広い敷地の高台に宮嶋望さん設計の六角型建築があり、それはメンバーたちの食堂兼集会所となっています。左下に牛舎や畑。添付のレストラン・カフェは道路に面して建てられています。設立1978年、30年あまり経て、まわりにサポートするスタッフの個人家屋も数軒ありました。
①ホントに素朴な自然環境でした。道路も石ころだらけ。踏み固めて出来た野の道に、野の草花がたくましく伸び伸びはえていて・・・・・中央に沢からの水が小川となってさらさら流れていて・・・・・私の育った「ふるさと」に近い景色でなつかしく感じ、テクテク歩き回ってきました。
②レストラン「ミンタル」は私にとって最高に居心地のいい場所でした。ナチュラルで温かくて、私の思い描いていたガーデンカフェでした。外のテラスに設けられたデッキで時を忘れる幸福感を味わいました。20メートル先の柵内に羊が10頭くらい放牧されていて、時折「メェ~ メェ~」と私にラブコールをよせてくれたものです。暑からず寒からず、北海道のさわやかな風を今も思い出します。
③食いしん坊でしかも安心素材にこだわる私に「ミンタル」はホントに美味しくてお腹にやさしいランチ、ドリンク、スイーツを準備して待ってくれていました。緑に囲まれたガーデンカフェで良心的に作られた食事やお茶をいただくという私の夢を実現してくれる所でした。食器や料理の見映えは高級レストランのそれとは違います。全く素朴で素気なく、どこの家にもあるようなもの、でも心底満足するのはなぜでしょうか。
(つづきは又)
いしかわようこ
①ホントに素朴な自然環境でした。道路も石ころだらけ。踏み固めて出来た野の道に、野の草花がたくましく伸び伸びはえていて・・・・・中央に沢からの水が小川となってさらさら流れていて・・・・・私の育った「ふるさと」に近い景色でなつかしく感じ、テクテク歩き回ってきました。
②レストラン「ミンタル」は私にとって最高に居心地のいい場所でした。ナチュラルで温かくて、私の思い描いていたガーデンカフェでした。外のテラスに設けられたデッキで時を忘れる幸福感を味わいました。20メートル先の柵内に羊が10頭くらい放牧されていて、時折「メェ~ メェ~」と私にラブコールをよせてくれたものです。暑からず寒からず、北海道のさわやかな風を今も思い出します。
③食いしん坊でしかも安心素材にこだわる私に「ミンタル」はホントに美味しくてお腹にやさしいランチ、ドリンク、スイーツを準備して待ってくれていました。緑に囲まれたガーデンカフェで良心的に作られた食事やお茶をいただくという私の夢を実現してくれる所でした。食器や料理の見映えは高級レストランのそれとは違います。全く素朴で素気なく、どこの家にもあるようなもの、でも心底満足するのはなぜでしょうか。
(つづきは又)
いしかわようこ
秋田駅から木内まで歩けなくなった私が、今、北海道ゆきを計画しています。もし旅先から絵葉書が届きましたら、「Iさんやったね!」と拍手してください。行き先は北海道十勝平野の真ん中に位置する「共同学舎・新得農場」という所です。帯広市から少し離れた町にあります。
腰曲がりババアの気持ちをこんなにも駆り立て、「これが最後の旅行になってもいい」と思わせてくれたのは、次の三冊の本でした。
『未来の食卓を変える7人』(書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)出版) 美味しくて安全な食べ物づくりに挑戦しつづける農家たち
農業の時代が来る 毎日毎日口にしている野菜や牛乳など、日々どうやって生産されているか知っていますか。有機栽培での野菜作りなど食べ物の未来を考え・・・・現代の農業のあり方・・・・明日、いえ今日からの食卓を変えてみませんか?
☆「人の心を育てる愛の農場」宮嶋望さん、共働学舎新得農場
数年前テレビで大きく紹介されたことがあるそうですから、あるいは皆さんご存知かも知れません
『みんな、神様をつれてやってきた』(地湧社出版)北海道新得共働学舎代表 宮嶋望著
=僕らでつくったエネルギーフィールド=
生き方に迷っている人、人から見放された人、社会を見限った人が
太陽や月、星、山、川、森、土
牛やバクテリアたち協働して、いのちの花を咲かせている。
『いのちが教えるメタサイエンス』炭・水・光そしてナチュラルチーズ
宮嶋望著(地湧社出版)
=世界のチーズを作った共働学舎新得農場の挑戦=
森も牛も畑の作物も、みんな、いのちのシンフォニーを奏でている
この三冊を通して知った宮嶋望さんの生き方、考え方、活動に深く深く共感しました。私がずっと追い求めていたこととピタリ焦点が合っていたからです。
(その一)自然のリズムに沿って生きよう!
職場や家庭で傷ついて立ち直れなくなったとき、少し羽を休めるところがあればいいと思う。そのとき、そばに自然があったほうがいい。仲間がいたほうがいい。そして、気を紛らわすために仕事があったほうがいい。 『未来の食卓を考える』102ページ
北海道・十勝の新得町にあるこの農場には、心と体に障害を持つ者や引きこもり、不登校の若者など、この社会にうまく適応できない人たちがともに暮らし、働いている。1978年の開設時は数人だったメンバーはだんだん増えて、今では70人を超えた。
水と緑の豊かな大自然に囲まれて、メンバーたちは朝まだき牛とともに目覚め、お日様の下で身体を動かし、夜のしじまのなかに眠りにつく。自然の恵みをたっぷりいただき、自然の巡りとともにゆったり暮らすうちに、強ばっていた心身はしだいに解きほぐされて、やがて前向きに日々を生きるようになっていく。
僕らが手がけてきたチーズづくりにも同じことが言える。牛の世話から乳の管理、微生物の扱い、発酵・熟成まで。自然の仕組みに従って、ゆっくる、ゆっくりつくり上げたチーズは何よりも体に良くておいしい。それはやがて世界が認める味になり・・・・。
自然に還ろう。私たち現代人のこころの歪み、からだの病は自然に逆らっているからだ。
自然のリズムに添って暮らそう。ゆっくりと。 『いのちが教えるメタサイエンス』13ページ
(その二)自然のエネルギーをいただこう!
自然のリズムに沿って生きるとき、すべてのエネルギーはちゃんと循環し、人、牛、草木、微生物といった地球上の生命は豊かな生を送ることができる
“いのちとはエネルギーの循環である”
〇 炭の力ってすごいなぁと教えられました。マイナスイオン放出で場を浄化し、エネルギーを強化してくれるという。
〇 天体(太陽や月など)の動きが生き物に与える影響も大きい。
新月の時のチーズ、木の伐採――初めて知りました。断然陰暦で暮らそうと思いました。
〇 人との交流、ことばの掛け合い、これもエネルギーの循環、元気のもと
シェア(分かち合い)のない心は死んでいく、とはまさにその通り。
僕は物質の世界も人間の暮らしも人の心も、この世にあるものはすべて同じ法則で動いていると思っている。たとえば、僕のイメージでは、世界は三つのエネルギーで動いている・・・・。
『みんな、神様をつれてやってきた』116ページ
私は天地万物の創造者なる神を信じていますので、すべてを貫く共通の存在法則があるはずだと思っています。「愛」という存在法則です。いのちの与え合い、補い合いというワンネスの世界を構築していくこと。
宮嶋さんの本は実に具体的に、そして科学的に(時には直感的に)その姿を解き明かして下さり痛快です。ちなみに宮嶋さんもクリスチャンとか。でも、神とかイエス・キリストということばは2-3回しか出てこない。でもその生き方考え方が神への深い畏敬で覆われているようで、これも私をひきつける要素です。
自然は神秘と不思議に満ちていて、同時に美しい秩序をなしている。それらに触れるたびに僕の心は躍った。すごい!面白い!いったいどうなっているんだろう?
『いのちが教えるメタサイエンス』14ページ
自然のすばらしい力をもらって、世界一のチーズを作り上げたのです。
“おいしさは自然の中にありました”学舎のチーズにつけられたキャッチコピーです。
(その三)日本再生の道-草の根活動で官を変えていこう!
経済性や効率を最優先する今の社会システムの中で、多くの人たちが倦み、疲れ、生きる意味や喜びを味わえずにいるのでないだろうか。そして回転を加速させていくモーターがやがて焼き切れるように、そろそろこの社会のシステムも限界に来ているのではないだろうか。(中略)
心身に不自由さや悩みをもち、家庭や職場や学校になじめず、心の置き場を失った人たちは、モノにあふれたこの社会で誰もが必要とする“何か”を必死に求めている存在なのではないか。社会の歪みを一身に背負うことによって、僕らに先んじて次の社会をつくるのに不可欠なものを探し求めつづけているのではないか。 『未来の食卓を変える7人』181ページ
歪んだ社会をシフトする“彼らはメッセンジャー”
『 ・草の根から状況を変えていく ・実績を行政に認めさせる ・個人の問題にしない(社会全体の課題と考える) ・新しい“公”をつくっていく 』
今は日本の社会が大きく変化していくチャンスだと思います。いつの時代にも「国家・政府は国民に嘘をついて」きましたが、今回の原発事故でもそれが露呈。めざめた市民たちが立ち上がっています。行動を起しています。(金曜日デモの広がり)
まず、弱い立場にある人たちの衣食住を確保する知識と技術を自分たちの力で探し身につけ、草の根から状況を変えていく。その方法と実績を行政に認めさせる。そいったかたちをとらなければ僕らの暮らしはいつまでたっても変わらないだろう。
市民がそれぞれ横につながって新しい“公”をつくっていく・・・
『未来の食卓を変える7人』191ページ
共同学舎は一つのモデルとなるに違いない。いざ北海道へ!
いしかわようこ
腰曲がりババアの気持ちをこんなにも駆り立て、「これが最後の旅行になってもいい」と思わせてくれたのは、次の三冊の本でした。
『未来の食卓を変える7人』(書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)出版) 美味しくて安全な食べ物づくりに挑戦しつづける農家たち
農業の時代が来る 毎日毎日口にしている野菜や牛乳など、日々どうやって生産されているか知っていますか。有機栽培での野菜作りなど食べ物の未来を考え・・・・現代の農業のあり方・・・・明日、いえ今日からの食卓を変えてみませんか?
☆「人の心を育てる愛の農場」宮嶋望さん、共働学舎新得農場
数年前テレビで大きく紹介されたことがあるそうですから、あるいは皆さんご存知かも知れません
『みんな、神様をつれてやってきた』(地湧社出版)北海道新得共働学舎代表 宮嶋望著
=僕らでつくったエネルギーフィールド=
生き方に迷っている人、人から見放された人、社会を見限った人が
太陽や月、星、山、川、森、土
牛やバクテリアたち協働して、いのちの花を咲かせている。
『いのちが教えるメタサイエンス』炭・水・光そしてナチュラルチーズ
宮嶋望著(地湧社出版)
=世界のチーズを作った共働学舎新得農場の挑戦=
森も牛も畑の作物も、みんな、いのちのシンフォニーを奏でている
この三冊を通して知った宮嶋望さんの生き方、考え方、活動に深く深く共感しました。私がずっと追い求めていたこととピタリ焦点が合っていたからです。
(その一)自然のリズムに沿って生きよう!
職場や家庭で傷ついて立ち直れなくなったとき、少し羽を休めるところがあればいいと思う。そのとき、そばに自然があったほうがいい。仲間がいたほうがいい。そして、気を紛らわすために仕事があったほうがいい。 『未来の食卓を考える』102ページ
北海道・十勝の新得町にあるこの農場には、心と体に障害を持つ者や引きこもり、不登校の若者など、この社会にうまく適応できない人たちがともに暮らし、働いている。1978年の開設時は数人だったメンバーはだんだん増えて、今では70人を超えた。
水と緑の豊かな大自然に囲まれて、メンバーたちは朝まだき牛とともに目覚め、お日様の下で身体を動かし、夜のしじまのなかに眠りにつく。自然の恵みをたっぷりいただき、自然の巡りとともにゆったり暮らすうちに、強ばっていた心身はしだいに解きほぐされて、やがて前向きに日々を生きるようになっていく。
僕らが手がけてきたチーズづくりにも同じことが言える。牛の世話から乳の管理、微生物の扱い、発酵・熟成まで。自然の仕組みに従って、ゆっくる、ゆっくりつくり上げたチーズは何よりも体に良くておいしい。それはやがて世界が認める味になり・・・・。
自然に還ろう。私たち現代人のこころの歪み、からだの病は自然に逆らっているからだ。
自然のリズムに添って暮らそう。ゆっくりと。 『いのちが教えるメタサイエンス』13ページ
(その二)自然のエネルギーをいただこう!
自然のリズムに沿って生きるとき、すべてのエネルギーはちゃんと循環し、人、牛、草木、微生物といった地球上の生命は豊かな生を送ることができる
“いのちとはエネルギーの循環である”
〇 炭の力ってすごいなぁと教えられました。マイナスイオン放出で場を浄化し、エネルギーを強化してくれるという。
〇 天体(太陽や月など)の動きが生き物に与える影響も大きい。
新月の時のチーズ、木の伐採――初めて知りました。断然陰暦で暮らそうと思いました。
〇 人との交流、ことばの掛け合い、これもエネルギーの循環、元気のもと
シェア(分かち合い)のない心は死んでいく、とはまさにその通り。
僕は物質の世界も人間の暮らしも人の心も、この世にあるものはすべて同じ法則で動いていると思っている。たとえば、僕のイメージでは、世界は三つのエネルギーで動いている・・・・。
『みんな、神様をつれてやってきた』116ページ
私は天地万物の創造者なる神を信じていますので、すべてを貫く共通の存在法則があるはずだと思っています。「愛」という存在法則です。いのちの与え合い、補い合いというワンネスの世界を構築していくこと。
宮嶋さんの本は実に具体的に、そして科学的に(時には直感的に)その姿を解き明かして下さり痛快です。ちなみに宮嶋さんもクリスチャンとか。でも、神とかイエス・キリストということばは2-3回しか出てこない。でもその生き方考え方が神への深い畏敬で覆われているようで、これも私をひきつける要素です。
自然は神秘と不思議に満ちていて、同時に美しい秩序をなしている。それらに触れるたびに僕の心は躍った。すごい!面白い!いったいどうなっているんだろう?
『いのちが教えるメタサイエンス』14ページ
自然のすばらしい力をもらって、世界一のチーズを作り上げたのです。
“おいしさは自然の中にありました”学舎のチーズにつけられたキャッチコピーです。
(その三)日本再生の道-草の根活動で官を変えていこう!
経済性や効率を最優先する今の社会システムの中で、多くの人たちが倦み、疲れ、生きる意味や喜びを味わえずにいるのでないだろうか。そして回転を加速させていくモーターがやがて焼き切れるように、そろそろこの社会のシステムも限界に来ているのではないだろうか。(中略)
心身に不自由さや悩みをもち、家庭や職場や学校になじめず、心の置き場を失った人たちは、モノにあふれたこの社会で誰もが必要とする“何か”を必死に求めている存在なのではないか。社会の歪みを一身に背負うことによって、僕らに先んじて次の社会をつくるのに不可欠なものを探し求めつづけているのではないか。 『未来の食卓を変える7人』181ページ
歪んだ社会をシフトする“彼らはメッセンジャー”
『 ・草の根から状況を変えていく ・実績を行政に認めさせる ・個人の問題にしない(社会全体の課題と考える) ・新しい“公”をつくっていく 』
今は日本の社会が大きく変化していくチャンスだと思います。いつの時代にも「国家・政府は国民に嘘をついて」きましたが、今回の原発事故でもそれが露呈。めざめた市民たちが立ち上がっています。行動を起しています。(金曜日デモの広がり)
まず、弱い立場にある人たちの衣食住を確保する知識と技術を自分たちの力で探し身につけ、草の根から状況を変えていく。その方法と実績を行政に認めさせる。そいったかたちをとらなければ僕らの暮らしはいつまでたっても変わらないだろう。
市民がそれぞれ横につながって新しい“公”をつくっていく・・・
『未来の食卓を変える7人』191ページ
共同学舎は一つのモデルとなるに違いない。いざ北海道へ!
いしかわようこ
8月に入ってすぐ福島っ子たちの秋田での保養キャンプの海遊びに臨時ボランティアで長男(小5)とともに参加しました。長男は以前も海辺の自然学校のプログラムを体験していたこともあり、シーカヤックを漕いだりウェットスーツの着脱方法の紹介時モデルになったりでお手伝いをして参加していました。その他は一緒にというか、我先に夢中で遊んでいたのですが・・・。
お話した福島のお母さんたちは明るく振舞っていましたが、日常では放射線量の高い二階ではベッドを置いた寝室がせっかくあっても使わず一階で寝起きしているとか、洗濯物も家の中干し、小学校低学年の子どもさんのお母さんは、リビングの真ん中が家の中で一番線量が低いところなのでそこにお子さんをいるように生活していると話していました。子どもたちも、外遊びができないので、象潟の海を見たとたん、服を着たまま飛び込んだと聞きました。やはり、そのような生活ではストレスが多いと思います。
8月6日は暦のワークショップに参加しました。私たちが出会ったシュタイナーの楽光のことをブログに載せていたことから、昨年から若いママさんたちから問い合わせをネット上で受けていました。そのうちのひとりの方からのお誘いでしたが、講師は何と「Actio」にも記事をお書きになっている冨田貴史さん。主催の「ママは原発いりません秋田」の中心メンバーの一人、Mさんは福島からの避難者です。彼女は被災当初は九州に行かれ、その際に前述の会を立ち上げるなど活動をそちらでもしていたとのこと。その時に冨田さんとも縁を持たれたとのこと。彼は911の後のイラクでの戦争勃発で反戦運動を呼びかけピースウォークを名古屋で行い、それから2003年には『六ヶ所村ラプソディー』を全国120箇所で上映の企画をしました。その後も脱原発活動(原発寿命引き伸ばしに対するハイロアクション)を予定していた前夜311が起き、原発事故が生じ、大変悔しかったと話されていました。でも、そのネットワークができていたお蔭で震災後、声明文を逸早く出す事ができたと言っていました。これからは既存のPTAや子ども会、自治体など今まであった集り以外の場を市民自らで作っていくことが大事で、地域での自立、自給というものを提案しているとのこと。
午後のシェアタイムの初めにも冨田さんが自分の今の活動について話してくれました。お金で物を手に入れる仕組みから自立(自給)の生活への変換を提案。(大豆味噌や、草木染のワークショップも開いている。)福島の親子の保養プロジェクトを行っている。今後もライフワークとして一生行っていくつもりである。食養についてもこれからの日本には大事だと思っている。医療費にお金がかかっている。情報の自給、自分たちで放射能レベルを測って教え合い情報を自分たちで流す。放射能の影響で障害児が今後増えてくる事はあるだろう。偏見なく、受け入れていける社会を作っておく必要がある。
それから、参加者同士で分かれて話し合いを持ちました。意見は最後発表してシェアし合いました。自給・自立:ハーブ、米、大豆各々作った物を交換するシステムを取り入れる。(衣・食・住)別の形でも行う。電気:自家発電や、暗さを愉しむライフスタイルに変えていく。 薪ストーブで料理をする。ガソリン車 → 菜種油の廃油で車を走らせる。
市民の声を政治へ:若者の政治離れ(デモ、集会、反対運動―――負の気持ち(怒りなど)で行っても、人は敬遠する。デモは明るく楽しく行い、反感をかわない物とするべきだ。
“食”:放射能汚染 → 内部被爆の不安がある。(家族間の意見の相違から夫婦ケンカも)→ 話し合う。 牛乳、肉を食べなくても、良質の蛋白源がある。“大豆”“大豆製品”の植物性のものを摂る。外食、弁当などは子どもには出来るだけ避けさせたいので外食しなくなった。 本で勉強して、周りに教えて、味方を増やすよう働きかけをする。オーガニックおやつを紹介するなど。
米のとぎ汁乳酸菌 → 掃除や自家製ヨーグルト、酵素ジュースを作っている。
○ 本紹介『微生物が放射能を消した!!』『発酵マニアの天然工房』
『食品の放射線マニュアル』『放射能汚染のない食品を見わける本』
鎌仲ひとみ監督の本『原発の、その先へ…ミツバチ革命始まる』を読みました。彼女の活動の始まりは医療問題からでした。映画作りの勉強のための渡米で市民メディア運動に出会っていたのも大きいようです。日本での子どものアレルギーや家庭の崩壊といった問題に着目している頃、阪神淡路大震災のボランティアで伊藤政子さんと知り合い、彼女からイラクの子どもたちの白血病が増えていること、経済制裁のため薬が無いことを聞き、1998年イラクへと入りそこで『ヒバクシャ』を撮るきっかけとなるラシャと出会います。最初は放射能の影響だとは全く考えずにいたとのこと。
アメリカに肥田医師と共に行った時、ハンフォードの人々はあきらめていた。人に語ったところでどうなるのかと。肥田先生から「被害者である人たちみずからが、自分たちの被害を否定することによって加害者になるという構造。それは過去からずっと続いてきた事です。このことを政府もメディアも利用する。この構造を乗り越えていためには、周りの人々が被害者が語ることができる環境を準備しなければならないのは当然のことですが、一方、被害者である人たちも一歩踏み出すことが大切なのではないでしょうか。自分に何が起きたのかということを語らなきゃいけない。語ることで、他の誰かをこんな目に遭わせなくてすむようになるかも知れない。」と言われ、その心境は変化しました。今の日本でも福島の方々も含め、日本中、影響されています。東電だけのせいにしたい訳ではありませんが、黙っていてはいけない。政府、国のあり方を本当の民主主義というものに変えていかねば。
今の日本での状況(デモやさまざまなアクションが市民レベルで発生している)を民主主義のエクササイズと鎌仲監督は言っています。
“責任の欠如”と指摘しています。今、鎌仲ひとみ監督の作品や『第四の革命』『シェーナウの想い』などを観て、自分たちも動こうという人が増えています。今までの日本は“経済優先”“発展のため”と謳い一次産業を軽視し、人々はそこからはなれざるを得なくなり、皆一介の労働者となっていき、それを “根こぎ”と彼女は言う。
「自民党政権が農漁業を軽視し、そこから労働を得るために、農漁業では食べられなくして、人々の生活の根を引き抜いて、一介の労働者にしてしまった。「根こぎ」をやった。(中略)原発を受け入れ、漁業権を売り渡してしまうと、人々の心にあった精神性が変容してしまいます。それは、そのままそこに住みながら、根が無くなっていくようなありさまです。近代的な教育システムそのものが、根こぎの作用を持っているのです。
福島の人々が避難しない理由はさまざまですが、最大の理由は現在の放射線量は問題ないとする政府の見解だと思います。国が出した指針に従っている。経済的に補償もないので移住しようがない。何よりもほんとうの意味でリスクが理解されていない。理解している人々は最大限被ばくを避ける努力をしたり、避難を補償しろという運動をしていますが大多数の人は行動を起こさない。それをするための心が折られている。立ち上がる力が奪われている。」本中の文抜粋。
秋田県内に避難している人たちも多くいるようです。福島県内に暮らすという道を選んだ人のことも責めるべきではありません。が、今までの暮らしを捨てて移住するという道を選んだ人をその人たちが責めるのも良くないと思います。
福島県から秋田に避難している方々のお話を聞く機会がありました。・・・安全説を唱えて暮らしている人、その人たちは避難した人に怒っている。子どもを連れて避難した妻に暴言を言う夫がいる。避難したのに「安全だから戻れ」と言われるし、それを拒否し続けるのは、心理的にも経済的にもとても苦しい状況となっているとのこと。私は秋田に住んでいても安心ではないと思います。東北六県の結束を強めようと放射能汚染レベルの高い地域からの食糧が流通してきます。確かに生産者を応援したいけれど、子どもたちを守りたい。瓦礫の受け入れも始まり、産業廃棄物にいたっては、知らない間に近隣で処理されています。放射能汚染物質は隔離するのが国際的な対処法です。自分や子どもを守れない場所でどうやって前向きに暮らせるか・・・。考えます。
秋田県内へ避難されているM・Nさんの避難者支援のプロジェクトがあります。協力できる方を募っています。
ひょうどうともこ
お話した福島のお母さんたちは明るく振舞っていましたが、日常では放射線量の高い二階ではベッドを置いた寝室がせっかくあっても使わず一階で寝起きしているとか、洗濯物も家の中干し、小学校低学年の子どもさんのお母さんは、リビングの真ん中が家の中で一番線量が低いところなのでそこにお子さんをいるように生活していると話していました。子どもたちも、外遊びができないので、象潟の海を見たとたん、服を着たまま飛び込んだと聞きました。やはり、そのような生活ではストレスが多いと思います。
8月6日は暦のワークショップに参加しました。私たちが出会ったシュタイナーの楽光のことをブログに載せていたことから、昨年から若いママさんたちから問い合わせをネット上で受けていました。そのうちのひとりの方からのお誘いでしたが、講師は何と「Actio」にも記事をお書きになっている冨田貴史さん。主催の「ママは原発いりません秋田」の中心メンバーの一人、Mさんは福島からの避難者です。彼女は被災当初は九州に行かれ、その際に前述の会を立ち上げるなど活動をそちらでもしていたとのこと。その時に冨田さんとも縁を持たれたとのこと。彼は911の後のイラクでの戦争勃発で反戦運動を呼びかけピースウォークを名古屋で行い、それから2003年には『六ヶ所村ラプソディー』を全国120箇所で上映の企画をしました。その後も脱原発活動(原発寿命引き伸ばしに対するハイロアクション)を予定していた前夜311が起き、原発事故が生じ、大変悔しかったと話されていました。でも、そのネットワークができていたお蔭で震災後、声明文を逸早く出す事ができたと言っていました。これからは既存のPTAや子ども会、自治体など今まであった集り以外の場を市民自らで作っていくことが大事で、地域での自立、自給というものを提案しているとのこと。
午後のシェアタイムの初めにも冨田さんが自分の今の活動について話してくれました。お金で物を手に入れる仕組みから自立(自給)の生活への変換を提案。(大豆味噌や、草木染のワークショップも開いている。)福島の親子の保養プロジェクトを行っている。今後もライフワークとして一生行っていくつもりである。食養についてもこれからの日本には大事だと思っている。医療費にお金がかかっている。情報の自給、自分たちで放射能レベルを測って教え合い情報を自分たちで流す。放射能の影響で障害児が今後増えてくる事はあるだろう。偏見なく、受け入れていける社会を作っておく必要がある。
それから、参加者同士で分かれて話し合いを持ちました。意見は最後発表してシェアし合いました。自給・自立:ハーブ、米、大豆各々作った物を交換するシステムを取り入れる。(衣・食・住)別の形でも行う。電気:自家発電や、暗さを愉しむライフスタイルに変えていく。 薪ストーブで料理をする。ガソリン車 → 菜種油の廃油で車を走らせる。
市民の声を政治へ:若者の政治離れ(デモ、集会、反対運動―――負の気持ち(怒りなど)で行っても、人は敬遠する。デモは明るく楽しく行い、反感をかわない物とするべきだ。
“食”:放射能汚染 → 内部被爆の不安がある。(家族間の意見の相違から夫婦ケンカも)→ 話し合う。 牛乳、肉を食べなくても、良質の蛋白源がある。“大豆”“大豆製品”の植物性のものを摂る。外食、弁当などは子どもには出来るだけ避けさせたいので外食しなくなった。 本で勉強して、周りに教えて、味方を増やすよう働きかけをする。オーガニックおやつを紹介するなど。
米のとぎ汁乳酸菌 → 掃除や自家製ヨーグルト、酵素ジュースを作っている。
○ 本紹介『微生物が放射能を消した!!』『発酵マニアの天然工房』
『食品の放射線マニュアル』『放射能汚染のない食品を見わける本』
鎌仲ひとみ監督の本『原発の、その先へ…ミツバチ革命始まる』を読みました。彼女の活動の始まりは医療問題からでした。映画作りの勉強のための渡米で市民メディア運動に出会っていたのも大きいようです。日本での子どものアレルギーや家庭の崩壊といった問題に着目している頃、阪神淡路大震災のボランティアで伊藤政子さんと知り合い、彼女からイラクの子どもたちの白血病が増えていること、経済制裁のため薬が無いことを聞き、1998年イラクへと入りそこで『ヒバクシャ』を撮るきっかけとなるラシャと出会います。最初は放射能の影響だとは全く考えずにいたとのこと。
アメリカに肥田医師と共に行った時、ハンフォードの人々はあきらめていた。人に語ったところでどうなるのかと。肥田先生から「被害者である人たちみずからが、自分たちの被害を否定することによって加害者になるという構造。それは過去からずっと続いてきた事です。このことを政府もメディアも利用する。この構造を乗り越えていためには、周りの人々が被害者が語ることができる環境を準備しなければならないのは当然のことですが、一方、被害者である人たちも一歩踏み出すことが大切なのではないでしょうか。自分に何が起きたのかということを語らなきゃいけない。語ることで、他の誰かをこんな目に遭わせなくてすむようになるかも知れない。」と言われ、その心境は変化しました。今の日本でも福島の方々も含め、日本中、影響されています。東電だけのせいにしたい訳ではありませんが、黙っていてはいけない。政府、国のあり方を本当の民主主義というものに変えていかねば。
今の日本での状況(デモやさまざまなアクションが市民レベルで発生している)を民主主義のエクササイズと鎌仲監督は言っています。
“責任の欠如”と指摘しています。今、鎌仲ひとみ監督の作品や『第四の革命』『シェーナウの想い』などを観て、自分たちも動こうという人が増えています。今までの日本は“経済優先”“発展のため”と謳い一次産業を軽視し、人々はそこからはなれざるを得なくなり、皆一介の労働者となっていき、それを “根こぎ”と彼女は言う。
「自民党政権が農漁業を軽視し、そこから労働を得るために、農漁業では食べられなくして、人々の生活の根を引き抜いて、一介の労働者にしてしまった。「根こぎ」をやった。(中略)原発を受け入れ、漁業権を売り渡してしまうと、人々の心にあった精神性が変容してしまいます。それは、そのままそこに住みながら、根が無くなっていくようなありさまです。近代的な教育システムそのものが、根こぎの作用を持っているのです。
福島の人々が避難しない理由はさまざまですが、最大の理由は現在の放射線量は問題ないとする政府の見解だと思います。国が出した指針に従っている。経済的に補償もないので移住しようがない。何よりもほんとうの意味でリスクが理解されていない。理解している人々は最大限被ばくを避ける努力をしたり、避難を補償しろという運動をしていますが大多数の人は行動を起こさない。それをするための心が折られている。立ち上がる力が奪われている。」本中の文抜粋。
秋田県内に避難している人たちも多くいるようです。福島県内に暮らすという道を選んだ人のことも責めるべきではありません。が、今までの暮らしを捨てて移住するという道を選んだ人をその人たちが責めるのも良くないと思います。
福島県から秋田に避難している方々のお話を聞く機会がありました。・・・安全説を唱えて暮らしている人、その人たちは避難した人に怒っている。子どもを連れて避難した妻に暴言を言う夫がいる。避難したのに「安全だから戻れ」と言われるし、それを拒否し続けるのは、心理的にも経済的にもとても苦しい状況となっているとのこと。私は秋田に住んでいても安心ではないと思います。東北六県の結束を強めようと放射能汚染レベルの高い地域からの食糧が流通してきます。確かに生産者を応援したいけれど、子どもたちを守りたい。瓦礫の受け入れも始まり、産業廃棄物にいたっては、知らない間に近隣で処理されています。放射能汚染物質は隔離するのが国際的な対処法です。自分や子どもを守れない場所でどうやって前向きに暮らせるか・・・。考えます。
秋田県内へ避難されているM・Nさんの避難者支援のプロジェクトがあります。協力できる方を募っています。
ひょうどうともこ
人々は今までもいろんな非暴力行動な形で意思表現を行ってきました。ストライキ、ボイコット、ハンガーストライキ、中でもデモ(デモンストレーション)は台頭・・・。街角に出て、異議を申し立てること。
歩くということで意思表示を最初に行ったのは黒人差別に意義を唱えたウィリアム・ムーアという白人の郵便配達員でした。徐々に集まった賛同者たちと大行進になったというエピソードがありますね。「森の生活」で知られるソローも歩くことを重視していたとのこと。市民、民衆が自ら声をあげることで、社会が変わっていくのです。日本でも昔は百姓一揆(これは激しいもので、革命でしょうか)阿波踊りの起源、「ええじゃないか」もデモでした。歴史をつくる。市民運動で・・・。機会があれば一緒に歩きましょう。
(参考図書;『デモいこ!』)
「プロジェクト99%(99%のための社会をめざす市民グループ)」のふくしまゆみこさんもそんな考えを本に活動を行っている母でもある女性です。99%=1%の一部の人たちが利権をあさり多くの国民を虐げるものに反対している庶民を表しています。「原発いらない」「TPP(環太平洋連携協定)いらない」「消費税増税もいらない」を掲げています。ホームページでは署名活動や、上記の点に同じく反対表明をしている候補者に投票できるように名前を挙げてくれています。
エネルギーシフトチェンジで自然の再生可能エネルギーに変わったからといってまた無駄使いをしていいという話ではないのです。生活の仕方を見直して、ストイックに物や時間を大切にする暮しに返っていきたい・・・。
さて、それではこれからの暮しについてとっても素敵な提案があります。スローライフ、自然のリズムを感じる生き方です。冨田さんの暦のお話を紹介したいと思います。
★ マヤ暦とはホゼ・アベイヤスの提唱する「13の月の暦」のことを今では指しているとのこと。「宇宙のマヤ暦」と称される。
★ 予言:マヤ暦ではすべて時間をまるくとらえ、巡るサイクルとして考えているので、次にこういうことが生じるとわかっている。それが長いスパンのため、子孫に語り継ぐ必要があった。これが予言といわれた。
★ 2012年12月21日に何か起こるのではなく、“今”が節目。「僕たちの集合 体が今」。その日に人類が滅亡するなど言ってはいない。
★ 「28日周期×13=364日 + “時間をはずした日”(7/25) 」
28=7×4・・・7のリズム(中心軸)、4のリズム(心臓)、
13のリズム(全体)、20のリズム(指の数:カウント、計る、分ける)
リズムを感じて生きる。センスを目覚めさせる。時間感覚(リズム)を活性化させるもの。
★ グレゴリオ暦は西洋のローマ・カトリックが起源で、日本に明治時代に入ってきたもの。日本古来の旧暦が日本人の季節感に合う。お日様のリズム、お月様のリズム。暦は用途に合わせて用いるもの。
★ マヤ暦と言っても、マヤ族というものは実際にはなく、色んな部族の総称であるとのこと。暦についても多数あり、似ているところもある。(どれも自然や宇宙のリズムを刻んでいたものだったとのこと。日本人の使ってきた旧暦(太陽太陰暦)もその一つ。
★ 旧暦==太陽太陰暦==
〔日〕朝が来て昼になり夕方になり真夜中を通過し、また朝が巡ってくる。
朝(卯):開闢の時(2011年卯年→ 放射能汚染が生じて原発安全神話の暴露)
→(辰)→正午(午)暑い →(未)→(申)→夕方(戌)→(亥)→真夜中(子)死と再生の時→ 冷える(丑)→朝(卯)
〔年〕春が来て夏になり秋になり冬を過ごせば、また春が巡ってくる。
春 → 土用 → 立夏 → 夏至 → 暑さのピーク → 土用 → 立秋 → 秋 → 土用 → 立冬 → 冬至 →寒さのピーク → 土用 → 立春 → 春
春 : 朝と似ている。活性酸素の排出、デトックスの時季
夏至: 太陽の光が一年の中で一番多い
立秋: 夏から秋への変わり目。陽は極まった。秋の始まり⇒体を温める(鉄分、ミネラル、温める食事を摂ること)、腹式呼吸(小腸を活性化)
冬至: 太陽の光が一年の中で一番少ない
立春: 寒さ極まり今度はゆるみ始める。
土用: 自分の中心を自覚する大切な時季。自分を見つめる(内省)、自分がどういう息をして生きているか。グラウンディングをして整える時季(年4回)
季節は春・夏・秋・冬・土用から成る。自然の移り変わりと体は連動している。
→養生法も季節によって様々である。
〔月〕満月、新月で体に変化がある。人間体は水分が多い。体の中には月がある。“臓”
満月(望):瑞々しい果実の収穫に適している。<補う>亜鉛、鉄分、酵素を摂る。
新月(朔):ひきしまっていく→デトックス、掃除に適している。
木や穀物を切る。根菜の収穫。
<デトックス> 味噌、麹、玄米甘酒、米由来の乳酸菌、水無月の新月の断食
年に12~13回、地球の周りを回る。
★ すべては円、サークル。人の体もミクロの世界にすると分子が回っている。
★ 巡ってくる。けれど同じではない。スパイラルとなっている。
★ 二十四節季の表に一年のバイオリズムをつける。店の客の様子や、農作物について「頭で習っても、使いながら体得しないとわからない。使ってください。ネットでもダウンロードできます。こよみ屋の手帳、お奨めです。」とのこと。買いましたがこの手帳、深すぎる!
★ 月の暦(朔弦望):旧暦での新年は毎年日付が変わり同じ日付が同じ月の形になるのは、19年後、シュタイナーでも38歳の直前の満月頃にしていたことが未来につながると。
グラウンディング・エクササイズ
地球としっかりつながり、飾りも何も必要ないありのままの自分を感じるエクササイズ
1 背中をまっすぐに伸ばし、足を少し開いて立ちます。
両足の裏は地面にぴったりとつけていること。反り返らずお尻も突き出さず。
2 静かに呼吸を三回してリラックスし、バランスをとります。
3 金色の根が自分のお尻(ルート・チャクラ)からしっぽのように地面に伸ばし、さらに根が地面に張っている様にイメージする。
4 息を吐き出し、不要なものを根を通じて地面に吐き出します。
5 次に地球の生命力あふれる素晴らしいエネルギーを吸い上げるつもりで、
息を吸う。
6 呼吸をくり返しながら金色の光が体に満たされ幸福である気持ちを味わいます。
力強く土臭い、たくましいエネルギーに守られています。
7 満たされたら感謝のメッセージを地球に送り根を引き上げます。
ホ・オホノポノの言葉を使ってもGood!
グラウンディングは年4回の土用の時季に行うといいワークです。今が丁度、土用です。立冬前の18日間。静かに内省して次の季節、厳しい冬に心も体も備えましょう。
それから小雪、大雪と冬へとまっしぐら、いよいよ冬至があります。最も光の求められる冬季です。冬至(あるいは、冬至から翌日にかけて、冬至の直後、など)には、世界各地で冬至祭が祝われます。太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝う日だそうです。クリスマスも起源は冬至祭(ユール)。日本では、この日にゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかないと言われている。また、この日は家族団欒で過ごすという風習もある。私も今年はまた、キャンドルナイトでスローな夜を子どもたちと過ごそうか。
歩くということで意思表示を最初に行ったのは黒人差別に意義を唱えたウィリアム・ムーアという白人の郵便配達員でした。徐々に集まった賛同者たちと大行進になったというエピソードがありますね。「森の生活」で知られるソローも歩くことを重視していたとのこと。市民、民衆が自ら声をあげることで、社会が変わっていくのです。日本でも昔は百姓一揆(これは激しいもので、革命でしょうか)阿波踊りの起源、「ええじゃないか」もデモでした。歴史をつくる。市民運動で・・・。機会があれば一緒に歩きましょう。
(参考図書;『デモいこ!』)
「プロジェクト99%(99%のための社会をめざす市民グループ)」のふくしまゆみこさんもそんな考えを本に活動を行っている母でもある女性です。99%=1%の一部の人たちが利権をあさり多くの国民を虐げるものに反対している庶民を表しています。「原発いらない」「TPP(環太平洋連携協定)いらない」「消費税増税もいらない」を掲げています。ホームページでは署名活動や、上記の点に同じく反対表明をしている候補者に投票できるように名前を挙げてくれています。
エネルギーシフトチェンジで自然の再生可能エネルギーに変わったからといってまた無駄使いをしていいという話ではないのです。生活の仕方を見直して、ストイックに物や時間を大切にする暮しに返っていきたい・・・。
さて、それではこれからの暮しについてとっても素敵な提案があります。スローライフ、自然のリズムを感じる生き方です。冨田さんの暦のお話を紹介したいと思います。
★ マヤ暦とはホゼ・アベイヤスの提唱する「13の月の暦」のことを今では指しているとのこと。「宇宙のマヤ暦」と称される。
★ 予言:マヤ暦ではすべて時間をまるくとらえ、巡るサイクルとして考えているので、次にこういうことが生じるとわかっている。それが長いスパンのため、子孫に語り継ぐ必要があった。これが予言といわれた。
★ 2012年12月21日に何か起こるのではなく、“今”が節目。「僕たちの集合 体が今」。その日に人類が滅亡するなど言ってはいない。
★ 「28日周期×13=364日 + “時間をはずした日”(7/25) 」
28=7×4・・・7のリズム(中心軸)、4のリズム(心臓)、
13のリズム(全体)、20のリズム(指の数:カウント、計る、分ける)
リズムを感じて生きる。センスを目覚めさせる。時間感覚(リズム)を活性化させるもの。
★ グレゴリオ暦は西洋のローマ・カトリックが起源で、日本に明治時代に入ってきたもの。日本古来の旧暦が日本人の季節感に合う。お日様のリズム、お月様のリズム。暦は用途に合わせて用いるもの。
★ マヤ暦と言っても、マヤ族というものは実際にはなく、色んな部族の総称であるとのこと。暦についても多数あり、似ているところもある。(どれも自然や宇宙のリズムを刻んでいたものだったとのこと。日本人の使ってきた旧暦(太陽太陰暦)もその一つ。
★ 旧暦==太陽太陰暦==
〔日〕朝が来て昼になり夕方になり真夜中を通過し、また朝が巡ってくる。
朝(卯):開闢の時(2011年卯年→ 放射能汚染が生じて原発安全神話の暴露)
→(辰)→正午(午)暑い →(未)→(申)→夕方(戌)→(亥)→真夜中(子)死と再生の時→ 冷える(丑)→朝(卯)
〔年〕春が来て夏になり秋になり冬を過ごせば、また春が巡ってくる。
春 → 土用 → 立夏 → 夏至 → 暑さのピーク → 土用 → 立秋 → 秋 → 土用 → 立冬 → 冬至 →寒さのピーク → 土用 → 立春 → 春
春 : 朝と似ている。活性酸素の排出、デトックスの時季
夏至: 太陽の光が一年の中で一番多い
立秋: 夏から秋への変わり目。陽は極まった。秋の始まり⇒体を温める(鉄分、ミネラル、温める食事を摂ること)、腹式呼吸(小腸を活性化)
冬至: 太陽の光が一年の中で一番少ない
立春: 寒さ極まり今度はゆるみ始める。
土用: 自分の中心を自覚する大切な時季。自分を見つめる(内省)、自分がどういう息をして生きているか。グラウンディングをして整える時季(年4回)
季節は春・夏・秋・冬・土用から成る。自然の移り変わりと体は連動している。
→養生法も季節によって様々である。
〔月〕満月、新月で体に変化がある。人間体は水分が多い。体の中には月がある。“臓”
満月(望):瑞々しい果実の収穫に適している。<補う>亜鉛、鉄分、酵素を摂る。
新月(朔):ひきしまっていく→デトックス、掃除に適している。
木や穀物を切る。根菜の収穫。
<デトックス> 味噌、麹、玄米甘酒、米由来の乳酸菌、水無月の新月の断食
年に12~13回、地球の周りを回る。
★ すべては円、サークル。人の体もミクロの世界にすると分子が回っている。
★ 巡ってくる。けれど同じではない。スパイラルとなっている。
★ 二十四節季の表に一年のバイオリズムをつける。店の客の様子や、農作物について「頭で習っても、使いながら体得しないとわからない。使ってください。ネットでもダウンロードできます。こよみ屋の手帳、お奨めです。」とのこと。買いましたがこの手帳、深すぎる!
★ 月の暦(朔弦望):旧暦での新年は毎年日付が変わり同じ日付が同じ月の形になるのは、19年後、シュタイナーでも38歳の直前の満月頃にしていたことが未来につながると。
グラウンディング・エクササイズ
地球としっかりつながり、飾りも何も必要ないありのままの自分を感じるエクササイズ
1 背中をまっすぐに伸ばし、足を少し開いて立ちます。
両足の裏は地面にぴったりとつけていること。反り返らずお尻も突き出さず。
2 静かに呼吸を三回してリラックスし、バランスをとります。
3 金色の根が自分のお尻(ルート・チャクラ)からしっぽのように地面に伸ばし、さらに根が地面に張っている様にイメージする。
4 息を吐き出し、不要なものを根を通じて地面に吐き出します。
5 次に地球の生命力あふれる素晴らしいエネルギーを吸い上げるつもりで、
息を吸う。
6 呼吸をくり返しながら金色の光が体に満たされ幸福である気持ちを味わいます。
力強く土臭い、たくましいエネルギーに守られています。
7 満たされたら感謝のメッセージを地球に送り根を引き上げます。
ホ・オホノポノの言葉を使ってもGood!
グラウンディングは年4回の土用の時季に行うといいワークです。今が丁度、土用です。立冬前の18日間。静かに内省して次の季節、厳しい冬に心も体も備えましょう。
それから小雪、大雪と冬へとまっしぐら、いよいよ冬至があります。最も光の求められる冬季です。冬至(あるいは、冬至から翌日にかけて、冬至の直後、など)には、世界各地で冬至祭が祝われます。太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝う日だそうです。クリスマスも起源は冬至祭(ユール)。日本では、この日にゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかないと言われている。また、この日は家族団欒で過ごすという風習もある。私も今年はまた、キャンドルナイトでスローな夜を子どもたちと過ごそうか。
「みなさん、こんにちは。福島から参りました。
今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。
はじめて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが「原発いらない」の声をあげようと、声をかけあい誘いあって、この集会にやってきました。はじめに申し上げたいことがあります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆることに取り組んできたみなさん一人ひとりを、深く尊敬いたします。
それから福島県民にあたたかい手を差し伸べ、つながり、さまざまな支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人たちに、このような現実をつくってしまった世代として、心から謝りたいと思います。
ほんとうにごめんなさい。
みなさん、福島はとても美しいところです。
東に紺碧の太平洋を望む浜通り。
桃・梨・ろんごと、くだものの宝庫、中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。
そのむこうを深い山々がふちどっています。
山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱のなかで、私たちにはさまざまなことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。
地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。
毎日、毎日、否応なくせまられる決断。
逃げる、逃げない。
食べる、食べない。
洗濯物を外に干す、干さない。
子どもにマスクをさせる、させない。
畑を耕す、耕さない。
何かにもの申す、黙る。
さまざまな苦渋の選択がありました。
そして、いま。
半年という月日のなかで、次第に鮮明になってきたことは、真実は隠されるのだ。
国は国民を守らないのだ。
事故はいまだに終わらないのだ。
福島県民は核の実験材料にされるのだ。
ばくだいな放射性のゴミは残るのだ。
大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。
私たちは棄てられたのだ。
私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。
福島県民はいま、怒りと悲しみのなかから静かに立ち上がっています。
子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが、自分たちの未来を奪われまいと若い世代が、大量の被曝にさらされながら事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが、土を汚された絶望のなかから農民たちが、放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障害をもった人々が、一人ひとりの市民が、国と東電の責任を問いつづけています。
そして、原発はもういらないと声をあげています。
私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望をわかちあい、支えあって生きていこうと思っています。
私たちとつながってください。
私たちが起こしているアクションに注目してください。
政府交渉、疎開裁判、非難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。
そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方、暮らし方です。
私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。
原発はそのむこうにあるのです。
人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。
私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界をつくっていけるのか。
だれにも明確な答えはわかりません。
できうることは、だれかが決めたことに従うのではなく、一人ひとりが、ほんとうにほんとうに本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。
一人ひとりにその力があることを思い出しましょう。
私たちはだれでも変わる勇気をもっています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。
そして、つながること。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、つながりつづけていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。
見つめあい、互いにつらさを聞きあいましょう。
怒りと涙を許しあいましょう。いまつないでいる、その手のぬくもりを日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人ひとりの背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生きのびていきましょう。」
『福島からあなたへ』から
武藤類子さんは、教員を終えた後、福島県の山の中に自家発電も備えたカフェを自宅で営んでおられました。
とっても素敵なナチュラル・スローライフを実践されていたのに、それをこういう形になってから、そこで暮らされなくなってから、彼女の訴えの書物で知る事になるとは、本当に残念です。
彼女は青森県六ヶ所村、その他原発に対しての反対運動家でもありました。
今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。
はじめて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが「原発いらない」の声をあげようと、声をかけあい誘いあって、この集会にやってきました。はじめに申し上げたいことがあります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆることに取り組んできたみなさん一人ひとりを、深く尊敬いたします。
それから福島県民にあたたかい手を差し伸べ、つながり、さまざまな支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人たちに、このような現実をつくってしまった世代として、心から謝りたいと思います。
ほんとうにごめんなさい。
みなさん、福島はとても美しいところです。
東に紺碧の太平洋を望む浜通り。
桃・梨・ろんごと、くだものの宝庫、中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。
そのむこうを深い山々がふちどっています。
山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱のなかで、私たちにはさまざまなことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。
地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。
毎日、毎日、否応なくせまられる決断。
逃げる、逃げない。
食べる、食べない。
洗濯物を外に干す、干さない。
子どもにマスクをさせる、させない。
畑を耕す、耕さない。
何かにもの申す、黙る。
さまざまな苦渋の選択がありました。
そして、いま。
半年という月日のなかで、次第に鮮明になってきたことは、真実は隠されるのだ。
国は国民を守らないのだ。
事故はいまだに終わらないのだ。
福島県民は核の実験材料にされるのだ。
ばくだいな放射性のゴミは残るのだ。
大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。
私たちは棄てられたのだ。
私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。
福島県民はいま、怒りと悲しみのなかから静かに立ち上がっています。
子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが、自分たちの未来を奪われまいと若い世代が、大量の被曝にさらされながら事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが、土を汚された絶望のなかから農民たちが、放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障害をもった人々が、一人ひとりの市民が、国と東電の責任を問いつづけています。
そして、原発はもういらないと声をあげています。
私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望をわかちあい、支えあって生きていこうと思っています。
私たちとつながってください。
私たちが起こしているアクションに注目してください。
政府交渉、疎開裁判、非難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。
そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方、暮らし方です。
私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。
原発はそのむこうにあるのです。
人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。
私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界をつくっていけるのか。
だれにも明確な答えはわかりません。
できうることは、だれかが決めたことに従うのではなく、一人ひとりが、ほんとうにほんとうに本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。
一人ひとりにその力があることを思い出しましょう。
私たちはだれでも変わる勇気をもっています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。
そして、つながること。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、つながりつづけていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。
見つめあい、互いにつらさを聞きあいましょう。
怒りと涙を許しあいましょう。いまつないでいる、その手のぬくもりを日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人ひとりの背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生きのびていきましょう。」
『福島からあなたへ』から
武藤類子さんは、教員を終えた後、福島県の山の中に自家発電も備えたカフェを自宅で営んでおられました。
とっても素敵なナチュラル・スローライフを実践されていたのに、それをこういう形になってから、そこで暮らされなくなってから、彼女の訴えの書物で知る事になるとは、本当に残念です。
彼女は青森県六ヶ所村、その他原発に対しての反対運動家でもありました。
小さなお子さんたちの認知の状態について把握し、発達を支援することに取り組んでいます。それぞれのお子さんの認知力を知ることは、支援のかなめとなるくらい重要ですが、この「認知」ということば、聞いたことがあっても正確な意味はわからない方も多いのではないでしょうか。ウィキペディアによると「心理学における認知とは、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のことをいう」と説明されています。
認知とは、私たちが外界を知覚し、頭の中で理解し、行動していく過程のことです。各人がそれぞれ入力しやすい得意な知覚力(五感のうち視覚と聴覚が特に重要)から入力したものを、脳内で得意な処理しやすいルートで処理し(理解、整理、記憶)、得意な方法で表現するというのが私たちが日々行っている認知行動。入力、処理過程、表現の各段階で、得意不得意があり、それが各人の個性となって現れると言ったらわかりやすいでしょうか?例えば絵が上手な人は、同じものを見ていても詳細まで見え、それを記憶にとどめ、再現する表現力に優れています。また細かい部分まで見たことを記憶し的確に言葉で表現できる人は、頼もしい目撃者となれる人です。私が仕事で関わっているお子さんたちは、認知過程のどこかで躓いていると推測されています。そこで、私たちは躓いているところを探りながら、発達全体を促す努力をしています。
一般人の認知特性をパターンに分けて説明している本と出会いました。著者は、小児科医。小児神経の専門医として肢体不自由児や発達障碍児の臨床に携わっています。子どもたちの認知に関わる仕事をしている著者が、専門家として持っている知識を一般人の認知特性の分析に応用した本で、人を6つのパターンに分けています。専門的に見れば、パターンわけの判断テストは判断材料が少し大雑把ですが、今までにない面白い個性の見方を提示してくれています。
『医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン』 本田 真美著
2012年 光文社新書
① カツオくんが描けるアーティスト系 視覚優位者・写真(カメラアイ)タイプ
② どんな人の顔も見分けられるエキスパート 視覚優位者・三次元映像タイプ
③ イメージをすぐに言葉にできるファンタジスト 言語優位者・言語映像タイプ
④ わかりやすくノートにまとめる達人 言語優位者・言語抽象タイプ
⑤ オヤジでなくてもダジャレ上手 聴覚優位者・聴覚言語タイプ
⑥ 英語の発音もすばらしい絶対音感タイプ 聴覚優位者・聴覚&音タイプ
番外編 レストランの味が再現できる職人 身体感覚優位者
著者は、認知特性を視覚・言語・聴覚の3種類に大きく分け、それぞれをさらに2つにわけて全部で6パターンにしていました。さっそく、家族全員のテストをしてみました。結果は、それぞれの個性の違いが理解できるものでした。夫は④⑤、私は②③、娘は②③④、息子は②③⑤です。
夫は言語優位・言語抽象タイプと聴覚優位・聴覚言語タイプを兼ね備えていました。聴覚情報処理が得意で、かつ言語を抽象化させて操作できるタイプです。夫は、ドラマが大好き。会話を聞いて楽しみます。耳から入ってきた情報を理解する力が高く、ドラマの筋もどんどん読んでいきます。逆にテレビがついていると電話で話ができません。耳からの情報が多すぎると、処理ができないのだそうです。夫は抽象的な文章を読んで理解する力もあるので、研究者や翻訳業はあっていると思います。
私は、視覚優位・三次元映像タイプと言語優位・言語映像タイプでした。昔からすぐに妄想の世界に入ると言われる私。何かを見るとすぐに他のイメージを連想してしまうのですが、これは私が入ってくる情報を頭の中でイメージ理解しやすいためのようです。写真にコメントを付けて書いていくブログは、私に合った表現方法なのかなとこの分析を見て思いました。私は、夫など言語を継次処理して理解する人から、話が飛ぶと言われますが、私には話題の展開が、画像の切り替えでしかないので話題が飛ぶとは思えないのかも知れませんね。
娘は、私に似て画像イメージの連想が得意なタイプですが、夫と同じように言語操作力も高いので、ことばで説明するのが上手です。この分析によれば建築だけでなく、人とコミュニケーションしながら進める仕事も出来るかも知れません。
息子は色々な認知特性を同時に持っているようです。小さい頃パズルやブロック遊びが得意だったのは視覚優位だからでしょう。耳から入った言葉やメロディーを記憶できるので、音楽を聴くことが好きで、パソコンで色々な音楽をダウンロードしています。また、英語のリスニングや音読も好きです。数学や物理が得意で、高校に入り理系であることがはっきりしてきました。夫や娘のようにことばで上手に説明する力は持っていないかも知れませんが、違う力で人と関わってもらいたいなと思っています。
実は認知特性は、さまざまな個別の能力により形作られていきます。その能力とは一体何でしょうか?認知の処理の過程で働く個別の力と言えば分りやすいかもしれません。人間には、さまざまな能力があるのですが、先の本を参考にしながら見ていきたいと思います。
・ワーキングメモリー(記憶) 例:眼鏡をどこに置いたか忘れてしまわないか?
今行ったことを覚えている短期記憶と昔のことを覚えている長期記憶に分けられます。
記憶ができる量には個人差があり、記憶力は知的な活動に大きな影響を与えます。
・言語操作力 例:文字を読み間違えたりしないか?順序よく物事を説明できるか?
言語能力は「読む」「聞く」「書く」「話す」の4つの力から成り立ちます。4つがバランスよく発達していることが理想ですが、得意不得意があります。何故そうなのかについて、自分の特性について分析することで、豊かなコミュニケーション力を身に着けられるかも知れません。
・数操作力 例:分数が得意だったか?
いわゆる数の操作能力。数を頭の中で操作する抽象的な思考力が必要になります。
・推論力 例:なぞなぞやクイズが得意か?
与えられた情報を順序良く論理的に考える力です。問題解決に必要な力だと思います。
ことばだけでなく、目で見た情報からも推論する力を持つことが問題解決には重要です。
・空間認知力 例:パズルが得意か?
平面、立体の形を把握して操作する力です。パズルだけでなく、学習面では左右がわかる、行
をとばさず文章を読む、きれいな字を書く、地図を見ながら目的地に着く、弁当のおかずを上手に詰めるなど実際的な場面でも求められる力です。
・視覚認知力 例:似た漢字でも間違いなく覚えられたか?
細部まで注意集中して見落とさない力、一度に多くの情報を見る力、違いに気づく観察力など目で見る力のことです。
・聴覚認知力 例:救急車のサイレンがどこから来るかわかるか?
音が聞こえるだけでは、聞こえることにはなりません。音に注意を向け、聞こえてくる音や話
の内容を理解する力も重要です。必要な音だけを聞いて、いらない音を遮断するのも大事な聴覚認知力です。
・処理能力 例:決まった時間に仕事を終わらせられるか?
言語を介さずに作業をこなしていく力のことです。同じ事柄をスピーディーにミスなく繰り返し作業していく能力です。視覚認知、聴覚認知、手先の巧緻性、記憶などさまざまな力が土台となって処理の力を伸ばしていきます。
・手先の巧緻性 例:スピーディーにきれいな字が書けるか?
手先の器用さの力です。持って生まれた力だけでなく、経験や訓練により伸びる力です。
以上の力は知能テストで測れるものです。心理学の世界では、これらの力を分析しながら、弱いところを伸ばし、強いところを生かして、個々人の社会適応の支援を行っています。しかし、人の能力ってこれだけではないとも思えますね。知能テストが測れる範囲は、人間の精神活動の一部であることを前提に分析していくことが大事かなと思います。本に紹介されていた知能テストでは測れない能力について挙げてみます。
・身体全体を使う運動能力(粗大運動能力)
・問題へ対応能力(柔軟性)
・決まったパターンで行動しているか否か(秩序性)
・新しいアイデアをだせるか否か(創造性)
・社会の中で周りの人と良い関係が築けるか否か(社会性)
・熟慮せずに思いつきで衝動的に行動するか否か(衝動性)
・整理整頓の力(遂行能力)
・コツコツと続ける力(継続性)
・決まった時間内にどう行動するか(時間感覚)
・課題を一気に仕上げる力(課題遂行集中力)
私は、胆汁質で「衝動性」があります。直したい自分の個性です。でも課題を一気に仕上げる遂行集中力は、ある方だと思います。「行動力」と「衝動性」は裏表の関係かも知れません。
この本の分類テストは、大雑把で、これだけで判断してしまってよいかなと思うものもあります。しかし、私の家族で見た限りでは、納得できる結果が出ました。私にとっては、自分の視覚イメージ優位を説明してもらえたのは、私の突飛な発言を家族に理解してもらうのに良かったように思います。皆さんもこのテストにトライしてみませんか。自分や周りの人の特性を知ることで、常日頃理解しえなかったことを、認め合えるきっかけになるかも知れませんよ。
認知とは、私たちが外界を知覚し、頭の中で理解し、行動していく過程のことです。各人がそれぞれ入力しやすい得意な知覚力(五感のうち視覚と聴覚が特に重要)から入力したものを、脳内で得意な処理しやすいルートで処理し(理解、整理、記憶)、得意な方法で表現するというのが私たちが日々行っている認知行動。入力、処理過程、表現の各段階で、得意不得意があり、それが各人の個性となって現れると言ったらわかりやすいでしょうか?例えば絵が上手な人は、同じものを見ていても詳細まで見え、それを記憶にとどめ、再現する表現力に優れています。また細かい部分まで見たことを記憶し的確に言葉で表現できる人は、頼もしい目撃者となれる人です。私が仕事で関わっているお子さんたちは、認知過程のどこかで躓いていると推測されています。そこで、私たちは躓いているところを探りながら、発達全体を促す努力をしています。
一般人の認知特性をパターンに分けて説明している本と出会いました。著者は、小児科医。小児神経の専門医として肢体不自由児や発達障碍児の臨床に携わっています。子どもたちの認知に関わる仕事をしている著者が、専門家として持っている知識を一般人の認知特性の分析に応用した本で、人を6つのパターンに分けています。専門的に見れば、パターンわけの判断テストは判断材料が少し大雑把ですが、今までにない面白い個性の見方を提示してくれています。
『医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン』 本田 真美著
2012年 光文社新書
① カツオくんが描けるアーティスト系 視覚優位者・写真(カメラアイ)タイプ
② どんな人の顔も見分けられるエキスパート 視覚優位者・三次元映像タイプ
③ イメージをすぐに言葉にできるファンタジスト 言語優位者・言語映像タイプ
④ わかりやすくノートにまとめる達人 言語優位者・言語抽象タイプ
⑤ オヤジでなくてもダジャレ上手 聴覚優位者・聴覚言語タイプ
⑥ 英語の発音もすばらしい絶対音感タイプ 聴覚優位者・聴覚&音タイプ
番外編 レストランの味が再現できる職人 身体感覚優位者
著者は、認知特性を視覚・言語・聴覚の3種類に大きく分け、それぞれをさらに2つにわけて全部で6パターンにしていました。さっそく、家族全員のテストをしてみました。結果は、それぞれの個性の違いが理解できるものでした。夫は④⑤、私は②③、娘は②③④、息子は②③⑤です。
夫は言語優位・言語抽象タイプと聴覚優位・聴覚言語タイプを兼ね備えていました。聴覚情報処理が得意で、かつ言語を抽象化させて操作できるタイプです。夫は、ドラマが大好き。会話を聞いて楽しみます。耳から入ってきた情報を理解する力が高く、ドラマの筋もどんどん読んでいきます。逆にテレビがついていると電話で話ができません。耳からの情報が多すぎると、処理ができないのだそうです。夫は抽象的な文章を読んで理解する力もあるので、研究者や翻訳業はあっていると思います。
私は、視覚優位・三次元映像タイプと言語優位・言語映像タイプでした。昔からすぐに妄想の世界に入ると言われる私。何かを見るとすぐに他のイメージを連想してしまうのですが、これは私が入ってくる情報を頭の中でイメージ理解しやすいためのようです。写真にコメントを付けて書いていくブログは、私に合った表現方法なのかなとこの分析を見て思いました。私は、夫など言語を継次処理して理解する人から、話が飛ぶと言われますが、私には話題の展開が、画像の切り替えでしかないので話題が飛ぶとは思えないのかも知れませんね。
娘は、私に似て画像イメージの連想が得意なタイプですが、夫と同じように言語操作力も高いので、ことばで説明するのが上手です。この分析によれば建築だけでなく、人とコミュニケーションしながら進める仕事も出来るかも知れません。
息子は色々な認知特性を同時に持っているようです。小さい頃パズルやブロック遊びが得意だったのは視覚優位だからでしょう。耳から入った言葉やメロディーを記憶できるので、音楽を聴くことが好きで、パソコンで色々な音楽をダウンロードしています。また、英語のリスニングや音読も好きです。数学や物理が得意で、高校に入り理系であることがはっきりしてきました。夫や娘のようにことばで上手に説明する力は持っていないかも知れませんが、違う力で人と関わってもらいたいなと思っています。
実は認知特性は、さまざまな個別の能力により形作られていきます。その能力とは一体何でしょうか?認知の処理の過程で働く個別の力と言えば分りやすいかもしれません。人間には、さまざまな能力があるのですが、先の本を参考にしながら見ていきたいと思います。
・ワーキングメモリー(記憶) 例:眼鏡をどこに置いたか忘れてしまわないか?
今行ったことを覚えている短期記憶と昔のことを覚えている長期記憶に分けられます。
記憶ができる量には個人差があり、記憶力は知的な活動に大きな影響を与えます。
・言語操作力 例:文字を読み間違えたりしないか?順序よく物事を説明できるか?
言語能力は「読む」「聞く」「書く」「話す」の4つの力から成り立ちます。4つがバランスよく発達していることが理想ですが、得意不得意があります。何故そうなのかについて、自分の特性について分析することで、豊かなコミュニケーション力を身に着けられるかも知れません。
・数操作力 例:分数が得意だったか?
いわゆる数の操作能力。数を頭の中で操作する抽象的な思考力が必要になります。
・推論力 例:なぞなぞやクイズが得意か?
与えられた情報を順序良く論理的に考える力です。問題解決に必要な力だと思います。
ことばだけでなく、目で見た情報からも推論する力を持つことが問題解決には重要です。
・空間認知力 例:パズルが得意か?
平面、立体の形を把握して操作する力です。パズルだけでなく、学習面では左右がわかる、行
をとばさず文章を読む、きれいな字を書く、地図を見ながら目的地に着く、弁当のおかずを上手に詰めるなど実際的な場面でも求められる力です。
・視覚認知力 例:似た漢字でも間違いなく覚えられたか?
細部まで注意集中して見落とさない力、一度に多くの情報を見る力、違いに気づく観察力など目で見る力のことです。
・聴覚認知力 例:救急車のサイレンがどこから来るかわかるか?
音が聞こえるだけでは、聞こえることにはなりません。音に注意を向け、聞こえてくる音や話
の内容を理解する力も重要です。必要な音だけを聞いて、いらない音を遮断するのも大事な聴覚認知力です。
・処理能力 例:決まった時間に仕事を終わらせられるか?
言語を介さずに作業をこなしていく力のことです。同じ事柄をスピーディーにミスなく繰り返し作業していく能力です。視覚認知、聴覚認知、手先の巧緻性、記憶などさまざまな力が土台となって処理の力を伸ばしていきます。
・手先の巧緻性 例:スピーディーにきれいな字が書けるか?
手先の器用さの力です。持って生まれた力だけでなく、経験や訓練により伸びる力です。
以上の力は知能テストで測れるものです。心理学の世界では、これらの力を分析しながら、弱いところを伸ばし、強いところを生かして、個々人の社会適応の支援を行っています。しかし、人の能力ってこれだけではないとも思えますね。知能テストが測れる範囲は、人間の精神活動の一部であることを前提に分析していくことが大事かなと思います。本に紹介されていた知能テストでは測れない能力について挙げてみます。
・身体全体を使う運動能力(粗大運動能力)
・問題へ対応能力(柔軟性)
・決まったパターンで行動しているか否か(秩序性)
・新しいアイデアをだせるか否か(創造性)
・社会の中で周りの人と良い関係が築けるか否か(社会性)
・熟慮せずに思いつきで衝動的に行動するか否か(衝動性)
・整理整頓の力(遂行能力)
・コツコツと続ける力(継続性)
・決まった時間内にどう行動するか(時間感覚)
・課題を一気に仕上げる力(課題遂行集中力)
私は、胆汁質で「衝動性」があります。直したい自分の個性です。でも課題を一気に仕上げる遂行集中力は、ある方だと思います。「行動力」と「衝動性」は裏表の関係かも知れません。
この本の分類テストは、大雑把で、これだけで判断してしまってよいかなと思うものもあります。しかし、私の家族で見た限りでは、納得できる結果が出ました。私にとっては、自分の視覚イメージ優位を説明してもらえたのは、私の突飛な発言を家族に理解してもらうのに良かったように思います。皆さんもこのテストにトライしてみませんか。自分や周りの人の特性を知ることで、常日頃理解しえなかったことを、認め合えるきっかけになるかも知れませんよ。
先日、コンポスターによる堆肥作り講座に出席した。予想以上に白熱した教室となった。
講師は、長年実践している農家の主婦のお二人。秋田弁がこぼれる親しみのある語り口で、コンポスターを設置する場所やそのやり方、入れてはいけない生ごみ、EMぼかしのことなどについて簡潔明瞭に説明した。
会場が熱気を帯びたのは、質疑応答の時間である。質問が矢継ぎ早に飛び交った。
「ひどい臭いがするのはなぜ」「ハエやウジがわいて困る」「完熟まで2年もかかるのか」
――。皆さん、真剣な表情と声。講師からは経験に基づく答えが返ってくる。「生ごみの水切り不足と考えられます」「生魚のくずは必ず火を通してから入れること」「時々、土や刈り草で覆ってください」など。他にもたくさんのアドバイスがあった。
私も質問した。「生ごみに羽虫のような小さな虫がたかるのはなぜか」。参加者の何人かがうなずいた。原因は水分過多だった。EMぼかしを多めに入れてかき回すことで解決できるそうだ。「スイカやメロンの皮は小さくと言われ、5ミリh幅に切っているが」というと笑われてしまった。「そんなに神経質にならなくてもいい」と。
コンポスターのふたを開けると、かなり熱っぽい。微生物による発酵熱のためである。コンポスターで作った堆肥は素晴らしい。草花も野菜も青々と元気に育つ。生ごみと農薬を少しでも減らすためにも、そして地球のためにもコンポスター熱が広がっていってほしいものである。
いしかわようこ
講師は、長年実践している農家の主婦のお二人。秋田弁がこぼれる親しみのある語り口で、コンポスターを設置する場所やそのやり方、入れてはいけない生ごみ、EMぼかしのことなどについて簡潔明瞭に説明した。
会場が熱気を帯びたのは、質疑応答の時間である。質問が矢継ぎ早に飛び交った。
「ひどい臭いがするのはなぜ」「ハエやウジがわいて困る」「完熟まで2年もかかるのか」
――。皆さん、真剣な表情と声。講師からは経験に基づく答えが返ってくる。「生ごみの水切り不足と考えられます」「生魚のくずは必ず火を通してから入れること」「時々、土や刈り草で覆ってください」など。他にもたくさんのアドバイスがあった。
私も質問した。「生ごみに羽虫のような小さな虫がたかるのはなぜか」。参加者の何人かがうなずいた。原因は水分過多だった。EMぼかしを多めに入れてかき回すことで解決できるそうだ。「スイカやメロンの皮は小さくと言われ、5ミリh幅に切っているが」というと笑われてしまった。「そんなに神経質にならなくてもいい」と。
コンポスターのふたを開けると、かなり熱っぽい。微生物による発酵熱のためである。コンポスターで作った堆肥は素晴らしい。草花も野菜も青々と元気に育つ。生ごみと農薬を少しでも減らすためにも、そして地球のためにもコンポスター熱が広がっていってほしいものである。
いしかわようこ