なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

迷い犬「キャップ」

2008年07月01日 | さとうえりこ
 堤防をうろついている汚い犬がいた。朝、散歩をしている私たちについてくる。足早に歩いたり、隠れたりして、その犬から離れたのだが、とうとう夕方までうろうろしていた。一日中うろつきまわり、もしかして捨て犬かもしれないと思うとじっとしていられなくなった。

 おせっかいの芽がむくむくと出てきて、夫に相談した。「犬猫ネットワーク(捨て犬などの世話をするボランティア団体)に相談してみたら」といった。早速電話をして、飼い主探しをする間うちで保護することにした。一方で犬友達に連絡し助けてもらうことにした。

 捨て犬などを保護したら①警察に届ける。②保健所に届ける。③魁新聞に載せてもらう(迷い犬保護の記事は無料)。④ラジオ局(どの局かは忘れてしまった)で放送してもらう、など細々とある。犬猫ネットワークから依頼されたことは、病院へ連れて行き、病気を持っていないか、年はいくつぐらいか聞いてきて欲しい、とのこと。

 言われたことは全てした。当時パートに出ていなかったのでPCは全くいじれず、ポスターは手書きだった。娘に絵を描いてもらい、字は私が書いた。「僕のこと知りませんか?ぼく、お家がわかんなくなっちゃった。お家へ帰りたいよ~」と。我が家にいる間だけは「キャップ」という名をつけ、タイヤを保管してある所(2台分のタイヤは全て取り出して)を当座の犬小屋にした。そしてそばにポスターを貼った。

 キャップはとても人懐こく澄んだ、きれいな目をしていた。その目を見るとどんな事情があったのか、想像が膨らみ不憫でたまらなくなった。触ると、毛がべたべたとして手を洗わなければならないほど、ひどく汚れていた。犬ならば大抵できる「お座り」ができない。ジャムママ(これから出てくるカタカナ名は全て犬の名)は犬友達の中でも一番の物知りならぬ犬知りで、ボランティア犬をさせている頼りになる人だ。デジカメを片手にやってきた。ポスターを作ってくれるというのだ(カラーコピーをしてスーパーや学校に貼らせてもらった)。

 遠吠えをして困っている話をすると「遠吠えをする犬なんて珍しくてあまり聞いたことがない。もしかして、多頭飼いされていたのかなぁ。数頭でいたら、仲間に知らせたくてそういうことをすることもあるから。お座りができないって、どういうことだろう。大抵お座りぐらいはできるんだけど。それに、こんなに汚れていて、一体何日うろうろしていたんだろう。どこから来たんだろう。捨て犬かなあ。洗ってもらっていなかっただけなのかなあ。」と疑問だらけだった。

 こういうニュースは仲間にたちまち広まった。イヴママがやってきて「あんまり汚いから洗ってあげる。少し貸して。きれいにして返すから。」と耳掃除までして連れてきた。いい匂いがした。チワワのケンタママがやってきた。「生協でポスター見たよ。話には聞いていたから見に来てみた。これさ、試供品でもらったえさなんだけど、うちのケンタ食べないから、あげて。」とえさを持ってきてくれた。そうかと思えば、ドレミのおばあちゃんが「どこからきたんだろうね~。見たことあるような、ないような。」とキャップを眺めては気の毒そうに声をかけてくれた。柴犬のケンタママは「これどうぞ」とおやつを置いていってくれた。

 私は2匹を連れて散歩に出かけ、堤防で行き会う犬の飼い主たちみんなに声をかけた。「こっちの大きいほうの犬、うちで保護しています。ここでうろうろしていました。見たことないですか。」と。犬を飼う立場としては皆同じ気持ちである。わかったら声をかけると快く返事をしてくれた。

 それから10日ほど。「お座り」のコマンドに対して「伏せ」をするようになった。「伏せ」は「お座り」よりも服従の気持ちがより強くないとしないポーズだ(座ることより伏せの状態から立ち上がるほうが、時間がかかるから)。帰宅する遠くの息子の姿を見つけると尻尾を振って喜ぶようになった。そんなある夕飯時、一本の電話がかかってきた。「私、Mスーパーにある犬のポスターを見たものですが、あの犬知っています。町はずれににある車屋の犬です。」胸が高鳴った。『これでキャップは家に帰れる♪』連絡がつき、今日は迎えに行かれないというのでこちらから送っていった。一日でも早く返してあげたくて。

 キャップは鎖と首輪が外れ、堤防伝いにやってきた。何日も放浪していたわけではないようだった。キャップの家は広い敷地で手広く商売をしているらしく(自動車販売及び整備工場)あちこちに犬がつながれていた。従業員の人がキャップを見るなり「お前、きれいになってきたな。」と声をかけた。飼い主の社長が留守で、従業員の人たちが対応してくれた。名を尋ねると名前はないというではないか。娘はさよならが悲しくて私の後に隠れてしまった。子供達にとってキャップもピース同様家族になりかけていたのだ。キャップに別れを告げ、キャップ用にそろえたごはん茶碗、水のみとおもちゃをお土産に置いて帰宅した。

 当然車の中はお通夜状態。子供ながらに涙をこらえているのがわかった。「名前がないなんて。」と息子はぽつり。

 後日ジャムママは教えてくれた。「どんなに人間が見て劣悪だと感じる飼われ方をしていても、犬にとっては自分の家に変わりないのだから、幸せなんだって。ご主人のところが一番なんだって。だから幸せなんだよ、家に帰れたんだから。よく見つかったと思うよ。」と。子供たちに、この話を聞かせ、「キャップは幸せ」を強調した。だが内心私もピースと比べてしまい、割り切れないところがあった。

 今回の件では、沢山の犬友達から助けてもらった。たった1匹の犬がこれ程までに人のつながりを強くしてくれるとは、人の優しさに感謝する出来事だった。そういう一方で命を預かる大変さを知り、もうこりごりとも思った。

 それから数ヶ月。登校して行った息子が「お母さん!」と戻ってきた。怪我でもしたのか、忘れ物かと、慌てて玄関に出て行くと「ほらぁ、首輪がなくて。それに僕について来るんだよ。危ないから連れてきた。」と性懲りもなく、また別の犬を連れてきたのだった。
もう4~5年前の話である。