なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

2011年 初春の頃に思うこと

2011年02月01日 | ともこ
今、シャーリー・マクレーンの『アウト オン ア リム』を読んでいます。そこには、寛容さが大切とあり、相手に自分と同じように考えてほしいと思っても、相手は自分のレベルにまだ到達していなかったら、許して待っていること、とありました。
また、別のはづき虹映氏の本でも、“あるがままを受け入れる”とあり、今ここ数年、私はそれができなくて苦しんでいる状態だと気づき、でも、受け入れられなくて考えているところです。

実は昨年の出来事ですが、長女が動物愛護のウェブ上のサークルの脱退を強制し友人関係でトラブルを起こし、私と同じ問題を抱えているとわかったのでした。このサークル、動物実験に反対する活動もしているそうです。
長女は意地になって肉を食べない主義を通しています。代わりに大豆製品を使って作りわけをしていますが、義母からあれやこれやと心配してなのでしょうが「食べろ食べろ」と言われるし、マクロビオティックな食事の事を説明するのですが、わかってもらえず困っています。

「魂の存在は、物理的には証明できないかも知れない。またその必要もない。私がその存在を信じれば、それは存在する、ということなのだ。ということは、私が認めれば、信じれば、すべてのことが私には事実となるのだ。たぶん私が山(ペルー)で学んだことは、このことなのだ。
限界を置かずにものを考えるということ。何事もあり得る、人は何でもできる、どこにでも飛んでいけるし、何にでもなれる。一人の人間の魂は、宇宙のすべてなのだ。この事実を悟るか否かは、私たち一人ひとりにかかっているのだ。
人間の悲劇は、私たち一人ひとりが神であるということを忘れてしまったことである。この事実を思い出せば、私たちは恐怖から解放されるのだ。恐怖がなくなれば憎しみも消える。恐怖から私たちは強欲になり、戦争や殺し合いをしているのだ。恐怖は私たちの人生を悪に駆り立てる元凶なのである。失敗、痛み、嘲り、孤独、人に嫌われないかと怖れ、自分自身を怖れ、死を怖れ、怖れることを怖れる――それが私たちの姿なのだ。恐怖はずる賢く、伝染性があって、ほんの小さな歪んだものの見方から、人の内面に忍び込み、私たちの人生全体に蔓延する。死は人間の最後だ、という考え方は、人間の最大の誤解だろう。もし、人間は本当の意味で死ぬことはない、常に次のチャンスがあるのだ、ということを知れば、この世に怖れることは何もない、ということを私たちは悟れるのだろう。私たちは今、物事を複雑に複雑に考えて我々が神の一部であるという単純なことを理解しようとしないのである。」

『アウト オン ア リム』からの抜粋です。


ひょうどうともこ

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1 コメント

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Unknown (くどうせいこ)
2011-09-19 23:05:33
「アウト オン ア リム」はまだ読んだことがないので、いつか読んでみたいです。
はづき虹映氏はある雑誌の中で、今は100年に一度の大転換期を迎えていると、2011年を予想していました。”普通”と”感謝”が2011年の幸福の鍵だということです。(大地震が起こる前の予想でした。)
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