なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

読む力は生きる力

2007年07月01日 | S.S.
 次世代を生きる子ども達に読書の楽しみを伝えたい、読書が一生の友達になるような人間に育って欲しい・・・私が大切に思っていることのひとつです。心が動かされ、その後の行動を変えていくような本との出会い。そんな読書の楽しみを伝えるにはどうしたらいいのでしょうか。

 一番の難関は絵本から物語をひとり読みすることへのスムーズな移行です。絵本は楽しんでも活字中心の物語には抵抗を示してしまう子ども達が多いのは何故でしょう。小さい頃からテレビやビデオという刺激の強い映像に触れてしまうのが、素朴な本の世界に入り込めない素地を作ってしまうのでしょうか。はやりのテレビ番組のキャラクターやタレント文化に染まり、興味の対象がそちらに移ってしまうからでしょうか。親や教師がもっと子どもに適した本を選び、読み聞かせをする努力をするべきなのでしょうか・・・。問題点はいくつか挙げられるものの、簡単には解決方法を見い出せません。

 ひとりで活字中心の本を読み始める・・・それは赤ちゃんが二本足で立って歩き出すことと同じくらい大きな成長の転換点なのではないかと思っています。自分の子どもが歩き始めたり、おしゃべりを始めたころのように、娘や息子がどんなふうに読書の世界へ入っていくのか、どきどきしながら見守っていきたいと思っていました。

 とはいっても、息子の世話に追われ、娘には満足のゆく読み聞かせができなかった私。気がつくと娘は小学校2年、そろそろひとり読みを始める年齢になっていたのです。少し焦り始めていた時に、イトーヨーカドー子ども図書館が閉鎖する話が浮上し、存続運動の為に図書館にせっせと通う必要が出てきました。2週間に1回駅前まで行くのは大変でしたが、閉鎖になっては困ります。結果として良書に親しむ機会に恵まれました。図書館通いの前までは『わかったさんシリーズ』が愛読書だった娘。3年生になっても読むのは絵本ばかり。それでもじっくり待ってあげようと、好きなだけ絵本を借りさせ、私もそれまでの罪滅ぼしと読み聞かせの努力を始めました。そしてもうすぐ4年生になるという冬、司書の田丸さんに紹介されたリンドグレーンの『やかまし村シリーズ』との出会いがきっかけとなり、娘は物語の世界に入っていきました。まだ文字を声を出して読むという幼さを残したよろよろとした離陸でしたが、時に声をたてて笑いながら楽しんで本を読み進めていった姿は今もまぶたに焼きついています。

 息子は2歳から子ども図書館通いをするという恵まれた環境で育ち、ちょうど読み聞かせボランティアが始まった時期に小学校に入学しました。ひとり読みを始めたのは小学校2年生の時です。子ども図書館で紹介された『ちびドラゴンのおくりもの』という本を親が途中まで読んだ後、続きが読みたいがために自然にひとりで読み始めていました。最後の章のドラゴンとの別れが悲しくて、しばらく泣いていたことを覚えています。小さい頃から素晴らしい本に囲まれて育った息子は、時満ちたという感じで本当に自然にすーっとひとり読みの世界に入っていきました。

 自分の子ども達のひとり読みへの“離陸”には、子ども図書館の司書さんやスタッフの方々に支えていただいたところが大きいです。彼らとのつながりなしには、子ども達を本の世界へ上手に導くことはできなかったでしょう。そこではいつもスタッフの皆さんが温かく迎えて下さり、それぞれの子どもの読書歴にそいながら、読める力や好みを考慮してお薦めの本を手渡しして下さいます。図書館内の本の内容を全てスタッフが把握しているからこそできること・・・素晴らしい図書館だなぁと今でも思っています。

 仕事で出会う親子には必ず子ども図書館を紹介していましたが、次第に子ども図書館を利用できない子ども達にも読書の楽しみを伝えたい、そのために自らできることはないかという欲が出てきました。そしてタイミングよく募集があった小学校の読み聞かせボランティアに参加することにしました。月に数回程度の少ない関わりですが、今年でもう5年目になります。昨年から市内の読み聞かせボランティアが集まって勉強会を始めました。そこで出会ったのが『読む力は生きる力』脇明子/岩波書店という本です。

 内容には定評がありわくわくしながら読み進めました。易しい文体で書かれながらも内容は目からうろこ。まさしく“読む力は生きる力”であることを力強く分析してくれています。全てを一気に読み終えて、長い間抱き続けてきた疑問点・・ひとり読みへの移行が綺麗に説明されていたので、頭の中がすっきりした気持ちになりました。読み聞かせをしてもらう中で、子ども達はことばを聴いて状況や気持ちを想像する力を育てていくこと。そのためには、絵は想像力を働かせるのに邪魔をしないような地味なもののほうがよいこと。ことばを聴いて想像する力が育っていないと、活字を読んでもその世界が想像できないので、物語の本を楽しめないこと。「想像力」が育つことで、精神的に不安定になる思春期を乗り切ることができ、その力は大人になって相手の状況や気持ちを理解し、よりよい社会を築いていくために必要不可欠な「生きる力」となること・・・などについて丁寧に説明してくれています。

 ことばを聴いて想像力を働かせる・・・簡単には育たない力です。しかし、著者の脇さんが語るように、印刷物がなかった時代には、語りの文化がその役割を担っていました。昔語りを聞く中で、人々は想像する力を育ててきていたんですね。ふと私はドイツのヴァルドルフ幼稚園で、先生が帰宅前15分くらいの間、かなり厚い本の読み聞かせをしていたことを思い出しました。毎日少しずつ続きを読んでいくのです。先生の語りは淡々としていて、子どもの興味を惹くような働きかけはいっさいないのですが、みんな身動きもせず夢中で聴いています。その時私は自由な活動が多いこの幼稚園で、何故こんなに難しい知的なことをするのだろうと疑問に思っていました。しかしこの本を読んだ今、その理由がわかりました。そこでは幼稚園の時期から始めないとしっかり育っていかない「聴く力」「想像する力」を育んでいたんですね。大事な大事な力です。シュタイナー教育の確かさに改めて脱帽です。

 読書は小さい頃からの私の心の支えでした。現実の世界ではできなくても、本の想像の世界の中では、自分を生き生きと発揮することができました。多くの子どもや大人にとってもやはり読書の世界は心の支えになるはず・・・と私は確信しています。「本当に素晴らしい本にはゲームやテレビは敵わない」という脇さんのことばを信じている私です。


今、地球(ここ)でできること

2007年07月01日 | ともこ
4月に夫と私にとって、とても大事な人が逝ってしまいました。
Sさんがいなかったら私は夫に出会っていなかったでしょう。
彼は夫にとって目標でした。

彼がなくなる前の約2年は事故、その後の発病と苦しい時期があったようです。
遠く離れた地で生活に追われ、十分助けることができなかった事が悔やまれてなりません。
 
彼と連絡を取るために始めたmixiがきっかけで、環境問題対策についてのコミュニティに入りました。

先月mixiに、夏至(6/22~24)のキャンドルナイトのことを書き込んだ際、温暖化対策が書かれた『豪快な号外新聞』を配布する“TEAM GOGO 2007”に誘われ、参加しました。
突然の活動開始に私自身もビックリでした。
この活動の発起人はてんつくマンという元芸人で、今は小豆島で農業しながら、中国に植林に行くなどの活動もしている人です。「天国はつくるもの」というのが信条だと記事にありました。
すごい!
 
丁度、時期を重ねてこの頃私は、『木を植える男 ポール・コールマン 4万2000キロ徒歩の旅』という本を読んでいました。
配布活動中に読み終えましたが、ポール氏の実際の活動ぶりに感動!触発され、本当に励まされました。

彼はイギリスで生まれ育ち、最初は商船のコックに就き、その後お金持ちのヨットのシェフ、カナダではお抱え運転手、を経た後、アース・ウォーカー(地球を歩く人)になった人です。
贅沢三昧の暮らしの中で、生きることへの虚無感を感じた彼は、アイスランドへ旅立ち、そこで美しい自然に触れ、今まで暮らしてきた場所との違いに愕然としました。
そして、大きな割れ目を見ているときに“地球の創造”のビジョンを見る体験をしたのです。
爆発、環境の変化、岩から様々な色の胞子が生まれたかと思うと、苔類・地衣類に始まり植物が茂り、動物、美しい自然の風景(虹や滝)そして、光り輝く人々。その後暗黒な世界・・・。
地球が美しい世界と暗黒な世界の分かれ道に来ていることを悟った彼は、地球のために生きていくことを決意したのです。
次に彼は子どもの頃から行きたかったアマゾンへ行き、森の破壊を目の当たりにし、『地球サミット』で訴えるためにリオへ向かうのですが、スポンサーの突然の降板で徒歩での旅となりました。その途中メキシコで偶然何度も木を植える活動をしている人々に出会い、「これはメッセージだ」と感じ、自分も地球に木を植えて歩こうと決心しました。

さらに驚いたことに、イギリスヨーロッパ・中東の旅の中で、彼はアボリジニの人々と同じ事を多く語っています。

∵彼に温かい歓迎(ホテルのベッドや、食事)を与えてくれる人々との出会いに感謝して受けるが、執着せず手放す潔さ。

∵野宿でのあまりのつらさ、苦しさに惨めな時、自分は“ホームレス”ではなく、地球全部が“ホーム”の“ホームフル”だと考えるところ。(自然や野生の生き物に励まされる。)

∵旅で困ったとき、助けることが可能な友人たちを思い浮かべると、テレパシーが送られるかのように数時間後に連絡が入ったなど・・・。

∵雪深い山を越えなくてはならないとき、雲の上を歩いているとイメージして歩くと深く沈まなかった!!(集中するのをやめると、沈んだとか・・・。)

∵悪天候を変える祈り方:「私は疲れ果て休む必要があります。もし、地球に雨が必要なら我慢します。でも、もし雨が止んでくれたら神に感謝します。」

∵信仰について(シリアにて)、「あらゆる人の中に信仰の心を見出すことは重要である。宗教は様々に差異があるが、その奥にあるものはすべて同じと悟れば、表面的な違いをお互いに祝福し合えるだろう。」と。

 ポール・コールマン氏は来日し富士山麓から広島・長崎と歩き、平和公園などでも植樹したそうです。
今(2007年3月頃の時点のことです)はアフリカを木を植えながら歩いています。
今後はこの本の執筆がきっかけで結婚した日本人の奥様とチリに地球環境型住宅を作って、できるだけ少ないものでの自然な暮らしを提案していく予定だそうです。 

さて、私は宗教にもマナーがあると思います。それでは、宗教って?最近私なりに勉強して考えをまとめたので、ここで書きたいと思います。

今日に至るまで、この地球上の人類の歴史の中に、一体いくつの宗教(神)が信仰されてきたことでしょう。
あるときは村の一致団結のための祭りを行って人々の志気を高めるもの。またあるときは政治的理由(国家的侵略に利用されていた頃)で他の宗教を弾圧して自分たちの宗教を押し付けるものとして。

今の日本では“宗教”と聞くと、怪しい宗教団体に勧誘されるのかと身構える人も多いと思います。あるいは自分の信じる神に出会い、正しい道を安らかに生きている人もいるでしょう。
日本は戦時中に、天皇を“神”だと教える教育をしてきたため、敗戦後に教育の場から宗教という倫理に関する部分が抜き取られました。
もともと日本には“神道”がその土地の自然霊を祭り、自然界に感謝して暮らしてきたことが伺えます。
そこへ中国大陸から仏教が伝来され、貧しい民が周りと力を合わせて、人との秩序を重んじ、いかに生きるべきかを学び、発展してきたようです。
日本の神道は、仏教・儒教のお陰で日本人の宗教観として受け継がれてきました。
今の一般的な日本の仏教の法事などは、江戸時代頃よりの決まり事のようです。
(お寺を守るために取り入れた檀家制度なども)
ですから、仏教が普通というのも、偏見だったようです。
常識は所(国)が変われば、あってないものです。

元に戻って、宗教とは、人がより良く生きようとするための心の拠り所なのだと思います。
倫理・道徳観念がしっかりしていれば必要ないのか、あるいはそのためには、大いなる存在への畏怖の念などを若者に教えるために必要なのか。
今の日本におけるスピリチュアル・ブームを悪く言われる方もいるでしょうが、この流れは良いものだと思います。
多くの人が目に見えるものだけしか信じない物質主義から、霊的な目に見えないものこそ大切にしたいと、気づき、現代社会の中での癒しを求めているのでしょう。

禅、ヨガのブームも必然だと感じます。
ポーズ(アーサナ)をとり、あるいは静かに座し、深呼吸をすると落ち着いてきます。
悲しい気持ちでいると息が浅く苦しくなりますし(悲しいと肺病を患うとか、怒ると肝臓に悪いとか、神経質は胃に悪いとか)心が乱れているとバランスをとるポーズで揺れまくります。
心と体って面白いですね。
そんな時は視点を決めて集中!無の境地へ・・・。
欲や感情的な心に囚われない本来の自分を取り戻せるのでは。
天国でSさんに会った時恥ずかしくないように今を生きなくては。

 シュタイナー(理想)に出会って、今の自分の置かれた環境と比べて嘆きたいときもありますが、実際に動いている人たちがいると知って、勇気付けられました。
温暖化で四季の移り変わりを感じられる暮らしが失われるなんて、とても悲しいですよね。
“天国はつくるもの!”てんつくマンのように私も天国作りたいです。

ひょうどうともこ

お母さんとの散歩

2007年07月01日 | さとうえりこ
皆さんはじめまして。私の名前はさとうぴーすです。日本スピッツ、5歳、佐藤家の次女。
今日は私がお母さんと毎日行っている散歩についてお話します。
朝、どたばたとせわしなく仕事をするお母さんを今か今かと待ち、しっぽをぶんぶん振って「早く行こうよ」とアピールする。そして自宅近くの雄物川の河川敷に連れて行ってもらっている。雄物川の堤防はサイクリングロードになっていて、毎日歩くお決まりコース。
堤防の下にはリバーサイドグリーン(ゴルフ場)がある。芝生が朝露に濡れ青々と一面に光っている様は心が洗われる気持ちになる(お母さんの弁)。お母さんがその景色に見とれている間、私は草の匂いを嗅いでいる。お友達が通ったかどうか確認しなければならないのだ。そしてその向こうの雄物川はもうすぐ日本海へと吐き出されようとし、悠然と流れている。中州には鳥たちの巣でもあるのだろうか。カッコウ、セキレイ、ひばりなどあちこちからさえずりが聞こえてくる。西に目を転じれば羽越線の鉄橋。ガタゴトと電車が通るたび辺りに響き渡る。夕方の散歩ではこの鉄橋の向こうに大きな夕日が落ちていく。このようなサイクリングロードに歩を進めると、その先にはまっすぐな道。散歩は雄物川を右に見下ろすようにして歩く。左からは顔を出して間もないお日様を仰ぐことができる。澄んだ空と空気、草のにおい。サイクリングロードから外れて、時々お母さんは草の上を歩く。そして私に話しかける。「ピース、あなたがいてくれたおかげで、こんな気持ちいい朝を迎えることができる。足裏から毒素がこの大地に抜けていく、そんな気がする。代わりにエネルギーが入ってきている感じ。あなたのおかげだよ、ありがとう。」私は聞いていないふりをしながら、実はしっかり聞いている。そして、「やったね、ほめられちゃった。」と一人(一匹)ほくそえむ。
以前、散歩途中にお母さんが男の人からこんな風に話しかけられた。「この辺で狐を見たことはありませんか?」突拍子もない質問にお母さんは面くらった。見たことがないことを告げ、後ろ姿を見送った後、「お尻に尻尾ないかな」と言ったぐらいだった。ところが、しばらくしてまたカメラを持った男の人から同じ質問を受けた。1回目の男の人と同じ人だった。話によれば、魁新報の人だった。ここに狐がいると聞き、写真に収めたくて時々来ていたそうだ。その話を聞くまで、狐にお目にかかったことなどなかった。それが、1回目はある朝の事。ゴルフ場のかなり向こうで素人(素犬)の耳でも尋常でないとわかる鳥の声がする。その鳴き声に目をやると、狐が空を飛ぶ鳥を追いかけていた。2回目は秋の夕暮れ。日が短くなり足早に散歩を済ませたがっていたお母さん。やはりゴルフ場の芝生の上にちょこんと座っている犬?ノーリード(リードをつけないこと)で散歩をしている人もいるので、近くに飼い主がいないか探した。それらしき人はいない。捨て犬も時々いるこの辺。もしかして私の仲間?いや、狐だった。大きさ、色、尻尾、あれは狐。こっちを伺い見ている。私はきょろきょろしていたからあまりよくわからなかったけど、お母さんが狐だって言っていた。そしてこの話を近所のおじさんにお母さんは話した。そのおじさん、動物が大好き。「狐ならいる。親子でいる。鉄橋の向こうに巣がある。」と話していた。そのおじさんの家の裏から、ある時視線を感じたお母さん。なにやらこっちを見ている。犬が逃げ出して物陰に隠れているのかと近づいていくと、それはすたこら逃げ出した。お母さんの好奇心にスイッチが入り、足早に近づいた。それが何であるか確かめたくて。狸だった。狸が道路を横切って逃げていった。
近所の人の話ではこの辺に狸も暮らしているらしい。お母さんはわくわく?こんな楽しいところはない。狐、狸、雉、馬も牛もいる。馬が草を食むのに堤防にいたときがあった。私はびっくりして吠えたことがある。牛と馬は飼われているのだが、ねえねが小さいとき時々小屋に見に行った。
大雨が降った翌日などは、心配になる。なぜってゴルフ場の芝生が川になっているから。潮の匂いがし、かもめが飛んでくる。自然の怖さを目の当たりにする。そして、岸に打ち上げられたごみにうんざりする。こういうものが雄物川を流れているのだ。水がひけるとペットボトルなどのごみが残る。どこから流れ着いたのか。
毎日歩いているこの道。お母さんはお日様にも話しかける。「ありがとう」って。私がいるおかげ?でお母さんはちょっぴり変わったかも。だって、五感が鋭くなったでしょ。草のにおい。鳥の声。四季を見つける視覚。つくしが顔を出しただの、ススキが出てきただの、季節を感じることができるようになったのだから。
本当は私がお母さんを散歩に連れて行ってあげてるの。でも私に言うんだよねぇ、「ピース、散歩連れて行ってあげる!」って。