この頃私は、数年前に比べると少しずつ前向き志向になってきているのですが、それに拍車をかけるような本と出会いました。『プロフェッショナル進化論』 田坂広志著 PHP新書 夫が面白いよと教えてくれた著書です。著者田坂氏によると、世界は螺旋状の階段を登っていく形で、進化しているとのこと。何?競争社会が加速化し、こんなに暗い世の中になっているのに!いえいえ、最新のエコノミストたちの発言をチェックしている人達は、新自由主義による過度の競争が限界点を超え、揺り戻しの時代が来ることを知っているはず・・・。これからは、「相互扶助」や「社会貢献」などの競争とは正反対の価値が意味を持ってくるというのです。
田坂氏は、庶民を大いに励ましてくれています。インターネット(以下ネット)やブログの普及、大容量データの流通(Web2.0革命)により力を得たのは、我々だと言うのです。ネット上では、世界中の誰もが対等な立場にあります。有名人がネット上に文章を書いても、つまらないものはつまらないし、無名の人が書いたものでも、素晴らしいものであればそれはきちんとフェアーに評価されるのです。これは、新しい形態の民主主義なのだそうです。なるほどね。
そう、新しい形で“草の根活動”ネットワークが作られ、成果をあげてきているのです。卑近な例では、4月に県立図書館の分館への引継ぎに成功したイトーヨーカドー子ども図書館の応援団の活動があげられます。今回の応援団活動で果たしたブログの役割はとても大きかった。それは、見知らぬもの同志だった私たちの活動をつなげる大きな支えとして機能してくれました。情報だけでなく、心の拠り所にもなってくれていたのです。
田坂氏の論で面白かったのは、知識はネットからいくらでも取り出せるので、知識の蓄積は意味がなくなり(博識は価値がない?!)、むしろ知識を活用する“知恵”や、人々の気持ちを汲める“感性”、それを表現した“アート(芸術)”が重要になるという視点でした。ネットで取り出せない“人にしかできないこと”こそが大事になるというのです。機械にはできない“人にしかできないこと”って何でしょうか。。。考えさせられますね。
それは、ともに生きていく上での思いやり、優しさかなと私はとらえました。世界中の人達から支持を受ける価値は、義理もコネも関係ない「人として真っ当なもの」であるはず。そして、ヒューマニスティックなものであるはず。田坂氏が言うように、「相互扶助」や「社会貢献」が重要になってくるというのもうなづけます。
私自身は、田坂氏が言うほどの壮大な気構えはありませんし、実感もありませんが、この新しい情報ツールには随分助けられています。ネットやメール、そしてブログがなければ、出会えなかった人達がいますし、育み続けて来れなかった人間関係や活動があります。もしかしたら、この『なな色メール』も、ネットの時代だからこそ、こうやって続けることができたのかもしれません。地方都市に住む一介の主婦でも、世界への窓が開かれていて、それをいつでも実感することが出来る現実というのは、庶民にとっては「社会の進化」なのかもしれませんね。
田坂氏は、庶民を大いに励ましてくれています。インターネット(以下ネット)やブログの普及、大容量データの流通(Web2.0革命)により力を得たのは、我々だと言うのです。ネット上では、世界中の誰もが対等な立場にあります。有名人がネット上に文章を書いても、つまらないものはつまらないし、無名の人が書いたものでも、素晴らしいものであればそれはきちんとフェアーに評価されるのです。これは、新しい形態の民主主義なのだそうです。なるほどね。
そう、新しい形で“草の根活動”ネットワークが作られ、成果をあげてきているのです。卑近な例では、4月に県立図書館の分館への引継ぎに成功したイトーヨーカドー子ども図書館の応援団の活動があげられます。今回の応援団活動で果たしたブログの役割はとても大きかった。それは、見知らぬもの同志だった私たちの活動をつなげる大きな支えとして機能してくれました。情報だけでなく、心の拠り所にもなってくれていたのです。
田坂氏の論で面白かったのは、知識はネットからいくらでも取り出せるので、知識の蓄積は意味がなくなり(博識は価値がない?!)、むしろ知識を活用する“知恵”や、人々の気持ちを汲める“感性”、それを表現した“アート(芸術)”が重要になるという視点でした。ネットで取り出せない“人にしかできないこと”こそが大事になるというのです。機械にはできない“人にしかできないこと”って何でしょうか。。。考えさせられますね。
それは、ともに生きていく上での思いやり、優しさかなと私はとらえました。世界中の人達から支持を受ける価値は、義理もコネも関係ない「人として真っ当なもの」であるはず。そして、ヒューマニスティックなものであるはず。田坂氏が言うように、「相互扶助」や「社会貢献」が重要になってくるというのもうなづけます。
私自身は、田坂氏が言うほどの壮大な気構えはありませんし、実感もありませんが、この新しい情報ツールには随分助けられています。ネットやメール、そしてブログがなければ、出会えなかった人達がいますし、育み続けて来れなかった人間関係や活動があります。もしかしたら、この『なな色メール』も、ネットの時代だからこそ、こうやって続けることができたのかもしれません。地方都市に住む一介の主婦でも、世界への窓が開かれていて、それをいつでも実感することが出来る現実というのは、庶民にとっては「社会の進化」なのかもしれませんね。
未来(みく)はなかなか来なかった。
母が「校門前まで迎えに来た。」と携帯電話に連絡を入れたのはもう30分以上も前のことだった。
自転車通学をしているが、今日は朝からの雨で、電車を使っての登校。部活で遅くなった未来を母が学校まで迎えに来たのだった。
やっと姿を現した未来は後部座席に無言で乗り込んだ。
鼻をすするような音が聞こえた母は「寒い?」と聞き、暖房を入れた。
今日は確かに寒い一日だった。
「お疲れ様。」という声賭けにも何も答えない。
母親の勘で、「何かあったな。」と思った。
だが外はもう真っ暗で、ルームミラーで後ろの様子を伺うことは出来なかった。
「私・・・・私・・・・リレーのメンバーから外されたの。」
「何で?」
「わかんない。さっき先生が、『週末の大会には小野寺を出す。お前はもう、秋まで走ることはない』って。」
どんなに我慢していたのだろうか、声を上げて泣き出した。
突然の宣告に頭が真っ白になって何がどうなっているのか、自分でどうしていいのかわからない。
ただわかるのは、今度の大会で負けると先輩たちは引退する。
今まで、先輩たちと一緒にリレーを走りたくて調整してきたのに、それがもう叶わなくなってしまった。
先輩からバトンをもらって先輩に渡す、それだけを願って練習してきたのに2度とそれが出来なくなってしまった。
今回が先輩たちと走るのは最後と気合を入れて頑張ってきたのに、先生の采配でいとも簡単になくなってしまった。
未来は、中学時代も陸上競技をしていた。
いろいろな種目に挑戦してみたが、どれも芳しい結果を出すことができなかった。
だから高校生になった時に、「もう陸上は芽が出ないからやらない。今度は何をしようかな。」と言っていたのだ。
それが、中学時代の先輩が「一緒にまた走ろうよ。」と教室まで誘いに来た。
せっかく誘ってくれる先輩に「考えておく。」とお茶を濁した答えをしていたが、「いつから来る?」「明日から来れる?」「今日から出てみる?」と足繁く教室に通ってきくれた。
さすがの未来もこれ以上断ることも出来ず、再び始めることにしたのだった。
こんなきっかけからの陸上も、成績から言えばやはりたいした結果は残せなかった。
市の大会で入賞できなかった2年生は自分だけ。
ほかの仲間は全県大会出場の切符を手にすることができた。
未来はせめて補欠としてリレーの予選に参加し、先輩たちに恩返しがしたかった。
リレーを含めると1日一人で3種目出場しなければならない先輩がいた。
とてもきつくてベストを出せないだろう。
リレーの予選は未来が走っても準決勝までいけるぐらいほかの選手が揃っていた。
そういう重宝さで未来はリレーを走らせてもらっていた。
しかし、今度の県大会では、未来の代わりに1年生が抜擢されたのである。
彼女は確かに200Mでは全県制覇の成績を持つ後輩ではある。
しかしたった一度も400Mを走ったことがないのに3日後に控えたリレーで走らせるとはどうしても未来は納得がいかなかった。
自分より早いのはわかるが、走ったことのない距離をどんなペースで走るというのだ。
先生の考えがわからなかった。
先輩たちは当然慰めてくれた。
「時として先生の考えていることがわからない。とても酷な事をするものね。気持ちを切り替えていこうよ!」と。
慰めの言葉はますます未来の気持ちを沈ませた。
先輩たちにはこれまでずっとお世話になってきた。
自分が1500Mに出場するときに長距離用のスパイクを貸してくれたのは、自分を部に誘ってくれた先輩だった。
マッサージもしてくれた。
幅跳びの助走を調整するときは、自分の練習時間を削ってアドバイスしてくれた先輩もいた。
どの先輩たちも未来をかわいがってくれた。
その優しさが身に染みていた未来は、どうしても先輩たちと同じ場所に立ちたかった。
走りたかった。
バトンをもらいたかった。
なのに、もう叶わない。
自分はやはりだめなんだ、遅いんだ、とマイナススパイラルへとどんどん向かっていった。
しかし、未来は決心した。
「明日、先生のところに聞きに行ってみる。何で自分じゃないのか。先生怖いけど、聞かないでこのままの気持ちでいるよりも、確認したほうが納得がいく。でもなあ、もっと嫌な思いしたら嫌だなあ・・・。んん、やっぱり行く。」
次の日、朝一番で未来は先生のところに行った。
「先生、あの、どうして私がリレーから外れたんですか。頑張って走って先輩たちに恩返しがしたかったんです。」
「んん、本当は迷ったんだ。お前と小野寺とどっちにしようか。でもな、やはり、ここは早い小野寺を使うことにしたんだ。小野寺は400Mを走ったことはないけれど、200Mの成績はいい。だから使ってみることにした。別にリレーを走らなくても未来、お前に出来ることほかにあるだろう。」
「ええ・・・ああ・・・はい。応援だとか、補助員だとか、確かに先輩たちのカバーに回れるところは沢山あります・・・。」
「いや違う。未来、お前は速くなればいいんだ。それが先輩たちへの恩返しだろう。速くなって部を引っ張っていく。後輩たちの見本になることが、先輩たちへの恩返しじゃないのか。」
未来ははっとした。
「そうか。自分は補助員や応援を頑張るしかないと思っていたけれど、速くなることで恩返しになるんだ。」
夕べあれほど、悔しくて、つらくて流した涙だったが、一転、今は熱い思いで先生の顔が霞んで見えた。
先生は「頑張れよ。」と背中をぽんとひとつ叩いてくれた。
しかしながら、その日の部活は気が重かった。練習したところで、大会で走らせてもらえない。
行かなければ、先輩といられる限られた時間はなくなる。
おまけに、県大会出場の人たちとそうでない人たちとは練習メニューが違っていて、先輩たちと一緒に走ることが出来なくなっていた。
未来は、キャプテンに気持ちを伝えた。
「一緒に走りたい。」と。
キャプテンは未来の気持ちは良くわかっていた。
「いいよ、一緒に走ろう。向こうのきぃちゃんたちのところで練習すればいい。もし先生から何か言われても、私がいいって言ったって話すから。」
救われた思いがした。そして、先輩たちの懐の深さを改めて感じた。
悔し涙を飲んだ全県大会は声をからして応援した甲斐があった。
50年ぶりの優勝!先輩たちは一人も欠けることなく東北大会へ。
これで一緒にいられる時間は延長された。
やっぱり陸上続けてよかった。誘われてよかった。
先輩たちと出会えてよかった。
そして、未来は特別に東北大会出場のメンバーに名を連ねた。
先輩たちの未来への温かい気持ちと、未来の先輩たちへの思いが先生の取り計らいへと動かしたのである。
未来は、先輩たちから見えないバトンをしっかりと引継いだ。
只今、未来は全力疾走中。
さとうえりこ
母が「校門前まで迎えに来た。」と携帯電話に連絡を入れたのはもう30分以上も前のことだった。
自転車通学をしているが、今日は朝からの雨で、電車を使っての登校。部活で遅くなった未来を母が学校まで迎えに来たのだった。
やっと姿を現した未来は後部座席に無言で乗り込んだ。
鼻をすするような音が聞こえた母は「寒い?」と聞き、暖房を入れた。
今日は確かに寒い一日だった。
「お疲れ様。」という声賭けにも何も答えない。
母親の勘で、「何かあったな。」と思った。
だが外はもう真っ暗で、ルームミラーで後ろの様子を伺うことは出来なかった。
「私・・・・私・・・・リレーのメンバーから外されたの。」
「何で?」
「わかんない。さっき先生が、『週末の大会には小野寺を出す。お前はもう、秋まで走ることはない』って。」
どんなに我慢していたのだろうか、声を上げて泣き出した。
突然の宣告に頭が真っ白になって何がどうなっているのか、自分でどうしていいのかわからない。
ただわかるのは、今度の大会で負けると先輩たちは引退する。
今まで、先輩たちと一緒にリレーを走りたくて調整してきたのに、それがもう叶わなくなってしまった。
先輩からバトンをもらって先輩に渡す、それだけを願って練習してきたのに2度とそれが出来なくなってしまった。
今回が先輩たちと走るのは最後と気合を入れて頑張ってきたのに、先生の采配でいとも簡単になくなってしまった。
未来は、中学時代も陸上競技をしていた。
いろいろな種目に挑戦してみたが、どれも芳しい結果を出すことができなかった。
だから高校生になった時に、「もう陸上は芽が出ないからやらない。今度は何をしようかな。」と言っていたのだ。
それが、中学時代の先輩が「一緒にまた走ろうよ。」と教室まで誘いに来た。
せっかく誘ってくれる先輩に「考えておく。」とお茶を濁した答えをしていたが、「いつから来る?」「明日から来れる?」「今日から出てみる?」と足繁く教室に通ってきくれた。
さすがの未来もこれ以上断ることも出来ず、再び始めることにしたのだった。
こんなきっかけからの陸上も、成績から言えばやはりたいした結果は残せなかった。
市の大会で入賞できなかった2年生は自分だけ。
ほかの仲間は全県大会出場の切符を手にすることができた。
未来はせめて補欠としてリレーの予選に参加し、先輩たちに恩返しがしたかった。
リレーを含めると1日一人で3種目出場しなければならない先輩がいた。
とてもきつくてベストを出せないだろう。
リレーの予選は未来が走っても準決勝までいけるぐらいほかの選手が揃っていた。
そういう重宝さで未来はリレーを走らせてもらっていた。
しかし、今度の県大会では、未来の代わりに1年生が抜擢されたのである。
彼女は確かに200Mでは全県制覇の成績を持つ後輩ではある。
しかしたった一度も400Mを走ったことがないのに3日後に控えたリレーで走らせるとはどうしても未来は納得がいかなかった。
自分より早いのはわかるが、走ったことのない距離をどんなペースで走るというのだ。
先生の考えがわからなかった。
先輩たちは当然慰めてくれた。
「時として先生の考えていることがわからない。とても酷な事をするものね。気持ちを切り替えていこうよ!」と。
慰めの言葉はますます未来の気持ちを沈ませた。
先輩たちにはこれまでずっとお世話になってきた。
自分が1500Mに出場するときに長距離用のスパイクを貸してくれたのは、自分を部に誘ってくれた先輩だった。
マッサージもしてくれた。
幅跳びの助走を調整するときは、自分の練習時間を削ってアドバイスしてくれた先輩もいた。
どの先輩たちも未来をかわいがってくれた。
その優しさが身に染みていた未来は、どうしても先輩たちと同じ場所に立ちたかった。
走りたかった。
バトンをもらいたかった。
なのに、もう叶わない。
自分はやはりだめなんだ、遅いんだ、とマイナススパイラルへとどんどん向かっていった。
しかし、未来は決心した。
「明日、先生のところに聞きに行ってみる。何で自分じゃないのか。先生怖いけど、聞かないでこのままの気持ちでいるよりも、確認したほうが納得がいく。でもなあ、もっと嫌な思いしたら嫌だなあ・・・。んん、やっぱり行く。」
次の日、朝一番で未来は先生のところに行った。
「先生、あの、どうして私がリレーから外れたんですか。頑張って走って先輩たちに恩返しがしたかったんです。」
「んん、本当は迷ったんだ。お前と小野寺とどっちにしようか。でもな、やはり、ここは早い小野寺を使うことにしたんだ。小野寺は400Mを走ったことはないけれど、200Mの成績はいい。だから使ってみることにした。別にリレーを走らなくても未来、お前に出来ることほかにあるだろう。」
「ええ・・・ああ・・・はい。応援だとか、補助員だとか、確かに先輩たちのカバーに回れるところは沢山あります・・・。」
「いや違う。未来、お前は速くなればいいんだ。それが先輩たちへの恩返しだろう。速くなって部を引っ張っていく。後輩たちの見本になることが、先輩たちへの恩返しじゃないのか。」
未来ははっとした。
「そうか。自分は補助員や応援を頑張るしかないと思っていたけれど、速くなることで恩返しになるんだ。」
夕べあれほど、悔しくて、つらくて流した涙だったが、一転、今は熱い思いで先生の顔が霞んで見えた。
先生は「頑張れよ。」と背中をぽんとひとつ叩いてくれた。
しかしながら、その日の部活は気が重かった。練習したところで、大会で走らせてもらえない。
行かなければ、先輩といられる限られた時間はなくなる。
おまけに、県大会出場の人たちとそうでない人たちとは練習メニューが違っていて、先輩たちと一緒に走ることが出来なくなっていた。
未来は、キャプテンに気持ちを伝えた。
「一緒に走りたい。」と。
キャプテンは未来の気持ちは良くわかっていた。
「いいよ、一緒に走ろう。向こうのきぃちゃんたちのところで練習すればいい。もし先生から何か言われても、私がいいって言ったって話すから。」
救われた思いがした。そして、先輩たちの懐の深さを改めて感じた。
悔し涙を飲んだ全県大会は声をからして応援した甲斐があった。
50年ぶりの優勝!先輩たちは一人も欠けることなく東北大会へ。
これで一緒にいられる時間は延長された。
やっぱり陸上続けてよかった。誘われてよかった。
先輩たちと出会えてよかった。
そして、未来は特別に東北大会出場のメンバーに名を連ねた。
先輩たちの未来への温かい気持ちと、未来の先輩たちへの思いが先生の取り計らいへと動かしたのである。
未来は、先輩たちから見えないバトンをしっかりと引継いだ。
只今、未来は全力疾走中。
さとうえりこ
最近読んだ本を紹介しながら、私のガーデニングだよりです。
(1)『虫といっしょに庭づくり』(農薬を使わない<虫退治>のコツ)
私は長いこと、無視とどのようにつき合うか悩んできました。食べ物もできる限り無農薬のものを基本としてきた者として、庭にも化学的な薬を使いたくなかったからです。でも虫は総じて嫌い! アリやダンゴムシやカタツムリのような固い殻をもつ虫はいいのですが、イモムシ、毛虫、ヨトウムシのようなくねくねする虫は好きになれません。
父から庭を引き継いだ当初は「虫のつく木」はバッサリ切り捨てました。カイガラムシで白くなったつつじ、アブラムシがびっしりついたサルスベリとズミの木。毛虫が50匹もついたビワの木など私の刃で犠牲になりました。
ところが、私の大好きなムクゲの木を植えましたら、春新芽にまっ黒になるほどアブラムシがつくではありませんか! それからです。農薬(殺虫剤、殺菌剤、除草剤)を使わない方法を探し求めました。友人たちの言うように、スーパーで売っている「○○虫退治」のスプレーや粉末を買いたくなかったのです。そうして出会ったのが前記の本です。
簡単に要約すると、どの虫もみんな<生存権。があるということですね。大自然という生態系にとってなくてはならぬ存在なんだということ。むしろ下位にある生き物の尊い犠牲(献体)によって上位の生き物は支えられていること。最上位の人間サマは手を合わせて感謝しなければならないことをとことん知らされました。
それからです。虫排除から共存、共生へと回心?したのです。植えたばかりの花苗10本を一晩でナメクジに裸にされたのは、がっかりでしたが、あとは多めに見るようにしています。アブラムシも「花っこをダメにしたらダメよ!」と叱りながら、手でプチプチ「殺生」します。でも全部は殺しません。テントウムシの分も残しておきます。虫を見るとキャーッと心の中で叫んでいた時とくらべるとすごい変身ぶりです。でも虫と仲良くするのは決してきれいごとではありません。ことし長雨のせいか蚊が多く、ずいぶん刺されました。又毛虫の粉がついたのか、ヘルペスにも悩まされました。共生、共存には痛みわけが伴うということでしょうか。
(2)『奇跡のりんご』(ニュートンよりもライト兄弟よりも偉大な奇跡を成しとげた男の物語)
りんごの季節がやってきました。甘くて大きいりんごが並んでいますが、こういうりんごが出来るようになるまでは、長い品種改良の歴史があったことをこの本で知りました。又収穫までに大量の薬が散布されることもね。この多肥、多薬のりんご栽培を逆行して、無肥料、無農薬、無除草という「絶対不可能」をくつがえした人。木村秋則(あきのり)さんの苦闘のドキュメントは感動的でした。夏の暑さを忘れて読みましたよ。皆さんも是非ご一読下さい。(木村さん書下ろし『リンゴが教えてくれたこと』日経プレミアシリーズの方が読みやすいです。)
肥料なし。農薬なし。ひたすら家族総出で虫とり作業する木村さんのリンゴの木は8年間1個も実をつけませんでした。村八分にもなります。断念して死を覚悟。その時天からの啓示。
「土壌作りだ!」「山の土のような腐葉土が積み重なったフワフワの土を作ればいい!」
1991年秋。台風19号の直撃で、青森のリンゴは壊滅的被害を受けました。743億円をのぼる被害総額になったそうです。リンゴの落果だけでなく、リンゴの木そのものも風で倒れたそうですが、木村さんの畑の被害はきわめて軽く、8割の果実が枝に残り、リンゴの木は揺るぎもしなかったという。根が普通のリンゴの木の何倍も長く蜜に張っていたからでした。又実と枝をつなぐ軸が太くて弾力があったからです。
次の文は子育てにも参考になる内容ではないでしょうか。
「肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。けれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために、地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。運動もロクにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようだ。」
リンゴの木が深く広く根を伸ばしていけるために、木村さんは大麦を根元に植えるそうです。大麦は地下20メートルにも根を張るという。大麦によって土を耕すわけですね。養分は大豆を植えるといいとか。
私のガーデニングでも、先ずいい土壌づくりが大切と学びました。「目に見える地上より、目に見えない土中を考えること」という木村さんの言葉は「大事なことは目に見えない」という星の王子様の言葉にも重なります。
木村さんの自然栽培のりんごは、美味しくてホッペが落ちるほどとか。東京のあるレストランでは木村さんのりんごを使ったスープが人気で、一年先まで予約いっぱいだそうです。
木村さん伝授のミニトマト。市中をたててのタテではなくヨコに寝かせて植えるともう1本から100コも採れるそうです。お試しあれ!
(3)『世界一の庭師の仕事術』(WAVE出版)
著書石原さんの言葉を箇条書きします。
・「花を売るのでなく、夢を売る」(p51)
・「花の命も人の命も短いけれど、心に残る感動は永遠」(p52)
(お客さまの依頼で、3000円の花束を高速4時間かけて宅配!)
・「ぼくの仕事の原点 お客様の喜ぶ笑顔」(p91)
・「花と緑には人を幸せにする力がある。花と緑で人を変え、町を変え、ひいては世界を変えることもできる」(p138)
(石原さんは長崎一の花屋になり、そして長崎は日本で一番人に花をプレゼントする町になったそうです)
この本を読んで「何のために庭を造るのか」「庭を通じて何をやりたいのか」というガーデニング哲学にも考えを広げることができました。私は今まで草花の美しさに触れる喜びと汗を流す快感を求めて庭仕事をしてきましたが、もっと深い意味があるようです。『園芸療法』としての心理的いやしの効果も取り上げられるようになりました。「庭を見るとその人がわかる」マリリン・バレット著『庭づくりへの誘い』(晶文社)には納得。友人や町内の庭には、その人の性格や好みやセンスをそのまんま鏡のようにうつしだしていると思いませんか?
(4)たどり着いたのは「上野ファーム」という夢の花園
虫を毛嫌いせず、ミミズや土壌微生物に助けをもらって、緑と花の溢れる美しいガーデンを育てていきたいと強く思うようになりました。そして手本になるような庭を見学したいという気持ちも強くなりました。
私のアンテナに届いたのが旭川で上野砂由紀さんの造っている花園です。テレビドラマ「風のガーデン」でも有名になった方です。飛んで行きたいほど心がはやりましたが、あまりにも遠い。旅費もかかる。ジュンク堂に行きましたら「上野ファーム」の写真集がありました。二冊の本を穴があくほど眺めながら心で想像しています。
昨年亡くなったターシャ・チューダーの庭に似ています。天国のような花園です。ため息をつきながらも、マネをする体力も資力もありません。ただかくも人の心を魅了する庭づくりの情熱とテクニックとセンスをまなびとりたいです。
野の花が楚々と咲き乱れる野山のイメージが、私の身丈に合うところ。
今、ススキ、オミナエシ、キキョウ、秋明菊などが風にゆれています。
いしかわようこ
(1)『虫といっしょに庭づくり』(農薬を使わない<虫退治>のコツ)
私は長いこと、無視とどのようにつき合うか悩んできました。食べ物もできる限り無農薬のものを基本としてきた者として、庭にも化学的な薬を使いたくなかったからです。でも虫は総じて嫌い! アリやダンゴムシやカタツムリのような固い殻をもつ虫はいいのですが、イモムシ、毛虫、ヨトウムシのようなくねくねする虫は好きになれません。
父から庭を引き継いだ当初は「虫のつく木」はバッサリ切り捨てました。カイガラムシで白くなったつつじ、アブラムシがびっしりついたサルスベリとズミの木。毛虫が50匹もついたビワの木など私の刃で犠牲になりました。
ところが、私の大好きなムクゲの木を植えましたら、春新芽にまっ黒になるほどアブラムシがつくではありませんか! それからです。農薬(殺虫剤、殺菌剤、除草剤)を使わない方法を探し求めました。友人たちの言うように、スーパーで売っている「○○虫退治」のスプレーや粉末を買いたくなかったのです。そうして出会ったのが前記の本です。
簡単に要約すると、どの虫もみんな<生存権。があるということですね。大自然という生態系にとってなくてはならぬ存在なんだということ。むしろ下位にある生き物の尊い犠牲(献体)によって上位の生き物は支えられていること。最上位の人間サマは手を合わせて感謝しなければならないことをとことん知らされました。
それからです。虫排除から共存、共生へと回心?したのです。植えたばかりの花苗10本を一晩でナメクジに裸にされたのは、がっかりでしたが、あとは多めに見るようにしています。アブラムシも「花っこをダメにしたらダメよ!」と叱りながら、手でプチプチ「殺生」します。でも全部は殺しません。テントウムシの分も残しておきます。虫を見るとキャーッと心の中で叫んでいた時とくらべるとすごい変身ぶりです。でも虫と仲良くするのは決してきれいごとではありません。ことし長雨のせいか蚊が多く、ずいぶん刺されました。又毛虫の粉がついたのか、ヘルペスにも悩まされました。共生、共存には痛みわけが伴うということでしょうか。
(2)『奇跡のりんご』(ニュートンよりもライト兄弟よりも偉大な奇跡を成しとげた男の物語)
りんごの季節がやってきました。甘くて大きいりんごが並んでいますが、こういうりんごが出来るようになるまでは、長い品種改良の歴史があったことをこの本で知りました。又収穫までに大量の薬が散布されることもね。この多肥、多薬のりんご栽培を逆行して、無肥料、無農薬、無除草という「絶対不可能」をくつがえした人。木村秋則(あきのり)さんの苦闘のドキュメントは感動的でした。夏の暑さを忘れて読みましたよ。皆さんも是非ご一読下さい。(木村さん書下ろし『リンゴが教えてくれたこと』日経プレミアシリーズの方が読みやすいです。)
肥料なし。農薬なし。ひたすら家族総出で虫とり作業する木村さんのリンゴの木は8年間1個も実をつけませんでした。村八分にもなります。断念して死を覚悟。その時天からの啓示。
「土壌作りだ!」「山の土のような腐葉土が積み重なったフワフワの土を作ればいい!」
1991年秋。台風19号の直撃で、青森のリンゴは壊滅的被害を受けました。743億円をのぼる被害総額になったそうです。リンゴの落果だけでなく、リンゴの木そのものも風で倒れたそうですが、木村さんの畑の被害はきわめて軽く、8割の果実が枝に残り、リンゴの木は揺るぎもしなかったという。根が普通のリンゴの木の何倍も長く蜜に張っていたからでした。又実と枝をつなぐ軸が太くて弾力があったからです。
次の文は子育てにも参考になる内容ではないでしょうか。
「肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。けれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために、地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。運動もロクにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようだ。」
リンゴの木が深く広く根を伸ばしていけるために、木村さんは大麦を根元に植えるそうです。大麦は地下20メートルにも根を張るという。大麦によって土を耕すわけですね。養分は大豆を植えるといいとか。
私のガーデニングでも、先ずいい土壌づくりが大切と学びました。「目に見える地上より、目に見えない土中を考えること」という木村さんの言葉は「大事なことは目に見えない」という星の王子様の言葉にも重なります。
木村さんの自然栽培のりんごは、美味しくてホッペが落ちるほどとか。東京のあるレストランでは木村さんのりんごを使ったスープが人気で、一年先まで予約いっぱいだそうです。
木村さん伝授のミニトマト。市中をたててのタテではなくヨコに寝かせて植えるともう1本から100コも採れるそうです。お試しあれ!
(3)『世界一の庭師の仕事術』(WAVE出版)
著書石原さんの言葉を箇条書きします。
・「花を売るのでなく、夢を売る」(p51)
・「花の命も人の命も短いけれど、心に残る感動は永遠」(p52)
(お客さまの依頼で、3000円の花束を高速4時間かけて宅配!)
・「ぼくの仕事の原点 お客様の喜ぶ笑顔」(p91)
・「花と緑には人を幸せにする力がある。花と緑で人を変え、町を変え、ひいては世界を変えることもできる」(p138)
(石原さんは長崎一の花屋になり、そして長崎は日本で一番人に花をプレゼントする町になったそうです)
この本を読んで「何のために庭を造るのか」「庭を通じて何をやりたいのか」というガーデニング哲学にも考えを広げることができました。私は今まで草花の美しさに触れる喜びと汗を流す快感を求めて庭仕事をしてきましたが、もっと深い意味があるようです。『園芸療法』としての心理的いやしの効果も取り上げられるようになりました。「庭を見るとその人がわかる」マリリン・バレット著『庭づくりへの誘い』(晶文社)には納得。友人や町内の庭には、その人の性格や好みやセンスをそのまんま鏡のようにうつしだしていると思いませんか?
(4)たどり着いたのは「上野ファーム」という夢の花園
虫を毛嫌いせず、ミミズや土壌微生物に助けをもらって、緑と花の溢れる美しいガーデンを育てていきたいと強く思うようになりました。そして手本になるような庭を見学したいという気持ちも強くなりました。
私のアンテナに届いたのが旭川で上野砂由紀さんの造っている花園です。テレビドラマ「風のガーデン」でも有名になった方です。飛んで行きたいほど心がはやりましたが、あまりにも遠い。旅費もかかる。ジュンク堂に行きましたら「上野ファーム」の写真集がありました。二冊の本を穴があくほど眺めながら心で想像しています。
昨年亡くなったターシャ・チューダーの庭に似ています。天国のような花園です。ため息をつきながらも、マネをする体力も資力もありません。ただかくも人の心を魅了する庭づくりの情熱とテクニックとセンスをまなびとりたいです。
野の花が楚々と咲き乱れる野山のイメージが、私の身丈に合うところ。
今、ススキ、オミナエシ、キキョウ、秋明菊などが風にゆれています。
いしかわようこ
歳を取るって好きなものが増えてステキ・・・。最近のお気に入りの作家、葉祥明氏の詩の本を図書館で見つけました。シュタイナーの本で出会った感覚にとても近い詩だと思います。
《 神さまが心に・・・・》
小鳥や仔猫や仔犬など
小さく幼いものを見る時 悪いことをしようとして
野の花や青空や夕焼け雲 どうしてもできない時
それに月や星に我を忘れる時 だれかの助けになってあげた時
神様が僕の心の中に そして、苦しむ人を見て
すっと入り込むような気がする 心がちくちく痛む時
そんな時 やはり
神様がふっと心の中に入り込んだのだと思う
葉祥明さんのエッセイ詩集 『ありがとう そよ風』 より
私はどうも嫉妬深い人間だったようです。
才能のある人間が羨ましいです。
歌手や作家など自分の世界観を表現できていいなぁと憧れます。葉氏も絵も詩も素敵で憧れます。
下は彼のことばです。
上の詩の本のあとがきにありました。
「ある日ある時、詩の神様がやって来て、私を通してこの世に生まれたもの。
作品は私のものではなく、それを書かせたものたちのものなのかも知れません。
雨や風や木々や草花。彼らが私に詩を書かせ、絵を描かせる。
人間である私は、そのために存在している。
この地球は彼ら自然に生きるものたちの物で、私たち人間はそれを少し借りるだけ、
その御礼に自然を賛美し、歌う。
これが、人間と芸術の存在意義ではないかとも思うのです。」
謙虚で心が綺麗な方だからこその作品なのだとうなずけます。人に良く見せたいが為に才能を欲する気持ちでいる自分が恥ずかしくなりました。
以前読んだ小説に主人公である生徒の子供時代にその担任の教師が言ったという説「名前は一生をかけて全うするべき目票となるので、その正反対に生まれるのだ。」というものがありました。
職業柄、いろんな人間に会い、その説は正しいのではと思うことしばしばです。
たとえば、『優』という字の入ったお子さんは大抵、性格がきつい・・・。
『翔』は落ち着きが無い、『太』は体が細い。巌男とい
う本名のオカマが多い。『強』は弱い・・・など。
いい意味の字を使って素敵なお名前だと感心する
名前もあれば、あまりに高大な字を用い、いわゆる「名前負け」になってしまうと可哀相な気がします。
さて、私の名前の『知子』ですが、この名前を命名した父によると、
「知らないことを許すことは簡単なこと。
知っていてなおそれを許すことができる観音様やマリア様のような女性になってほしい。」
と、つけたそうです。
当の本人はというと昔から知性的な女性に憧れておりましたが、短気で自分の考えが一番と疑わず、思い道理にならないと癇癪を起こす子供でした。(残念ながらその悪い癖はなかなか直れずにいます。)
『許す』という気持ちになるには、自分より相手を思いやっていないとできないと思います。
今、ティック・ナット・ハンの『禅的生活のすすめ』という本を読んでいます。
“平安は一人ひとりの心のあり方から”
“不安や恐怖や怒りを哀れみに”
“相手の矢を花に代えて受け取る” という言葉に感動しています。
(最後のイメージトレーニングはお釈迦様が修行中に行ったもの)
夏休み中、この時期敗戦を経験した日本ではテレビではドラマやドキュメンタリー、また黙祷のサイレン、空襲後の写真の展示という形でいろんな所で戦争についてのものを目にします。
文化人として、二度と戦争が起こる状況にしてはならないと思います。
戦争の体験を語り継いで残していくことは大事だと思います。
非戦は、ただ戦わないという不戦ということ以上に、相手を許しているのだと思います。
哀れみ、または愛の精神があると思います。ただ政策的には、相手(他国)のいう通り何でも許せば国としてや人としても甘く見られるばかりです。
そこはこちらを尊重されるべき人格国家であることをアピールしないと、とは思いますが。(今も政権交代後、日本がどのように変わっていくのか外国でも注目していることでしょうね。)
いわゆる戦国時代、国は限らず名将と謂われる人間は、敵であったとしても惚れる人間性を備えていたように思えます。
味方、家臣であればなおさら「この人の為ならば。」と忠誠を誓うことでしょう。
昔であれば家臣は命を捧げ、戦で血を流すこともあったでしょう。
それをも厭わない心意気にはいつも時代劇を見ていて感動します。
武道の達人は敵を作らないといいますが、そういうことなのでしょうか。
余談ですが斉藤孝氏の『自然体のつくり方』の中の一節でも居合道の型の審査の際「どちらに斬られればより本望か」を基準に判断を行う方法にたどりついたとか・・・。
長男の通う小学校では毎年秋に相撲大会が設けられます。
中にはルールを守れず喧嘩腰に相手を振り飛ばそうとする児童もいるようで、練習時に精神からよく教えることが大事だと思います。
先日相撲大会前日に一年児童の帰宅引率のボランティア(スクールガード)で学校内を訪れた際、大会についての心構えとして、勝敗ばかりが大事なのではなく、ルールに則って自分の力を出し切ることが大事だと子どもたちに話していました。
それでも負けると悔しくて泣いたり負け惜しみを言ってみたり。
二回戦で惨敗した長男も作文に早くも来年への闘志をしたためていました。
7月、とても興味深い講演会に行ってきました。講師、岸田芳朗氏(にかほ市出身、現岡山大学大学院准教授)の『蝕まれた子供の心と体を元気にする健康な農と食!』(にかほ市PTA連合会の講演会)です。
内容は食や生活の欧米化による日本人の受けたダメージ、家庭で添加物から家族を守るべきであることなどでした。この方は無農薬合鴨水稲作の普及に取り組んでいる方です。食品添加物について告発本を書かれた安部司氏のことも紹介されていました。便利なレトルト食品ですが極力家族には添加物の影響を与えたくないですね。そんな気持ちで急なお弁当も手作りの物で。長女曰く「皆の所はお
弁当に冷凍食品をよく使っているのにうちは使わないなんてすごいね。」だそうです。どうせなら愛情を添加したいですものね。
岸田さんが言うには、「食」という字は「人を良くする」と書き、安全なものを食べ健康になるばかりではなく、家族との会話や団欒から精神的な充足も得るというものだそうです。講演会の資料もご覧下さい。
先日佐藤初女さんのお料理の本、『初女さんのお料理』を書店の店頭で見かけ、早速購入し棒だらの煮付けとポテトサラダを作ってみました。美味しくでき、いつものメニューに一味加わりました。イスキア名物のにんじんの白和えも作ってみたいです。中学一年の長女は結構味にうるさく、特にこの2.3年はにんじんを嫌っています。食べてくれるかどうか・・・。
以下は、岸田芳朗氏の講演会資料より抜粋したものです。
蝕まれた子供の心と体を元気にする農と食
~家庭の食卓から農と食の再生~
岡山大学大学院 岸田芳朗
皆さんが「家庭の食卓から農と食の再生をさせるために」実践してほしいこと!
1取りませんか、各家庭で食に関する免許証を
旬育旬食・自育自食・地育地食の進め
春は芽:生命の凝縮・身体の潤滑油
夏は瓜:果菜類 暑い夏の身体の掃除と冷却
秋は実:木や草の種と実 寒い冬に耐える準備
冬は根:土の中で育った野菜 身体を温め繊維を補給し、腸を掃除
2食育に食術を
作物と家畜という命を大切に丸ごといただく;食材の魅力や栄養素をあますところな
く活かしきる古くからの知恵と工夫
農産物の上手な保存・活用法
大人は先入観で味わう、子どもは舌で味わう
3食歴を豊富に
季節ごとに旬の食材を、工夫しながら食べ続けること
食卓の魅力を失わせた職歴の薄さ
四季、地域によって産み出される多様な農産物の特徴を知れば、おいしい食べ方と調理
術も身につく
4日本の食文化を代表していた発酵食品など日本型食生活の見直しと食卓への取戻しを
なぜマヨネーズなの
玄米の繊維質は白米の6倍
干し柿の魅力
豊富な野菜;抗酸化力が強く、繊維も豊か
魚 食;血液をさらさらにする油が豊富
必須脂肪酸は人間の体内で作ることができないもので、食べ物から摂取
食の欧米化で魚(青魚)を食べなくなった
(EPA;エイコサぺンタエン酸、DHA、ドコサヘキサエン酸)
(生活習慣病を予防、鬱が少ない)
5「本当の豊かさ」とは何かをもう一度考え、取り戻しませんか
モノとカネの豊かさがすべてなのか
企業のペースに振り回されている私たち
家族や愛するものとの健康で楽しい暮らし、心を豊かにする趣味、生きがいのある仕事
人生の充実感、無目的な友情、自然とのともにあるやすらぎ
喜劇王チャップリンの言葉で、「生きていくために必要なのは
”夢と勇気と少しのお金”
最近、覚醒剤所持で逮捕される芸能人が多く、ビックリです。最近テレビでその生い立ちまで報道されているSさん、ママさんタレントとしても成功し、女優としてもまだまだこれからという時で残念です。街角での一般人への聞き込みでも興味本位の軽い気持ちでできるほど手に入りやすくなっているというので恐ろしいですね。
皆自分を大切にしてほしいです。
Sさんの裁判の結果や動向を大騒ぎして追いかけたりはもういいので、この機会に覚醒剤をしていた人たちのその後の副作用、リハビリの様子などを詳しくマスコミで取り上げ、そいうことこそメディアで伝えればいいと思います。
小さいときに「自分は大事にされた。」という記憶があって、ちゃんと愛情を感じて育っていれば、万が一道を踏み外すとしても早い時点で歯止めがきくはずだと思います。
先の食事のとり方もですが、絆というものでしょうか。今の子供たちは傷つきやすい環境にいるのも事実です。
癒してくれるはずの自然が都会では減っているでしょうし、田舎でも時間に追われて自然とコンタクトをとる時間が持てなかったり、感性自体が育っていなかったり。
映画『西の魔女が死んだ』を観る機会がありました。
本のままというかそれ以上の西の魔女の姿に感激しました。
登校拒否になった少女まいは昔のままのスローライフを守り森の中の家で一人凛と生きているおばあちゃんの愛情と自然にすっぽりと包まれ、癒されていました。
また、精神力(意志力)を鍛えるという魔女修行生活の中で、おばあちゃんが信じているスピリチュアルなものへの自然な出会い、本当に素敵な映画でした。映画化ということで知ってから原作を読んだのですが、原作を裏切らない仕上がりだと思いました。
『賢治の学校』創設者鳥山さんも自然との関わりの大切さを書いています。
人間も自然の一部ですから、生きる力を自然から受け取る必要があるのではないでしょうか。
病院の待合室や郵便局で絵本の読み聞かせの紹介の冊子『親と子の童話館ぶっくくらぶ』に《テレビなど電子メディアと子ども》という連載での特集記事があります。
テレビなどからの過度の刺激は暴力シーンはもとより、そうでないものでもよくないとあります。
ましてや暴力的なシーンは例え正義のための暴力でも、やはり暴力肯定の意識を作ると危惧しています。
次はその冊子からの抜粋文,
「幼い頃からテレビなどの暴力シーンにさらされて来た子どもたちは、この世は暴力に満ちていること、人は暴力の前には無力であることを知らされていく。
そうやって、この世を暴力と哀しみの世界ととらえていく。
そのような世界観から、子どもたちはどのような人生を切り開こうとするのでしょうか。
もちろん、その感覚にも負けない人間の感受性が存在することを幸いとしす。」
今の世の中、情報が溢れすぎていて、何を自分の世界に取り入れればいいのか、よく選ばなければならなくて、それだけで疲れてしまいます。便利になって良かったこと、そうでないこと、欲を抑えるということも必要になったと思います。
私も若いときは何でもできる気がしていました。
それでかえって、何をすればいいのかわからなかったこともあったと思います。
得になうことばかり気にしたり。
ようやく今は落ち着いて考えられます。
ただ、身体のあちこちに痛みが出てきたり思い道理に行かなくなってきて、自分もお年寄りに近づいているんだと驚きを隠せません。
若いときの身体を使った遊びや運動の経験は一つの喜びです。
私もまだまだ走れることに感謝しなくては。
最近『獣の奏者エリン』に子供たちと夢中になっています。
NHKでアニメ化放送もされています。架空の獣と王国の物語です。
主人公はただ動物を愛する少女で自然の中で幸せに生きる生き物が好きで医術士となっていくのですが、王室の権力争いや戦争に巻き込まれていくのです。思うように行かない世の中で真理を求めて健気に生きていく様子に感動します。
『西の魔女が死んだ』やこの本にしろ、子供がいたから出会ったものです。
一緒に生きなおしていると感じる今日この頃です。
❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀
ところで、ここのところホメオパシーの勉強が子供の用事でままならず、捗りませんでした。
我が家の利用状況も、子供の鼻炎に自宅で選んでレメディを与えていますがなかなか改善せず、一種類のレメディを私が選ぶのではなくレメディウムといって数種類のものが症状に合わせてブレンドされているものに代える予定です。
子供の水イボの治療では、イボ用のスーヤというレメディの服用と軟膏塗布(エッセンシャルオイルとの併用)は効果がありました。胃腸内のポリープにも効くというので、私もたまに飲んでいます。
それから夏休み中、海外から帰省中の方々(国際結婚をして外国在住)に海外でのホメオパシーの普及について聞いてみました。
オーストラリア:自然療法の一種として当たり前に薬局に並んで売られている。
元々医療保険がなく、どうせ病院から処方された薬も高価であり、選択はあくまで患者本人次第。
イギリス : 子育て中に皆一度はホメオパシーに罹っている。ただ、ピタっと合って治療がうまくいく場合とそうでない場合があり。西洋医学と併用している人が多い。
と、こんな感じでした。
ひょうどうともこ
《 神さまが心に・・・・》
小鳥や仔猫や仔犬など
小さく幼いものを見る時 悪いことをしようとして
野の花や青空や夕焼け雲 どうしてもできない時
それに月や星に我を忘れる時 だれかの助けになってあげた時
神様が僕の心の中に そして、苦しむ人を見て
すっと入り込むような気がする 心がちくちく痛む時
そんな時 やはり
神様がふっと心の中に入り込んだのだと思う
葉祥明さんのエッセイ詩集 『ありがとう そよ風』 より
私はどうも嫉妬深い人間だったようです。
才能のある人間が羨ましいです。
歌手や作家など自分の世界観を表現できていいなぁと憧れます。葉氏も絵も詩も素敵で憧れます。
下は彼のことばです。
上の詩の本のあとがきにありました。
「ある日ある時、詩の神様がやって来て、私を通してこの世に生まれたもの。
作品は私のものではなく、それを書かせたものたちのものなのかも知れません。
雨や風や木々や草花。彼らが私に詩を書かせ、絵を描かせる。
人間である私は、そのために存在している。
この地球は彼ら自然に生きるものたちの物で、私たち人間はそれを少し借りるだけ、
その御礼に自然を賛美し、歌う。
これが、人間と芸術の存在意義ではないかとも思うのです。」
謙虚で心が綺麗な方だからこその作品なのだとうなずけます。人に良く見せたいが為に才能を欲する気持ちでいる自分が恥ずかしくなりました。
以前読んだ小説に主人公である生徒の子供時代にその担任の教師が言ったという説「名前は一生をかけて全うするべき目票となるので、その正反対に生まれるのだ。」というものがありました。
職業柄、いろんな人間に会い、その説は正しいのではと思うことしばしばです。
たとえば、『優』という字の入ったお子さんは大抵、性格がきつい・・・。
『翔』は落ち着きが無い、『太』は体が細い。巌男とい
う本名のオカマが多い。『強』は弱い・・・など。
いい意味の字を使って素敵なお名前だと感心する
名前もあれば、あまりに高大な字を用い、いわゆる「名前負け」になってしまうと可哀相な気がします。
さて、私の名前の『知子』ですが、この名前を命名した父によると、
「知らないことを許すことは簡単なこと。
知っていてなおそれを許すことができる観音様やマリア様のような女性になってほしい。」
と、つけたそうです。
当の本人はというと昔から知性的な女性に憧れておりましたが、短気で自分の考えが一番と疑わず、思い道理にならないと癇癪を起こす子供でした。(残念ながらその悪い癖はなかなか直れずにいます。)
『許す』という気持ちになるには、自分より相手を思いやっていないとできないと思います。
今、ティック・ナット・ハンの『禅的生活のすすめ』という本を読んでいます。
“平安は一人ひとりの心のあり方から”
“不安や恐怖や怒りを哀れみに”
“相手の矢を花に代えて受け取る” という言葉に感動しています。
(最後のイメージトレーニングはお釈迦様が修行中に行ったもの)
夏休み中、この時期敗戦を経験した日本ではテレビではドラマやドキュメンタリー、また黙祷のサイレン、空襲後の写真の展示という形でいろんな所で戦争についてのものを目にします。
文化人として、二度と戦争が起こる状況にしてはならないと思います。
戦争の体験を語り継いで残していくことは大事だと思います。
非戦は、ただ戦わないという不戦ということ以上に、相手を許しているのだと思います。
哀れみ、または愛の精神があると思います。ただ政策的には、相手(他国)のいう通り何でも許せば国としてや人としても甘く見られるばかりです。
そこはこちらを尊重されるべき人格国家であることをアピールしないと、とは思いますが。(今も政権交代後、日本がどのように変わっていくのか外国でも注目していることでしょうね。)
いわゆる戦国時代、国は限らず名将と謂われる人間は、敵であったとしても惚れる人間性を備えていたように思えます。
味方、家臣であればなおさら「この人の為ならば。」と忠誠を誓うことでしょう。
昔であれば家臣は命を捧げ、戦で血を流すこともあったでしょう。
それをも厭わない心意気にはいつも時代劇を見ていて感動します。
武道の達人は敵を作らないといいますが、そういうことなのでしょうか。
余談ですが斉藤孝氏の『自然体のつくり方』の中の一節でも居合道の型の審査の際「どちらに斬られればより本望か」を基準に判断を行う方法にたどりついたとか・・・。
長男の通う小学校では毎年秋に相撲大会が設けられます。
中にはルールを守れず喧嘩腰に相手を振り飛ばそうとする児童もいるようで、練習時に精神からよく教えることが大事だと思います。
先日相撲大会前日に一年児童の帰宅引率のボランティア(スクールガード)で学校内を訪れた際、大会についての心構えとして、勝敗ばかりが大事なのではなく、ルールに則って自分の力を出し切ることが大事だと子どもたちに話していました。
それでも負けると悔しくて泣いたり負け惜しみを言ってみたり。
二回戦で惨敗した長男も作文に早くも来年への闘志をしたためていました。
7月、とても興味深い講演会に行ってきました。講師、岸田芳朗氏(にかほ市出身、現岡山大学大学院准教授)の『蝕まれた子供の心と体を元気にする健康な農と食!』(にかほ市PTA連合会の講演会)です。
内容は食や生活の欧米化による日本人の受けたダメージ、家庭で添加物から家族を守るべきであることなどでした。この方は無農薬合鴨水稲作の普及に取り組んでいる方です。食品添加物について告発本を書かれた安部司氏のことも紹介されていました。便利なレトルト食品ですが極力家族には添加物の影響を与えたくないですね。そんな気持ちで急なお弁当も手作りの物で。長女曰く「皆の所はお
弁当に冷凍食品をよく使っているのにうちは使わないなんてすごいね。」だそうです。どうせなら愛情を添加したいですものね。
岸田さんが言うには、「食」という字は「人を良くする」と書き、安全なものを食べ健康になるばかりではなく、家族との会話や団欒から精神的な充足も得るというものだそうです。講演会の資料もご覧下さい。
先日佐藤初女さんのお料理の本、『初女さんのお料理』を書店の店頭で見かけ、早速購入し棒だらの煮付けとポテトサラダを作ってみました。美味しくでき、いつものメニューに一味加わりました。イスキア名物のにんじんの白和えも作ってみたいです。中学一年の長女は結構味にうるさく、特にこの2.3年はにんじんを嫌っています。食べてくれるかどうか・・・。
以下は、岸田芳朗氏の講演会資料より抜粋したものです。
蝕まれた子供の心と体を元気にする農と食
~家庭の食卓から農と食の再生~
岡山大学大学院 岸田芳朗
皆さんが「家庭の食卓から農と食の再生をさせるために」実践してほしいこと!
1取りませんか、各家庭で食に関する免許証を
旬育旬食・自育自食・地育地食の進め
春は芽:生命の凝縮・身体の潤滑油
夏は瓜:果菜類 暑い夏の身体の掃除と冷却
秋は実:木や草の種と実 寒い冬に耐える準備
冬は根:土の中で育った野菜 身体を温め繊維を補給し、腸を掃除
2食育に食術を
作物と家畜という命を大切に丸ごといただく;食材の魅力や栄養素をあますところな
く活かしきる古くからの知恵と工夫
農産物の上手な保存・活用法
大人は先入観で味わう、子どもは舌で味わう
3食歴を豊富に
季節ごとに旬の食材を、工夫しながら食べ続けること
食卓の魅力を失わせた職歴の薄さ
四季、地域によって産み出される多様な農産物の特徴を知れば、おいしい食べ方と調理
術も身につく
4日本の食文化を代表していた発酵食品など日本型食生活の見直しと食卓への取戻しを
なぜマヨネーズなの
玄米の繊維質は白米の6倍
干し柿の魅力
豊富な野菜;抗酸化力が強く、繊維も豊か
魚 食;血液をさらさらにする油が豊富
必須脂肪酸は人間の体内で作ることができないもので、食べ物から摂取
食の欧米化で魚(青魚)を食べなくなった
(EPA;エイコサぺンタエン酸、DHA、ドコサヘキサエン酸)
(生活習慣病を予防、鬱が少ない)
5「本当の豊かさ」とは何かをもう一度考え、取り戻しませんか
モノとカネの豊かさがすべてなのか
企業のペースに振り回されている私たち
家族や愛するものとの健康で楽しい暮らし、心を豊かにする趣味、生きがいのある仕事
人生の充実感、無目的な友情、自然とのともにあるやすらぎ
喜劇王チャップリンの言葉で、「生きていくために必要なのは
”夢と勇気と少しのお金”
最近、覚醒剤所持で逮捕される芸能人が多く、ビックリです。最近テレビでその生い立ちまで報道されているSさん、ママさんタレントとしても成功し、女優としてもまだまだこれからという時で残念です。街角での一般人への聞き込みでも興味本位の軽い気持ちでできるほど手に入りやすくなっているというので恐ろしいですね。
皆自分を大切にしてほしいです。
Sさんの裁判の結果や動向を大騒ぎして追いかけたりはもういいので、この機会に覚醒剤をしていた人たちのその後の副作用、リハビリの様子などを詳しくマスコミで取り上げ、そいうことこそメディアで伝えればいいと思います。
小さいときに「自分は大事にされた。」という記憶があって、ちゃんと愛情を感じて育っていれば、万が一道を踏み外すとしても早い時点で歯止めがきくはずだと思います。
先の食事のとり方もですが、絆というものでしょうか。今の子供たちは傷つきやすい環境にいるのも事実です。
癒してくれるはずの自然が都会では減っているでしょうし、田舎でも時間に追われて自然とコンタクトをとる時間が持てなかったり、感性自体が育っていなかったり。
映画『西の魔女が死んだ』を観る機会がありました。
本のままというかそれ以上の西の魔女の姿に感激しました。
登校拒否になった少女まいは昔のままのスローライフを守り森の中の家で一人凛と生きているおばあちゃんの愛情と自然にすっぽりと包まれ、癒されていました。
また、精神力(意志力)を鍛えるという魔女修行生活の中で、おばあちゃんが信じているスピリチュアルなものへの自然な出会い、本当に素敵な映画でした。映画化ということで知ってから原作を読んだのですが、原作を裏切らない仕上がりだと思いました。
『賢治の学校』創設者鳥山さんも自然との関わりの大切さを書いています。
人間も自然の一部ですから、生きる力を自然から受け取る必要があるのではないでしょうか。
病院の待合室や郵便局で絵本の読み聞かせの紹介の冊子『親と子の童話館ぶっくくらぶ』に《テレビなど電子メディアと子ども》という連載での特集記事があります。
テレビなどからの過度の刺激は暴力シーンはもとより、そうでないものでもよくないとあります。
ましてや暴力的なシーンは例え正義のための暴力でも、やはり暴力肯定の意識を作ると危惧しています。
次はその冊子からの抜粋文,
「幼い頃からテレビなどの暴力シーンにさらされて来た子どもたちは、この世は暴力に満ちていること、人は暴力の前には無力であることを知らされていく。
そうやって、この世を暴力と哀しみの世界ととらえていく。
そのような世界観から、子どもたちはどのような人生を切り開こうとするのでしょうか。
もちろん、その感覚にも負けない人間の感受性が存在することを幸いとしす。」
今の世の中、情報が溢れすぎていて、何を自分の世界に取り入れればいいのか、よく選ばなければならなくて、それだけで疲れてしまいます。便利になって良かったこと、そうでないこと、欲を抑えるということも必要になったと思います。
私も若いときは何でもできる気がしていました。
それでかえって、何をすればいいのかわからなかったこともあったと思います。
得になうことばかり気にしたり。
ようやく今は落ち着いて考えられます。
ただ、身体のあちこちに痛みが出てきたり思い道理に行かなくなってきて、自分もお年寄りに近づいているんだと驚きを隠せません。
若いときの身体を使った遊びや運動の経験は一つの喜びです。
私もまだまだ走れることに感謝しなくては。
最近『獣の奏者エリン』に子供たちと夢中になっています。
NHKでアニメ化放送もされています。架空の獣と王国の物語です。
主人公はただ動物を愛する少女で自然の中で幸せに生きる生き物が好きで医術士となっていくのですが、王室の権力争いや戦争に巻き込まれていくのです。思うように行かない世の中で真理を求めて健気に生きていく様子に感動します。
『西の魔女が死んだ』やこの本にしろ、子供がいたから出会ったものです。
一緒に生きなおしていると感じる今日この頃です。
❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀
ところで、ここのところホメオパシーの勉強が子供の用事でままならず、捗りませんでした。
我が家の利用状況も、子供の鼻炎に自宅で選んでレメディを与えていますがなかなか改善せず、一種類のレメディを私が選ぶのではなくレメディウムといって数種類のものが症状に合わせてブレンドされているものに代える予定です。
子供の水イボの治療では、イボ用のスーヤというレメディの服用と軟膏塗布(エッセンシャルオイルとの併用)は効果がありました。胃腸内のポリープにも効くというので、私もたまに飲んでいます。
それから夏休み中、海外から帰省中の方々(国際結婚をして外国在住)に海外でのホメオパシーの普及について聞いてみました。
オーストラリア:自然療法の一種として当たり前に薬局に並んで売られている。
元々医療保険がなく、どうせ病院から処方された薬も高価であり、選択はあくまで患者本人次第。
イギリス : 子育て中に皆一度はホメオパシーに罹っている。ただ、ピタっと合って治療がうまくいく場合とそうでない場合があり。西洋医学と併用している人が多い。
と、こんな感じでした。
ひょうどうともこ