なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

降りていく思想―ナマケモノ倶楽部とガンジーと昌益

2014年11月02日 | ともこ
『つながるあきた地宝プロジェクトチーム』(以降「つながるあきた」)のその後。仕事の多忙にて私はほぼ活動できなかったことは今年の残念大賞3つのうちの1つです。
最も残念な出来事は愛猫の死…。

1年半の付き合いでしたが、未だにすごく大きなスペースを私の中に占めています。変な猫でした。風来坊なあいつは夜帰ってこない日もあり、来たいときにやって来て、対等な関係だったような感じがします。食糧はこちらが与えていたけれど。事故で片足を無くしても2階の窓から出入りしていました。私にはジャニーズのKAT-TUNの亀梨和也風に見えていました。(大島弓子の漫画をご想像ください)

さて「つながるあきた」ですが、春には男鹿の大竜寺のイベント『スケッチャ・オブ・ミャーク』(宮古島のおばあが主役)上映会でフードを担当し、月一回の座談会を持っていました。「te-to-te」という食品を扱う活動時のグループも出来ています。

糸紡ぎの手作業をレクチャーする会も県内で持たれていらっしゃる大仙市にお住まいの片山佳代子さんをご存知の方もいらっしゃると思いますが、ガンジー思想の書籍を書いていらっしゃいます。彼女は安藤昌益の活動にも加わっています。(江戸時代に「直耕、直織」=「自ら耕し、自ら織ること」の重要性を説いた人物)

この秋、「安藤昌益を世界に広める会が秋田での国民文化祭に、大館にてナマケモノ倶楽部の辻信一さんをよんでの講演会を催しました。私は仕事の調整も上手く出来ず残念ながらお会いし損ねました。“人は何のために生きるのか?”という質問に「人に与えるため」と答えられていたとのこと。

初夏から8月中、つながるあきたで秋田県内数箇所でのナマケモノ倶楽部の映画、『川口唯一の「自然農という生き方」』のリレー上映をしました。実は、このナマケモノ倶楽部のゆっくりノートから出来たDVDの上映会は、つながるあきたの次のステップの活動として私が提案していたものでもありました。

メンバーの中ではファームガーデンたそがれの菊地さんなどは、ナマケモノ倶楽部を良くわかっていらっしゃり、北秋田市での上映会は大盛況となったようでした。森のテラスという所は、環境もとても緑が多くて素敵なところのようでした。

横手での上映会ではトランジションあきたの方に協力を依頼しました。なかなか参加者は募れず集客率は不良でしたが、ここに集まった方とは色んな考えをシェア出来て、今後も大切にしていきたい方々との出会いでした。NPOの世話役をしている方、湯沢市で自然農の田甫をされている方など。

イベントを興すには本当に情熱とエネルギーが必要です。本当は、ナマケモノ倶楽部のゆっくりノートシリーズの他のDVDサティシュ・クマール氏のものや、その他、沖縄の米軍基地問題の『標的の村』なども上映会を出来たらと思っていたのですが。

辻さんがいらしていた15日、潟上市(菊地さんの地区)で急遽、『ヴァンダナ・シヴァの「いのちの種を抱きしめて」』の上映会が催されたのでした。(これも私は不参加・・・。)

春に少しやってみた私の自然農法の畑は、仕事の多忙さにかまけていたら本当に雑草まみれで家族がご近所に恥ずかしいからとあまりに言うので止めました。ゴールデンウィークにジャニス・ジョブリンをかけながら泣く泣く草むしりと畝崩しをして土地を返しました。

ファームガーデンたそがれのKさん、ブログの中に不自然さの奇妙さについて書いた後「ついでに言っとく、人の生き死にもだ。」というくだり、私の琴線に触れたポイントです。

彼の田んぼが稲刈りの時期に泥濘が強く、人手が必要だと窮地の知らせが先日あり、微力ながら稲刈りを手伝わせていただきました。最初は男性陣のグループに混ざり、黙々と作業に集中していました。農薬を用いない田んぼにはトンボやカエル、カマキリが楽しそうに暮らしていました。私も裸足で地球に嵌って来ました。気持ちよかった~♫リフレッシュできました!帰りの道中では、すっごく年下のかわいいボーイフレンドができました。

我が家の新顔ミトンも連れて行きたかったです。本名:ミトンの亮、人呼んでミーすけ、生後3ヶ月のやんちゃな仔猫です。この子は『タイタニック』の頃か、まだテレビのホームコメディものに出ていた頃の初々しい” レオ様”(レオナルド・ディカプリオ)っぽいかも!!


ともこ

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