なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

持続可能な社会のためのコミュニティづくり

2014年03月18日 | ともこ
2月15日に青森弘前での反原発映画祭に『つながるあきた地宝プロジェクトチーム』のメンバーも協力していたので誘われ、出かけて来ました。京都大の放射線研究の第一人者小出裕章先生の講演と、映画『福島、生き物の記録』を見に。そして、ミニライヴに出ていたアイサさんに会うために。

私たち一家が東京にいた頃、彼女のご主人が西荻窪の駅近くでバーをしていて仲良くなっていたのでした。私たちが秋田に越した後、彼らも福島県浪江町にUターンしていました。年賀状での近況報告以外の行き来はなく、アイサさんとは私は面識がなかったものの、あの地震の後、避難して逃げ延びていることを祈りながらメールを数回送っていました。そして、フェイスブックで奥さんの名前を見つけ、青森に避難している一家の無事を確認したのでした。

地震発生時から放射能のことを気にしての避難生活については岩上氏の百人百話の配信を見せてもらいました。移住、福島に残っている人に向けての一時避難や、ノンベクレル食材の運搬ボランティア、十和田での金曜行動(サウンドデモ)など、彼女からは吸収したいことが沢山でいい刺激を受けています。

実際の生活も太陽光パネルで電気の自給自足を行い、麻製品のことも彼女からの発信で初めて知ったのでした。彼女の歌『覚醒』…立ち上がれ、目を覚ませ、大人たち…力強くてあったかい歌声です。

全国規模で政治を変えようと活動している座間宮ガレイ氏は沖縄からの航空路が大雪のために変更を余儀なくされ、ネットでの呼びかけで現れた協力者によって車で送られて懇親会からの参加でした。流石!ネット選挙講師。小出先生が宇都宮氏のことを応援されていたことがきっかけで政治に興味を持ったという秘話も。

懇親会では大間原発に反対されている函館の方たちとお会いしました。風船を飛ばし風向きの計測というものも企画されています。福島から秋田へ避難している方々とも会えて少し交流しました。秋田避難親子の会の方や、『kakusei』と言う映画にも出演されているAさんのお子さんたちはうちの二人の子ども達とちょうど同じ年代で、上お子さんが福島県の相馬市に残っていらっしゃいます。下のお子さんと避難されていて、残してきた上のお子さんへの気持ちで、心がちぎれそうな心情を抱えていらっしゃると感じます。

さて『つながるあきた地宝プロジェクト』の今後は、ナマケモノ倶楽部の上映会(まずは「自然農」の川口由一さん)、マルシェ、座談会の三本立てで持続可能な世の中への変革を手伝うという気の長い活動をしていく方向になりました。

マルシェでは、ノンベクレル表示、産地を提示することで食についての意識の持ち方へ働きかけ、地元の農家さん等活性できればという話となっています。その横で私は環境にやさしい製品の紹介、布ナプキン販売、『ママ✿レボ』の小売りと『脱原発をめざす女たちの会』のリーフレットの配布をして原発についても発信したいと思っています。

ひょうどうともこ

冬眠のあとはまっすぐ伸ーびろ!

2014年03月18日 | ともこ
このなな色メールが発刊される頃は”啓蟄(けいちつ)”の頃でしょうか。旧暦ではまだ2月になったばかりなのですがこの啓蟄とは、冬の間、土の中で春を待っていた虫や小動物が活動を始めるころを示します。冬眠から目覚め、思いっきり伸びをしたいですね。

少し前、小寒、大寒という一年の中で一番の寒い時期があります。この3月で小学校を卒業する長男ですが、剣道スポ少をさせていました。剣道では土用の直前に鍛錬のための早朝の稽古があり、夏はそのまま”土用稽古”冬は”寒稽古”といいます。毎回その頃になると嫌で嫌で「もうやめる!」と言い出していました。特に冬は温かい寝床から出て冷え冷えとした稽古場へ早朝に行くというのがどんなにつらいか。連れて行く親も容易ではありませんでしたが、冷たい床を裸足で稽古して本当によく頑張ったと褒めてやりたいと思います。

そして2月に入り初午の行事があり、大寒の時期が終わります。この5年間の慣習でした。これも今年度で終わりです。子どもが成長していくと暮らしもまた様変わりしていきますね。

初午という行事は、立春を過ぎた初めての午の日のお祭りで、稲荷神社で豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願するもので、京都伏見のお稲荷さんが発祥の地とのこと。本来は旧暦の2月の行事なので、今の3月のちょうど稲作を始める時期に農耕の神様を祭るようになったものなのです。新暦の2月では、秋田では大雪の中の行事となっています。一ヶ月ずらしてもいいようなのに。今年だと3月12日が立春後の初午となっています。

我が家の甘えん坊の息子も剣道スポ少も終わり初午の最後の務めも終え、中学校での新生活のスタートをきるために、大きく伸びをする時期に来ているのでしょうか。最近はもっぱらゲームに興じていますが、これがタチ悪く、オンラインで友達と一緒にチームに参加し、敵チームと戦う。戦争ものです。こういうゲーム最近多い気がして世の中も改憲だ、集団的自衛権の行使だと言っているので心配です。

原爆の被害のことを描いた絵本『ひろしまのピカ』が六年間、読み聞かせボランティアの方から聞かせてもらった本の中で「 一番覚えている。」「戦争は嫌だと思った。」とつい最近立派な感想をボランティアのスタッフにお礼と共に述べたと聞いたはずなのに。(実は昨年より、私も朗読ボランティアのメンバーに入ったのでした。)

群青色のモノトーンで幼児を主人公にした『かあさんはどこ』と、満州での実話から作られた『金のひしゃく』という戦争孤児を描いた絵本を図書館で見つけたのでそっと部屋に置いています。『はらぺこあおむし』の作者エリック・カール氏も子供時代に戦争を体験したと以前テレビで話されていました。戦後、街に色が戻ってきて嬉しかったと言っていたのが印象的でした。


日野原先生の『十歳のきみへ』もこの春休みに聞かせたいと思います。特にこの部分!

なぜ人と人が殺し合うの?                     

戦争はよくない。人を殺してはいけない。なのに、なぜ世界から争いが亡くならないのでしょうか。なぜ人がにくみ合い、戦争でいのちをうばい合うことをいまだに続けているのでしょうか。

平和が、ここにあって、あそこにないとしたら、それは「平和」ではないのです。世界中のすべての人がおたがいに平和でありたいと手をつなぎ、助け合うときに、みんなの見つめる視線の先にあるのが「平和」です。                                                    
世界のどこか一か所でも、人々のいのちが おびやかされているような国や地域があるのならば、世界はまだ平和ではないのです。

戦争で失うまでは「そこにあることがあたりまえ」だと思っていたもの、家族や、だんらんや、しあわせや、のんびりとした時間や、あたたかい食事や、けんかのできる兄弟姉妹や人の情けや思いやりや、そのほか数えあげればいくらでもあるごくありふれたものが、じつはどれもかけがえのないものであったことに気づくことができた。 
いのちに しがみつくようにして 生きていく日々のなかで、人からなにかをいただくたびに、人の厚意にふれるたびに、わたしたちはそのありがたさを実感しました。人々のうえにお日さまが照ることも、雨が大地をうるおすことも、夜が来て また朝がめぐってくることも、みなありがたく感じていました。

戦後 日を追うごとに、生活にゆとりが生まれてきました。自分の子や孫たちのために望んだ生活でもありました。食べ物や着るものに不自由しないゆたかさを手に入れさえすれば、戦争以前のおだやかな生活にもどれると、わたしたちは思っていたのです。

つつましい生活の中にある小さなしあわせをも実感できていたのに、ゆたかさを追い求めるようになってから、そのセンサーをにぶらせてしまいました。
ありがたいと感じていたものたちから ありがたみが消えた。ほかの人のことをおもんばかる想像力もおとろえてしまいました。                  「ほかの人の痛みは、その人の痛みであって わたしには まるで関係ない」と思うことになれてしまえば、たとえば戦争も「ここ」にないかぎり 自分が解決に乗り出すべき問題として自覚されることさえなくなってしまいます。   

寿命――からっぽのうつわのなかに いのちを注ぐこと。それが、生きるということです。わたしがこれから先生きている時間はきみに比べるとずっと短い一瞬一瞬の時間をもと意識してもっとだいじにしてせいいっぱい生きたい。

ほかの人のために時間をつかうと、ほかのことで味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされます。わたしは大きな喜びをもらうことに欲ばりです。ほかの人のためにつかった時間を入れた皿がからっぽ、なんていうことだけはならないように努力していきたいものですね。                            
日野原重明


先の絵本のあとがきに、戦争は子供たちから子供時代を奪うものだとありました。命を脅かすものからは子供は守られていなくてはと思います。

…自由に伸びて欲しいから…。