なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

なな色メール 2011年6月号 No.17

2011年06月02日 | 表紙


雨ニモマケズ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ


ありのままの自分を愛したい 

2011年06月01日 | くどうせいこ
大震災が起こる数日前、図書館で『四つの約束』(ドン・ミゲル・ルイス著、松永太郎訳 コスモスライブラリー)という本を見つけました。
『四つの約束』の約束とは何なのかとても気になったので借りてみました。
著者のドン・ミゲル・ルイスさんは、メキシコ生まれでキャンデラ(ヒーラー)の母親とナワール(シャーマン)の祖父によって育てられたそうです。成長して外科医になったのですが臨死体験によって霊性に目覚め、現在はナワール(シャーマン)として活動しているそうです。
 118ページという薄い本ですが、内容がとても深くて理解するまで長い時間がかかりそうです。今までの人生の中で知ることのなかった発見がたくさん詰まっています。真理がこの本の中にあるような気がしています。
今の自分の心の中に響いている部分を紹介したいと思います。


―第7章 新しい夢、地上の天国― 

ありのままの自分を愛することを想像してみよう。
あなたはありのままの自分の身体、ありのままの自分の感情を愛する。
あなたはありのままのあなたがいかに完全であるか知っている。
ありのままの他の人たちをなんの条件も付けずに愛せますように。
ありのままの他の人たちを裁くことなく愛せますように。
―中略―
人間の運命から逃れられることはできないかもしれないが、
選ぶことはできる。
自分の運命を苦しむのか、自分の運命を楽しむのか、選ぶことはできる。
苦しむのか、愛するのか、幸福であるのか、選ぶことはできる。
地獄に生きるのか、天国に生きるのか、選ぶことはできる。
私は天国に生きることを選ぶ。
あなたは何を選ぶだろうか。


私も天国に生きることを選びたいと思います。
ありのままの自分を愛したい、そしてありのままの他の人を愛せるようになりたいなあ。
                    

Let’s enjoy Poor Life

2011年06月01日 | いしかわようこ
面白い本を読みました。先回Sさんが紹介して下さった本の一冊。川上卓也著『貧乏という生き方』(WAVE出版)です。本の帯に記されている文章で中味も想像できるでしょう。< 月6万円で豊かに暮らす!>

趣味がカメラ、写真の著者のつつましい写真が添えられています。台所の一コマ、流しの上鍋、フライパン、まな板、包丁、砥石、ざる、おたま、しゃもじなどがきれいに並んでいる。ここでご飯とみそ汁と納豆と旬の野菜の食事が作られる。ご飯は土鍋で炊く。出しは安売りの昆布とかつおでとって冷凍しておく。納豆はかき混ぜれば混ぜるほど(つまり空気を入れれば入れるほど)おいしくなるから右に200回左に200回かき混ぜる(ご飯が炊ける間他にやることが…だそうです)薬味はネギ、小さい庭の紫蘇安売りの時の傷海苔。秋の楽しみはサンマ。一尾100円以下になった時をねらい七輪で焼く。大根をおろしを添えて一番安くておいしいウィスキー「トリス」で晩酌世界一旨い!と自負する。

川上さんは20代思うことがあって会社を辞める。そして<貧乏に降りていく道>に入った。現代の日本の社会、その中での暮らしに疑問をもったからである。消費文明に踊らされきゅうきゅうと身を削って暮らしを維持する人生をリストラしたと言う。お金や物に縛られない本当に人間らしい暮らしを求めたわけですね。収入はアルバイト。

朝あわただしく起きてファーストフードを口に入れ、昼はコンビニの弁当。これは<ビンボー>な人の食事。川上さんの土鍋で炊くご飯、そしてみそ汁、納豆、昼は塩おむすびそれは<貧しくも愉しい満足する>食事。<ビンボー>と(清貧>の違いお金は無い。ない中で考え工夫する。お金はないけど時間はある。自由がある。自分の世界を創造していける。自主的に貧しい道を選んだ川上さんをゆたかにするのはお日さまのぬくもり、空の青さ、川風のさわやかさ…季節のうつろいetc.

全日本貧乏協議会を立ち上げ会長を自称。ある年の暮、会員のUさんからお歳暮が届いた由、開けてみると「前沢牛」の霜ふり。狂喜乱舞!

読んでその気概あるポリシーには共鳴すること大でしたが、たばこ(安物の)、白砂糖の多食が心配。風邪、花粉症の原因はそれかも知れませんよ、川上さん。でもつい忘れがちだった<小欲知足の生き方>を改めて教えられた本です。



私の願い・祈り

2011年06月01日 | いしかわようこ
「親もなくした 妻もなくした 息子・娘もなくした 涙もなくした」
津波で家族を失った男性のことばは何という悲痛な叫びでしょう。

避難先で数人の生徒のために小さい卒業式が行われました。その時話された中学校の校長先生のことば・・・。
「皆さんが大きな人間になるために、これ以上の試練はないでしょう。」
布団・毛布の積まれた体育館の一画で、卒業証書を受け取った少年少女たちが大きく成長し、新しい郷土、新しい日本を創っていく人になることを切に願っています。

試練の只中にある時はつらく苦しい。自分の人生に当てはめてみると、過去の苦しみの意味がわかってくるのに大体10年の歳月がかかる。そうしてこう言えるようになる。
「苦しみは大きかった。しかしそこから得たものは大きかった。何倍も何千倍も・・・」

試練は人を成長させる。大きな花を咲かすきっかけにもなる。口で絵と詩をかいて多くの人の心を魅きつける星野富弘さん。体育の指導中のケガで首からの下半身マヒとなる。そこからの新しい人生だった。
「地球村」代表の高木善行さんもオートバイ事故による全身骨折を機に変わった。エリートサラリーマンから地球温暖化を防ぐ活動に入った。
わが子を幼くして白血病で亡くした両親は悲嘆を味わった後、同じような境遇の家族支援に生活をシフトする。

ただ残念なことに人生の途上で遭遇するさまざまな患難に崩れていく人もいる。店の倒産で無気力となりアル中となった人が身近にいる。離婚後ホームレスになっていく人もいる。親に捨てられて悪しき世界に入っていく人もいる。

試練にあって成長していく人と崩れていく人----この違いはどこから生じるのだろう。性格のちがいだろうか。私の個人的見解は親の育て方にも影響されるのではと思う。次のような詩があります。

アフリカの母 
 子供が転んだとき
 日本の母は抱き起こすという
 アメリカの母は黙って見ているそうだ
 アフリカの母はというと 自分も転んで 起き上がって見せるという


私と二人の兄の三人は性格が弱い。ナイーブでひ弱である。それは父が子供の先回りをして転ばないよう石をとりのけるような育て方をしたからではないか。父自身神経質で失敗を恐れるタイプだったからであろう。それで私たちは転んで、泣きながらも立ち上がるという挫折体験をしなかった。
いわば温室育ちである。自分の力で雨風に耐える訓練がないため、自信をつけることが出来ずに大人になってしまった。小さい時の失敗と立ち上がりの経験が多い人ほどたくましく生きていける。私たち三人のひ弱さを思うたび親の姿勢の大切さを痛感するのである。
 日本人の母は子供の自立心を奪いかねない(一面ではこういうタップリの溺愛もよしとする時期はあるという。1才~3才の頃まで)
アメリカの母は子供の自立心を養いつつもどこか突き放す冷たさがある。
アフリカの母はすばらしい。大きな愛に包み込みながらの自立心涵養。あたたかさときびしさの調和がある。
 次のエピソードには誰しも心打たれるのではないだろうか。

 ちょっといい話
公園で一人の幼い子どもが転び、急に泣き出しました。そこへ四つ位の女の子が側に走り寄りました。その女の子は倒れた子の側まで行くと自分も倒れました。そして倒れている子を見てにっこり笑いました。倒れていた子もそれを見て泣きやみ、そして笑いました。その女の子は「立とうね」と言いました。「うん」二人は一緒に立ち上がりました。

今回の東日本大震災で被災された方々に対する日本各地の世界中からの支援善意はこのエピソードの女の子に似ている。駆け寄って“共に生きよう”“一緒に立ち上がろう”という心のあらわれだ。相手の痛みを共感すること、同じ人間同胞と一緒に歩んでいこうという心。それこそ人間を動かし、生かす力となる。普段何事もない平和な時はけんかしたりいがみあったりするが、こと大きな災難など非常時に一つのおむすびを分け合い、助け合うパラダイスが生まれるという。

人として一番大切なこと幸せの原点をこういう大試練というつらい経験をしなければ悟れないというのは人間の悲劇かもしれません。でも私は祈ります。今回の大惨事が大きな気づきの機会となりますように。「親も妻も子どももそして涙すら失った」男性が同じ境遇の人々と絆をつくって新しい形の家族共同体を創っていけますように。前にも増して豊かな人間関係を築き、育んでいけますように。そして「失ったものは大きい。しかし得たものも大きい、何倍も何千倍もー」と言う日がきますように。

「神は真実な方ですから、あなたがたが耐えられないような試練に遭わせることはなさいません。」(Iコリント10・13)試練と共に克服の道も備えて下さいます。神は立ち上がる力。愛を与えて下さる復活の存在です。

本当の豊かさを考える

2011年06月01日 | ともこ
3月11日は忘れられない出来事が起こった日となりました。自然の威力の前に人は何て小さいのかと改めて感じました。東日本大震災では、日本中が津波被害の怖さに度肝をぬかれました。現実とは思えない映像に目を疑いました。震源地が日本海沖だったら、にかほ市の沿岸に住み働いている私たち一家は津波被害に遭っていた・・・。だから山手に引っ越そうか、などという訳にも・・・。その時はその時で自分に出来る努力をして行こうと、そう思っています。

この震災の後、秋田県は物資が不足して少し混乱があり、こんなに仙台(他県)を頼りの綱にしていたとは驚きました。物、電気がなくても何とかなるたおやかな暮らし、また一つ目標ができました。それから、今被災地はまだ、復興に時間がかかっており、どう協力できるか日々、考えています。

実は震災の後の3月末の五日間で大阪の実家への旅行を予定しており、こんな時だったのですが、春休みの子供たちを連れて帰郷して来ました。大阪の街並みはどんどん進化してニューヨークの摩天楼のようでした。♪あれもこれもあんで♪ ウルフルズ(大阪出身のロックバンド)がカントリー曲、アイコアイコのメロディで歌っていますが、ほんまに物が溢れていました

今回は私が秋田に来て13年がたち、いつもはネット通販で購入しているナチュラル生活雑貨(オーガニックの化粧品など)がどう大阪の売り場で扱われているのかなど気になり見てきました。それと、中学生の長女に都会を見せたくてウロウロ梅田のデパートに三番街、心斎橋、アメリカ村と行きましたが、賑やかですが空寂しい気持ちになってしまうのです。本当の豊かさを求めている私にとって、どうしてもニセモノに見えるのでした。

長女の意見はまた別で、大阪も後れているそうです。「やっぱり東京がいい!」というので悔しいような気もしましたが、私にも思い当たる所もありました。友人とやっと探してたどり着いたマクロビオティックのレストラン(大阪では数少ない)が閉店しており、流行らなかったのかなぁと残念でした。(東京では今大変人気だし、京都にもいっぱいあるようでした。)

天災は避けられないけれど、でも、被爆(原発事故)に対しては違います。今まで知らないことが多くて、原発大国に住む日本人として、一生懸命勉強しています。今日本で起こっている問題は、福島県の海に、大気中に放射性物質の垂れ流しになっているレベル7の最悪の事態と原子力に関わる体制の権力の脅威です。

5月22日に私がヨガのために年数回だけ通う町内の浄専寺にて釜仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディ』の映写会が催されました。震災、津波の被害を被ったから起きた大惨事、福島第一原発の水素爆発ですが、予測してちゃんと早い段階で手を打っていれば、と残念で仕方がありません。いろんな方(広瀬隆さん、田中優さんなど)の講演動画やインタビューをネットで見てはテレビでの政府、東京電力の対応が稚拙に感じてなりません。 私はグリンピースという団体の原子力発電反対のウェブ署名をしました。デモ行進も東京でありました。ニュースで放映されませんね。

仲間内だけで観るつもりの「映写会して!」の私の一言から始まった『六プラ』の映写会は住職の娘さんが主催者でした。彼女もお寺の仕事をするため仏門に入って勉強もずっとされています。4年前にはてんつくマンの号外新聞をお寺にも置かせてもらいました。そんなこんなで彼女とはヨガばかりでなく教育問題、境問題をたまに話す仲でした。彼女は人権問題や不当労働問題には前から関心を持ち、フェアトレードも広めようと、お寺で展示もしています。

原子力発電・・・秋田にないから関係ないやと他人事にしていいものではないと思います。映画では辺鄙な過疎地が国から予定地にされ、住民がいくら反対してもお金や就職難(妨害によって)のために賛成派に変えられていく。怖いものだが経済効果、安全という説明に、自分をもごまかしてそこに生きていくか。映画中農家の方の言葉が耳に痛く残りました。「原子力に関しては賛成しているのと同じ。反対なら意思表示しないと無視のまま進められる」と。市民が政府を変えていく社会にしたいですね。

映写会には秋田市から庄司さんご夫婦のほかにミクシイでの知り合いで秋田市内でもこういった講演会、映写会などを催されている方も来てくれました。ドキュメンタリー映画は観た後、そこにいた人々の本物を感じます。ロードムービーのようでした。そして考えさせてくれるので、後で話し合えるのではと思いました。釜仲さんお最初の作品『ヒバクシャ』も観る予定です。
震災被害地に微々たる協力(物資の供給や、わずかの義援金寄付)しかできず、面はゆいまま、仕事と家事に追われて日々は過ぎてゆきます。

そんな中私は、美輪明宏さんの本『微笑みの首飾り』を読んでいました。そこには、自分がいるところ(トイレ、職場、家庭の中すべて)が教会であり寺であり神社であるので、発想の転換によって自分が非常に清い気持ちになった状態をいつでもコンスタントに保っていられるようにしていくということが修行「即席道場」である。山にこもってする修行より、毎日の生活の中で気づき、考え方を変えていくのは大変な修行。家庭円満で和気藹々として、お互いに慈悲の心を持って助け合って、平和でのどかな家庭を持っているかどうか、が心の鏡として現れるのだという。

「何妙法蓮華経」は、宇宙の神を信じて仰ぐだけでなく、そういう神々の一人として自分を信じて仰ぎ尊ぶことができるまでに、自分自身を高めていくキーワードとありました。それから、「抜力」が大事だとも。地獄極楽は胸三寸にあり、自分次第でこの世を極楽にすることも出来る。体の力を抜いて、幸せだなーとリラックスして微笑む。(ヨガのポーズを取るときも同じです。)
今年も半分終わりましたが、この後の目標にしたいと思います。やらねばならないことはやろう!けど抜力も大事・・・怒りのパワーではない伝え方で・・・。


心の力

2011年06月01日 | S.S.
心の力

 大震災による心理的な変化によるものか、インナーチャイルドのCDがきっかけになったのか、再び自分の幼少期に遡る日々を過ごしていました。といっても、催眠療法などの特別なことをしたわけではありません。気がついたら子どもの頃の私の気持ちにすっと入っていたという感じ。今までは、分析ばかりであれこれ説明しているに過ぎず、核心からは何も発していなかった・・・ことに気づきました。

長い間心の奥底に押し込めていて・・・それが何ものか自分では自覚できないほど覆い隠して暗い情念になっていた気持ちが、ふいにふわりと心の表面に浮かび上がってきて、初めて意識してことばにすることができたのです。そして私が何にこだわっていたかも見えた気がしました。 

 身体に入れていた力が抜け、身も心も軽やかになったように思うこの頃、周りのようすが今までとは違って見えます。一番大きな変化は、素直にものが見れるようになってきたこと。今更恥ずかしい話です。気持ちが柔らかくなってきた今この時に、図書館で面白い本を見つけました。今回はこの本について少しご紹介したいと思います。

 『強い自分になる方法』-心の力を育てよう 
        カウフマン+ラファエル+エスペランド著/和歌山友子訳  筑摩書房

 この本は、自尊心を高めるための大人向けのトレーニングコースをもとに、「心を強くする方法」について子ども・親・教師向けに書かれたものですが、大人にも参考になる点がたくさんありました。「強い自分=心の力が育っている人間」という図式で論が展開されていきます。心の力を育てれば、どこにいても、だれといても、何をしていても、「大丈夫、自分はこれでいい。」と思えるようになり、自分らしい生き方ができるのです。何て魅力的な内容なのでしょう。夢中で読みました。

内容は二段階構成になっています。第一部では、心の力をつけ、それを使うことについて、第二部では培った心の力で自尊心を育てていくことについて述べられています。メモとしてまとめながら、☆の部分に私のコメントを入れます。
 
◎心の力をつけるために必要なこと
 ①自分のすること、自分の気持ちに責任を持つ(人のせいにしない)。
 ②自分で決める(行動と気持ちに責任を持つ。どうするかを決めるのは自分)。
 ③自分のことを知る(多様な気持ちを表現することばを学び、自分の気持ちを適切に伝える。自分が求めている気持ちを自分で自覚する)。
 ☆著者は、以下の欲求を人間として当然な欲求と見なしています。この定義で気持ちが開放されたように思います。心理学者って、人間の心の実態を良く理解していますね。
  ・人とのつながりを求める欲求
  ・体のふれあいを求める欲求
  ・自分の居場所と一体感を求める欲求
  ・人と同じでいたくない欲求
  ・人に何か(世話をしたり、助けたり)してあげたい欲求
  ・自分のいいところをほめられたい欲求
  ・人といるときもひとりのときも強い自分でいたい欲求
 ④人といるときも、ひとりのときも、心の力を使いこなす。
 ☆権力者の前では、人に左右されて自分を失いがち。しかし、心の力があれば、「大丈夫、自分はこれでいい」と強い自分でいられるのです。
 ☆心の力をつけるために、「しあわせメモ」をつけることを勧めています。一日を振り返り、幸せな気分になった楽しいことをメモしようとありました。落ち込むことがあっても、しあわせメモが貯金となって元気づけてくれるというのです。

◎自尊心とは何か。どうやって育てるのか。
①自尊心は、自分が人より上だと思う気持ちのことではない。他の誰とも関係ない自分の心のなかからわいてくるもの。
②自尊心は、ことばから出てくるのではなく、行動から出てくるもの。自分がこれだけのことをしてきたから、自分で「よくやっている」と思えるということ。自分で自分のことを「私ってすごい。」とうぬぼれることではなく、人から「君はすごい。」と誉められることでもない。
 ☆「よくやったメモ」を毎日つけることを勧めています。一日を振り返って「自分なりに頑張ってやったこと」をメモする。「しあわせメモ」と違うのは、あったことを書くのではなくて、自分がやったことを書くこと。頑張った行動の記録です。

 最後のまとめとして、著者が親と教師に向けたメッセージを書いています。一部を抜書
きしますね。  P168-170 前掲書

「うぬぼれやおごりや優越感は、真の誇りからうまれるものではありません。他者をさ
げすむ気持ちから生まれるものです。誇りは、わたしたちの好きなこと、やりとげたこと、身につけた技能、何かをやれるの能力から芽ばえてきます。自分以外の人をおとしめるものではありません。
 さげすみは誇りに似た形をとることがよくありますが、それはニセの誇りです。人をさげすむとき、わたしたちは自分が上にいるような気持ちになります。けれども、ひそかに、自分は人に劣ると感じているのです。さげすみの気持ちは、こうした劣等感からわたしたちを一時的に抜けさせてくれますが、これを続けるには自分のほうがまさっていると思える相手を探し続けなくてはなりませんー自分が上に立つために下に置ける相手を。
 さげすみは、いまの学校(そして社会)が直面している2つの大きな問題、つまりいじめと暴力の根本的な原因だとわたしたちは考えています。・・・中略・・・
 わたしたちが教えようとするのは、自分に誇りを持つこと、正しいことをしたときに自信を持つこと(そして、そうしなかったときに責任をとること)、自分が達成したこと(有形のものでも無形のものでも)を知ること、自分が味方するもの(そして味方しないもの)を知ること、内面的にも外面的にもベストでいられる努力をすることです。自分の気持ちと欲求をしっかりつかんでいるとき、自分の気持ちと感覚を信じているとき、自分の能力に対する現実的な判断があるとき、そして心の力を持つときー子どもたちは、安心感と自信を感じますー人をいやしめる必要はなくなるのです。」

 自尊心は、うぬぼれでもおごりでも優越感でもない、生きていく上でとても大事な力。そして、私がいつか与えられるものとして長い間待ち望んでいたものです。子どもが順調に育っていけば、自然と身につけられる力だと思いますが、何かつまづく原因があり獲得できずに成長する人間もいます。私もそのひとり。カウンセラーは、過去のつまづきまで戻り、ゆがんだ心の成長を修復させようとしますが、私の場合はうまく行きませんでした。良いカウンセラーに出会えなかったのです。

 私にも子どもが生まれ、求められる役割も変化していきました。私自身が親になったのに、自分の親に対して何かを求め続けるなんて、今更何を、いい歳をして・・・!と、かつて不満をぶつけた時に、父親に思われたようです。わかってはいるのですが、心の底から求めても与えられないものがあることを、ずっと受け入れられなかった私。理由は、心にふたをしていたから。それが、ふわっとふたを開けてしまった。中にあったものはすでに醗酵し過ぎてすごい臭いになっていたと思いますが(笑)。

 心の力は誰でも持てるけれど、時間がかかるし、練習が必要とのこと。人生を変えるには、勇気がいるのです。でも、心の力が育ってくることを考えたら、元気が出てきそう!さっそく「しあわせメモ」にチャレンジしてみました。
と言っても、メモに書くまでの余裕がないので、1日3つ幸せに思ったことを家族に話すことから始めてみました。思い出すのは、人の笑顔。特に言語訓練で関わった子ども達の笑顔がよく思い起こされます。手遊びなどたわいないことをしている場面で、子ども達は何とまぁ嬉しそうにしていたこと!その笑顔を思い出して、また幸せな気持ちに包まれました。
 家族からの幸せエピソードを聞くと、こちらもまた幸せになります。日々辛いこともあるけれど、1日の終わりは「幸せエピソード(しあわせメモ)」と「頑張ったエピソード(よくやったメモ)」を思い出すだけで、結構ハッピーな気持ちになれますね。皆さんも良かったら参考にしてください。そして、よかったら今度皆さんの幸せエピソードを教えてくださいね。