なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

『野心のすすめ』を読んで

2013年11月30日 | S.S.
『野心のすすめ』を読んで 
林 真理子著 講談社現代新書

 今ある自分は、過去の自分の野心が作ったもの。だから、未来の自分を作るのは、今の私たちの『野心』。著者の林真理子さんは、歯に衣着せぬ物言いで有名なエッセイスト、小説家。今の自分の暮らしに経済的にも精神的にも本当に満足しているの?と、厳しい問いかけをしてきます。特に「経済的に」のところを、シビアに詰めてくるのが彼女らしいところ。中年になり、肌もたるみ、身体のラインも崩れているのに、いつまでも若い頃と同じ安い服を着ているのって素敵かな?年をとったら、ワンランク上の服装をしてこそ年齢相応。上品でシンプルなお洒落では?たまには、少し豪華な温泉旅行に行ったり、奮発してビジネスクラスで海外旅行に行けるような生活に魅力を感じない?と、迫ってくるのです。「上」を目指してこそ、夢が叶う。目指さなければ、いつまでも現状のまま。だから、若い人はもとより、年齢を重ねた人も、こうありたいという自分の姿を思い描いて、それに向かって努力しよう!という励ましの言葉でいっぱいの本です。現在40万部も売れているベストセラー。
 
 半分くらいは、林真理子さんの貧乏暮らしから超有名人になった上昇生活の体験談なのですが(エピソードが面白おかしく書かれて笑いが止まりません!)、最後のまとめで、女性が仕事をすることについて力強く自分の考えを主張しています。林さんが、女性として一番幸せと思えるのは、お金持ちと結婚した専業主婦とまずは述べながら。お金持ちの奥様は、ママ友とのランチ、エステ、趣味三昧の生活。幸せな人は、幸せの連鎖でつながってさらに恵まれていく(ちょっとやっかみもあるかな)。でも、こんな幸運な人生を送れるのは、女性の中のほんの数パーセント。大抵の女性は、そんな恵まれた条件で暮らすことはできない。自分の姿も重なりながら、林さんのメッセージを読むと、女性が働くことの意味を深く考えさせられます。

「ただ、私はやはり、どうしたって女性は仕事を持って、働くべきだと思っているんです。専業主婦のリスクということではなく、人生の充実感や幸福のために。自分の仕事が積み重なって、ある日、何かの結果が出るという楽しさは、恋とか愛ともまた違う、もっと人間的な深いところに根ざしている。・・・人間が成長するのは、なんといっても仕事だと思うんです。仕事とは、イヤなことも我慢して、他人と折り合いをつけながら自己主張していくことでもある。ずっとその試練に立ち向かい続けている人は、人間としての強さも確実に身につけていきます。・・・世の中は理不尽なことで溢れていて、自分の思い通りになることなどほとんどありません。だけど人間は努力をしなければならない。それを社会で働くことで学んでいる。仕事から逃げ出して主婦になった人が、子育てで成長しようなんて目論んでいるとしたら、あまりにも自分に甘いんじゃないかしらと思います。」p130~p136

 林さんの言う『野心』とは「大きな飛躍を望んで、新しいことに大胆に取り組もうとする気持ち」「もっと価値ある人間になりたい」と願う心のこと。『野心』を持って未来にチャレンジ!!

おのれを修めて 世のためつくす

2013年08月01日 | S.S.
 7月20日21日と上智大学で日本コミュニケーション障害学会(日コミ)が開かれ、久々に学会に出席してきました。言語聴覚士(ST)には職能団体としての日本言語聴覚士協会(RST)があるのですが、私が今回参加した日コミは、STが国家資格化されるずっと前に設立された40年以上の歴史がある学会。STだけでなく教員、心理職、研究者など幅広い分野の人が会員になっているために、同じテーマについて多面的な見方で分析・報告がなされ、興味深い報告を聞くことができます。
 報告者の真剣な思い「障害を持った方のために自分ができるベストを尽くして役立ちたい。そのために学び合いたい。」は、会場の参加者に直に伝わり、熱気あふれる集まりとなりました。日コミには臨床経験豊富なこの道の第一人者と呼ばれる先生方も多いのですが、皆さん常に一臨床家としてできるベストのことを求道し続けています。社会的な権威に頓着しない潔い生き方には、人生の上で何が大事であるかを選び取らなければ、実のある仕事はできないという手本を示して下さっていると思います。

 さて、タイトルに戻りましょう。
『文武両道 自主自律』
『品性の陶冶(とうや)~わが生わが世の天職いかに』
『おのれを修めて 世のためつくす』
これらは実は、A高校140周年語り継ぐ「秋高精神」として、今年創立140周年を迎えるA高校が掲げているスローガンで、紫色の旗に印刷されて各教室に貼られているほか、『おのれを~』は紫色のタオルに印字され売り出されています。明治初期に創立された伝統校の雄々しくも気高い自負が感じられるメッセージ。私はこのなかで、『品性の陶冶』『おのれを修めて世のためつくす』ということばが気に入り、その意味を自分の中で考えています(私は卒業生ではないので、単に良いことばをいただいたという程度の思いでいると捉えて下さい)。
陶冶の意味を広辞苑で引くと(陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから)人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。薫陶をさらに引くと(香をたいてかおりをしみこませ、粘土を焼いて陶器を作りあげる意)徳を以て人を感化し、すぐれた人間をつくること、とありました。高校生を育てるためのことばではありますが、50歳を過ぎた自分に対して今一度自戒の念も込めて、品性を磨きたい・・・そんな風に思います。

『おのれを修めて 世のためつくす』で思い出すのは、大学の同窓生が集まると口にする『津田スピリット』ということばです。逆境に負けない不屈の精神。厳しい状況を、生半可ではない努力を積んで乗り越える・・・というような意味で使うものだと思っています。最近先輩から、もともとは死ぬほど英語を勉強することをさしたと聞きました。英文科の教授陣は本当に厳しく(本当に怖く)、学生達はものすごく緊張感のある授業を受けながら、寝ても覚めても英語漬けの大学生活を送っていたと聞きます。それで留学せずとも、レベルの高い英語力を身につけることができた。厳しく叩かれて初めて本物の力を得ることができる。それがひいては「社会への貢献」につながる。100年前の卒業式で大学の創立者の津田梅子先生は「知恵と知識のたいまつ」を手のなかで輝かせながら次世代に繋ぎ、「真摯で謙虚な姿勢」で「社会に役に立つ力」を、どんな場にあっても発揮してほしいと伝えたそうです。『津田スピリット』とともに心に留めおき、ことあるごとに原点として立ち返りたいメッセージだと思っています。

 人生の折り返し地点もとっくに過ぎた今、自分が進むべき道の照準が少しずつ定まりつつあります。2年半の間、秋田で暮す日々の楽しいできごとや感じたことを綴ったブログも先月で終了にしました。楽しいだけでは、人のために役立つことはできないのだと思っています。今まではSTとして中途半端だった。主婦業、子育てを言い訳にして、合い向かう方達の困り感にタイムリーに寄り添うことは充分にしてこなかった。学ぶ努力も足りなかったと思います。
「社会貢献」なんて立派な表現は、私に似つかわしくない。子どもを上手に愛せない母親のもとに生まれ、いたぶられて育った気弱な私が、頼りない足取りながら藁をもつかむ思いで生きてきた道すがら、私を助けてくれた人達がいたから今の私がある。その方達への感謝の思いも込めて、自分ができることを一生懸命行っていきたい・・・そんな思いでいます。その時に、一瞬ではあっても、きら星のごとく輝く時を、合い向かう方達と共有することができれば幸せだなぁと思います。そのためには、おのれを修める厳しい鍛錬が必要。この歳になっていますから、誰かが律してくれるわけではない。自ら課さなければいけませんね。

『虹の戦士』ということばが、少し前から意味もなく頭の中をよぎります。「戦士」なんて、随分構えた表現ですね。でも、世の中が「楽に、容易に、ゆるりと」が良いとされている時代に、安易に流れやすい私が何か実のあることをするためには、「戦士」であるくらいの気構えが必要なのかも知れません。
ネットで『虹の戦士』について調べたら、びっくりするような内容がヒットしました。カナダのネィティブアメリカンを始めとして「地球を救う戦士」の言い伝えがあったのです。我々が『なな色シスターズ』であり、冊子が『なな色メール』であることを考えると不思議なつながりを感じますが、今はまだ私には、何故自分の頭の中に『虹の戦士』ということばが浮かんできたのか、言い伝えられている『虹の戦士』と自分が行おうとしていることにつながりがあるのかピンと来ていません。今後、何かしらのつながりが生き生きと感じらることがあったら、自分なりに探って皆さんにお伝えしたいと思っています。

一人に寄り添う記者でありたい 

2013年08月01日 | S.S.
津田塾大学同窓会 秋田支部同窓会紙への研修報告

 講師 秋田魁新聞記者 三浦 美和子氏    
2013年6月30日 秋田キャッスルホテル・ハウスにて
 
 講師の三浦美和子さんに初めてお会いしたのは、15年近く前のことでした。当時イトーヨーカドー子ども図書館の存続運動に関わっていました。母親達が手さぐりで始めた小さな運動を、拾い上げて記事にしてくれたのが三浦さんでした。大学卒業後間もないフレッシュな記者三浦さんの取材が印象に残っています。

 実は、私は魁購読者ではありません。三浦さんが担当されていた「くらし」欄の記事はほとんど読んだことがない私。三浦さんが今回の研修会用に自ら持参して下さった記事を読んで、久しぶりに(いえ改めて)三浦さんが書かれたものに出会いました。

 読ませていただいたのは、『あの子ときた 県内自死遺族の思い』と『がんと生きる』というシリーズの中から1つずつ。取材を受けた方の置かれた状況を淡々と描きながら、心の深いところからの思いを丁寧に汲もうと、込み上げてくる感情の波もそのままに伝えている記事でした。同じ立場にいる人なら、きっと泣いてしまう。そうでない人だって、胸にぐっと迫ってくるものがある。三浦さんは、魁の読者にこんな力強い記事を発信し続けてきたのか・・・と思ったら、そのことに感動して涙が出そうでした。

 個人の経験・生活史に寄り添って、声なき声を丁寧に描いていく三浦さんの表現スタイルに対して、当事者の置かれた状況を社会の問題点のひとつとして捉え、提言や対策を投げかける社会性を持たせることも大事なのではないかと、社内で意見を言われることもあるそうです。三浦さんのレクチャー後の同窓生の皆さんの活発な意見交換を聞きながら、私は卒論作成の際に指導教官に言われたことを思い出していました。

「社会の分析の方法には、ミクロ(個)からマクロ(社会)へのアプローチとその逆がある。どちらも長短あり、それぞれに意味がある。ミクロから出発する場合は、関わる主体に徹底的にコミットすること。主体に心から共感できるかどうかが卒論として扱ってよいかどうかのカギになる。深くコミットしながら、そこから見える世界を描くことで、個人が住んでいた社会を生き生きと描き出せる。マクロからのアプローチの場合は、対象とする社会を俯瞰的な目で見ることで、客観的な分析ができ、他の社会との比較も可能となるし、反省的な視座も得られる。ただし、個のささやかな思い、一度きりの人生のかけがえのなさなどは、マクロとしてまとめられた時点で切り捨てられることも自覚しておく必要がある。いずれにせよ留意すべきは、これが社会科学のアプローチであるということ。」

 魁新聞を良く読んでいる友人に三浦さんのことを聞いたら、心に沁みる文章を書いてくれる記者さんでファンだと言ってくれました。学童保育に勤めている彼女のところにも取材に来てくれたそうで、友人は、謙虚で飾らない三浦さんの取材姿勢に感心していました。秋田の人は、発信があまり得意ではないと聞きます。声高に自分を語るより黙って我慢するのが美徳とされる文化。でも、皆さん語りたい思いはたくさんあるはず。そのような中で、個である当事者に寄り添い誠実にその人たちの声を描くという三浦さんの記者としてのスタンスは、ミクロからのアプローチとして一本筋が通っているように私には思えました。自然体で爽やかな三浦美和子さんの記者魂にふれたひとときでした。
                                           報告 同窓会員 S.S

桜楓新報より、福島の子どもたちに日常生活を取り戻すための活動 

2013年04月01日 | S.S.
東日本大震災復興支援 福島の子どもたちに日常生活を取り戻すための活動 

日本女子大学の「桜楓新報」記事紹介。 2013年1月10日発行より、著者は住居学科教授、定行まり子さんです。

2011年3月11日の震災以降、「家政学部を考える会」として、(一社)日本女子大学教育文化振興桜楓会の協力の下、被災地の保育所の被害状況、避難の実態を調査してきていたとのことです。

支援している保育園を訪問、聞き取り調査の結果、外遊びが出来ない問題に対して食育の観点から「なぞなぞ野菜」というダンスを考案して保育園、幼稚園に提供している事。
また、子どもたちの放射能リスクを低減するための試みとして福島県伊達市小国地域の方々と協働研究を進めている。里山の美しい、実り豊かなところですが、原発災害によって、50キロ離れているものの広く汚染されています。ここでは、大学教授の下、市民とともに調理による放射能の除去率を引き出す計測をしています。さらに被服学科の教授によっては、放射能の提言する衣服や住まいの調査もされているとのことでした。

衣・食・住・健康という生活に根ざした視点でトータルに支援する日本女子大学の活動、よいですね!



なな色シスターズの中で日本女子大学に縁があり、被災地の復興支援についての記事が紹介されていました。

ゆっくり、でも少しずつ前に!

2013年04月01日 | S.S.
 先日から父が薦めてくれていた本を、帰省した際に貰い受けて読みました。『なぜ、「これ」は健康にいいのか?副交感神経が人生の質を決める』小林弘幸(順天堂大学医学部教授)サンマーク出版 内容は、自律神経をバランスよく保つことで健康が保たれるというもの。子どもの頃以来、過度の交感神経優位で常に過緊張によるストレスにより心身ともに健康を損なっていることを自覚している私。
 五十肩になったのは2年前のことです。痛みが一番ひどいときは、毎晩身体を硬くして眠るため、朝起きたら身体じゅうがカチカチになって痛くてたまりませんでした。肩も手も動かせない、車の運転さえままならない。自暴自棄になっていた時に、私の身体の不調をひとつひとつ説明してもらえる出会いがありました。

 親に気を使い、回りに気を使い、家族に気を使い・・・過度の交感神経優位。自律神経のアンバランスによる血液循環の悪さと臓器の機能低下。加えて、小さな肺(先天的)と大きな下半身(交通事故の後遺症)というアンバランスな身体を有したことによる慢性的な身体内の酸素不足。酸素不足による疲労物質の細胞内への蓄積、滞留。体調が良くなるわけがなかったのです。

 この本によると「交感神経」が低くても良くないとのこと。両方の自律神経がバランスよく働いていることが一番の健康の秘訣だそうです。本に書いてあった健康の秘訣のポイントまとめてみました。箇条書きで説明不足かも知れません。詳しいことは本を読んでみて下さい。

〇副交感神経が低下すると血管が老化し、免疫力が低下、身体は病気になりやすい。
〇交感神経が活性化していることも大事。適度な刺激、適度な行動。適度なやる気。
〇腸内環境が大事。腸が汚れると、汚れた血液が体を回って全身が不調になる。
〇朝は体調が不安定。運動をするなら夜。ハードなジョギングよりウォーキングが良い。
〇笑顔が大事(口角が上がる笑顔)。愚痴を言わず、弱音を吐かず、笑顔で努力をする。
〇緊張場面では、深呼吸。急いでいる時には、「ゆっくり早く」が理想。

 50歳で折り返し。これからの人生はいただいたものだと思います。でも、神様は私をのんびりさせて下さらなかった。体調不良に悩まされた後に、体調不良の原因を突き止めて、心身ともに上向いてきた今は、一生懸命頭を使い身体を動かして働かないといけなくなりました。これが神様が与えて下さった私の運命。でも、有難いです。今こうしてチャンスをいただけたことに感謝して、ゆっくり前に進んでいこうと思います。

 原発の問題も、エネルギーの問題も、エコの問題も、今の日本は問題は山積み。社会問題について、一市民として関わって何かをする時間が今は取れないこと・・・が、ちょっと残念。積極的に関わることが今はできないけれど、勉強することはできるし、知って考えることもできる。今はそんな関わり方をしていく時期なのかなと思っています。なな色シスターズの皆さんから、誌上を通して、あるいはプライベートで、学ぶ機会をいただけることをとても嬉しく思っています。私も気になる記事を紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします♪

あなたの認知特性は?自分の脳の個性を知ってみませんか?

2012年11月01日 | S.S.
 小さなお子さんたちの認知の状態について把握し、発達を支援することに取り組んでいます。それぞれのお子さんの認知力を知ることは、支援のかなめとなるくらい重要ですが、この「認知」ということば、聞いたことがあっても正確な意味はわからない方も多いのではないでしょうか。ウィキペディアによると「心理学における認知とは、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のことをいう」と説明されています。

 認知とは、私たちが外界を知覚し、頭の中で理解し、行動していく過程のことです。各人がそれぞれ入力しやすい得意な知覚力(五感のうち視覚と聴覚が特に重要)から入力したものを、脳内で得意な処理しやすいルートで処理し(理解、整理、記憶)、得意な方法で表現するというのが私たちが日々行っている認知行動。入力、処理過程、表現の各段階で、得意不得意があり、それが各人の個性となって現れると言ったらわかりやすいでしょうか?例えば絵が上手な人は、同じものを見ていても詳細まで見え、それを記憶にとどめ、再現する表現力に優れています。また細かい部分まで見たことを記憶し的確に言葉で表現できる人は、頼もしい目撃者となれる人です。私が仕事で関わっているお子さんたちは、認知過程のどこかで躓いていると推測されています。そこで、私たちは躓いているところを探りながら、発達全体を促す努力をしています。
     
 一般人の認知特性をパターンに分けて説明している本と出会いました。著者は、小児科医。小児神経の専門医として肢体不自由児や発達障碍児の臨床に携わっています。子どもたちの認知に関わる仕事をしている著者が、専門家として持っている知識を一般人の認知特性の分析に応用した本で、人を6つのパターンに分けています。専門的に見れば、パターンわけの判断テストは判断材料が少し大雑把ですが、今までにない面白い個性の見方を提示してくれています。

 『医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン』 本田 真美著
                             2012年  光文社新書

① カツオくんが描けるアーティスト系 視覚優位者・写真(カメラアイ)タイプ
② どんな人の顔も見分けられるエキスパート 視覚優位者・三次元映像タイプ
③ イメージをすぐに言葉にできるファンタジスト 言語優位者・言語映像タイプ
④ わかりやすくノートにまとめる達人 言語優位者・言語抽象タイプ
⑤ オヤジでなくてもダジャレ上手 聴覚優位者・聴覚言語タイプ
⑥ 英語の発音もすばらしい絶対音感タイプ 聴覚優位者・聴覚&音タイプ
番外編 レストランの味が再現できる職人 身体感覚優位者

 著者は、認知特性を視覚・言語・聴覚の3種類に大きく分け、それぞれをさらに2つにわけて全部で6パターンにしていました。さっそく、家族全員のテストをしてみました。結果は、それぞれの個性の違いが理解できるものでした。夫は④⑤、私は②③、娘は②③④、息子は②③⑤です。

 夫は言語優位・言語抽象タイプと聴覚優位・聴覚言語タイプを兼ね備えていました。聴覚情報処理が得意で、かつ言語を抽象化させて操作できるタイプです。夫は、ドラマが大好き。会話を聞いて楽しみます。耳から入ってきた情報を理解する力が高く、ドラマの筋もどんどん読んでいきます。逆にテレビがついていると電話で話ができません。耳からの情報が多すぎると、処理ができないのだそうです。夫は抽象的な文章を読んで理解する力もあるので、研究者や翻訳業はあっていると思います。

 私は、視覚優位・三次元映像タイプと言語優位・言語映像タイプでした。昔からすぐに妄想の世界に入ると言われる私。何かを見るとすぐに他のイメージを連想してしまうのですが、これは私が入ってくる情報を頭の中でイメージ理解しやすいためのようです。写真にコメントを付けて書いていくブログは、私に合った表現方法なのかなとこの分析を見て思いました。私は、夫など言語を継次処理して理解する人から、話が飛ぶと言われますが、私には話題の展開が、画像の切り替えでしかないので話題が飛ぶとは思えないのかも知れませんね。

 娘は、私に似て画像イメージの連想が得意なタイプですが、夫と同じように言語操作力も高いので、ことばで説明するのが上手です。この分析によれば建築だけでなく、人とコミュニケーションしながら進める仕事も出来るかも知れません。

 息子は色々な認知特性を同時に持っているようです。小さい頃パズルやブロック遊びが得意だったのは視覚優位だからでしょう。耳から入った言葉やメロディーを記憶できるので、音楽を聴くことが好きで、パソコンで色々な音楽をダウンロードしています。また、英語のリスニングや音読も好きです。数学や物理が得意で、高校に入り理系であることがはっきりしてきました。夫や娘のようにことばで上手に説明する力は持っていないかも知れませんが、違う力で人と関わってもらいたいなと思っています。 
 
 実は認知特性は、さまざまな個別の能力により形作られていきます。その能力とは一体何でしょうか?認知の処理の過程で働く個別の力と言えば分りやすいかもしれません。人間には、さまざまな能力があるのですが、先の本を参考にしながら見ていきたいと思います。

・ワーキングメモリー(記憶) 例:眼鏡をどこに置いたか忘れてしまわないか?
 今行ったことを覚えている短期記憶と昔のことを覚えている長期記憶に分けられます。
 記憶ができる量には個人差があり、記憶力は知的な活動に大きな影響を与えます。
・言語操作力 例:文字を読み間違えたりしないか?順序よく物事を説明できるか? 
 言語能力は「読む」「聞く」「書く」「話す」の4つの力から成り立ちます。4つがバランスよく発達していることが理想ですが、得意不得意があります。何故そうなのかについて、自分の特性について分析することで、豊かなコミュニケーション力を身に着けられるかも知れません。 
・数操作力 例:分数が得意だったか?
 いわゆる数の操作能力。数を頭の中で操作する抽象的な思考力が必要になります。
・推論力 例:なぞなぞやクイズが得意か?
 与えられた情報を順序良く論理的に考える力です。問題解決に必要な力だと思います。
 ことばだけでなく、目で見た情報からも推論する力を持つことが問題解決には重要です。
・空間認知力 例:パズルが得意か?
 平面、立体の形を把握して操作する力です。パズルだけでなく、学習面では左右がわかる、行 
 をとばさず文章を読む、きれいな字を書く、地図を見ながら目的地に着く、弁当のおかずを上手に詰めるなど実際的な場面でも求められる力です。
・視覚認知力 例:似た漢字でも間違いなく覚えられたか?
 細部まで注意集中して見落とさない力、一度に多くの情報を見る力、違いに気づく観察力など目で見る力のことです。
・聴覚認知力 例:救急車のサイレンがどこから来るかわかるか?
 音が聞こえるだけでは、聞こえることにはなりません。音に注意を向け、聞こえてくる音や話 
 の内容を理解する力も重要です。必要な音だけを聞いて、いらない音を遮断するのも大事な聴覚認知力です。
・処理能力 例:決まった時間に仕事を終わらせられるか?
 言語を介さずに作業をこなしていく力のことです。同じ事柄をスピーディーにミスなく繰り返し作業していく能力です。視覚認知、聴覚認知、手先の巧緻性、記憶などさまざまな力が土台となって処理の力を伸ばしていきます。
・手先の巧緻性 例:スピーディーにきれいな字が書けるか?
 手先の器用さの力です。持って生まれた力だけでなく、経験や訓練により伸びる力です。

 以上の力は知能テストで測れるものです。心理学の世界では、これらの力を分析しながら、弱いところを伸ばし、強いところを生かして、個々人の社会適応の支援を行っています。しかし、人の能力ってこれだけではないとも思えますね。知能テストが測れる範囲は、人間の精神活動の一部であることを前提に分析していくことが大事かなと思います。本に紹介されていた知能テストでは測れない能力について挙げてみます。

・身体全体を使う運動能力(粗大運動能力)
・問題へ対応能力(柔軟性)
・決まったパターンで行動しているか否か(秩序性)
・新しいアイデアをだせるか否か(創造性)
・社会の中で周りの人と良い関係が築けるか否か(社会性)
・熟慮せずに思いつきで衝動的に行動するか否か(衝動性)
・整理整頓の力(遂行能力)
・コツコツと続ける力(継続性)
・決まった時間内にどう行動するか(時間感覚)
・課題を一気に仕上げる力(課題遂行集中力)

 私は、胆汁質で「衝動性」があります。直したい自分の個性です。でも課題を一気に仕上げる遂行集中力は、ある方だと思います。「行動力」と「衝動性」は裏表の関係かも知れません。

 この本の分類テストは、大雑把で、これだけで判断してしまってよいかなと思うものもあります。しかし、私の家族で見た限りでは、納得できる結果が出ました。私にとっては、自分の視覚イメージ優位を説明してもらえたのは、私の突飛な発言を家族に理解してもらうのに良かったように思います。皆さんもこのテストにトライしてみませんか。自分や周りの人の特性を知ることで、常日頃理解しえなかったことを、認め合えるきっかけになるかも知れませんよ。

定常化社会に向けて

2012年07月02日 | S.S.
 「もの」から「心」へ。物質的な豊かさから、精神面での充実に価値を置く時代を迎えていると言われている。それをアカデミックに説明してくれる本に出会った。広井良典氏の著作『創造的福祉社会―「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』ちくま新書2011年。

 広井氏は、過去人類は、特定の社会構造が拡大・成長を遂げたのち環境や資源の制約に行き着くと、「定常化」(拡大をやめて留まると私は理解した)を始め、ベクトルを社会の内面に向けて文化的な充実期を迎えるという仮説をたてている。狩猟・採集時代、農耕社会の時代にもそれぞれ「拡大」と「定常化」の時代があり、定常化の時代にさまざまな宗教や文化的に素晴らしい産物がもたらされたという。
 最初の定常化時代は、狩猟・採集時代の「心のビッグバン」。今から約5万年前のこの頃、加工された絵画や彫刻などの芸術作品が一気に現れたらしい。次の定常化は紀元前5世紀前後。この時期に「普遍的な原理」を志向する思想・宗教が地球の各地で同時に誕生した。ギリシャ哲学、インドの仏教、中国の儒教や老荘思想、中東での旧約思想などである。これらの思想は、人類が自ら属するコミュニティーを超えて「人間」というものを普遍的に見始め、同時に「欲望の内的規制」を説いている点で共通している。今に至る壮大な宗教や思想の草創期のこの時期のことを、歴史学者は「枢軸時代(ヤスパース)/精神革命(伊東俊太郎)」と呼ぶそうだ。
数百年前から始まった工業化社会の限界につきあたっている今が、第三の定常化の時代だと広井氏は言う。ここ数百年、産業化、工業化、情報化、金融化と社会の姿を変化させて拡大路線をたどってきた我々の社会が、先進国を中心に行詰まっているというのは、世界の情勢を見れば周知の事態だ。この閉塞状況を、広井氏は「定常化」の時代ととらえ、新しい社会像を構築していく時期が来たと前向きに考えているのである。

それでは広井氏はどのような社会像、価値観を提案しているのであろうか?『創造的福祉社会』に詳しく述べられているが、学術的で回りくどい表現が多く、私には大雑把な理解しかできなかった。ただ、内容は参考になるものが多いので、彼が示したことをポイントにして何点か述べてみたいと思う(→以下が私のコメント)。

①時間(歴史)」に対して「空間(地理)」が問題解決をする社会
高度成長期のように、やがてくる豊かな未来のために今の労働を辛くても頑張るという一方向の生活の仕方(拡大する経済成長が将来の幸せを生む)、つまり時間の経過が幸せを生むことは見込めない時代になった。むしろ、空間(地理的環境)の違いの多様性を重要視すべき時代になっている。多様な地域の豊かな特性が共存し、各地域の固有の資源や価値、伝統、文化を再発見していくことが人々の幸せを生む社会になっている。
→「時間」と「空間」という対比は理解しにくい表現。自分が住む地域の豊かさを、住民が享受しながら、他の地域の素晴らしさも認め合い(国内外問わず)、他の地域と文化面や経済面その他さまざまな領域において上手に交流・連携し合いながら、「今」を同時に豊かに生きることが、多様な「地域」の併存の価値ということではないかと思った。

②ローカルからグローバルへの多層な社会の構造
人々の帰属単位は地域(ローカル)でありながら、生活に関わることすべてがローカルで解決するわけではない。生産/消費の重層的な自立と分業が必要と広井氏は言う。
・食糧生産および「ケア」はローカルで
・工業製品やエネルギーについてはナショナル~リージョナル(ただしエネルギーも
 究極的には自然エネルギーを中心にローカルで)
・情報の生産/消費ないし流通はグローバルで
・時間の消費 自然やコミュニティー精神的な充足に関わる時間の過ごし方はローカルで
→地産地消の生活。エネルギーの自立など、今後目指したいところ。しかし、情報についてはグローバルでと提案されている。となると共通言語の英語の力は必要だ。

③「都市型コミュニティー」の養成
 日本の社会をウチとソトを使い分ける内向きの「農村型コミュニティー」。内部の結束力は高いが、グループ内での序列に従って行動する必要があり、暗黙の規範に従わなければならず(空気を読む)、息が詰まるコミュニティーでもある。それに対して「都市型コミュニティー」を増やしていきたい。そこでは集団を超えた普遍的な規範原理、日常的なレベルでの節度を保った誠実なコミュニケーション、コミュニティーを豊かにする活動を行うNPOなどの存在などが重要になる。
→都会にいても田舎にいても、日本では閉じた狭いグループ社会に属さないといけないことを痛感する。個人の自由が認められつつ、帰属感も持てる都市型コミュニティーの概念は面白い。人々の関係性も「定常化」とともに進化させていきたい。

④コミュニティー醸成型の空間構造を持つ街づくり
コミュニティー感覚(人々のゆるやかなつながり意識)を持って暮すことの豊かさを大事にする。街の中心部の便利な場所に高齢者や子育て世代、若者などが住みやすいように公共住宅を建設し、買い物の利便性を上げるだけでなく、コミュニティーとしての質もあげる(市場を中心とした歩行者天国、カフェテラスでの交流、住民のニーズにきめ細やかに対応できるNPOの活躍など)。地域づくりのまとめ役として「地域総合プランナー」を置く。
→都市型コミュニティーによる街づくりの案。秋田でも住民が集って生活が豊かになる場を作れたらと思うが、時間はかかるだろう。縦割り行政を廃止して、「地域総合プランナー」というような行政政策横断的な役割を担う人が欲しい。

⑤「福祉と環境と経済」あるいは「平等と持続可能性と効率性」
 広井氏は少ない労働力で多くの商品を生産するという従来の生産性を見直すべきだと言う。これからの時代は「人余り(失業)」「資源不足(有限で貴重な環境資源)」となるため、「人」を多く活用し、「自然資源」を節約した社会を作っていくのが重要。具体的に言うと、今までは生産性が低いとされていた教育や福祉の分野(ケア分野)に労働力を投入するということだ。こうしたケア分野に人的資源を割り当てる新しい労働集約社会は、資源を多く使わないという点で環境に優しい。また、経済的にも効率が良いと言う(教育に力を入れることで、人生のスタートラインをできるだけ平等に置くことができる。また優秀な人材の育成は、質の高い労働者を生み、結果的には経済を活性化させる力となり、それは経済効率性を上げる。ケア分野への人材投入は、労働力を多く必要とする点で、失業の解消につながる)。新たな労働集約型社会は、さまざまな点で相乗効果が期待されるというのだ。
→抽象的な3つの単語を並べて説明するのは広井氏が得意な手法。しかし、ポイントの羅列は行間を自分で読み込まないといけないのでわかりにくい。ケア分野に多くの人材を投入するのは理想的だし、労働者も創造的に働けてやりがいにつながると思う。それの相乗効果が、環境面にも経済面にもあるというのは、画期的な考え方だ。この広井氏の提案を、さらに具体的に案を練って実現できたらと願う。
 今の閉塞状況を「創造的福祉社会」と呼んで前向きにとらえる広井氏の考え方に賛同したい。ローカルの良さを生かすことを後押しされ、秋田というローカル色が濃い地域に住む人間として嬉しく思う。

 さて、私ができることは何であろうか。彼が提唱するような大きな政策的な問題には、今のところは関われない。できるのはせいぜいローカルの生活の充実だろうか。先日、朝日新聞で広井氏が「多極集中」を薦めていたが、多極の豊かさを感じ取ることなら出来るかも知れない。私が住むこの場所でできることを考える。まずは、ここ秋田の魅力を色々発掘してみたい。美味しい食材の発見。豊かで魅力的な地域の訪問。伝統的な祭りの再発見などなど。秋田を見て、聞いて、感じて楽しむ。それを、私ならさしずめブログで発信。このニュースレターも発信源になってくれるだろう。発信した後にすることについては、もっともっと考えていきたい。
それから私が大事にしたいと思っているのは、身の回りの人同士で支え合い、お互いの活動を認め合うこと。小さな齟齬には片目をつぶり、人との出会いを大切にしたい。ローカルで暮らすということは、狭い人間関係の中で暮らさないといけないということだ。状況によっては、嫌な思いを経験することもある。その相手と、間をおかずに会わないといけないこともある。ウチとソトを使い分けないといけないムラ社会の日本、そして秋田で、自分を救ってくれる個人的なセーフティーネットになるもの。そのひとつは、心のポケットをたくさん持つことだと思う。例えば帰属集団をたくさん持つこと。ひとつの関わりで嫌な思いをしても、他のグループでの自分を保持することができれば、人間は心のバランスが保て、安心した気持ちになる。日本の社会が、「都市型コミュニティー」になるのはすぐには難しいと思うが、自分が属するコミュニティーの中で、回りの人達と楽しく関わるすべを磨いていけたらなと思う。
広井氏は、『創造的福祉社会』を“一人ひとりが自らの関心にそくして多様な活動を行っていく。そのような試みと具体的な実践のプロセスの一歩一歩の中に、これからの「創造的福祉社会」は確実に展開していくことになるだろう”と結んでいる。それは、素晴らしい社会だ。しかしその実現のためには、一人ひとりの営みの多様性を、素晴らしいもの、価値あるものと認め合う心の広さが必要だ。個人的には、自らの営みを楽しみながら、他人の営みも尊重できるようなバランスの良い心の状態を保っていきたいと思っている。

<著者紹介>
広井 良典(ひろい・よしのり)

1961年岡山市生まれ、東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障や環境、医療、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア等をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。
『コミュニティーを問なおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞。
『ケアを問いなおす』『死生観を問いなおす』『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)
『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞)
『定常型社会』(岩波新書)
『グローバル定常型社会』『生命の政治学』(岩波書店)
『ケア学』(医学書院)など多数
   

近況報告します♪

2012年05月01日 | S.S.
 前回のなな色メールで、原発反対を主張した私。12月中旬に市内で行われた原発反対デモに参加した後、参加したデモのメインのメンバー達が熱心に関わっていた「放射能を拡散させない」活動に傾倒していきました。「原発事故による放射能汚染から子どもたちを守らないといけない」という正義感から、流れに任せて入ってしまった活動ですが、次第に「放射能汚染から県を守る」→「被災地からの瓦礫は放射性物質が残存している危険性があるから受け入れない」「瓦礫受け入れ反対!」へと運動が狭い方向に過激化していきました。

 たまたまごみ焼却場がある街に住んでいたため、市主催の瓦礫処理説明会にも2回参加、2月末には県と市への瓦礫受け入れに対して慎重に対応して欲しいという要望書提出にも代表のひとりとして加わりました。しかし、同じ東北の隣県として瓦礫を受け入れることに前向きな県や市の意向を、簡単には変えることはできませんでした。また、その間かなりの量の放射性物質を含んだ産業廃棄物が民間の業者を通して、すでに県内に持ち込まれていることを知ったのです。自分がやってきたことは何だったんだろうか?行政とあれこれ丁寧にやり取りしている間に、人々の目をすりぬけて放射性物質は県内に持ち込まれていた・・・その事実に愕然とした私です。

 そして今、私は「放射能を拡散させない」の活動からは離れることにしました。そもそも自分が関わろうと思ったのは、放射能を拡散させないということだけだったのか?原発をなくして、自然エネルギー中心のエコロジカルな暮らしを求めていたのではないか?と、自分の思いの原点に返ろうと思います。放射性物質を含んだ瓦礫や産業廃棄物が全国にばら撒かれ、焼却されていくのは許しがたいこと、でもそれだけに立ち向かうのが私のしたいことではない。と、そう思います。受け入れないといけないこともあると思い始めたのです。来月の連休にバニヤンツリーの代表の方と一緒に岩手県の野田村に行ってくるつもりです。バニヤンツリーは、国内外(海外は主にバングラデシュ)の人々の暮らしや環境を支援するNPOで、地に足がついた着実な支援をすることで定評があり、私が最も信頼しているボランティア団体のひとつです。そのバニヤンツリーで昨年の震災以来ずっと支援してきた野田村。そしてその野田村の瓦礫を、県が受け入れる協定を結びました。現地はどうなっているのだろうか?現地の人たちはどう思っているのだろうか?素直な気持ちで、現地の方達(漁師さん)と、向き合って話を聞いてこようと思います。

*     *     *     *

昨年から五十肩に悩まされていたのですが、実はこれが五十肩ではなく自分の身体の形態異常から来る症候群?のひとつであることがわかりました。昨年の春頃からひどくなってきた左腕の痛みを治すためにドクターショッピング(整形外科2か所、針治療1か所、整体2か所、整体の本やネットの情報は数知れず)を繰り返した後、Iさんに紹介されたT先生のもとで治療に励んでいます。私の身体を見るなり、胸郭の小ささが身体じゅうの酸素不足を起こし、それが筋肉内に乳酸を作り出しタンパク質と結合して硬結となり、痛みの原因となっていると見立てたT先生の診断。それはすぐには受け入れられなかったのですが、自分の身体にきちんと向き合ううちに納得できるようになりました。

 その後本やネットで調べて自分の状態が「拘束性換気障害」というものであることを知りました。肺の病気です。腕の痛みや肩の痛みの原因が肺にあると誰が思いつくでしょうか?西洋医学からは考えられない全体からの把握だと思います。T先生は私のことを交感神経優位な人間と言います。シュタイナー的に言えば胆汁質ですね。反応が早く行動的。でもゆっくりしない性格は、身体をゆるめることが下手です。浅い呼吸で忙しく暮らす日々は、ただでさえ低い私の呼吸能力をさらに低下させていたようです。更年期にも入り身体のしなやかさを保ってくれていた女性ホルモンともさよならしつつある現在、私の身体は少し動くと酸素不足を起こしてあちこち痛み始めています。無理できないなぁ・・・と、暗い気持ちになりながら、隣の奥さんが言っていた言葉を噛みしめています。「五十六十の坂を登るのは大変だ。」更年期、女性の身体の曲がり角ですね。

脱・日本人論!

2011年12月01日 | S.S.
ドイツに住む日本人家族から10月にいただいたメールに次のようなことが書かれていました。

「日本の原発事故後、ドイツ国内の原子力発電所は段階的に全て廃止することが決まり、私たちが住んでいる州は、みどりの党に変わりました。多くのドイツ人は、原発に対する日本政府や電力会社の対応、これほどの大事な問題に対して消極的な国民の態度を理解できないと言います。」

痛い指摘でした。ものごとすべてを合理的に考え、解決していくドイツ人にしてみれば、今回の原発廃止決定は当然のこと。原発は危険なものだから、廃止する。事故が起きた限りは、それを起こした会社は即座に相応の責任を取るべき。国民ひとりひとりの生活は守られなくてはならず、守られない場合は、おかしいことについて声をあげていく。論理は極めてシンプルです。

「これほどの大事な問題に対して消極的な国民の態度」という一文が心に残りました。回りには、私も含めて原発に賛成の人はほとんどいません。しかし、そのことに対して国民的な議論が巻き起こっているかというと、それほどではない。被災地では、除染がすすめられたり、健康被害の調査が行われたりと、放射能に対する生活防衛が進んでいますが、国として原発を今後どうするか、東京電力の責任追求について、国民的な議論が継続しているとは言えないと思います。テレビや新聞で騒がれなくなれば、次第に意識から消えていき、目の前の話題に気持ちが向いていく我々。過去のことは水に流す日本人の国民性ゆえのことなのでしょうか。

 今回の震災によって多くの人が、日本の地理的状況を視覚的にイメージし、この国土が自然の猛威に襲われやすい場所であることを意識するようになったと思います。理系出身の小説家池澤夏樹氏が直近に書いた『春を恨んだりはしない・・・震災をめぐって考えたこと』にわかりやすい日本人論(と思われる記述)がありましたので引用します。
「日本列島は細く長く、ほぼ北東から南西の方角を軸として弧状に伸びており、花綵(かさい)列島という美称がついている。この形のおかげで気候や植生は変化に富み、モンスーンがそれをまた拡大し、場所と季節によって変わる美しい空と陸と海をもたらした。陽光は豊かで、水は多く、外の脅威はないに等しい。このように細く長く弧状に伸びた陸地は偶然の産物ではない。」

「日本列島が太平洋プレートとフィリピン海プレート、それにユーラシアプレートと北米プレートが出会ったところにしたから押し上げられたのがこの島々である。」プレートの境界線が生み出したのが日本であると池澤氏は説明を続けます。そして、気象学的に非常に不安定な場所で、災害が多いと。火山の噴火、地震とそれに伴う津波、毎年南からやってくる台風・・・。大雨による土砂崩れも毎年のことです。

 池澤氏は、災害が我々の国民性を作ったと言います。
「この国土にあって自然の力はあまりに強いから、我々はそれと対決するのではなく、受け流して再び築くという姿勢を身につけた。・・・モンスーンの移ろいやすい気象と多くの天災が、一つのステージに留まらず速やかに次に移ることを我々に教えた。・・・我々は社会というものもどこか自然発生的なものだと思っている節がある。社会ではなく世間であり、論理ではなく空気ないし雰囲気がことを決める。こういう社会では論理に沿った責任の追及などはやりにくい。その時の空気はそうだったのだ、で議論は終わってしまう。後世がなぜあんなことになったのかと問うても、先代はおまえはあの頃の空気を知らないといって済ませてしまう。第二次世界大戦の後、ドイツは戦争の責任をしつこく問い、戦争犯罪人を徹底して追訴した。同盟国であって同じくらい惨めな敗北を喫して資産の喪失と社会の崩壊を経ても、日本では戦争責任の追及はおよそいい加減なものだった。一億総懺悔などというとんでもないスローガンでことは収束してしまった。」『春を恨んだりはしない』池澤夏樹 中央公論新社 p56~p61

 かつて和辻哲郎という哲学者が『風土』という本で、地理的環境が国民性を規定するとして日本人論を述べました。が、池澤さんの文章は、そのエッセンスを易しく説明してくれています。日本の自然の豊かさ、地理的特殊性、不思議な国民性を再考、反省するのに、勉強になりました。確かに日本は、特殊な環境の下にある国で、池澤さんが書いているような行動パターンを取る国民である気がします。でもね、池澤さん(いえ池澤さんだけではありません。明治の開国以来ずっと日本の不思議な国民性を研究してきた日本人論の研究者の皆さん)、私は思うのです。世界的に類いまれな豊かな自然に恵まれつつ、厳しい天災にも頻回に襲われる日々を送ってきたから、日本人は過去のことを忘れて今を刹那的に生きるという国民性は、昔の話にしませんか。日本人論を変えていきたいのです。これだけネットも普及して、人々はグローバルスタンダードの知を得ているのだから、考え方も行動様式も地球レベルに広げようと思いませんか。国を越えて考え行動していきませんか。「地球レベルの良心global concience」といったものを持つことが求められている時代になっていると思います。

 その地球人として我々日本人が考えるべき、今一番の大事なこと。それは、日本史上最悪のできごとである原発事故への対応だと思います。影響は国内だけに止まらない。地球のみんなに迷惑をかける事故でした。こんなに恐ろしい事故が起きたのに、少しずつ意識から遠ざかり日常に戻っている日本人の感性はおかしいと思います。2度も原爆を落とされ、今回の原発事故で国土のかなりの部分が、放射能汚染されてしまった国。その国の住人である我々がどうして今後も原発を推進できるのでしょうか。危険なものを取り除くという当然のことが、どうして力強い民意の声となってこないのでしょうか。ヨーロッパの多くの国がフクシマの事故を教訓に原発廃止に動いたことを、他人事としてとらえてはいけないのです。それどころか野田首相は、原発をアジアに輸出しようと言います。自国で事故を起こした危険なものを、どうして他国に売ろうなどと考えるのか。輸出した国民に対する責任は考えているのでしょうか。目先の経済的利潤ばかり追求していると、後でとんでもないしっぺ返しに合うと思います。

 自分の利が減っても、皆で助け合う社会を作る。生命の源である地球にやさしい社会を作る(だから当然再生可能エネルギーへシフト!)。シンプルな論理で良いではないですか。「世間」ばかりに目を向けて、大事なことを見失う国民性とはもうさよならをしましょう。国の枠を超え、地球人としての良心を持って生きること・・・これを肝に銘じて、危機を乗り越えていきましょう。勇気を出して、正しいことを声にしていく力が地球人としての日本人に求められているのです。

◎日経ビジネスオンラインと通販生活 秋号読んでください。通販生活では、原発に対する国民投票実施に向けての勉強をしようという特集が組まれています。嬉しい取り組み。是非ご一読を!日経ビジネスオンライン 11月11日 原発輸出再開の愚
◎田中優『原発に依存しない国になるために』は原発やエネルギー問題入門に好適書。

心の力

2011年06月01日 | S.S.
心の力

 大震災による心理的な変化によるものか、インナーチャイルドのCDがきっかけになったのか、再び自分の幼少期に遡る日々を過ごしていました。といっても、催眠療法などの特別なことをしたわけではありません。気がついたら子どもの頃の私の気持ちにすっと入っていたという感じ。今までは、分析ばかりであれこれ説明しているに過ぎず、核心からは何も発していなかった・・・ことに気づきました。

長い間心の奥底に押し込めていて・・・それが何ものか自分では自覚できないほど覆い隠して暗い情念になっていた気持ちが、ふいにふわりと心の表面に浮かび上がってきて、初めて意識してことばにすることができたのです。そして私が何にこだわっていたかも見えた気がしました。 

 身体に入れていた力が抜け、身も心も軽やかになったように思うこの頃、周りのようすが今までとは違って見えます。一番大きな変化は、素直にものが見れるようになってきたこと。今更恥ずかしい話です。気持ちが柔らかくなってきた今この時に、図書館で面白い本を見つけました。今回はこの本について少しご紹介したいと思います。

 『強い自分になる方法』-心の力を育てよう 
        カウフマン+ラファエル+エスペランド著/和歌山友子訳  筑摩書房

 この本は、自尊心を高めるための大人向けのトレーニングコースをもとに、「心を強くする方法」について子ども・親・教師向けに書かれたものですが、大人にも参考になる点がたくさんありました。「強い自分=心の力が育っている人間」という図式で論が展開されていきます。心の力を育てれば、どこにいても、だれといても、何をしていても、「大丈夫、自分はこれでいい。」と思えるようになり、自分らしい生き方ができるのです。何て魅力的な内容なのでしょう。夢中で読みました。

内容は二段階構成になっています。第一部では、心の力をつけ、それを使うことについて、第二部では培った心の力で自尊心を育てていくことについて述べられています。メモとしてまとめながら、☆の部分に私のコメントを入れます。
 
◎心の力をつけるために必要なこと
 ①自分のすること、自分の気持ちに責任を持つ(人のせいにしない)。
 ②自分で決める(行動と気持ちに責任を持つ。どうするかを決めるのは自分)。
 ③自分のことを知る(多様な気持ちを表現することばを学び、自分の気持ちを適切に伝える。自分が求めている気持ちを自分で自覚する)。
 ☆著者は、以下の欲求を人間として当然な欲求と見なしています。この定義で気持ちが開放されたように思います。心理学者って、人間の心の実態を良く理解していますね。
  ・人とのつながりを求める欲求
  ・体のふれあいを求める欲求
  ・自分の居場所と一体感を求める欲求
  ・人と同じでいたくない欲求
  ・人に何か(世話をしたり、助けたり)してあげたい欲求
  ・自分のいいところをほめられたい欲求
  ・人といるときもひとりのときも強い自分でいたい欲求
 ④人といるときも、ひとりのときも、心の力を使いこなす。
 ☆権力者の前では、人に左右されて自分を失いがち。しかし、心の力があれば、「大丈夫、自分はこれでいい」と強い自分でいられるのです。
 ☆心の力をつけるために、「しあわせメモ」をつけることを勧めています。一日を振り返り、幸せな気分になった楽しいことをメモしようとありました。落ち込むことがあっても、しあわせメモが貯金となって元気づけてくれるというのです。

◎自尊心とは何か。どうやって育てるのか。
①自尊心は、自分が人より上だと思う気持ちのことではない。他の誰とも関係ない自分の心のなかからわいてくるもの。
②自尊心は、ことばから出てくるのではなく、行動から出てくるもの。自分がこれだけのことをしてきたから、自分で「よくやっている」と思えるということ。自分で自分のことを「私ってすごい。」とうぬぼれることではなく、人から「君はすごい。」と誉められることでもない。
 ☆「よくやったメモ」を毎日つけることを勧めています。一日を振り返って「自分なりに頑張ってやったこと」をメモする。「しあわせメモ」と違うのは、あったことを書くのではなくて、自分がやったことを書くこと。頑張った行動の記録です。

 最後のまとめとして、著者が親と教師に向けたメッセージを書いています。一部を抜書
きしますね。  P168-170 前掲書

「うぬぼれやおごりや優越感は、真の誇りからうまれるものではありません。他者をさ
げすむ気持ちから生まれるものです。誇りは、わたしたちの好きなこと、やりとげたこと、身につけた技能、何かをやれるの能力から芽ばえてきます。自分以外の人をおとしめるものではありません。
 さげすみは誇りに似た形をとることがよくありますが、それはニセの誇りです。人をさげすむとき、わたしたちは自分が上にいるような気持ちになります。けれども、ひそかに、自分は人に劣ると感じているのです。さげすみの気持ちは、こうした劣等感からわたしたちを一時的に抜けさせてくれますが、これを続けるには自分のほうがまさっていると思える相手を探し続けなくてはなりませんー自分が上に立つために下に置ける相手を。
 さげすみは、いまの学校(そして社会)が直面している2つの大きな問題、つまりいじめと暴力の根本的な原因だとわたしたちは考えています。・・・中略・・・
 わたしたちが教えようとするのは、自分に誇りを持つこと、正しいことをしたときに自信を持つこと(そして、そうしなかったときに責任をとること)、自分が達成したこと(有形のものでも無形のものでも)を知ること、自分が味方するもの(そして味方しないもの)を知ること、内面的にも外面的にもベストでいられる努力をすることです。自分の気持ちと欲求をしっかりつかんでいるとき、自分の気持ちと感覚を信じているとき、自分の能力に対する現実的な判断があるとき、そして心の力を持つときー子どもたちは、安心感と自信を感じますー人をいやしめる必要はなくなるのです。」

 自尊心は、うぬぼれでもおごりでも優越感でもない、生きていく上でとても大事な力。そして、私がいつか与えられるものとして長い間待ち望んでいたものです。子どもが順調に育っていけば、自然と身につけられる力だと思いますが、何かつまづく原因があり獲得できずに成長する人間もいます。私もそのひとり。カウンセラーは、過去のつまづきまで戻り、ゆがんだ心の成長を修復させようとしますが、私の場合はうまく行きませんでした。良いカウンセラーに出会えなかったのです。

 私にも子どもが生まれ、求められる役割も変化していきました。私自身が親になったのに、自分の親に対して何かを求め続けるなんて、今更何を、いい歳をして・・・!と、かつて不満をぶつけた時に、父親に思われたようです。わかってはいるのですが、心の底から求めても与えられないものがあることを、ずっと受け入れられなかった私。理由は、心にふたをしていたから。それが、ふわっとふたを開けてしまった。中にあったものはすでに醗酵し過ぎてすごい臭いになっていたと思いますが(笑)。

 心の力は誰でも持てるけれど、時間がかかるし、練習が必要とのこと。人生を変えるには、勇気がいるのです。でも、心の力が育ってくることを考えたら、元気が出てきそう!さっそく「しあわせメモ」にチャレンジしてみました。
と言っても、メモに書くまでの余裕がないので、1日3つ幸せに思ったことを家族に話すことから始めてみました。思い出すのは、人の笑顔。特に言語訓練で関わった子ども達の笑顔がよく思い起こされます。手遊びなどたわいないことをしている場面で、子ども達は何とまぁ嬉しそうにしていたこと!その笑顔を思い出して、また幸せな気持ちに包まれました。
 家族からの幸せエピソードを聞くと、こちらもまた幸せになります。日々辛いこともあるけれど、1日の終わりは「幸せエピソード(しあわせメモ)」と「頑張ったエピソード(よくやったメモ)」を思い出すだけで、結構ハッピーな気持ちになれますね。皆さんも良かったら参考にしてください。そして、よかったら今度皆さんの幸せエピソードを教えてくださいね。

10年後の日本は?『自分を守る経済学』から

2011年02月01日 | S.S.
12月末に駅前のジュンク堂書店に行きました。お目当ての本は、ジャレド・ダイアモンド著 『銃・病原菌・鉄』。朝日新聞の調査によると、ここ10年で一番良いと評価された本です(新聞記事参照)。目につく場所に置いてあったその本は、上下2冊でかつ分厚く、とても購入できるものではありません。後で図書館で借りることにして、代わりに新書を1冊買いました。

 『自分を守る経済学』徳川家広著 ちくま書房の新書です。帯には、「徳川宗家19代目が説くサバイバル戦略!経済破綻の日はすぐそこに」とあります。読んでみると、将来に対する不安をあおる本ではなく、不安を打ち消す為にも経済・社会について学び、将来に備えて心の準備をしておこうという気持ちになるものでした。この本で学んだことを少しご紹介したいと思います。

 始めの部分では、経済の仕組みを一般向けにわかりやすく説明してくれています。経済関連の用語がたくさん出てきますが、現在の社会の動向を知るために知っておくと良い知識(何故インフレになるのか、金融引き締めとは何かなど)を一度まとめて勉強するのに最適だと思いました。

続いて、経済や金融の観点から見たギリシャ・ローマ時代に遡る世界の歴史について、および日本についても、関が原時代から現代に至るまでの歴史の考察が行われています。お金や労働などを軸に見ているのが面白く、なるほどなるほどと、どんどん読めます。著者の徳川氏は俯瞰的な見方が得意なようで、従来からの歴史認識を改めさせてくれるような新しい見方を示してくれました。


 本の後半で、彼は現代の日本、世界について分析をしているのですが、なかでも私が気に留めたのは以下の2点でした。

◎エネルギーと人々の生活の関係
 徳川氏は、エネルギーと経済の関係について特に着目しています。石炭に続いて登場した石油のエネルギーとしての利用のしやすさが、20世紀に入ってからのアメリカの急速な経済成長を可能にしたと言います。衣食住足りてはじめて人々は幸福になりますが、国民の生活を豊かにするべくさまざまなモノをすごい勢いで生産し、飛躍的な経済成長を遂げたアメリカは、世界の冠たる超大国(政治、軍事、経済ともに)になっていったのです。世界中の人々がアメリカの豊かな生活に憧れ、アメリカは人類史上初めて国民の大多数が豊かになる国を築きました(1950年頃)。

日本もアメリカをモデルとしてモノ作りに励み、1980年頃国民全体が豊かな暮らしを得たと実感できるようになったと、徳川氏は述べています(なな色シスターズの皆さんも実感できるでしょう)。その豊かな暮らしを今、中国やインドを初めとして、アジアの国々が獲得しようと頑張っているわけですね。

 しかし、この豊かさは大量のエネルギーに依存していることを、もっと実感すべきだと徳川氏は示唆します。具体的には、石油。大量の石油を消費して達成される先進国の豊かな暮らしです。しかし、石油は必ず枯渇します。代替エネルギー(風力、原子力など)は、開発コストや管理・維持コストを考えると、石油に比べずっと割高。そのため著者は、近い将来(10年後と言っていましたが)、エネルギー価格が高騰し、世界の人々が今のように自由にガスや電気を使えなくなる日が来ると予測しています。

 彼の主張は、当たり前のことなのに、私も含めて多くの人が、見ようとしていない現実だと思いました。中国やインドがこの勢いで経済成長しているのですから、今のままでいられるわけがない。エネルギーだって、足りなくなるのはわかっています。でも、徳川氏が言うほど早くやってくるなんて。10年後は、正直言って早すぎる!これからもエネルギーの動向をしっかりウォッチして、来るべき時に備えて、心の準備だけはしておかないと、という気になりました。

◎先進国病
 徳川氏は、平成に入ってからの日本の停滞状態を『先進国病』と名づけ、世界中のどこの先進国でも見られる現象であると述べています。先進国病って一体何でしょうか?

①低成長・・・早い話が、衣食住が足りるためのものは全て作ってしまったと言うことです。これから作って売れるものは、技術革新によりさらに豊かになることを極めるモノか、気まぐれな消費者のニーズに合ったものでしかない。大量生産の必要はないため、成長率は低くなる。

②国際化・・・安い賃金を求め、また需要を求めて、企業は海外に進出し、国内でモノを生産することが減る。国際化は日本国内の産業の空洞化につながる。

③情報化・・・人々の労働がコンピューターによって代替される。

この3つの問題ゆえに、国内では就職先が減少。対策のために、労働の規制緩和が行われ、いわゆる派遣労働者の問題が起きました。アメリカでも、日本でも、政治家に雇用の増大が求められていますが、そうそう打つ手はないことがうかがえますね。

④少子高齢化・・・いわずと知れた日本の社会問題です。世界の最先端を行く日本の少子高齢化社会の行く末を見ようと、ドイツから調査チームが来ているそうです。

⑤子どもの学力低下・・・先進国ほど学力は落ちるのだそうです。理由は、商品として提供される刺激的な娯楽が多すぎるため(ゲーム、テレビなど)。学校の勉強は、退屈で、単調そのもので、子ども達には、その退屈さを我慢してまでしなければいけない勉強へのモチベーションがないとの分析でした(就職難で、高学歴が将来の幸福を保障しないことも誘因)。また、携帯電話の普及により、仲間内以外の世界に関心が向かないことも学力低下の原因になっているそうです。

子どもの数が減り、取り巻く多くの大人たちに大事にされ過ぎているというのが、日本の子どもの実態なのでしょう。先進国ほど学力が落ちるという話も、就学前や小学生の子ども達と接している私としては、妙に納得できる気がしました。1才過ぎれば、アンパンマン。4才過ぎれば、男の子は戦隊もの、女の子はテレビのキャラクターに夢中になり、その後はゲームや携帯電話へ。昔から受け継がれてきた絵本のお話は、簡単には受け入れてもらえません。幼い時から刺激的な映像や音楽に慣れてしまった脳には、素朴な絵や語りは色あせて見えるのでしょう。

最後に徳川氏は、今後10年の間に日本がどうなるのかを大胆に予測しています。低成長によって収入が落ち込む一方で、医療保険と年金支出、国債の利子払いと償還のために政府の支出は増加し続け、日本の財政は破綻すると言います。日本は、過去、明治維新時と、第二次大戦後に財政破綻しています。財政破綻については、戦後の日本を想像すればイメージがわくかも知れません。
10年後に日本の財政が破綻するかどうかはわかりませんが、10年後まで今の豊かな生活を維持するのは、難しいでしょう。将来に不安を抱えながら暮らす、私達の心構えって何でしょうか?

今の豊かな日本の暮らしは、たまたまの歴史の巡り会わせで経験できたこととして、その豊かさに感謝しながら暮らすというのはどうでしょうか。失っても当然のモノの豊かさとして。そして、日々の暮らしの中で、その時その時に出会える小さな幸せを大切にしていけたら、素敵だなと思います。

社会学者見田宗介氏が『現代社会の理論-情報化・消費化社会の現在と未来』岩波書店の中で語っている「語られず、意識されるということさえなくても、ただ友だちといっしょに笑うこと、好きな異性といっしょにいること、子供たちの顔を見ること、朝の大気の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと・・・」というフレーズのように、何気ない日常のひとコマだけれども、心が動かされるきらきらした瞬間が、私達の生きる糧なんだなと思って暮らしていけたらいいですね。


世界は進化している?

2009年10月01日 | S.S.
この頃私は、数年前に比べると少しずつ前向き志向になってきているのですが、それに拍車をかけるような本と出会いました。『プロフェッショナル進化論』 田坂広志著 PHP新書 夫が面白いよと教えてくれた著書です。著者田坂氏によると、世界は螺旋状の階段を登っていく形で、進化しているとのこと。何?競争社会が加速化し、こんなに暗い世の中になっているのに!いえいえ、最新のエコノミストたちの発言をチェックしている人達は、新自由主義による過度の競争が限界点を超え、揺り戻しの時代が来ることを知っているはず・・・。これからは、「相互扶助」や「社会貢献」などの競争とは正反対の価値が意味を持ってくるというのです。

  田坂氏は、庶民を大いに励ましてくれています。インターネット(以下ネット)やブログの普及、大容量データの流通(Web2.0革命)により力を得たのは、我々だと言うのです。ネット上では、世界中の誰もが対等な立場にあります。有名人がネット上に文章を書いても、つまらないものはつまらないし、無名の人が書いたものでも、素晴らしいものであればそれはきちんとフェアーに評価されるのです。これは、新しい形態の民主主義なのだそうです。なるほどね。
 そう、新しい形で“草の根活動”ネットワークが作られ、成果をあげてきているのです。卑近な例では、4月に県立図書館の分館への引継ぎに成功したイトーヨーカドー子ども図書館の応援団の活動があげられます。今回の応援団活動で果たしたブログの役割はとても大きかった。それは、見知らぬもの同志だった私たちの活動をつなげる大きな支えとして機能してくれました。情報だけでなく、心の拠り所にもなってくれていたのです。

 田坂氏の論で面白かったのは、知識はネットからいくらでも取り出せるので、知識の蓄積は意味がなくなり(博識は価値がない?!)、むしろ知識を活用する“知恵”や、人々の気持ちを汲める“感性”、それを表現した“アート(芸術)”が重要になるという視点でした。ネットで取り出せない“人にしかできないこと”こそが大事になるというのです。機械にはできない“人にしかできないこと”って何でしょうか。。。考えさせられますね。
 それは、ともに生きていく上での思いやり、優しさかなと私はとらえました。世界中の人達から支持を受ける価値は、義理もコネも関係ない「人として真っ当なもの」であるはず。そして、ヒューマニスティックなものであるはず。田坂氏が言うように、「相互扶助」や「社会貢献」が重要になってくるというのもうなづけます。

 私自身は、田坂氏が言うほどの壮大な気構えはありませんし、実感もありませんが、この新しい情報ツールには随分助けられています。ネットやメール、そしてブログがなければ、出会えなかった人達がいますし、育み続けて来れなかった人間関係や活動があります。もしかしたら、この『なな色メール』も、ネットの時代だからこそ、こうやって続けることができたのかもしれません。地方都市に住む一介の主婦でも、世界への窓が開かれていて、それをいつでも実感することが出来る現実というのは、庶民にとっては「社会の進化」なのかもしれませんね。


ビバ!ボランティア

2008年12月01日 | S.S.
 9月末に息子が小学校から1枚のお便りをもらってきました。小学校の授業で行う英語活動のアシスタントボランティア募集。これを見て、心の中で「やった~!」と思った私。実はかなり前から『小学校英語』に興味があったのです。1年半前、東京渋谷区に住む友人から、お子さんが小学校4・5・6年生の3年間、週1回のペースで英語の授業を受けた体験談を聞き、公立小学校で行う英語活動の意味を確信するようになりました。友人はアメリカ留学の経験がある英語が堪能な人ですが、その彼女が「小学生の頃ってびっくりする程吸収力があるから、どんどん覚えていくの。3年間で簡単なインタビューができるくらい話せるようになったし、単語も1000語くらい入ったかな。遊びの感覚で楽しんでやってるから、自然に覚えるのね。使っていたカリキュラムがとてもよかった。」と言っていました。中学に入るまでに簡単な会話ができる力をつければ、その後の英語がずっと楽しくなると思うのです。日本人の英語コンプレックスを公立小学校が少し頑張るだけで跳ね返せるかも知れない!わざわざ英語塾に通わなくても、学校で教えてもらえれば、家庭の格差なくどの子も平等に英語の力をつけることができるはずです。

 渋谷区の友人の話を受け、昨年11月に同窓会の秋田支部で、渋谷区での英語教育のカリキュラム(渋プロと言われています)を作った先生に来秋していただき、研修会を行いました。その先生から、「小学校英語で大事なのは、楽しみながら行うこと。ゲームや歌、絵本の読み聞かせなどが活動の中心です。小学生に中学生のような読む・書く中心の勉強英語を行ってはいけません。小学生には小学生に合った英語との接し方があるんです。」と教えられ、現在中学校以降に行われている日本の英語教育にはなかった『小学校英語』のあり方を学びました。シュタイナーの発達の考え方とも重なるように思える話でした。

 関心はあったものの、小学校の教員免許を持たない私に実践は無理、と諦めていたところのボランティア募集の話。取るものも取りあえず申し込みしました。その後、話はとんとんと進み、11月11日に実際にボランティアとして英語活動に参加する機会を得たのです。対象は、息子のいる6年生。1日に3クラス3時間もお手伝いするハードなボランティアでした。その感想は?・・・理想と現実はかなり違うものでした。渋谷区で行われていたような理想的なカリキュラムにのっとって授業が進められたわけではなく、手伝うだけの私が教室に入ったら教壇の前に立って先生役をさせられたり、英語の知識がない小学生には到底無理と思われる複雑な英語表現をさせていたりと、ちぐはぐなところも多く、学校側も手探りで始めた状態であることが理解できました。当日は少々失望しましたが、小学校英語はまだまだこれから、軌道に乗るまでは数年以上かかると、夢を大事にしながらお付き合いしていこうと思っています。

 私が関わっているもうひとつのボランティアは、小学校の読み聞かせ活動です。集まりの名前は風の強い街にちなんで「風の丘読書会」。年を重ねるごとに参加者の横のつながりが深まり、この秋から絵本の勉強会も始まります。今まで学校を超えたところでの勉強会には参加してきたのですが、風の丘読書会としての勉強会は、発足以来初めて。読書会には小学生の保護者が参加するほか、回覧板を通して募集した地域の方も参加していらっしゃいます。また、イオン内のスターバックスの店員さん達もお手伝いを申し出て下さり、出勤前の忙しい時間に小学校へ足を運んで下さっています。地域の方々の応援を嬉しく思います。毎月1回水曜日の朝8時20分から20分間だけのボランティア。読む本は読み手の自由。私は今年度1年生と6年生を担当しています。

 何を読んでも目を輝かせ、夢中で聞いてくれる1年生と違い、6年生の読み聞かせは難航するばかり。思春期と言う年齢のせいもありますが、学校という制度の中で、わくわくする気持ちをいつのまにか押し潰されてしまった6年生の子供たち。読み聞かせの時間が来ても、だらだらとめんどくさそうに部屋に入って来ます。彼らが1年生だった時に見せてくれた期待にふくらんだ眼差し、はじける笑い声や感動して流した涙はどこへ行ってしまったのだろう?好奇心いっぱいだった姿がまぶたに残っているだけに、今の彼らを見ると胸が詰まる私。でもめげずに彼らの心に届く話はないか、楽しんでもらえる本はないかと、勉強会に通って情報を仕入れ、自分でも本屋や図書館で本を探しては学校へと向かいます。しらけた目で見ている6年生ですが、心に響くものを与えられれば、表情は一変して真剣に。とても集中して聞いてくれるので、それが面白くもあり、はずれた時には恐くもあります。私や仲間が読んだものの中で反応が良かった本には『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)『どんぐりと山猫』(宮沢賢治)『ぜつぼうのだくてん』(原田宗典)などがあります。ちょっと面白いだけの子供だましの本は通用せず、ことばの美しい内容に深みがある本が人気でした。案外本物志向なんだなと感心しています。

 ビバ・ボランティア!!自分の好きなことを提供できる場があるのは楽しいですね。今回のなな色メールに添付した本田由紀氏の記事の中に「行政は家庭教育の重要性を強調するが、それはおかしい。公立の初中等教育できめ細かい指導により知識やスキルの習得を均質に保証すること、学校の内外で芸術やスポーツなど多様な活動を安価に提供することが望まれる。」とありましたが、彼女の考え方に共感しています。学校教育をさらに充実させること、また放課後の芸術・スポーツなどの習い事活動を誰でも関われるような敷居の低いものにしていくことは、格差が広がっている今の社会において、すぐに実践していきたい事柄です。そのために、学校教育や習い事活動へ、地域の人材の力をもっと活用できないかと考えています。学校教育への人材の活用は、私が関わる活動も(恥ずかしながら)ひとつの例にあげられるかなと思っています。また芸術やスポーツに関しても、ボランティアで教えてくれる地域の人がいれば、かなり安く子供にお稽古事を習わせることができるでき、親は助かりますね。
 
 しかし、ボランティアはお金になりません。生きがいにはつながりますが、収入はゼロです。そこで、さらにもうひとつ踏み込んで考え(大風呂敷を広げた話ですが)、自分の好きなこと、得意なことを人に提供するという活動を、地域通貨という形で流通できる社会ができたら面白いのではないかなと思っています。大人が読み聞かせを行って貯めた通貨で、子どもにジャズダンスや太極拳を習わせる。ジャズダンスや太極拳の先生は、教えたことで貯めた地域通貨で、ちゃぶ台ホテルのような癒しの場でゆっくりスローフードをいただく。ちゃぶ台ホテルのオーナーは、貯めた通貨をまた他に使う・・・といった具合です。ボランティアが与えるだけの一方向のものではなく、地域通貨という媒体を介して社会の中で次々に循環することで、自分にも何かが戻ってくるようになれば、ボランティアの価値も変わってくるかと思いますが、いかがでしょうか。たくさん現金収入を得なくても、住民の工夫次第で豊かに暮らせる方法があるのではないかと(夢のような話ですが)思っています。

 今までここの街は、中心地から遠く孤立していて不便と言われてきましたが、最近この地域が、教会を中心に小さなコミュニティーを作っているヨーロッパの街のように思えてきて、ちょっと不思議です。小学校でのボランティア活動を通して、街のあちこちに知り合いが増えてきたからでしょうか。丘のまわりをゆっくり散歩しながら、この地域との関わりをこれからも大切にしていきたいと考えているこの頃です。


Global Perspective 21

2008年06月01日 | S.S.
 英語の力を伸ばすことができ、かつやりがいのある仕事・・が大学卒業時の就職先の希望。何とか見つけた外資系の船会社は小さいながらとても人気があり、入社試験の結果は補欠。やむなく親に勧められて受けた某信託銀行から内定をもらい入社することになった。

 配属された先は国際部。「島」と呼ばれる10人ほどの社員が向かい合わせに机を並べたグループが、同じフロアーに10個程度ある大きな部だった。私の島は調査班。融資を行う国々や金融機関などの信用調査を行う部門だ。「カントリーリスク調査?そんな責任が重い仕事をやっているところなの。すごいじゃない。いつか私もレポートが書けるのかなぁ。」と思って喜んだのは最初だけ。同じ島に女性は私と先輩のふたりしかいない。男の人達は朝からゆったりとタバコを吸いながら、国内だけでなく世界の新聞を読んでいる。昼頃まで新聞読みをした後、レポートを書く人、ふらーっとどこかに出かけて夕方まで帰ってこない人などまちまちだ。女性の仕事は、男の人達が印をつけた記事を切り抜き、台紙に貼りファイルすること。この量が半端ではない。1日中新聞の切り貼りに追われる日々が始まった。

 2、3ヶ月もすると私にも男性同様のレポート作成の課題が出されるようになる。「大卒なんだから雑用以外の仕事もしてもらわないとね。」「そんなぁ。新聞の切り貼りに追われてるのにいつ勉強してどうやって書けって言うの。大体私は経済は素人なんだから。」と心の中で文句を言いながらも、上司には従わざるをえない。国の信用調査をまとめる仕事が始まった。大きなファイルを家に持ち帰り、レポートは家で書くしかなかった。1日中雑用で走り回り、帰宅後さらに家で仕事をするのは大変で、やりがいがある仕事?との両立に毎日くたくたになった。

 しかし、じきにカントリーリスク調査のレポートなどあまり意味がないことがわかってくる。海外への融資額はあるルールのもとに暗黙のうちに決められていたのだ。国内の銀行には資金量を基準にした序列があり、その序列に従って融資額は他律的に決まってしまう。取り仕切るのは(当時の)大蔵省。えっ、何で大事な会社のお金を大蔵省の言うままに危ないところにも貸し出さないといけないの?殿様の言うことには全て従い、格に応じた働きをしないといけないっていうんじゃまるで武士の社会・・・江戸時代から進化してないじゃない!日本という国がいかに可笑しいかを目の当たりにしたのはこの時が初めてだった。

 国際部なんて名ばかりで、気にしているのはお上の顔色と国内の同業他行の動き。それでも高度成長末期の80年代。アメリカで日本車の輸出が増えすぎ、労働組合で日本車排斥運動が起きるほど日本が栄華を誇った時代。日本の銀行は儲かっていた。メーカーが一生懸命ものを作り、輸出し、Japan as Number1と言われるまでになった時代の恩恵を、金融機関が一番受けていたと思う。だから、南米や東欧の債務不履行を繰り返す危ない国々にも、外交上の理由からかどんどん融資を行い、それらが焦げ付いても銀行の経営が危機に陥ることはなかった。

 さて話をタイトルに戻すと、この横文字は会社の直属の上司が仲間と作っていた勉強会の名前である。会社に入って一番有り難かったのはこのグループに関われたことだろうか。勉強会を組織していたのは、Nセンターというシンクタンクへの出向者OB。当時(今もかも知れないが)Nセンターでは金融機関だけでなく、商社、メーカーから出向してきた若手社員が1,2年間日本経済の研究を行っていた。研究を論文にまとめた後、たいがいの人はさらに海外の研究機関(英語圏だけでなくヨーロッパ各国)へ留学する。ゆえに出向者達は、数年間自らの会社を離れ、国内外のエコノミスト(の卵?)達と関わる経験を持っていた。私が所属していた班は、Nセンターに出向している若手社員や、出向・留学から戻ってきたセンターOBが上司として働いている部門だった。

 私は名簿管理・書類発送などの事務の仕事をするため、アシスタント兼でこの会に関わることになった。年齢はひとり若く経歴も違うので肩身が狭かったが、勉強会の内容は刺激的だった。基本のスタイルは、講師の話を聞きその後活発にディスカッションをするというもの。その講師がバラエティーに富んでいた。印象に残っているのは、カンボジア難民の支援ボランティア(JVC)を行っている人、青年海外協力隊でアフリカで活躍してきた人、ユネスコアジア文化センターで絵本を編集している人などいわゆる草の根の活動をしている人達の話。日経センター出向者OBは、どの会社においても選ばれた人達である。そのエリート達が、先進国だけでなく貧しい途上国の人々の話も分け隔てなく熱心に聞いていたこと、かつ現地に入り込んで活躍してきた人達の生の声をしっかり受け止めていたことは、とても新鮮に感じられた。世界に目を向けるとはこういうことだと素晴らしいモデルを示してもらったと思っている。

 地球人という感覚で世界を見ることができた彼らは、当時何を見ていたのだろうか。日本が、豊かな経済大国になり国際社会でも相応の責任とそして発言権を持てる時代になったあの頃、実は一向に目をグローバルな世界に向けていないことを危惧していただろうか。勉強会に参加していた人達によく言われたのは、アメリカの姿は10年後の日本の姿だということ。ヨーロッパは保守的で沈滞しているように見えるが、過去に蓄積してきた素晴らしい文化を持っており、その存在は大きく、簡単には追いつけないこと。日本にはアジアの国々との関わりが大事であることなどなど・・。

あの頃アメリカの銀行はバタバタと倒産していた。当時銀行が倒産するなんて信じられなかったが、10年もしたら国内でも山一證券を初めとして一流金融機関が倒産する時代が来た。言われたことが現実化し、私は心底恐いと思っている。今のアメリカの姿を皆さんどう思われるだろうか。レーガン大統領時代から始まった「小さな政府」による競争社会の激化。9.11以降のテロとの戦いの名目のもとに進められている軍事大国化と社会保障(セーフティーネット)の切り捨て。医療保険が支払えず、救急診療も受けられないで困っている人々の姿を明日の日本に見ることは、とても辛い。

ガソリンの急騰を始め、ものの値上がりをきっかけに誰もが世界がひとつであることを実感せざるを得ない時代になった今、私達がGlobal Perspective(地球的な視野)を持って行うべきことは何だろうか。まずは・・・世界で起きていることを自分達なりに少しずつ学び、私達の生活とのつながりを考えてみませんか。学んだこと感じたことを、家族と、そして仲間と話し合う努力をしてみませんか。


世界へひらかれた窓

2008年03月01日 | S.S.
昭和ひとけた生まれの父は、女の子は4年生の大学まで行かなくてもよいと私の大学受験には難色を示した。しかし納得がいく高校受験ができなかった私には、大学受験が人生の挽回のチャンスに思えた。入学することになる国際関係学科は、「これからは同じ英語を勉強するにしても、こういう学科がいいんじゃないかしら?」と、小6から習っていた個人の英語塾の先生が探してくれたところ。尊敬する先生のことばに素直に従った私。学費が国立大学年間14万円だった時代に、私立でありながら年間16万円しかかからない大学であったこと。学費と交通費以外一切援助しないことを条件に、何とか入学を許可してもらった。

社会科学中心の大学の授業は、思想的に白紙に近かった私達にとって、社会批判思想の“洗脳”?と思えるほどインパクトが強かった。技術革新によりオートメーション化された工場が人間性の疎外を生むという考え方に初めて出会ったのは『コンビナートの労働と社会』中岡哲郎という本。これを皮切りに「西欧近代化の弊害」「女性差別」「人種差別」「第三世界の人々の貧困」「先進国による途上国の搾取」「少数民族問題」・・・と社会の矛盾を突き、あるべき理想の社会の姿を追求する授業を次々と受けることになる。「差別を受けている人々・貧しい人々が置かれている状況を理解し、皆が心豊かに暮らせる社会を希求する」というテーマは、先生達の間に共通する価値観だった。
始めのうちは何かの記号の羅列にしか思えないほど抽象的でわかりづらかった講義。けれどそれぞれの先生のスタイルに慣れるうち、少しずつ言わんとすることを類推することができるようになる。理解できる部分が増えてきたら、その内容には心が動かされた。そうだそうだ。物質的に恵まれることに重きを置く社会を築いてきた西欧近代化には大きな矛盾がひそんでいるのだ。科学技術の発展は、便利さとは裏腹に昔からの素朴で温かい生活を切り刻んでしまう恐れがある。先進国の人々は早く近代化を遂げたというそれだけの理由で途上国の人々を搾取して良いわけがない。それがまかり通っている世界の不条理・・・。いじめを受けた経験がある私にとって、大学で教えられたヒューマニスティック(人類愛的)な思想はすとんと胸の中におち、今でも思考の芯になっている。

国際関係学は学際的な学問だ。学際的interdisciplinaryとは、多くの分野にまたがったという意味。雲を掴むような対象をどうやって捉えていくのか。私が学んだ大雑把な理解は・・・整理するためにふたつの軸を使うというもの。ひとつは方法論でもうひとつは地域研究。方法論には、宗教学、法学・政治学、社会学、社会心理学そして心理学などがある。地域研究は、国または地域の分析と捉えればわかり易い。3年生までにいくつかの方法論と地域研究を学び、4年時に関心のある特定の地域について自ら選んだ方法論で分析するのが卒論作成の理想となっていた。が、4年間では広く浅く関わったに過ぎないというのが実態だろう。

地域研究の授業は具体的でとっつき易かった。好きだった地域はだんぜんアジア、それも東南アジアだ。理由は単純。ヨーロッパの列強に植民地化された辛い歴史を持つ国々であること。農業国で、生活のリズムがゆったりしていること。人々の性格が温和で優しく受容的なこと。潤いのあるエキゾチックな文化にも惹かれていた。ベトナム、タイ(この国だけは緩衝国として植民地化を免れた)、インドネシア、マレーシア、ビルマ(現ミャンマー)etc。高温多湿で雨季があるモンスーン気候の国々。そこにはどんな風景が広がり人々はどんな暮らしをしているのか。何を食べ何を着そしてどんな家に住んでいるのか。ことばは?音楽は?

東南アジアに近くなりたくて、暮らしを描いた本を探して読んだり、映画を見たり、留学生との交流会に行ってみたりした。インドネシアの民族芸能ワヤン(影絵)の幻想的で美しかったこと、日本人学生が行ってくれたケチャック踊りのチャクチャクチャクという耳に残る独特の響き・・・あの時の東南アジアへの憧憬は今も心の奥に残る。
オーストラリアに興味を持ったのは、担当をしていたオーストラリア人の先生が素朴で素敵だったから。授業の内容もわかりやすかった。アボリジニーという先住民の存在、連邦宗主国イギリスとの複雑な関係、そして鉱物資源が豊かながら人口が少な過ぎて国としての存立基盤が弱いなどの課題を抱えた国。しかし、この大陸にしか生息しない貴重な動植物が生きている稀有な国でもある。

「Sちゃんは何故ホームステイに行かないの?」そんな質問をされ、長期休暇ごとに英語圏の国に1ヶ月もホームステイする学生が結構いることに気づいたのは4年生になった頃だろうか。普段は週2回の家庭教師、長期休暇には倉庫などで単純作業のアルバイトをするのが常だった私に、国際関係学科に在籍していても自ら海外に行くという発想はなかった。当時1ヶ月のホームステイで100万円はかかったと思う。それだけの資金を親にぽんと援助してもらえる人達が大学には来ているんだな、と思ったら仲良くしてきた友人達が少し遠い存在に見えた。

私が初めて海外旅行に行ったのは、銀行に就職した年の暮れ。私と同じように大学時代にホームステイに行かなかった仲間の友人に誘われた「タイ7日間16万円バスの旅」。お年寄りのご夫婦が多い団体旅行だったが、初めて行った海外。それも憧れの地南国タイ!微笑みの国のキャッチフレーズ通り人々は優しく物腰はソフトだった。屋台で食べた香菜入り汁ビーフンの美味しかったこと、奥地チェンマイの寺院で聞いた風にゆれる軒下飾りのカラカラカラという音色の綺麗だったこと。16万円でも十二分に満足できた。

井門富士夫先生という大好きな先生がいた。フルブライトでアメリカに留学したという先生はいつもかっこつけて外国人のように机に腰掛けて授業をする。話の内容も抽象的だ。その先生が、小難しい授業の合間にしみじみ言った。「君達はいつか結婚し、団地の狭い白い箱に住むことになるかも知れない。でも忘れるなよ。どんなに小さな窓であっても、それは世界に向って広がっている窓であることを。その小さな窓からでも世界が見れる人間になるため、君達は勉強しているんだぜ。」聞いた当初はショックだった。そうか。結婚とは人生の墓場だ。自由を奪われ我々は狭い四角い箱に閉じ込められるのだ。自由の身を謳歌していたあの頃、来るべき将来の生活に漠然とした不安を感じながら窓の話は私の頭に残った。

大学の先生達はいくつになっても理想の社会を語る象牙の塔の住人。いつまでも志は青く若いまま。でも学生の多くは社会に出て世間の荒波にもまれる。矛盾だらけの世界の中で、酸いも辛いもわかる大人になる。どんなに理想を掲げても、理想だけでは生きていけない。結婚だってしていくだろうし、子どもだって産む。生活に追われ気持ちの余裕もなくなるだろう。小さな女子大で卒業生を何人も出してきた先生には、私達の将来の姿が見えていたのだろう。今は澄んだ目で先生を見つめ一生懸命授業を聞いていても、いつか教えられたことを忘れていく日が来ることを。そして自分の生活しか見えずどんどん視野が狭くなっていくことも。年を経るごとに井門先生が窓の話をして下さったことに感謝の念を覚える。あの時ともに授業を聞いていた仲間のうち、この話を覚えている人は何人いるだろうか。