以上もの人が訪れるスピリチュアルコミュニティ、また特和活動、環境問題において国連と深い関係にあるNGOとしてその名が世界中に知られています。
コミュニティという言葉が文字通りあてはまるように、特定の宗教や一人の指導者によってつくられた団体ではありません。
歌やダンス、アート、自己の内面を見つめるインナーワーク、そして、コミュニティ生活を通して英語を学ぶなど、毎週、さまざまなワークショップが行われ、一人ひとりが自分でしか味わえない唯一の”体験”をお土産に自分の場所へ戻って行きます。
そう、フィンドホーンはまさに「体験」する場所。
自分探しの旅でたどり着く人、体や心の癒しを求めてやって来る人、そこへ行く意味がよくわからないけど、見えない糸に導かれてくる人。国籍も年齢も性別も宗教観もばらばらなら、そこへ行く目的も理由も十人十色。
だから、本当に経験してみないと、フィンドホーンってどんなところかわからないのです。
でも、これは言ってもいいと思います。
自分が本当に自分のやりたいことへ前進しようという前向きな意思を持って行くならば、自分がこれからの人生で必要としている情報、人、体験とフィンドホーンでめぐり合えるということ。これをフィンドホーンマジックなんて呼ぶ人もいます。
ホメオパシー医であるマリオン・リーがフィンドホーンコミュニティに参加したのは、1976年のこと。
そして、フィンドホーンに咲く花々を使い、フィンドホーンフラワーエッセンスを生み出しました。日本人の中ではこのフラワーエッセンスを通して、フィンドホーンを知る人が多いようです。
「私が森へ行ったのは、ゆったりと深い時間を過ごし、人生の本質だけを見つめ、死ぬ時に後悔しないよう生きるため」(ソロー「森の生活」)
ともこさんがご多忙のため、去年行ったフィンドホーンのことを書きませんかと私に声をかけてくれました。一主婦の個人的体験なんて、どうなのかしらとは思いましたが(笑)、当時の日記を読み返してみると、あの時の、日々心が広がっていくような喜びと懐かしさがこみ上げて、あそこで確かに手にしたはずなのに、その後の日常に流され忘れかけていた初心(?)を思い出すためにも、何か書いてみたくなりました。拙い文章ですが少しの間お付き合いくださいませ。
ご存知の方もあるかと思いますが、イギリスはスコットランドの北の端、ほとんど北極圏に近いような僻地にフィンドホーンという場所があります。厳しい気候、まともな土すらなく不毛の砂地だったここに、1960年代、まず3人の男女が住み着き、植物や大地の精霊の声に耳を澄ませ、精霊達の指示通りに種を蒔き畑を作り始めました。何年かするうちに、奇跡のように見事な野菜が育ち、美しい花々が咲き乱れるようになったそうです。多くの科学者が調査したけれど、奇跡としか言いようがないと。その後、フィンドホーンには多くの有機農業関係者や芸術家、それに精神的な探求をしたい人々が集い定住するようになり、今では数百人が暮らしているそうです。
そこでは誰でも参加できるワーク(体験講座)が年間を通して行われており、日本語でのワークもあります。ただ、親子で参加できる「家族体験週間」(7泊8日)は夏だけで英語のみ。大気汚染と人口過密な香港での暮らしに少々疲れていたのもあったかもしれませんが、本を読むうちに行きたくてたまらなくなってしまった私は、英語力に不安を抱えながらも、円高だし、と貯金(へそくり?)をはたいて息子(当時7歳)と一緒に申し込んでしまいました。快く送り出してくれた夫に感謝です(というか、私達のいない間は趣味の釣りに没頭するそうで、何だかとても嬉しそうでした)。
申し込んだのは3月ですが、航空券その他の手配、それに英会話の練習等でまたたく間に日は過ぎ、初めてのヨーロッパへ飛んだのが7月下旬。ロンドンで1泊、翌日夜行バスで12時間半揺られ、スコットランドのインバネス(ネス湖で有名)に着いたのは明け方でした。原野に上る朝日の美しかったこと! スコットランドは北海道に似ているかも。バスから電車に乗り換えてフォレスという小さな町で降り、ここからまたバスでいよいよフィンドホーンヘ。
そしてついにワークの初日です。一週間一緒にワークを体験する仲間は、10家族(計25人)。大人は女性がほとんどですが、男性も2人いました。子どもは小中学生たちです。アジア系はうちだけで、あとは皆ヨーロッパの様々な国からの参加です。まず泊まるロッジ(小屋)を教えられました。私達と同じロッジをシェアしたのは、デンマークから来たママと2人の子達(10歳・8歳)。寝室以外はすべて共用でした。
私達が毎日何をしたかというと、大体午前中は親子一緒に簡単な仕事をします。畑や庭の世話、建物の修理、食堂で食事作りなど。この仕事の割り振りをどう決めたでしょう? 大人だけサンクチュアリ(聖所)と呼ばれる手作りの美しい家に集まって、皆が輪になって手をつなぎ、目を閉じて呼吸を合わせ(チューニングといいます)、自分の魂に聞くのです。私の行くべき場所はどこなのかと。わかった人からその場所の名が書かれた紙の所へ行って座ります。この方法がうまく行かなかった事はないそうです。私はもちろんあの有名な畑に行きたかった。けれどいくら心に聞いてもなぜか「Garden(庭)」という言葉が浮かぶのです。最終的に仕事の割り振りは見事に決まりました。
その後も、何か決める時や、作業を始める時、終わった時にはいつもこのチューニングをしていました。
午後は大人と子どもは別行動。大人は様々なワークやアート、レクチャーを聴いたり瞑想したり。子どもは外でゲームやスポーツ、それに森へハイキングに行っていました。子ども達はすぐ仲良くなり、息子はとても楽しかったようです。そして夜はまた親子一緒になり、皆でダンスやゲーム。終わるのは毎晩夜9時でしたが、何しろ高緯度なのでまるで夕方のように明るいのです。また出される食事のおいしいこと! そこの畑の有機野菜を使ったベジタリアン料理です。
さて、誰でもフィンドホーンへ来て感銘を受けるのは、自然の美しさと、その美が人々にどれほど大切に世話され育てられ、人と調和しているかということかもしれません。ただ、どれほど書いてもフィンドホーンについて説明するのは難しい。できるのはただ本人がそこへ行き体験し感じることだという気がします。一人ひとりの体験は違うし、受け取るものも違います。
私は、丁寧に手をかけた美しいお庭の雑草を引っこ抜きながら(それが、庭のリーダーに言われた私の仕事だったので)、「なぜこの草を殺さなくてはならないの? 生きているのに。ごめんね、ごめんね」と心で言っていました(フィンドホーンは人を繊細にする気がします)。
その夜のワークは、自然の中で二人一組になり、目を閉じた一人を、もう一人が手を引いてあちこち歩かせ、木や草や大地に触れさせるというものでした。私は目をつぶり導かれるままに風や植物を感じ、最後に大地に手を触れた時、思わずそこに顔をつけ横たわりました。まるで巨大な生き物に触れたような感じがしたのです。熱を抱いた豊かな、いや、圧倒的とでもいうべき生命に満ちた大地のエネルギー。その時なぜか天啓のように答えが心に響きました。雑草を抜いてもよいのだと。自然の力は私一人の思惑など超えてはるかに大きい。その中であらゆる生物の調和を保つために、力を持ちすぎた生き物は減らす、それがその生き物のためにもなるのだと。
フィンドホーンは「何か」の気配にみちている場所です。ただ心を開けばそれを感じ、見ることすらできるかもしれません。皆で畑で作業する機会もあり、初めて目にするその伝説の畑は、日の光の中で天に向かい緑に輝き、なにか神聖な感じがするほどでした。素手で土をやわらかくし、種を蒔いていきます。単純な作業の中にも、さらに言えば歩くこの一歩、呼吸の一つにも意味があるような気がしてきました…。
毎日参加者達は、ワークや仕事の感想をシェアします。感極まり涙を流す人も少なくありません。「もううちではTVやコンピューターは見ません」ノルウェーから参加した男性が語りました。「そういうものを日々見ていれば、人は内面の声を聞けなくなっていく。世の中の価値観に支配されてしまう。自分で自分の人生を決められなくなると思うのです」
彼は少々極端かも知れませんし、少なくとも今の私には真似できませんが、それでも胸が熱くなりました。
どうして急がなくてはならない? なぜ競争しなくてはならない? 上を目指さなくては、人より良い学校、良い地位、良い生活……そんなものは皆、誰かの作った幻なのかもしれません。もっと本質的な、もっと大切なこと、そしてきっと本当に幸せになれる道はすでに自分の内面にあり、必要なのは心を開いて耳を澄ますことだけなのかもしれません。そのために自然の中へ行き、瞑想をし、フィンドホーンをただ感じ身を任せたい、ただそのためにだけ、私はあそこまで行ったのだな、と思います。
きっと昔からあらゆる宗教が同じことを伝えてきたことでしょう。ただ、それを私に本当にわからせてくれたのは、フィンドホーンだったのでした。
その後、香港へ戻った私は、完全有機農法をしている畑を探しました(うちはマンションです)。幸い郊外にあり、何とか通える場所だったので、三畳ほどの小さな畑を借りて週末はささやかな野菜作りを楽しんでいます。単純ですが、土いじりは心が安らぎますよね…。あとは、このなな色メールをきっかけに、また瞑想を再開したいなと思っています。
おおさわ みちこ
ともこさんがご多忙のため、去年行ったフィンドホーンのことを書きませんかと私に声をかけてくれました。一主婦の個人的体験なんて、どうなのかしらとは思いましたが(笑)、当時の日記を読み返してみると、あの時の、日々心が広がっていくような喜びと懐かしさがこみ上げて、あそこで確かに手にしたはずなのに、その後の日常に流され忘れかけていた初心(?)を思い出すためにも、何か書いてみたくなりました。拙い文章ですが少しの間お付き合いくださいませ。
ご存知の方もあるかと思いますが、イギリスはスコットランドの北の端、ほとんど北極圏に近いような僻地にフィンドホーンという場所があります。厳しい気候、まともな土すらなく不毛の砂地だったここに、1960年代、まず3人の男女が住み着き、植物や大地の精霊の声に耳を澄ませ、精霊達の指示通りに種を蒔き畑を作り始めました。何年かするうちに、奇跡のように見事な野菜が育ち、美しい花々が咲き乱れるようになったそうです。多くの科学者が調査したけれど、奇跡としか言いようがないと。その後、フィンドホーンには多くの有機農業関係者や芸術家、それに精神的な探求をしたい人々が集い定住するようになり、今では数百人が暮らしているそうです。
そこでは誰でも参加できるワーク(体験講座)が年間を通して行われており、日本語でのワークもあります。ただ、親子で参加できる「家族体験週間」(7泊8日)は夏だけで英語のみ。大気汚染と人口過密な香港での暮らしに少々疲れていたのもあったかもしれませんが、本を読むうちに行きたくてたまらなくなってしまった私は、英語力に不安を抱えながらも、円高だし、と貯金(へそくり?)をはたいて息子(当時7歳)と一緒に申し込んでしまいました。快く送り出してくれた夫に感謝です(というか、私達のいない間は趣味の釣りに没頭するそうで、何だかとても嬉しそうでした)。
申し込んだのは3月ですが、航空券その他の手配、それに英会話の練習等でまたたく間に日は過ぎ、初めてのヨーロッパへ飛んだのが7月下旬。ロンドンで1泊、翌日夜行バスで12時間半揺られ、スコットランドのインバネス(ネス湖で有名)に着いたのは明け方でした。原野に上る朝日の美しかったこと! スコットランドは北海道に似ているかも。バスから電車に乗り換えてフォレスという小さな町で降り、ここからまたバスでいよいよフィンドホーンヘ。
そしてついにワークの初日です。一週間一緒にワークを体験する仲間は、10家族(計25人)。大人は女性がほとんどですが、男性も2人いました。子どもは小中学生たちです。アジア系はうちだけで、あとは皆ヨーロッパの様々な国からの参加です。まず泊まるロッジ(小屋)を教えられました。私達と同じロッジをシェアしたのは、デンマークから来たママと2人の子達(10歳・8歳)。寝室以外はすべて共用でした。
私達が毎日何をしたかというと、大体午前中は親子一緒に簡単な仕事をします。畑や庭の世話、建物の修理、食堂で食事作りなど。この仕事の割り振りをどう決めたでしょう? 大人だけサンクチュアリ(聖所)と呼ばれる手作りの美しい家に集まって、皆が輪になって手をつなぎ、目を閉じて呼吸を合わせ(チューニングといいます)、自分の魂に聞くのです。私の行くべき場所はどこなのかと。わかった人からその場所の名が書かれた紙の所へ行って座ります。この方法がうまく行かなかった事はないそうです。私はもちろんあの有名な畑に行きたかった。けれどいくら心に聞いてもなぜか「Garden(庭)」という言葉が浮かぶのです。最終的に仕事の割り振りは見事に決まりました。
その後も、何か決める時や、作業を始める時、終わった時にはいつもこのチューニングをしていました。
午後は大人と子どもは別行動。大人は様々なワークやアート、レクチャーを聴いたり瞑想したり。子どもは外でゲームやスポーツ、それに森へハイキングに行っていました。子ども達はすぐ仲良くなり、息子はとても楽しかったようです。そして夜はまた親子一緒になり、皆でダンスやゲーム。終わるのは毎晩夜9時でしたが、何しろ高緯度なのでまるで夕方のように明るいのです。また出される食事のおいしいこと! そこの畑の有機野菜を使ったベジタリアン料理です。
さて、誰でもフィンドホーンへ来て感銘を受けるのは、自然の美しさと、その美が人々にどれほど大切に世話され育てられ、人と調和しているかということかもしれません。ただ、どれほど書いてもフィンドホーンについて説明するのは難しい。できるのはただ本人がそこへ行き体験し感じることだという気がします。一人ひとりの体験は違うし、受け取るものも違います。
私は、丁寧に手をかけた美しいお庭の雑草を引っこ抜きながら(それが、庭のリーダーに言われた私の仕事だったので)、「なぜこの草を殺さなくてはならないの? 生きているのに。ごめんね、ごめんね」と心で言っていました(フィンドホーンは人を繊細にする気がします)。
その夜のワークは、自然の中で二人一組になり、目を閉じた一人を、もう一人が手を引いてあちこち歩かせ、木や草や大地に触れさせるというものでした。私は目をつぶり導かれるままに風や植物を感じ、最後に大地に手を触れた時、思わずそこに顔をつけ横たわりました。まるで巨大な生き物に触れたような感じがしたのです。熱を抱いた豊かな、いや、圧倒的とでもいうべき生命に満ちた大地のエネルギー。その時なぜか天啓のように答えが心に響きました。雑草を抜いてもよいのだと。自然の力は私一人の思惑など超えてはるかに大きい。その中であらゆる生物の調和を保つために、力を持ちすぎた生き物は減らす、それがその生き物のためにもなるのだと。
フィンドホーンは「何か」の気配にみちている場所です。ただ心を開けばそれを感じ、見ることすらできるかもしれません。皆で畑で作業する機会もあり、初めて目にするその伝説の畑は、日の光の中で天に向かい緑に輝き、なにか神聖な感じがするほどでした。素手で土をやわらかくし、種を蒔いていきます。単純な作業の中にも、さらに言えば歩くこの一歩、呼吸の一つにも意味があるような気がしてきました…。
毎日参加者達は、ワークや仕事の感想をシェアします。感極まり涙を流す人も少なくありません。「もううちではTVやコンピューターは見ません」ノルウェーから参加した男性が語りました。「そういうものを日々見ていれば、人は内面の声を聞けなくなっていく。世の中の価値観に支配されてしまう。自分で自分の人生を決められなくなると思うのです」
彼は少々極端かも知れませんし、少なくとも今の私には真似できませんが、それでも胸が熱くなりました。
どうして急がなくてはならない? なぜ競争しなくてはならない? 上を目指さなくては、人より良い学校、良い地位、良い生活……そんなものは皆、誰かの作った幻なのかもしれません。もっと本質的な、もっと大切なこと、そしてきっと本当に幸せになれる道はすでに自分の内面にあり、必要なのは心を開いて耳を澄ますことだけなのかもしれません。そのために自然の中へ行き、瞑想をし、フィンドホーンをただ感じ身を任せたい、ただそのためにだけ、私はあそこまで行ったのだな、と思います。
きっと昔からあらゆる宗教が同じことを伝えてきたことでしょう。ただ、それを私に本当にわからせてくれたのは、フィンドホーンだったのでした。
その後、香港へ戻った私は、完全有機農法をしている畑を探しました(うちはマンションです)。幸い郊外にあり、何とか通える場所だったので、三畳ほどの小さな畑を借りて週末はささやかな野菜作りを楽しんでいます。単純ですが、土いじりは心が安らぎますよね…。あとは、このなな色メールをきっかけに、また瞑想を再開したいなと思っています。
おおさわ みちこ
おっちょこちょいで定評のある私は家族からの信用は薄い。あえて言えばピースが私に向ける視線だけはキラキラしている。それも一日2回の散歩のときだけに限定されるが。とにかくそそっかしい。最近年齢のせいにはしたくないが、特に磨きがかかってきているように思われる。
そんな私が、縁あってホームヘルパーの仕事を始めて4か月ほどになるところである。
これがなかなかいいやとても大変である。初心者の私が訪問するお宅は掃除、調理、買い物代行が主で身体介護を必要とする方のところにはお邪魔していない。
ある日の午前中、「行って来ます。」と事務所を出て私はAさん宅へ向かった。彼女のお宅では、夕飯のメニューを一緒に考え、買い物代行して調理をし、残りの時間で掃除をして来るのが決まりだった。
台所に立っていると、事務所からの電話が鳴った。こんな時に何だろうと思いつつ、Aさんの了解を得て、電話に出ると責任者が「Bさん宅に向かうことは出来るか。」と尋ねた。「今、Aさんのお宅で調理をしている途中なんですが・・・。」事態を最初掴めないでいたのだが、そうだった!今いるAさんのお宅は午後からの訪問だったのだ。本来ならば今はBさんのお宅に行かなければならないのだ。さぁ、焦った。結局責任者の取り計らいとBさんの寛大さから午後の訪問へと変更して頂き、Aさん宅はこのまま続行ということに落ち着いた。本来はBさん宅が10時半からでAさん宅は1時半からだったのだ。
さて、時間を間違えて訪問されたAさん、私が間違えて来たことを知ってか知らずか、「こんにちは」とお邪魔した時から不審がるところは全くなかった。いつものように迎えてくれた。しかし、事務所からの電話を切った途端、「魚の火は大丈夫か」と未だかつて調理中の台所になど顔を出さないAさんが心配して見に来てくれた。私が間違えて来ていることはAさんには伝えていないのにもかかわらず。私は平静を取り繕い、時間内に決められたことを行った。帰り際、Aさんは私に「なぁんにも焦ることなどない。慌てなくていいから。」と声をかけてくれた。全てはお見通しだったようだ。体からへなへなと力が抜けていった。私はAさんの手のひらに載せられていた気持ちになり、思わず手を合わせたくなった。
Aさんは40キロ足らずのやせた小さなおばあちゃん。普段のAさんは無口で自分から話しかけてくることは余りない。いつもころんころんと横になってばかりいる。いつか起きあがるのを手伝ったことがあった。そのとき思った。年を重ねた人というのはこんなにも体中が皺だらけになるものなのかと驚いた。
気を取り直して午後、Bさん宅に伺った。否応なく変更させられたことを平身低頭謝罪し、私の失敗はお咎めなしと相成った。高らかに笑われておしまいだった。
またあるお宅では。「今日は佐藤さんが来てくれたのか。良かったぁ。」そう言ってくれるのは同じ県南出身のCさん。そんな声掛けをしてもらうとまんざらでもない気持ちになる。彼女は這うことしかできない。「毎日、今日も生きていると思う。その証にできることはなるべく何でも自分でするようにしている。今生きていることに感謝している。」彼女の言葉はずしんと響く。「生きる」ことを突きつけられる、そんな気持ちになる。
見えない初心者マークを胸につけ、日々発見と失敗の連続をしている。
家族から失いかけている信用を別のところで取り返さなきゃ。
そんな私が、縁あってホームヘルパーの仕事を始めて4か月ほどになるところである。
これがなかなかいいやとても大変である。初心者の私が訪問するお宅は掃除、調理、買い物代行が主で身体介護を必要とする方のところにはお邪魔していない。
ある日の午前中、「行って来ます。」と事務所を出て私はAさん宅へ向かった。彼女のお宅では、夕飯のメニューを一緒に考え、買い物代行して調理をし、残りの時間で掃除をして来るのが決まりだった。
台所に立っていると、事務所からの電話が鳴った。こんな時に何だろうと思いつつ、Aさんの了解を得て、電話に出ると責任者が「Bさん宅に向かうことは出来るか。」と尋ねた。「今、Aさんのお宅で調理をしている途中なんですが・・・。」事態を最初掴めないでいたのだが、そうだった!今いるAさんのお宅は午後からの訪問だったのだ。本来ならば今はBさんのお宅に行かなければならないのだ。さぁ、焦った。結局責任者の取り計らいとBさんの寛大さから午後の訪問へと変更して頂き、Aさん宅はこのまま続行ということに落ち着いた。本来はBさん宅が10時半からでAさん宅は1時半からだったのだ。
さて、時間を間違えて訪問されたAさん、私が間違えて来たことを知ってか知らずか、「こんにちは」とお邪魔した時から不審がるところは全くなかった。いつものように迎えてくれた。しかし、事務所からの電話を切った途端、「魚の火は大丈夫か」と未だかつて調理中の台所になど顔を出さないAさんが心配して見に来てくれた。私が間違えて来ていることはAさんには伝えていないのにもかかわらず。私は平静を取り繕い、時間内に決められたことを行った。帰り際、Aさんは私に「なぁんにも焦ることなどない。慌てなくていいから。」と声をかけてくれた。全てはお見通しだったようだ。体からへなへなと力が抜けていった。私はAさんの手のひらに載せられていた気持ちになり、思わず手を合わせたくなった。
Aさんは40キロ足らずのやせた小さなおばあちゃん。普段のAさんは無口で自分から話しかけてくることは余りない。いつもころんころんと横になってばかりいる。いつか起きあがるのを手伝ったことがあった。そのとき思った。年を重ねた人というのはこんなにも体中が皺だらけになるものなのかと驚いた。
気を取り直して午後、Bさん宅に伺った。否応なく変更させられたことを平身低頭謝罪し、私の失敗はお咎めなしと相成った。高らかに笑われておしまいだった。
またあるお宅では。「今日は佐藤さんが来てくれたのか。良かったぁ。」そう言ってくれるのは同じ県南出身のCさん。そんな声掛けをしてもらうとまんざらでもない気持ちになる。彼女は這うことしかできない。「毎日、今日も生きていると思う。その証にできることはなるべく何でも自分でするようにしている。今生きていることに感謝している。」彼女の言葉はずしんと響く。「生きる」ことを突きつけられる、そんな気持ちになる。
見えない初心者マークを胸につけ、日々発見と失敗の連続をしている。
家族から失いかけている信用を別のところで取り返さなきゃ。