なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

なな色メール No.20 May

2012年05月02日 | なな色シスターズ




クリックすると大きくなります。

実は前号より『通販生活』の原発問題特集(連載)の記事をコピー添付して参考資料として学んでいました。

ただの通信販売カタログではありません。世界的に援助の必要な国への募金を呼びかけたり、記事も内容が濃く、読み応えタップリです。

2012年は変化の年

2012年05月01日 | くどうせいこ
「誕生数秘学」のはづきこうえい氏の占いによると、2012年は政治、経済から私たちの生活まで、あらゆる方面でさらなる変化の波が待ち受ける「激動の1年」となりそうだとのこと。自分にとってはまさに変化の年になっています。

2月、義父が2度目の脳梗塞で入院し寝たきりになってしまいました。3月、娘と息子の卒業、就職、旅立ち、進学がありました。仕事面では苦渋の決断をせまられた上司がストレスから来る体調不良で緊急入院などとなってしまいました。その影響で、私は春休み、朝7時からの勤務が続き責任も重くなりました。さすがの私も体調を崩し中耳炎になってしまい、医者通いとなりました。

とにかく、無我夢中で目の前にあることをこなしてきて、今ようやく一息ついているところです。ここまで変化が重なるとは思ってもいませんでした。皆さんも大なり小なり変化があったと思います。

はづき氏によるともう「今までどおり」は通用しないと覚悟し、変化に抵抗しないことが今年の運勢の波をとらえる秘訣と言っています。そして、自分に正直に素直に、あなた自身が「ありのままの自分」を生かして、より自分らしく生きることで、必要なご縁やチャンスが自然と巡ってくるようになるでしょうと結んでいます。

忙しい日々の中、浜田省吾の震災復興支援コンサートの情報が入ってきました。これはチャンスと思い、娘と2人で6月2日(土)さいたまスーパーアリーナのライブに行ってきます。どんなライブになるのか楽しみです。今からわくわくしています。

遺言書を書く年齢になりました

2012年05月01日 | いしかわようこ
69歳。私の人生サイクルはシュタイナーの七年周期ではなく、九年ごとにやってきます。ことしはその変わり目の年です。 どんな変化がやってくるのでしょうか。自分なりに心の準備をしているところです。
 先ずずっと気になっていた遺言書をしたためました。(簡単な手書き書面です)人生90年とも言われる長寿高齢社会になりましたが、私は体があまり丈夫な方ではなく、呼吸困難に陥って何度も死にかけていますので、残りは短いといつも感じてきました。それに独り身ゆえ、まわりに迷惑をかけないように、最期を迎えたいとも思ってきたからです。(呼吸困難は腰曲がりという体型から来る横隔膜圧迫が原因)
 これからやってくる介護のこと、延命治療のこと葬儀や遺産相続のことなど私の希望があります。正月休み、近くに住む兄と甥には直接来てもらってその旨を伝え、世話を依頼しました。大阪に居る弟には電話で伝えました。三人とも快く了解して下さり、安心しているところです。

 遺言書を書くことは精神的にとてもいい作業となります。まだ人生、これからが本番という若い皆さん(なな色シスターズの他のメンバーのこと)には少し早いかもしれませんが、60代に入りましたら是非なさってみて下さい。何がいいかと言うと、人生の味わいがぐんと濃くなります。まるで濃縮ジュースかスープを飲むような心の充実感を感じます。

① 感謝の気持ちでいっぱいになります。自分の来し方(こしかた)を振り返りますと、どれだけたくさんたくさんの方々に世話になり支えられてきたかわかります。その中でも特別に助けていただいた大切な人が浮かび上がってきます。そういう人に心の中で手を合わせてこう申し上げることが出来ます。「本当にお世話になりました。あなたと出会えた私の人生は幸せでした。心からお礼申し上げます。」と。

② お詫びの気持ちでいっぱいになります。自分の至らなさゆえに不快感な思いをさせた方々、傷つけたであろう方々に頭を下げてお詫びの念を送ります。「Oな思いをさせて本当に申し訳ありませんでした。未熟だった私を許してください」(信仰者としては神への感謝とお詫びが筆頭にくるのは申し上げるまでもありません)


③ 人生の残り時間で自分が一番したいこと、大切にしたいことがわかってきます。「余命一年」と告知された人のように物事の優先順位がはっきりしてきます。本当にしたいこと、やるべきことの的が絞られてくるのです。またしたくても能力的に無理なことは潔くあきらめることもでき、気持ちがすっきり整理されてきます。

私の人生の中で「なな色メール」の皆さんはシュタイナーのいう「ソウルメイト」のような存在でした。あたたかい友情を寄せていただきました。皆さんから発信された知的情報にどれだけ刺激され、啓発されたか知れません。「人の幸せは心と心の通じ合いにある」と言われますが、本当にたくさんの幸せをいただきました。ありがとうございました。(何だかお別れの手紙のようですね。いつか生前葬をしたいと思っています。)

第一回目の遺言書を綴って、今は次のような思いで暮しを紡いでおります。
① 神への祈りと愛を献げたい。(一日を貫く課題、集中的には朝夕)
② 庭仕事を愉しみたい。(草花や樹木の世話、自然と共に暮らしたい)
③ 食事はじめ日常の生活をていねいに美しく調えていきたい。
④ 縁ある方々とのつながりを深めていきたい。
⑤ 地球も宇宙もすべて一つにツナガッテイルトイウワンネスの理念を深めていきたい。(具体的には自分の言動が「和・輪・環」のタネまきでありますように。)
外面的には何の社会貢献もない生活です。あるいは独りよがりで独善的なところもありますが、私はこういう向き、タイプのようです。宮沢賢治のいう「デクノボー」の生きかたが好きです。   「そういう者になりたい」  (雨ニモマケズの最終句)

何年かのち、私のささやかな家族葬が終わって、兄弟や身内の者たちが会食しながら私のうわさをすることでしょう。
「あいつはホントに変わり者だったなぁ。おいしい外食もせず、庭から採ってきたタンポポの葉っぱで喜んでいる奴だったから・・・。」
骨箱に入っている私はクシャミをしてカタコト音をたてるかもしれません。

いしかわようこ


ブータンについての記事(なな色メール発行前に個人的に書いたものもご覧下さい。)

頑張れ 鶴竜!

2012年05月01日 | さとうえりこ



相撲には余り関心がなく、と言うよりスポーツ全般に関心がなく、新聞は飛ばして読んでいた。テレビのニュースは見たくなくても流れて来るので時々は情報として見ていた。私にとって相撲はそんな程度だった。

春場所の相撲結果が放送されていたのを偶然見た時の事だった。今まで聞いたことのない(私が知らないだけかも知れないが)鶴竜という力士が横綱白鵬を倒したのだ。小さな体で横綱を倒した取り組みは当然大きく報道される。こういう小さな力士が大きく強い力士を倒すのには大いに声援を送りたい。俄然鶴竜なる力士が気になりだした。

相撲は豪風の勝敗を気にするぐらいだった。それも利用者のおじいちゃんたちとのコミュニケーションのために知るだけで気合が入っている訳ではない。そんな私であったが彼の昇進が伝えられ、その伝達式にも関心を持った。これまでの力士たちは四字熟語の難しい言葉で抱負を述べていたのだが、彼はとてもシンプルに「お客様に喜んでもらえるような相撲を取りたい」と決意表明したのだ。ここ最近はスキャンダルだらけでスポーツ記事よりゴシップ記事の方が多かった相撲界。私の関心など全くなかった。しかし偶然知った鶴竜の大金星から彼に魅かれるようになった。

以下は産経新聞の記事(平成24年3月27日)である。

春場所で13勝を挙げ、大関に昇進する関脇鶴竜が千秋楽から一夜明けた26日、「部屋の関係者とか、みんなに喜んでもらいたかったので良かった。稽古に励み、お客さんに喜んでもらえる相撲を取りたい」と、喜びと抱負を語った。
 
モンゴル出身の朴訥(ぼくとつ)な男は、秘めた熱意で道を切り開いてきた。白鵬や日馬富士の父がモンゴル相撲の名力士だったのと違い、鶴竜の父は理系の大学教授という異色さ。「スポーツしているのが好きだったし、親も喜んでいた」。バスケットボールに励む少年は旭鷲山らの活躍をテレビで見て大相撲に憧れた。
 
現地で行われた相撲部屋の入門テストを受けたが不合格。諦めきれず、思いを父の同僚に日本語に訳してもらい手紙にした。「受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の気持ちにこたえるべく、一生懸命がんばりたい」。相撲雑誌の広告の住所に出したところ、人づてに井筒親方(元関脇逆鉾)に話が届き入門が決まった。16歳の秋。初めて少年を見た親方は「床山さんが入門してきた」と思った。体重は70キロに満たなかった。それでも兄弟子の元十両鶴ノ富士、福薗洋一郎さんは「運動神経も頭も良く、強くなると感じた」。まわしの切り方は1回で覚え、日本語も1年ほどで会話できるまでに上達した。
 
苦労したのは2年目。三段目で結果が出ず、帰国してしまうのではと親方は心配したが、魚を食べられるようになって体重が増え、番付も上がった。「勝負に対するプライドは高い」と親方。稽古相手が多い部屋ではないが、課題を整理し休まず鍛錬を重ねた。土俵外でも、初代若乃花などの映像を見て研究し、他競技のトレーニングや栄養補給法からも向上のヒントを得ようとしている。鶴竜は「覚悟して来たから、きついとは思わなかった」と言う。11年前に手紙に込めた気持ちのまま、26歳はストイックに大関の座をつかんだ

このような記事を読むと、より深く彼の努力がわかり、ごひいきの力士として応援したくなる。
自分の気持ちに正直に行動し、地味に、コツコツと、粘り強く、などという表現が彼には合っているだろうか。
「相撲をやりたい」その一心で日本にやってきた彼の努力を大いに見習いたいと思う。

よっしゃ、ここはひとつ、佐藤部屋はちゃんこ鍋を食べることから始めるか。  

さとうえりこ            

いますぐ原発の廃止を ~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~  

2012年05月01日 | いしかわようこ

いますぐ原発の廃止を  ~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~ 日本カトリック司教団

日本に住むすべての皆様へ

東日本大震災によって引き起こされた福島第1原発の事故により、海や大地が放射能に汚染され、多くの人々の生活が奪われてしまいました。現在でも、福島第1原発近隣の地域から10万人近くの住民が避難し、多くの人々が不安におびえた生活を余儀なくされています。
 
原子力発電の是非について、わたしたち日本カトリック司教団は『いのちへのまなざし―21世紀への司教団メッセージ―』のなかで次のように述べました。

「(核エネルギーの開発は)人類にこれまでにないエネルギーを提供することになりましたが、一瞬のうちに多くの人々のいのちを奪った広島や長崎に投下された原子爆弾やチェルノブイリの事故、さらに多くの人々のいのちを危険にさらし生活を著しく脅かした東海村の臨界事故にみられるように、後世の人々にも重い被害を与えてしまうことになるのです。その有効利用については、人間の限界をわきまえた英知と、細心の上に細心の注意を重ねる努力が必要でしょう。しかし、悲劇的な結果を招かないために、安全な代替エネルギーを開発していくよう希望します。」

このメッセージにある「悲劇的な結果」はまさに福島第1原発事故によってもたらされてしまいました。この原発事故で「安全神話」はもろくも崩れ去りました。この「安全神話」は科学技術を過信し、「人間の限界をわきまえる英知」を持たなかったゆえに作りだされたものでした。
 
わたしたちカトリック司教団は『いのちへのまなざし』で、いますぐに原発を廃止することまでは呼びかけることができませんでした。しかし福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして、そのことを反省し、日本にあるすべての原発をいますぐに廃止することを呼びかけたいと思います。

いますぐに原発を廃止することに対して、エネルギー不足を心配する声があります。また、CO2削減の課題などもあります。しかし、なによりまず、わたしたち人間には神の被造物であるすべてのいのち、自然を守り、子孫により安全で安心できる環境をわたす責任があります。利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊いいのち、美しい自然を守るために原発の廃止をいますぐ決断しなければなりません。

新たな地震や津波による災害が予測されるなか、日本国内に54基あるすべての原発が今回のような甚大な事故を起こす危険をはらんでいます。自然災害に伴う人災を出来る限り最小限にくい止めるためには原発の廃止は必至です。
 
原発はこれまで「平和利用」の名のもとにエネルギーを社会に供給してきましたが、その一方でプルトニウムをはじめとする放射性廃棄物を多量に排出してきました。わたしたちはこれらの危険な廃棄物の保管責任を後の世代に半永久的に負わせることになります。これは倫理的な問題として考えなければなりません。
 
これまで、国策によって原発が推し進められてきました。その結果、自然エネルギーの開発、普及が遅れてしまいました。CO2削減のためにも、自然エネルギーの開発と推進を最優先する国策に変えていくようにわたしたちは訴えます。また、原発は廃炉にするまで長い年月と多くの労働が必要になります。廃炉と放射性廃棄物の処理には細心には細心の注意を払っていかなければならないでしょう。
 
確かに、現代の生活には電気エネルギーを欠かすことはできません。しかし大切なことは、電気エネルギーに過度に依存した生活を改め、わたしたちの生活全般の在り方を転換していくことなのです。
 
日本には自然と共生してきた文化と知恵と伝統があり、神道や仏教などの諸宗教にもその精神があります。キリスト教にも清貧という精神があります。そして、わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり「単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲」などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。わたしたちは、たとえば節電に努める場合も、この福音的精神に基づく単純質素な生活様式を選び直すべきです。またその精神を基にした科学技術の発展、進歩を望みます。それが原発のない安心で安全な生活につながるでしょう。


2011年11月8日 仙台にて  日本カトリック司教団

紹介者:いしかわようこ

こころに花を咲かせましょう①

2012年05月01日 | ともこ
春到来、花盛りですね。私はチューリップが特に大好きです。チューリップの花言葉は“天真爛漫”です。三人の騎士の思いを断りきれず悲話に終わった天真爛漫な少女の物語が由来です。そんな女性といえば『メリーに首ったけ』のキャメロン・ディアス演じるメリー。聡明で軽やかで純真、天真爛漫な愛されキャラです。メリーの素敵さに出会った男性たちは冷静さをなくし皆ストーカーになっていくのですが、モテモテのメリーが選んだ人は彼女に自分の思いを押し付けるのではなく、ただ彼女の本当の幸福を望んで身を引こうとしたかつてのクラスメイト(主人公)でした。

私は家族に対しては相手が嫌がることでも「私が正しい!」とばかりに押し付けてしまい、結局理解されず不和が生じ、嫌がられるだけになってしまっています。愛情を上手く伝えられないのです。仕事では頑張っているのですが。“相手のペースに合わせてニードを満たす”“他者を観察、洞察し何が必要か、どうやって提供するか考えて実践、反省、再度計画する”が看護の仕事です。今は高齢者が相手なので安心して過ごせるようゆったり対応しています。でも、家(オフ)では、地の我がままな性分と胆汁質な気質が全面的に出てしまい猪突猛進的お母ちゃん。職場での反動?やるべきことに対して時間がないせいもあると思います。

シュタイナーでいうところの9歳の危機真っ只中の長男と思春期の長女、段々反抗もストレートでなくなり難しくなってきました。子供が求めている形で表せるといいようです。時間の共有・形あるものでの表現・話を聞く、認めてもらう、大人の悩みも話して欲しい、など。要求を全てきくというのではなく、本当のニードを探る必要があります。子供のタイプ、年齢や発達段階にもよって、変わってくるとか、以前読んだ本にありました。
我が家の場合、二年前長男が9歳になる前に私がパート勤務から変わって仕事時間が多くなり、夕方お母さんがいない家にいるという状態になりました。寂しい気持ちは反抗的な態度、激しいスキンシップになってぶつかってきます。彼も胆汁質!

そういえば彼は昨年学校の放射能に関係した絵本の感想紹介で『わすれないで-第五福竜丸ものがたり』を選んでいました。ストーリーの細かい説明は今も覚えていましたが、乗組員で唯一生き残っている大石さんのことを話すと、「あれって本当にあったことなの?!」と聞くのです。あれっ??? 徐々に話そうと思っています。

原爆からフクシマがすぐあるのではなくて、その間に第五福竜丸やその他ビキニ沖での水爆実験での被爆は、これも隠されて被害や安全上問題がないとアメリカ政府から言われてきました。とっても放射能汚染されたマグロを今までも沢山日本人は食べてきているのです。地球が放射能まみれなのを皆忘れさせられていたのです。
関東東北大震災から一年が経ちましたが被災地の復旧作業は進んでおらず、福島第一原発も安定していません。進み始めたかと思えば瓦礫を他の自治体で処理をしようという事になり、それが被災地の復興のためだという事になっています。でも、世界的に見てそれは放射性物質を低レベルであろうとも拡散するという行為になるので違法であるのです。ドイツは法的な違反だと忠告をしています。チェルノブイリでもそんなことしていません。

秋田県内でも大仙市、秋田市、本荘市が岩手県の瓦礫の受け入れをすることとなってています。秋田魁新報書面内でも賛否両論あり、政治家たちでさえ意見が別れています。住民への説明会でもその説明は十分ではない上に、質問にもはっきりとした返答が出来ていないのに、燃焼試験の結果もセシウムだけを測り(空間と灰)低レベルなので安全という結論をさっさと出してしまっています。フィルターも効果の程は本当に実証されていないし、8000ベクレル以下/kgという値が本当に安全なのか確かではないのです。今後、本当にどこまでの保障があるのかも信じられません。ですが、馬淵元大臣が言うように今までも日本の原発はトイレのないマンション状態だったのだから、この狭い日本の領土内のどこに放射能汚染物質を埋めようにも誰もが自分たちの地域に持ちたくないと反対するでしょう。それと今まできちんと向き合って反対してこなかった私たち大人には責任があります。

それでもこどもたちの未来を考えると被爆を容認はできません。今いろいろ放射能汚染について勉強し改めてわかってきました。これからはもっと体に気をつけた生き方をしたほうがいいでしょう。

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広島の原爆投下後、被爆者の多くを診て来た肥田舜太郎先生の養生訓
○早寝早起き、三度の食事時間を決め、生活リズムを整える
○暴飲暴食をしない
○たばこを吸わない
○軽い運動、ストレスをためない
○子どもは食事のわがままをさせないように育てる
○便秘にならないように気をつける
○毎年、健康診断を受ける
○異常や異変を感じたらすぐに受診する
○記録をつける、医師の言葉もメモする
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ひょうどうともこ

こころに花を咲かせましょう②

2012年05月01日 | ともこ
2月に行った野呂美加さんのお話会、最初の彼女の言葉。

「3.11以降、大人の生きる意味は何か“子供たちを行きぬかす”これ以外にありません。--経済のために子供たちを犠牲にするなら、そんな経済の作り方が間違っている。」

昨年からの原発事故は人災です。福島第一原発からの放射能汚染は被害を小さく見せたいという政府によって当初隠されていました。SPEEDYの情報も国民よりもアメリカ政府へ先に伝えるなど、本当に情報が入って避難をしなくてはならなかった人々の命を何だと思っているのでしょうか。福島県内で水の配給を待つ為に子どもに外に立たせていたお母さんはどんなに後悔しているか。
今までの原発「安全神話」のために事故時の対策が全く無策だったこと、今までの諸外国での事故も全く生かされていない、田畑についても、耕す前4月に上層の5cm土を除いてから耕すなど、対策が出来なかったために汚染されてしまったのです。それから海洋汚染・・・。全て日本政府の対応のまずさから起こったことです。

昨年11月の秋田駅前脱原発デモの後“NAZEN”の方のお話を聞く機会があり今日本で起きている事の根本的原因が社会の体制にあると気づいたのでした。またその頃にリヒテルズ・直子さんの『祖国よ、安心と幸せの国となれ』を読み、オランダの成熟した民主主義国家のシステムを知れば知るほど、日本が全く戦時中の体質を変えていないとわかりました。これまでの日本は本当のところ核武装をいつでもできるように核エネルギーを手放したくなかった、これが本当のところでしょう。フクシマは未だ収束されていないのに、日本国内では忘れさせようという動きさえ感じます。電力が足りなくなるから原発再稼動!?では節電しましょうよ!

「原発問題は原発問題単独として存在するのではなく現代の日本社会の縮図なのではないか」
「日本社会の歪みを正していくしかない」・・・・と東京新聞の田原牧氏の言葉です。

内部被爆について勉強すればするほど不安が大きくなります。「気にしていたら生活できないから気にしないわ。」と言う方々の考えも良くないと思います。私も1月末木下黄太さんの講演を聞くまで「秋田は大丈夫でしょう。」と思っていました。確かに福島県近県に比べると土壌の汚染は免れたようです。ですが、例えば福島で食べ物を選んで汚染食品を避けている子供と、秋田や福島県以外で汚染を気にせず食べている子供では内部被爆は後者の方が大きく起こってくると聞きました。毎日が手探りです。

「秋田だからまだ安心して住める。」「でもいくら協力を求められても子どもたちにはなるべくなら放射能汚染された食物は食べさせたくない。」「内部被爆を恐がりすぎ?」「瓦礫処理後も秋田の畑は本当に大丈夫?」などなど。目に見えないもの相手です。市民測定室が秋田にも必要となって来ました。前向きに働きかけをしていきたいです。お母さんは太陽でなくては。

---10歳のアンドレイに起こった奇跡 放射能と向き合い暮らす人々から学んだこと-----
                     (野呂美加さんの本より抜粋)
心が元気になることで奇跡が起こる。だから絶対にあきらめないで、最大限の努力をしたあとは、もう天にすべてを預ける心境で、日々子どもたちに向きあっていくしかありません。人間の寿命は放射能が決めるのではない、神のみぞ知る世界なのだとわたしたちは思っています。
そして、その子がなぜ自分のもとに生まれてきてくれたのか、そこからすでに神秘が始まっています。アンドレイのお母さんはただただアンドレイに「愛してる」ことを伝え続けていました。それこそが子どもの心の栄養なのかもしれません。

わたしたち日本人は寿命が長かったので、どうしても人生設計が長く先のことばかり考えて、いまをないがしろにして、長期にわたって安定できる人生を強制しがちです。
しかし、その前に、家族として人生を共有できるのはわずかな時間です。その時間を慈しみ、愛しつくしていくことが子どもたちの心の糧になり、やがては子どもたち自身で自分の人生の花を咲かせていくのだと思いました。「宿題したか」とか、「言うことを聞かない」だとか言う前に、愛している事を存分に伝えて、自分がしっかり生きていけば、子どもはちゃんと後ろから見ているのだということを。(中略)お母さんとアンドレイの強い絆があったからこそ、この困難を乗り越えることが出来たのだと思います。

補足:アンドレイ君はお母さんのお腹の中でチェルノブイリ原発事故により被爆しました。彼は様々な病気を併発させて、あたかも病気の花束を抱えている状態でした。8歳と10歳のとき、夏休みの一ヶ月の間日本の里親の下へ短期保養に来るプログラムに参加。その後消防士として働いていた父親が亡くなりショックを受けたアンドレイ君はその後体調を崩します。この時母親は次に保養の予定の無いアンドレイ君を再度保養へ行かせたいとベルラーシを訪れた野呂さんたちに懇願しました。野呂さんたちの努力の結果、何とか新しいプログラムに間に合い行ける事が決まったアンドレイ君は日本へ旅立つ前にもう見る見る元気を取り戻したというのです。希望を持つと体は良くなってきたのですね。成長したアンドレイ君は「お父さんと同じ国を守る仕事をしたい」と消防士になりました。

ひょうどうともこ

こころに花を咲かせましょう③

2012年05月01日 | ともこ
3月末、長女の進学のお祝いに彼女の希望した東京を訪れました。私としては家族旅行の行き先としては山奥の秘境や九州の邪馬台国復元のテーマパーク、もしくは海外(インド、ネパール、それからIさんお奨めのブータンなど)を選びたいところでした。都会はまるで玩具のようにビルが犇めき合い人人人でごった返していました。東京は昨年のうちに被災地の瓦礫を受け入れ、放射能汚染の度合いが高いと聞いていましたが、沢山の人で賑わっていました。

昨年大阪でマクロビオティックレストランに行き損ねていた私は、東京に期待して数件ネットで事前にピックアップしていました。それと是非とも行きたかったのが三軒茶屋のカフェ・オハナ。ここは先の野呂美香さんの本中でも酵母ジュースが飲めると紹介されていたお店です。東京での友人母娘を誘ってこちらも私と長女とで訪ねました。

扉を開けると、そこにはまさに私がやりたいお店が!・・・フェアトレード商品、オーガニック化粧品類、月の暦カレンダー、うちにもある『月の癒し』という本や自然農や放射能関連の本など陳列されている棚・・・。ホメオパシーや、フラワーレメディのワークショップなどのイベントもやっています。
店を訪ねた経緯を友人に話していたのが店長、店員さん(秋田出身)にも聞こえており、秋田での放射能に対する状況を聞かれるまま話しました。瓦礫受け入れが反対しても聞き入れられず進んでいること、一般市民では危険という意識を持っていないこと、活動もやりにくい状態であること、すると、えこ&ぴーすな雑誌“Actio”と、そこへも記事を書いており全国でスローライフのワークショップを行っているという冨田貴史さんのこと、彼の監修によるブックレット『今、わたしにできること』を紹介してくれました。この中には神奈川県や茨城県のお母さんたちの活動について載っていて、皆悩みながらも前向きな活動をされていて元気をもらえました。
『Actio』、秋田県内には小売店舗が全くない状態ではないですか。秋田のより多くの人の目に触れさせたい。そのため今回私はActioを普及させるべく考えに賛同してくれそうな店舗を捜し小売をお願いするということをしています。
 

私は昨年から米のとぎ汁乳酸菌を作り、解毒効果を期待して、入浴に使ったり、スプレーボトルに入れて室内噴霧しています。肺にいっぱい吸い込んで深呼吸をしたら、痰が出ますよ。
それから、ペクチンを子どもたちに摂らせるために、リンゴをおやつに出しています。酵母ジュースもカフェ・オハナで買った乾燥いちじくで作り飲ませています。  


〈米のとぎ汁乳酸菌〉----飯山一郎先生作
① 米の一番とぎ汁をペットボトルに口切りいっぱいに詰める
② 室内常温で約一週間寝かせる
③ 鼻を近づけてみる・・・成功は酸っぱい匂いと味(発酵)でわかる。(失敗は臭い!腐敗臭)


〈酵母ジュース〉-----ふろむ・あーす 藤田さん(カフェ・オハナ)
① 720mlの蓋付きの瓶に乾燥レーズン(乾燥いちじく)10粒前後と白糖を好みの甘さに応じて入れ、水とリンゴジュースを半分ずつ注ぐ。この時は白糖が良い。成分が変わるので毒でなくなる。
② 蓋を閉め、常温で夏なら数時間、冬なら一日でレーズンに含まれる酵母が混ざって発酵しおいしい酵母ジュースができあがる。冷蔵庫保存で時間が引き延ばせる。ピリッとして美味しいです。
③ 酵母ジュースをコップ半分まで入れ、もう半分に水とリンゴジュースを1:1で混ぜたもので割る


危険なものを避けることばかりでなく、何を選ぶか、いかにして食べるかが大事でおいしく感謝していただきたいです。放射能は陰性なので陽性のものを摂るように心がける。塩、梅干(解毒)、味噌汁(味噌を煮立たせない)、漬物など発酵食品がいいそうです。玄米にはキレート作用のあるフィチン酸と亜鉛、ミネラルがあります。生の酵素(大根おろしや、りんごのすりおろし)、ぬか漬けも水溶性のセシウムを排泄しやすいとのこと。カルシウムを多く摂っていれば、ストロンチウムが骨に吸収される割合が少なくなります。ヨウ素を昆布、わかめ、のり、ひじき、もずく。また、大豆、あずき、さつまいもから摂って、甲状腺を守る。
食事を昭和30年代以前に戻し、食べ過ぎない。これが体にいいようです。肉や魚介類は水で洗って茹で、それから塩漬けが一番放射能を減らせます。脂肪分の多い食事には放射能が溜まりやすいのだそうです。塩麹や味噌を下味に漬けて焼くのに今はまっています。私と長女は水切りしたお豆腐に。
とにかく、冷静に正しい恐がり方をして、自分の選択に不安を持たないことがいいと思います。活動についても、焦ったりイライラしたりしがちなのですが、できることとできないことを見極めて割り切り、やりたいことはやって、人生悔いなく愉しまなくてはと最近は思っています。


4/22はアースデイです。色んなイベントが世界各地で毎年あります。代々木公園では色んなロハスなお店が出店したお祭りのようなものもあり、グリンピースでは再稼動反対のデモがあるとか。秋田では「地球食堂・ボノボ」でアースデイの集いがありました。私も参加して『Actio』の紹介と知人の福島県の子どもたちの保養プロジェクト(※短期保養)のボランティア、協賛金募集の呼びかけをして来ました。
※アースデイ;(地球の日・4月22日)は、地球のために行動する日。地球に感謝し、美しい地球を守る意識を共有する日。“エゴからエコへ”。アースデイには、代表も規則もありません。アースデイは、民族・国籍・信条・政党・宗派を越えて、誰もが自由にその人の方法で、地球環境を守る意思表示をする、国際連帯行動です。自分と地球とそこに住むたくさんのいのちとの対話、やってみた日、それがあなたのアースデイです。
全米学生自治会長をしていたデニス・ヘイズ氏がネルソン議員のアイデアを受けて1970年全米中にアースデイを呼びかけ4月22日をアースデイであると宣言しましたことから始まる。(1960年代終わり頃、農薬や殺虫剤などの化学物質の過剰な使用が自然の生態系を破壊することを論証したレイチェル・カーソン著の「沈黙の春」が浸透し、ようやく環境問題に人々の関心が集まり始めた。)
東京では2001年より新たに実行委員長にC.W.ニコル氏を迎え、代々木公園と明治神宮、新宿パークタワーを会場に坂本龍一氏のフリーライブをはじめさまざまなイベントが催さている。(ネットより)



※内部被爆とは;呼吸をすることによって空気中放射性物質を、または放射能汚染された食べ物を食べて、体内に取り込まれた放射性物質が体のさまざまな部分に蓄積し、放射線を出し続けて細胞を破壊すること。
※短期保養とは;放射能汚染区域に住む子供たちを一時的にでも避難させ放射能の影響のない場所で暮らさせると、体から放射能は排泄されて健康を取り戻し、正常な成長をし始めるということがわかっている。日本では野呂さんのいる「チェルノブイリのかけはし」が働きかけて北海道でベルラーシの子供たちを受け入れてきていた。

2012年8月、秋田でも横手市にかほ市での福島っ子たちの保養プロジェクト『秋田でのびのびわくわく保養プロジェクト!2012』を象潟の知人が企画しています。協賛金の宣伝ご協力お願いします! 


ひょうどうともこ          

福島で暮らすという事

2012年05月01日 | ともこ
環境と暮らしを考える集いのメーリングリストより
FACEBOOK から引用させていただきます。(マリカさん、福島の方から)

私は福島県在住ですが、「比較的」放射線量の低い地域に住んでいます。私より危険な地域で暮らすことを選んでいらっしゃる方、余儀なくされている方は多数おられるでしょう。このノートを読んで、もしかしたら「『安全な』地域に住んでいるくせに」「過剰反応してるのではないか」という感想を持たれ、不愉快になる方もいらっしゃるかもしれません。その場合は、そっとこのノートを削除してください。

いくら「安全」と言われても、私は怖い。私は怒っています。そして私は不安です。それはおそらく放射線量が高いから/低いからというだけの問題ではなく、「事実」として提示された情報が何度も覆されたことによる恐怖や怒りや不安です。その率直な気持ちは、誰が否定しても私の心の中に存在しているのです。そして、その感情を認めてこそ、いつかしっかり昇華できるものと信じています。
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ふくしまで暮らす、ということ。
わたしが、ふくしまで暮らすということ。
わたしにとって、ふくしまで暮らすということ。
たとえば、朝起きて窓を開けて深呼吸する習慣がなくなったこと。
たとえば、洗濯物を外に干せないということ。
たとえば、庭の畑で採れた野菜を捨てるということ。
たとえば、私が何も言わなくても線量計とマスクを身につけて外出する娘の姿に胸がチクっと痛むということ。
たとえば、この真っ白な雪に触れられないということ。
たとえば、「がんばろう福島」のスローガンに時々微かな苛立ちを感じるということ。
たとえば、いつのまにか呼吸が浅くなっているということ。
たとえば、福島に住んでることを誰かに話すとき、「でもうちはまだ線量が低いから…」ときかれてもいないのに説明してしまうこと。
たとえば、ふくしまには福島とFUKUSHIMAがある、と感じること。
たとえば、ふくしまに「とどまれ」と言われると「人の命をなんだと思ってるんだ!」と言いたくなり、
「避難しろ」と言われると「そう簡単に言うな!こっちにも事情があるんだ!」と言いたくなってしまうこと。
たとえば、6歳の娘が将来結婚できるかが今から心配になってしまうこと。
たとえば、ふくしまに住んでいるという選択の責任を放棄したくなること。
たとえば、わたしたちの日常が誰かの犠牲と努力によって保たれている薄氷のような「安全」の上に成り立っているという当たり前の現実を、
毎朝腹の底から理解するということ。
たとえば、明日にはこの家を遠く離れるかもしれない、と毎晩考えること。
たとえば、それでも明日もこの家で暮らせますように、と毎晩祈ること。
とにかく、娘の健康と幸せを祈ること。
あの黒煙が脳裏から離れないこと。
それでも、毎日をそれなりに楽しく暮らしていることを、誰かにわかってほしいということ。
毎日、怒ること。
毎日、祈ること。
ふくしまを代表するつもりも代弁するつもりもありません。
これがわたしの、わたしだけのふくしまで暮らすということ。
今日が、ふくしまにとっての10ヶ月。




この想いを共有しなければと思います。

紹介者:ひょうどうともこ

香港・象潟書簡

2012年05月01日 | ともこ
8年前ご主人の中国勤務の為に香港へ移り住んでいった友人との最近のメールのやりとりを紹介します。

>道子さんへ    2012/1/4
家では時間がなくて、そっけない返信ばかりになってしまっていたでしょう。ごめんなさいね。
ご主人、いつからこっちですか?もう来てる?4月からかしら?

瞑想の会のこと、教えて欲しいです。畑は今もまたやってる?ご主人と離れての生活、淋しいですね。
でも、しんちゃんのことを考えると、教育面でも健康面でも今の日本では、帰ってきて!というのは言いたくても言えません。

以前に、近くにシュタイナー学校がなくてがっかりしていた私に、道子さんに学校での教育を受ける自体がシステムにない貧しい国に比べて恵まれているんだと言われて、賛同できなかった事があったのね。そのときは上手くいえなかったんだけど、最近、オランダ人と結婚して、オランダ社会に生きて日本との違いを本にしているリヒテルズ直子さんの『祖国よ、安心と幸せの国となれ』という本を読み、私の言いたかった事がはっきりしました。

日本の教育は今“楽しい発見”“知識欲を刺激するもの”ではなく、上から押し付けられたものなんです。日本の仕組みからそういうものとなっている。本当の民主化がなされていない、庶民は意見を持っていても、なかなか発言できない。

勿論、全く教育制度がないなんて、子どもが大事にされていない国よりはいいと思いますが、だからといって日本で子どもが果たして大事に扱われているかというと、そうは思えません。資本主義のターゲットに他ならないではないですか。物を次々欲しがるような社会が周りを取り巻いています。

今度のなな色メールには、資本主義社会のことを私なりに書きたいと思っています。道子さんも久しぶりに瞑想会のことか何か書いてくれないかしら?



>知子さん    2012/1/16  
メールどうもありがとう。夫は3月中に秋田へ帰任予定です。
なな色メールとても楽しく拝見しました。皆さんいろんなことに興味が深く文章も上手ですね。感服しました。
ただ私個人的には、石川さんの「神さまにお任せする」という内容に一番心惹かれました…。私も去年の311以来、同じ心境だからです。野呂美佳さんの言うように、もうあとは「おまけの人生」かもと思ってます。自分の力では、もう限界がある。香港に残ることを決めたって、ここにはすぐそばに世界で一番危険と言われてた大亜湾原発がある。爆発すれば香港は終わり。

畑には311以降行ってません。畑の場所は中国との国境近くで、つまり大亜湾原発のすぐそばなんです。もしかしたら、一昨年私が白内障になった一因がそれかもと思ってます。瞑想会も、就職活動を始めてから休止中です。永住権取ったって、すぐ仕事につけるわけではない。年齢もあるだろうし、そもそも長年専業主婦だったしね。まあ旧正月後(1月末~2月初め)が年間で最も求人が増えるそうなので、ねばり強くがんばるつもりです。
少しだけラッキーなことがあって、夫の帰国後も、今のマンションに6月まで住めることになりました(会社が家賃補助してくれる)。そのあとは、さらに原発から遠くて安いアパートを探し、2013年からはしんじを(香港内では)原発から最も遠い中学へ入れる予定でいます……なんだか思考の中心に常に原発がある感じですね。

教育については、シュタイナー教育、なんてぜいたくなことをしていたんだろうって思います。今はもう、しんじが一人前に普通に成長してくれさえすれば何でもいい。だっていつこの地球が終わるかもわからないのに。今の子たちに未来はないかもしれないのに。だから毎日ご飯を食べることができて、子どもを大事にかわいがってあげて、子どもが幸せで健康なら、そして人として最低限の教育をしてあげられればもう贅沢は言わない、そんな心境です。
まずは仕事探しです。 へんな暗いメールになってしまってごめんね。またね。



>道子さんへ   2012/1/17
そうですか、仕事探しは大変ですね。瞑想会のこと、具体的に教えてもらえると嬉しいです。



>知子さんへ    2012/1/19
野呂さんが、「一般民衆は、原発推進派(やイルミナティ?)の支配する今の社会で何とか生き延びさせてもらうか、またはそれとは無関係に自然と対峙するような生き方か、どちらかしかありません」と書いてた気がするけど、ひびきの村でシュタイナー教育をやってる人たちは、まさに後者でしょうね。

瞑想会は、しんじのクラスメイトのお母さん(香港人)に誘われて入りました。主催者(先生)はまだ30代の香港人女性で、ふだんは中医学の看護士として働いています。毎月2回土曜の夕方2時間、場所を借りて開催。誰でもいつでも参加できて、費用は場所代300円だけ。大体いつも30~40人位集まるようです。

基本は、床に座り、仏教の簡単なお経を皆で声を合わせて大きな声で唱え続けます。たとえばオン・マリ・パミ・ホンとか(チベット仏教の「オン・マニ・パメ・フン」の広東語バージョンだと思う)。でも「自分のしていることは宗教とは関係ない。オン・マリ・パミ・ホンは宇宙の言葉だから、宇宙と自分の心を同調させるために唱えるのです」と先生は言っています。あとは先生の講話と、時々気功も教えてくれます。

ただ座って瞑想するよりも、声を出し続けたほうが集中しやすいというのはあると思う。なんだっていいんだと思うけどね。心の平和を得るために長く続けられることなら。それは人それぞれよね。うちの夫にとっては釣りが瞑想みたいなものだろうし、ジョギングとか芸術することが瞑想の人もいるでしょう。

夫が帰任になりそうで私はどうしたらいいか悩んでいた昨年秋頃、先生が真正面から受け止めてくれたのがありがたかった。
「Everything is changing. Only changing is eternal」「日本へみんなで帰ってもいいし、別れてしばらく暮らすのも良いものですよ。今はskypeもあるし。あなたがどんな心持ちで暮らすかが重要です。心配しながら暮らせば、それはしんじに伝わる。心配しないでね。」と言われました。

元気でね。道子



>道子さんへ   2012/1/20
早速、瞑想会のこと、教えてくれてありがとう!チベット仏教か。興味あります。
私は、ヨガの後の瞑想時に疲れてて寝ることも多いんだけど、夢うつつに見たシーンが、たいすけが赤い手袋を雪のある木の枝に投げて届かなくて他の子と騒いでいるところを見たと思ったら、帰ったらたいすけから「来て来て!」って連れて行かれ、手袋を投げたから取りたいといわれてビックリしました。見えた!って感じ。

宇宙と繋がるのは、レイキのワークが私のやりかたかな?でも、瞑想とは違う・・・。

いよいよ、日本は瓦礫をあちこちに移そうとしていて、放射能が拡散されるから、困ったモンです。



>知子さんへ   2012/2/15
メールありがとう。こちらは旧正月休暇中で、うちは最後の(?)家族旅行していたので返事が遅れてごめんね。(旅行といっても、夫が働いている中国の地方都市に滞在しただけですが)
近未来が見えたなんてすごいね! そういう能力が必要な時代になってきたというのもあるのかな。

さて、木下さんブログにも時々コメントしてる平沼百合さん(米国医師)のブログ内で、こんなの見つけました。

ラマ・ジョディ・バーノン「チェルノブイリから学んだこと」
私のソビエト人の同僚の中には、チェルノブイリ事故後の放射線汚染以来、寿命が短くなった子供達の世話をしている人達がいました。
子供達は、結晶洞窟のように作られた塩の部屋で一定の時間を過ごしました。 その地方固有の薬草が使われました。 白血病で死んでいく子供達には、骨を強くし、内分泌系のバランスを取り、血球数を上げるためにヨガが処方されました。 チェルノブイリ事故前は、ロシアの子供達の骨と体は強く、髪の毛はふさふさして輝きがありました。 しかしチェルノブイリ事故後は、子供達の髪の毛が薄くなり、腕と足が弱く、骨が大変脆くなっているのを見てショックを受けました。 チェルノブイリ事故の余波である色々な病気になる子供が多く、15歳まで生きられたら幸運だと思われていました。
ある医師達とヒーラー達のグループは、そのグループの子供達に良い結果をもたらしていました。 興味を持って話を聞いてみました。 彼らは、近隣で汚染されたスカンジナビア諸国と一緒に開いた環境についての会議の事を話してくれました。 近海の魚、牧草を食べる乳牛、そして土地、川や湖への汚染の事や自分たちが吸う空気の事、そして地球自体の事も心配だったということなど、全てについてです。それから、放射線の影響をどうやって打ち消したのか、秘密を教えてくれると言いました。 私は、この奇跡的な要旨をしっかり聞き取ろうと、座っていた椅子から身を乗り出しました。
彼らは、 放射線は、光であり、高い波動で振動するのだと言いました。 瞑想、祈り、ヨガ、重い物を食べない事、神を信仰して愛すると言う、スピリチュアルな修行により、自分達の細胞の波動の振動数を放射線の波動の振動数と同じ所まで上げて、放射線の有害な影響を打ち消す事ができたと言うのです。 彼らは、ニコニコと笑って、喜びに満ちてさえいました。
ロシア人の医師の一人が言いました。 「実は、私達は、放射線をスピリチュアルなガイドとして使っているのです。 放射線のために、私達は、毎日の一瞬、一瞬を、もっと完全に意識的に過ごさねばなりません。 もしもネガティブな思考を持てば、私達の体の細胞の波動の振動数が下がり、放射線に影響されやすくなります。 もしも怒ったり、批判的になったりしたら、私達の細胞は、低い振動数の波動になり、病気になります。 もしも気持ちが軽くなれば、私達が光になり、放射線の光とひとつになります。」 
彼らは、微笑みました。 「放射線が私達のスピリチュアル修行なのです。」
すばらしいね・・・。またメールします。 道子



不思議な話でしょうか。スピリチュアルな面から見ると今、人間の生き方が問われているのだと思います。

ひょうどうともこ

近況報告します♪

2012年05月01日 | S.S.
 前回のなな色メールで、原発反対を主張した私。12月中旬に市内で行われた原発反対デモに参加した後、参加したデモのメインのメンバー達が熱心に関わっていた「放射能を拡散させない」活動に傾倒していきました。「原発事故による放射能汚染から子どもたちを守らないといけない」という正義感から、流れに任せて入ってしまった活動ですが、次第に「放射能汚染から県を守る」→「被災地からの瓦礫は放射性物質が残存している危険性があるから受け入れない」「瓦礫受け入れ反対!」へと運動が狭い方向に過激化していきました。

 たまたまごみ焼却場がある街に住んでいたため、市主催の瓦礫処理説明会にも2回参加、2月末には県と市への瓦礫受け入れに対して慎重に対応して欲しいという要望書提出にも代表のひとりとして加わりました。しかし、同じ東北の隣県として瓦礫を受け入れることに前向きな県や市の意向を、簡単には変えることはできませんでした。また、その間かなりの量の放射性物質を含んだ産業廃棄物が民間の業者を通して、すでに県内に持ち込まれていることを知ったのです。自分がやってきたことは何だったんだろうか?行政とあれこれ丁寧にやり取りしている間に、人々の目をすりぬけて放射性物質は県内に持ち込まれていた・・・その事実に愕然とした私です。

 そして今、私は「放射能を拡散させない」の活動からは離れることにしました。そもそも自分が関わろうと思ったのは、放射能を拡散させないということだけだったのか?原発をなくして、自然エネルギー中心のエコロジカルな暮らしを求めていたのではないか?と、自分の思いの原点に返ろうと思います。放射性物質を含んだ瓦礫や産業廃棄物が全国にばら撒かれ、焼却されていくのは許しがたいこと、でもそれだけに立ち向かうのが私のしたいことではない。と、そう思います。受け入れないといけないこともあると思い始めたのです。来月の連休にバニヤンツリーの代表の方と一緒に岩手県の野田村に行ってくるつもりです。バニヤンツリーは、国内外(海外は主にバングラデシュ)の人々の暮らしや環境を支援するNPOで、地に足がついた着実な支援をすることで定評があり、私が最も信頼しているボランティア団体のひとつです。そのバニヤンツリーで昨年の震災以来ずっと支援してきた野田村。そしてその野田村の瓦礫を、県が受け入れる協定を結びました。現地はどうなっているのだろうか?現地の人たちはどう思っているのだろうか?素直な気持ちで、現地の方達(漁師さん)と、向き合って話を聞いてこようと思います。

*     *     *     *

昨年から五十肩に悩まされていたのですが、実はこれが五十肩ではなく自分の身体の形態異常から来る症候群?のひとつであることがわかりました。昨年の春頃からひどくなってきた左腕の痛みを治すためにドクターショッピング(整形外科2か所、針治療1か所、整体2か所、整体の本やネットの情報は数知れず)を繰り返した後、Iさんに紹介されたT先生のもとで治療に励んでいます。私の身体を見るなり、胸郭の小ささが身体じゅうの酸素不足を起こし、それが筋肉内に乳酸を作り出しタンパク質と結合して硬結となり、痛みの原因となっていると見立てたT先生の診断。それはすぐには受け入れられなかったのですが、自分の身体にきちんと向き合ううちに納得できるようになりました。

 その後本やネットで調べて自分の状態が「拘束性換気障害」というものであることを知りました。肺の病気です。腕の痛みや肩の痛みの原因が肺にあると誰が思いつくでしょうか?西洋医学からは考えられない全体からの把握だと思います。T先生は私のことを交感神経優位な人間と言います。シュタイナー的に言えば胆汁質ですね。反応が早く行動的。でもゆっくりしない性格は、身体をゆるめることが下手です。浅い呼吸で忙しく暮らす日々は、ただでさえ低い私の呼吸能力をさらに低下させていたようです。更年期にも入り身体のしなやかさを保ってくれていた女性ホルモンともさよならしつつある現在、私の身体は少し動くと酸素不足を起こしてあちこち痛み始めています。無理できないなぁ・・・と、暗い気持ちになりながら、隣の奥さんが言っていた言葉を噛みしめています。「五十六十の坂を登るのは大変だ。」更年期、女性の身体の曲がり角ですね。