昨年11月、美しく若い国王夫妻の来日によって「ブータン旋風」がまき起こりました。テレビのない貧乏貴族の私は残念ながらその映像を見ることができませんでしたが皆さんはどんな印象をもたられましたか?秋田市長の穂積さんは広報のコラムで次のように書いています。
「凛とした中にも常にほほ笑みをたたえた柔和な表情、話しかけるときの慈しみに満ちたまなざし、それでいてなぜか懐かしいようなほのぼのとした空気、ブータンから来た国王夫妻の身のこなしは“人間にとって真の豊かさや幸せ”を雄弁に物語っていたように思います。」
(広報あきた24.3.2号)
私は本に紹介されている写真を通して、手を合わせて合掌する姿に一番心魅かれました。信仰者としての精神性が表れていると思いました。
実は国王夫妻来日以前から私はブータン王国に関心を寄せていました。それはいわゆる有名な「国民総幸福量」という言葉によってです。日本はじめ世界各国が“経済のさらなる発展”という錦旗をふりかざしながら疾走している中でGNP8国民総生産)よりGNH(国民総幸福量)こそ、大切と言う国とはどんな国なのだろう?・・・経済大国ではなく幸福大国を目指すという気骨あるアンチテーゼを提唱する国とは?・・・ずっと憧れのような思いを抱いてきました。
「求めよ、さらば与えられん」、ブータンを知る機会が訪れました。その最初は一月十一日秋田さきがけに西田文信氏の『ブータン王国から学ぶこと』という記事でした。西田氏は秋田大学国際交流センター准教授でブータンの言語研究者(日本では一人)。政治的にも経済的にも行き詰まり、希望が失われた今の日本、特に3.11後“このままではいけない。社会のあり方を大きく変えていかなければ”という思いを持ち続けていた私に一条の光をさしこんでくれる内容でした。また地元秋田に愛着をもつ一人として、秋田もブータンにして行けるというエールにいたく共鳴したのです。
続いてラッキーにもその西田先生の講演があることを市の広報で知り、いの一番に申し込み、いの一番に会場に出向きました。中央図書館明徳館での市民向け文化講座。演題は『ブータン王国の文化・社会・言語』定員50名。二日間の連続講話。私は都合で初めの一日だけの参加でしたが。毎年研究の為ブータンを訪問しておられるという先生のお話は具体的で説得力あるものでした。スクリーンに一般庶民の食事メニューが映し出されたとき目を大きくして頭にしっかり刻みつけました。(激辛とうがらしの話など後日紹介させていただきます。)
その後さらに詳しく情報を得たのは次の二冊の本です。
『ブータン王国はなぜこんなに愛されるのか』田中敏恵著 小学館 1470円
『地球の歩き方「ブータン」』 ダイヤモンド社 1890円 つづく
シンプルな幸福感
GNH(Grass National Happiness is more important than Grass National Product.)という理念の意味するものを4代国王のことばで拾い上げていきますととてもシンプルです。でも深い意味が内包されている気がします。
「私が国民総幸福量という言葉で表現したかったのは人生の充足である」
「“幸福”というのは非常に主観的なもので個人差がある。だから本来は国の方針とはなりえない。私が意図したことはむしろ“充足”である。それはある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に誰もが感じることである。この充足感を持てることが人間にとって最も大切なことである。私が目指していることはブータン国民一人ひとりがブータン人として生きることを誇りと思い、自分の人生の充足に充足感を持つことである。」
本『ブータン王室はなぜこんなに愛されるのか』より
思うにこれはGNH第二位の経済大国である私たち日本人に欠けているものではないでしょうか。希望する職につけない、派遣社員、失業、血縁地縁の欠如した無縁社会。飽食の豊かさと共に増える不健康。そして原発事故による見えざる恐怖etc.
四代国王の愛用句“ガー・トト、キー・トト”(ゾンカ語)心身ともに心地よい状態という一見素朴にも聞こえる幸福観は大地震で家屋、家族を失った方には切実にせまる“日常性の幸せ”を表現しているのでは、と思います。
「ブータンは、近代化はするが西洋化はしない」(同書60ページ)
ブータンはヒマラヤ7.000メートルの銀嶺を背に地上1.000メートルにいたる斜面山岳地帯。「最後の秘境」とも言われてきた。長い間陸の孤島として鎖国状態だったため近代化の歩みは遅い。国連加入は1971年。しかし国際社会へのデビューが遅れた分ブータンは先進国の陥ったジレンマをつぶさに見ることになります。経済の高度成長がもたらした光と影を。特に負の面として環境破壊や公害、地方の過疎化、伝統文化の衰退、行き過ぎた競争社会がもたらした貧富の差、失業、自殺率の増加などなど。
北に中国、南にインドという大国にはさまれた弱小国ブータンはそういう先進国の状勢を踏まえてGNHの概念を醸成してきたに違いありません。国の政策として四つの柱を打ち出している。
①健全な経済成長と開発 ②環境保全と持続的な利用 ③伝統文化の保護と振興 ④良い統治
このようにGNHという理想を掲げるブータン国の現実はどうなのだろう。国家予算の3割はインド、日本などの国際援助による。道路、電力などのインフラ整備は決定的に遅れている。発電はブータンの最大の産業。爆流が落下する山岳地帯ゆえ、水力発電で得た電力をインドに輸出。それが最大の外資獲得となっている。しかし険しい地形に阻まれて国内の送電網は未発達。都市郡での普及には時間がかかる模様。しかし電気代は安いため、いったん電化された地域ではテレビ、ビデオ、炊飯器、ラジカセなどが急速に普及している。
ただ羨ましいことは、教育費と医療費の無料(国家蔵出の三割、識字率約六割)国土の森林面積の割合を60%以上の維持を定めるエコ国家。たばこ喫煙の制限、環境保護のためポリ袋の使用が制限されているので現地調達は難しい!ヤッホー!
ブータンは現代の桃源郷になれるか?
日本の江戸時代にスリップしたような面影をもっていたブータンも、最近首都ティンプーなどは急速に都市化が進んでいるという。民族衣裳ゴ・キラの布地もインドから機械折りの安価なものが流通。特にインターネットテレビの導入によって世界の情報が一瞬のうちに入ってくる。「陸の孤島」「秘境」「桃源郷」というイメージは徐々に変容していくに違いない。「近代化はするが西洋化はしない」とは四代国王の言葉であるが、若い世代は西洋の刺激に敏感に反応していくのでは、と予想される。
鎖国から明治維新、と西洋文化の導入、西洋に追いつけ追いこせの経済政策をとってきたわが国日本。日本の伝統文化は衰退、消滅の危機に瀕している。ブータンが「ブルータス、おまえもか」とならないように私は切に願う。でも私は次の二点からブータンに期待する。不完全な人間の為すこと故GNHの理想の100%成就とはありえない、私は60%達成でいいと思う。そしてその60%をブータンはかなえてくれるのではないかと。理由は・・・一つは小さい国だから。二つめは政教一致の国だから。
(一) 小さい国だからできる
ブータンの国土面積は日本の九州位だという。そして人口は約70万人(東京都大田区の人口と同じ)。国土は険しい山岳と急崚な渓谷によって分断され谷ごと、村ごとに言語が違うといわれるほど多様で複雑な文化を持つ。また山岳の牧畜民と中標高地帯の農耕民、南部亜熱帯と高度による多様性もある。(ちなみに国際空港のあるパロ、そして首都ティンプーの高度は2500メートル位。人によっては空気の薄さを感じ、息切れ、頭痛、吐き気などの症状をきたらすらしい。しかし、どこに行くにも1000メートル以下の谷底に下りたかと思うと3000メートル以上の峠を越える、という高度馴化のくり返しで慣れやすいともいわれる。)
ヒマラヤ山脈を背にするブータン。その国土の多様性があるとしても単純に言えることは「小さい国」だということ。「小さい国」といえばモナコ王国やバチカン市国を思い出す。それほどでないとしても私は「小ささ」に注目したい。GNHという理想は小さい国だから達成できる。否 逆に言って小さくなければ達成できないのではないか、私の推論である。
「凛とした中にも常にほほ笑みをたたえた柔和な表情、話しかけるときの慈しみに満ちたまなざし、それでいてなぜか懐かしいようなほのぼのとした空気、ブータンから来た国王夫妻の身のこなしは“人間にとって真の豊かさや幸せ”を雄弁に物語っていたように思います。」
(広報あきた24.3.2号)
私は本に紹介されている写真を通して、手を合わせて合掌する姿に一番心魅かれました。信仰者としての精神性が表れていると思いました。
実は国王夫妻来日以前から私はブータン王国に関心を寄せていました。それはいわゆる有名な「国民総幸福量」という言葉によってです。日本はじめ世界各国が“経済のさらなる発展”という錦旗をふりかざしながら疾走している中でGNP8国民総生産)よりGNH(国民総幸福量)こそ、大切と言う国とはどんな国なのだろう?・・・経済大国ではなく幸福大国を目指すという気骨あるアンチテーゼを提唱する国とは?・・・ずっと憧れのような思いを抱いてきました。
「求めよ、さらば与えられん」、ブータンを知る機会が訪れました。その最初は一月十一日秋田さきがけに西田文信氏の『ブータン王国から学ぶこと』という記事でした。西田氏は秋田大学国際交流センター准教授でブータンの言語研究者(日本では一人)。政治的にも経済的にも行き詰まり、希望が失われた今の日本、特に3.11後“このままではいけない。社会のあり方を大きく変えていかなければ”という思いを持ち続けていた私に一条の光をさしこんでくれる内容でした。また地元秋田に愛着をもつ一人として、秋田もブータンにして行けるというエールにいたく共鳴したのです。
続いてラッキーにもその西田先生の講演があることを市の広報で知り、いの一番に申し込み、いの一番に会場に出向きました。中央図書館明徳館での市民向け文化講座。演題は『ブータン王国の文化・社会・言語』定員50名。二日間の連続講話。私は都合で初めの一日だけの参加でしたが。毎年研究の為ブータンを訪問しておられるという先生のお話は具体的で説得力あるものでした。スクリーンに一般庶民の食事メニューが映し出されたとき目を大きくして頭にしっかり刻みつけました。(激辛とうがらしの話など後日紹介させていただきます。)
その後さらに詳しく情報を得たのは次の二冊の本です。
『ブータン王国はなぜこんなに愛されるのか』田中敏恵著 小学館 1470円
『地球の歩き方「ブータン」』 ダイヤモンド社 1890円 つづく
シンプルな幸福感
GNH(Grass National Happiness is more important than Grass National Product.)という理念の意味するものを4代国王のことばで拾い上げていきますととてもシンプルです。でも深い意味が内包されている気がします。
「私が国民総幸福量という言葉で表現したかったのは人生の充足である」
「“幸福”というのは非常に主観的なもので個人差がある。だから本来は国の方針とはなりえない。私が意図したことはむしろ“充足”である。それはある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に誰もが感じることである。この充足感を持てることが人間にとって最も大切なことである。私が目指していることはブータン国民一人ひとりがブータン人として生きることを誇りと思い、自分の人生の充足に充足感を持つことである。」
本『ブータン王室はなぜこんなに愛されるのか』より
思うにこれはGNH第二位の経済大国である私たち日本人に欠けているものではないでしょうか。希望する職につけない、派遣社員、失業、血縁地縁の欠如した無縁社会。飽食の豊かさと共に増える不健康。そして原発事故による見えざる恐怖etc.
四代国王の愛用句“ガー・トト、キー・トト”(ゾンカ語)心身ともに心地よい状態という一見素朴にも聞こえる幸福観は大地震で家屋、家族を失った方には切実にせまる“日常性の幸せ”を表現しているのでは、と思います。
「ブータンは、近代化はするが西洋化はしない」(同書60ページ)
ブータンはヒマラヤ7.000メートルの銀嶺を背に地上1.000メートルにいたる斜面山岳地帯。「最後の秘境」とも言われてきた。長い間陸の孤島として鎖国状態だったため近代化の歩みは遅い。国連加入は1971年。しかし国際社会へのデビューが遅れた分ブータンは先進国の陥ったジレンマをつぶさに見ることになります。経済の高度成長がもたらした光と影を。特に負の面として環境破壊や公害、地方の過疎化、伝統文化の衰退、行き過ぎた競争社会がもたらした貧富の差、失業、自殺率の増加などなど。
北に中国、南にインドという大国にはさまれた弱小国ブータンはそういう先進国の状勢を踏まえてGNHの概念を醸成してきたに違いありません。国の政策として四つの柱を打ち出している。
①健全な経済成長と開発 ②環境保全と持続的な利用 ③伝統文化の保護と振興 ④良い統治
このようにGNHという理想を掲げるブータン国の現実はどうなのだろう。国家予算の3割はインド、日本などの国際援助による。道路、電力などのインフラ整備は決定的に遅れている。発電はブータンの最大の産業。爆流が落下する山岳地帯ゆえ、水力発電で得た電力をインドに輸出。それが最大の外資獲得となっている。しかし険しい地形に阻まれて国内の送電網は未発達。都市郡での普及には時間がかかる模様。しかし電気代は安いため、いったん電化された地域ではテレビ、ビデオ、炊飯器、ラジカセなどが急速に普及している。
ただ羨ましいことは、教育費と医療費の無料(国家蔵出の三割、識字率約六割)国土の森林面積の割合を60%以上の維持を定めるエコ国家。たばこ喫煙の制限、環境保護のためポリ袋の使用が制限されているので現地調達は難しい!ヤッホー!
ブータンは現代の桃源郷になれるか?
日本の江戸時代にスリップしたような面影をもっていたブータンも、最近首都ティンプーなどは急速に都市化が進んでいるという。民族衣裳ゴ・キラの布地もインドから機械折りの安価なものが流通。特にインターネットテレビの導入によって世界の情報が一瞬のうちに入ってくる。「陸の孤島」「秘境」「桃源郷」というイメージは徐々に変容していくに違いない。「近代化はするが西洋化はしない」とは四代国王の言葉であるが、若い世代は西洋の刺激に敏感に反応していくのでは、と予想される。
鎖国から明治維新、と西洋文化の導入、西洋に追いつけ追いこせの経済政策をとってきたわが国日本。日本の伝統文化は衰退、消滅の危機に瀕している。ブータンが「ブルータス、おまえもか」とならないように私は切に願う。でも私は次の二点からブータンに期待する。不完全な人間の為すこと故GNHの理想の100%成就とはありえない、私は60%達成でいいと思う。そしてその60%をブータンはかなえてくれるのではないかと。理由は・・・一つは小さい国だから。二つめは政教一致の国だから。
(一) 小さい国だからできる
ブータンの国土面積は日本の九州位だという。そして人口は約70万人(東京都大田区の人口と同じ)。国土は険しい山岳と急崚な渓谷によって分断され谷ごと、村ごとに言語が違うといわれるほど多様で複雑な文化を持つ。また山岳の牧畜民と中標高地帯の農耕民、南部亜熱帯と高度による多様性もある。(ちなみに国際空港のあるパロ、そして首都ティンプーの高度は2500メートル位。人によっては空気の薄さを感じ、息切れ、頭痛、吐き気などの症状をきたらすらしい。しかし、どこに行くにも1000メートル以下の谷底に下りたかと思うと3000メートル以上の峠を越える、という高度馴化のくり返しで慣れやすいともいわれる。)
ヒマラヤ山脈を背にするブータン。その国土の多様性があるとしても単純に言えることは「小さい国」だということ。「小さい国」といえばモナコ王国やバチカン市国を思い出す。それほどでないとしても私は「小ささ」に注目したい。GNHという理想は小さい国だから達成できる。否 逆に言って小さくなければ達成できないのではないか、私の推論である。