なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

ブータン・人類の希望の国  ①

2012年03月25日 | いしかわようこ
昨年11月、美しく若い国王夫妻の来日によって「ブータン旋風」がまき起こりました。テレビのない貧乏貴族の私は残念ながらその映像を見ることができませんでしたが皆さんはどんな印象をもたられましたか?秋田市長の穂積さんは広報のコラムで次のように書いています。
「凛とした中にも常にほほ笑みをたたえた柔和な表情、話しかけるときの慈しみに満ちたまなざし、それでいてなぜか懐かしいようなほのぼのとした空気、ブータンから来た国王夫妻の身のこなしは“人間にとって真の豊かさや幸せ”を雄弁に物語っていたように思います。」 
(広報あきた24.3.2号)
私は本に紹介されている写真を通して、手を合わせて合掌する姿に一番心魅かれました。信仰者としての精神性が表れていると思いました。

実は国王夫妻来日以前から私はブータン王国に関心を寄せていました。それはいわゆる有名な「国民総幸福量」という言葉によってです。日本はじめ世界各国が“経済のさらなる発展”という錦旗をふりかざしながら疾走している中でGNP8国民総生産)よりGNH(国民総幸福量)こそ、大切と言う国とはどんな国なのだろう?・・・経済大国ではなく幸福大国を目指すという気骨あるアンチテーゼを提唱する国とは?・・・ずっと憧れのような思いを抱いてきました。

「求めよ、さらば与えられん」、ブータンを知る機会が訪れました。その最初は一月十一日秋田さきがけに西田文信氏の『ブータン王国から学ぶこと』という記事でした。西田氏は秋田大学国際交流センター准教授でブータンの言語研究者(日本では一人)。政治的にも経済的にも行き詰まり、希望が失われた今の日本、特に3.11後“このままではいけない。社会のあり方を大きく変えていかなければ”という思いを持ち続けていた私に一条の光をさしこんでくれる内容でした。また地元秋田に愛着をもつ一人として、秋田もブータンにして行けるというエールにいたく共鳴したのです。

続いてラッキーにもその西田先生の講演があることを市の広報で知り、いの一番に申し込み、いの一番に会場に出向きました。中央図書館明徳館での市民向け文化講座。演題は『ブータン王国の文化・社会・言語』定員50名。二日間の連続講話。私は都合で初めの一日だけの参加でしたが。毎年研究の為ブータンを訪問しておられるという先生のお話は具体的で説得力あるものでした。スクリーンに一般庶民の食事メニューが映し出されたとき目を大きくして頭にしっかり刻みつけました。(激辛とうがらしの話など後日紹介させていただきます。)

その後さらに詳しく情報を得たのは次の二冊の本です。
『ブータン王国はなぜこんなに愛されるのか』田中敏恵著 小学館 1470円
『地球の歩き方「ブータン」』         ダイヤモンド社 1890円    つづく

シンプルな幸福感

GNH(Grass National Happiness is more important than Grass National Product.)という理念の意味するものを4代国王のことばで拾い上げていきますととてもシンプルです。でも深い意味が内包されている気がします。
「私が国民総幸福量という言葉で表現したかったのは人生の充足である」
「“幸福”というのは非常に主観的なもので個人差がある。だから本来は国の方針とはなりえない。私が意図したことはむしろ“充足”である。それはある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に誰もが感じることである。この充足感を持てることが人間にとって最も大切なことである。私が目指していることはブータン国民一人ひとりがブータン人として生きることを誇りと思い、自分の人生の充足に充足感を持つことである。」
本『ブータン王室はなぜこんなに愛されるのか』より

思うにこれはGNH第二位の経済大国である私たち日本人に欠けているものではないでしょうか。希望する職につけない、派遣社員、失業、血縁地縁の欠如した無縁社会。飽食の豊かさと共に増える不健康。そして原発事故による見えざる恐怖etc.

四代国王の愛用句“ガー・トト、キー・トト”(ゾンカ語)心身ともに心地よい状態という一見素朴にも聞こえる幸福観は大地震で家屋、家族を失った方には切実にせまる“日常性の幸せ”を表現しているのでは、と思います。
「ブータンは、近代化はするが西洋化はしない」(同書60ページ)
ブータンはヒマラヤ7.000メートルの銀嶺を背に地上1.000メートルにいたる斜面山岳地帯。「最後の秘境」とも言われてきた。長い間陸の孤島として鎖国状態だったため近代化の歩みは遅い。国連加入は1971年。しかし国際社会へのデビューが遅れた分ブータンは先進国の陥ったジレンマをつぶさに見ることになります。経済の高度成長がもたらした光と影を。特に負の面として環境破壊や公害、地方の過疎化、伝統文化の衰退、行き過ぎた競争社会がもたらした貧富の差、失業、自殺率の増加などなど。
 
北に中国、南にインドという大国にはさまれた弱小国ブータンはそういう先進国の状勢を踏まえてGNHの概念を醸成してきたに違いありません。国の政策として四つの柱を打ち出している。
①健全な経済成長と開発 ②環境保全と持続的な利用 ③伝統文化の保護と振興 ④良い統治

このようにGNHという理想を掲げるブータン国の現実はどうなのだろう。国家予算の3割はインド、日本などの国際援助による。道路、電力などのインフラ整備は決定的に遅れている。発電はブータンの最大の産業。爆流が落下する山岳地帯ゆえ、水力発電で得た電力をインドに輸出。それが最大の外資獲得となっている。しかし険しい地形に阻まれて国内の送電網は未発達。都市郡での普及には時間がかかる模様。しかし電気代は安いため、いったん電化された地域ではテレビ、ビデオ、炊飯器、ラジカセなどが急速に普及している。

ただ羨ましいことは、教育費と医療費の無料(国家蔵出の三割、識字率約六割)国土の森林面積の割合を60%以上の維持を定めるエコ国家。たばこ喫煙の制限、環境保護のためポリ袋の使用が制限されているので現地調達は難しい!ヤッホー!

ブータンは現代の桃源郷になれるか?

日本の江戸時代にスリップしたような面影をもっていたブータンも、最近首都ティンプーなどは急速に都市化が進んでいるという。民族衣裳ゴ・キラの布地もインドから機械折りの安価なものが流通。特にインターネットテレビの導入によって世界の情報が一瞬のうちに入ってくる。「陸の孤島」「秘境」「桃源郷」というイメージは徐々に変容していくに違いない。「近代化はするが西洋化はしない」とは四代国王の言葉であるが、若い世代は西洋の刺激に敏感に反応していくのでは、と予想される。

鎖国から明治維新、と西洋文化の導入、西洋に追いつけ追いこせの経済政策をとってきたわが国日本。日本の伝統文化は衰退、消滅の危機に瀕している。ブータンが「ブルータス、おまえもか」とならないように私は切に願う。でも私は次の二点からブータンに期待する。不完全な人間の為すこと故GNHの理想の100%成就とはありえない、私は60%達成でいいと思う。そしてその60%をブータンはかなえてくれるのではないかと。理由は・・・一つは小さい国だから。二つめは政教一致の国だから。
(一) 小さい国だからできる
 ブータンの国土面積は日本の九州位だという。そして人口は約70万人(東京都大田区の人口と同じ)。国土は険しい山岳と急崚な渓谷によって分断され谷ごと、村ごとに言語が違うといわれるほど多様で複雑な文化を持つ。また山岳の牧畜民と中標高地帯の農耕民、南部亜熱帯と高度による多様性もある。(ちなみに国際空港のあるパロ、そして首都ティンプーの高度は2500メートル位。人によっては空気の薄さを感じ、息切れ、頭痛、吐き気などの症状をきたらすらしい。しかし、どこに行くにも1000メートル以下の谷底に下りたかと思うと3000メートル以上の峠を越える、という高度馴化のくり返しで慣れやすいともいわれる。)

ヒマラヤ山脈を背にするブータン。その国土の多様性があるとしても単純に言えることは「小さい国」だということ。「小さい国」といえばモナコ王国やバチカン市国を思い出す。それほどでないとしても私は「小ささ」に注目したい。GNHという理想は小さい国だから達成できる。否 逆に言って小さくなければ達成できないのではないか、私の推論である。


ブータン ②  ブータンは現代の桃源郷になれるか?

2012年03月24日 | なな色シスターズ
ここで私の個人的体験を聞いてほしいと思います。私はこの三月から所属する教会を変えました。ブータンとは全く関係のないある理由からです。今までいたA教会は信徒数1000人を超える教会で新潟狂句三県のうち一番大きい教会でした。今度移ったのはその一割弱の小さいT教会です。日曜日の礼拝に出席する350人から約50人のこじんまりしたコミュニティに身を置いて感じたことは家庭的なあたたかさでした。A教会では顔はわかるけど名前も住む所も職業もほとんどわからない。ごく一握りの人としか交流できなかったのです。(私の内気な性格も原因しますが)
T教会は学校の一クラスの集団規模ですから新入りの私の「初めての顔」にすぐ声がかけられる。色々世話してくださる。中略

物事は表裏一体ですから「小さい共同体」には小さい故のマイナスは当然予想されます。濃密な人間関係はうまく機能している時は喜びをもたらしますが、反転するとうっとうしくなるのが世の常ですから。(覚悟しています。)ブータンの小ささに注目しましたのは自分のこういう体験を重ね合わせたからです。ですから現国王の次の言葉にとても共感しました。
「私は常にわが国のサイズは最高の利点となると信じてきました。なぜなら小さい国と少ない人口は国としてよりうまく管理していけるからです。」
小さい国ゆえのメリットを国王は最大限に活用しておられる様子です。国民との意思疎通をはかるために絶えず顔と顔の触れ合う機会をもつ。昨年ご成婚した若い国王夫妻は式場の町(プナカ)からティンプーまで歩いて沿道の国民に挨拶し祝福を受けたという。オープンカーのパレードではなく徒歩のパレード!昼食も抜きで歩き続け、宮城にたどり着いたのは真夜中だった由。このエピソードに王室と国民の距離が以下に近いかがうかがい知れる気がします。これは「小さい国」だからこそ可能です。「家族国家」ともいえるブータンだからこそ次のような五代国王戴冠式のことばも生まれてくるのでしょう。
「私が在位している間、国王としてあなた方を統治することは、決してありません。
 私は子どもたちの手本となるような善き人としての人生を歩んでいきます。
 私にとってあなた方の希望と願いを叶えることが人生の目標であります。
 私は親切、正義、そして平等の精神をもって、昼夜を問わず、あなた方に仕えるつもりです。」
こういうメルヘン的なメッセージを発信できる国家規模。大国の大統領や首相がまねたら噴飯物でしょう。国の施政の目ざす精神性がブータンでは見事に表現されていることはうらやましいです。日本も国のあり方が複雑になりすぎました。思い切って軌道修正をはかり「小さい政府」「地方自治」の方向に変わることを願うものです。

私がA教会からT教会に移って自分という一人の重みを感じ、義務ではなく主体的にコミュニティに関わって行こうと意識が変えられたように、行政も小さくなった方がいいのではないでしょうか。一人ひとりの参加意識が強まると共に一人ひとりの人間の充足感、満足感が深まっていくはずです。その意味で、私はガンジーの農村共同体という社会構築の考え方に賛同したい。次ぎの文は浅井幹雄監修『ガンディー 魂の言葉』(太田出版)からの引用です。
【夢はいくつもの村から成る共和国】
「農村の未来についてわたしがもつ夢は、村一つひとつが経済的にも政治的にも独立した存在となり、それらが相互に助け合ってひとつの共和国をつくることだ。
 村落は食糧や生活必需品の自給自足を基本とし、水資源の管理、基礎教育の施設運営なども自ら行う。(後略)」

ガンディーの思想は小さいながら、インド各地のアシュラム活動として継続しているという。機械文明からの脱却、西欧中心のグローバル経済の暴力を指弾するガンジーのことばは強い。その行き詰まりの予告は当たって今の世界情勢となっている。
「大切なことを忘れないでほしい。機械が主役の産業文明は悪である。」
「機械が人類の文明を破壊する終末を想像することができる。」
「そんなことは、これまでの歴史にはない。だから起こるはずがない。そう思い込んでいる人は、
 人間のもつ大きな可能性を見ない人だ。わたしたちは、まず、そんな思い込みから自由になろう。そして、自分の心が正しいと思うことをやってみればいい。」

ブータンは統治掌握がしやすい小国ゆえに、国民一人ひとりの最大限の充足ある生活という政治の基本を是非貫いて行ってほしい。また、地形の不利な条件ゆえ農業の機械化、送電網の配備も相当むずかしいと予想されますが、かえってそれは他国が陥った轍を踏まない健全な開発成長となるに違いありません。

経済力より幸福力という高い夢をブータンは実現していってほしいと切に願うものです。ただ、人間性の悲しい面があります。「笛吹けども踊らず」ということばのように上の方からの思いが下にそのまま伝わらないという現実です。私の弟のいる会社は社員150人の中規模会社です。経営能力、人徳共に優れたトップに恵まれています。M専務の就任時の挨拶はブータン国王のことばに似て感動的でした。
「私は皆さんがこの会社に勤めて本当に幸せだったと思える会社にすると誓います。」
今の不況で営業成績は伸び悩みながら、150人の社員とその家族を路頭に迷わすことは出来ないと必死の努力をしている。しかし管理職にある弟から見て、社員の就業意識は低い。“わが会社を自分の手で盛りたてる”という気概に乏しいと嘆きます。

先代(4代)国王の戴冠式での演説の一部を引用します。国民一人ひとりへの切なる訴えに心打たれます。この国王の手でブータンは民主体制に移行していきます。
「現在、われわれの前にある最も重要な課題は、将来にわたるわが国の継続的発展を確実なものとするために経済的自立を達成する事である。ブータンの人口は小規模であるが、豊富な土地と豊かな自然資源、健全な計画を以って近い将来にわれわれの目標である経済的自立の達成を実現することができるのである。
あなた方国民においては自身の快適な生活の構築が政府によってすべて行われるべきであるという態度を身につけてはいけない。あなた方のささやかな努力は政府の多大なる努力よりはるかに功を奏すのである。」      1974年

今の5代国王も国民一人ひとりの意識を涵養してやまない。国内の大学で自ら学生たちに語りかける機会を定期的に設けている。そこで発せられる言葉には、国の未来を若者たちとともにつくり上げていこうという姿勢が示されている。
「この国の歴史にとって今は非常に特別な時期と言えます。民主化成功に向けての尽力いかんによって、これからのブータンに安定した未来が訪れるかどうかが決まるのだと思います。そしてそれを担っているのがあなた方なのです。」
「私はあなた方の望みを自分のものとして受け入れ、その達成のために働きかけていきましょう。ですから、あなた方は大きな野望を抱いてください。大きな希望を抱いてください。あなたと、そして私たちの国のために。」

若い国ブータン、小さい国ブータン、これからの人類に希望の灯をかかげてほしいものです。「山紫水明 偉人を生む」という諺がありますが、ブータン王国は名君を生んでいます。王政から民主的な立憲君主制に変えたのも国王自らのリードによります。これは歴史上珍しい変革でした。
「ブータンは小さいが強い国です。」(4代国王)

(一) 政教一致だからできる
ブータンはチベット仏教の一つドック派を国教とする仏教国です。国王とジェ・ケンポ(大僧正)の地位は同格。GNHという理念、価値観にはこの宗教的背景があるといわれます。
田中敏恵氏のことば・・・
「ブータンではかつて家族からひとり僧侶として出家させるのが不文律のようになっていたという。今ではそこまでの割合で割合ではないにせよ、親戚まで含めた一族には僧侶になった者が必ずいるそうだ。寺院以外でも僧侶の姿はあちこちで見かけるし、彼らと一般大衆の距離も非常に近い。僧侶たちの生活がブータンの人々の生活のお手本であり、価値観に大きく影響を与えているのだ。」

今枝氏・・・
「ここが日本と一番大きく異なるところだと思うのですが、ブータンの僧侶は皆無所有で独身なのです。誰ひとり自分が所有する家屋を持っていません。持ち物といったら、腕時計とラジオ、懐中電灯に携帯電話、その程度でしょうか。他は着替えを2・3着、そんなものです。しかし、人々に尊重され同時に人々を感化する存在でもある。ブータンの人々は、たとえ豪華なものを所有していなくても、人は尊敬される存在になれるし、心の充足を得ることもできるのだということを実感しているのでしょう。身近な存在である僧侶たちを一つの手本として実質社会において生きる哲学や幸福について理解しているのだと思います。自分の一族に僧侶というお手本となる人がいる。そのことが精神的に大きな支えとなるのだと思います。

田中敏恵氏著書より
「仏教の教えがリアルであるということ。それは人々の暮らしを律し、人生観に影響を与えるのも確かであろう。ブータンでは、国王や首相の演説にも仏教の教えや用語が出てくることが非常に多い。身近な存在の僧侶、そして国を牽引する存在の王や首相もまた、信仰心の篤い仏教徒である。輪廻転生を信じる民は、来世での幸せを願い、現世で努めて善い行いをしようとし、進んで人を助け、徳を積む。そのような人生観は若者たちの心境にも大きく影響するだろう。」

国民の幸福という理念はどんな国家もそれを精神的柱にしているはずです。ただ、その実現を物質的豊かさ、経済成長に力を注いで来ているのが大半の国の現状です。その中で過度な経済発展に偏することなく、人間性の深い精神的な充足という幸福観を掲げるブータンは異色な存在だと思います。それは仏教という国教がバックボーンにあるからだと私は思うのです。

西田先生の講演のあと、個人的に二、三お伺いしました。
① 総人口における僧侶・尼僧の割合(資料がなく残念ながら不明とのこと)
② 僧侶と民衆の距離が近いということですが?
「はい、ブータンではしょっちゅう何かあるとお坊さんを呼んで集まりをしています。子供が生まれた、誰々が結婚した・・・色んな出来事があるとお坊さんに法会を営んでもらい村人みんなで会食をするんです。」
③ 一般の人も読経とかするのですか?
「はい、皆さんまじめです。仏壇を飾ることにお金をたくさんかけています。」
④ 小学校とか学校で仏教のことを教えているのですか?
「はい、宗教の時間が設けられています。」
⑤ ブータン語(ゾンガ語)で「ありがとう」とはどう言われますか?
 「“カディンチェ(ラ)”といいます。」
 (私は合掌しながら西田先生にお礼を申し上げました。
先生、今日はとてもよい勉強をしました。カディンチェラ!)

終わりに

私がブータンに心魅かれるのは個人的な理由も加わっています。私は終戦後外地(今の中国・天津市)から父の郷里である男鹿半島の加茂青砂という躃村に移り住みました。そこで3才から9才までの六年間暮らすことになります。当時加茂は前に日本海、後ろには険しい山がせまり近くの町に出るのは難業で「陸の孤島」といわれていました。学校は複式学級で二学年合わせて15~16人。学校の先生は小さい船に乗って赴任してきました。それを村の人が全員で浜辺に立って出迎えたものです。夏は海で泳ぎ、春秋には野山をかけめぐり、冬はそり遊びに興じた私の子ども時代は今思うと天国のようでした。村の生活は豊かではありませんでしたが、人の交わりは濃く、さまざまな人間ドラマに彩られていたと思います。加茂青砂という名のごとく海水の透明度は深く美しい岩砂の村です。今道路が整備され、街の人がこの地に第二の人生を求めて移り住む人も増えているとか。(私もお金があればセカンドハウスを建てたい。)

ブータンの人は自分たちを「天国に住む者たち」と言うそうですが、私はその気持ちがわかる気がします。大自然は時として苦しみをもたらしますが、その懐は深く、人の心を大きく抱擁してくれます。幸せの真髄がそこにあります。

まだ行ったことも、また、これからも行く可能性は全くありませんが、私の中にはブータンがありありと想像できるのです。


ポルカこと いしかわようこ

明けましておめでとうございます。

2012年03月22日 | なな色シスターズ
私たち「なな色シスターズ」の季刊誌は、次回3月末に編集することになりました。

一月遅らせることになりました!!

次回の記事は5月中旬ころのアップになるかと思います。


またの訪問をお待ちしています。

それまでは、リンクのメンバーのブログもご覧になってくだされば、嬉しく思います。