冷凍庫にペリカンのパンが無くなって、ガラガラしているので、まずは田原町に行きました。
1斤の食パンを6本買って、リュックに入れてもらって、まるで赤ちゃんをおんぶしている様に、お尻に手を添えて、一日中、18000歩もあるきました。
夕方5時10分に劇場に着いて、まだトークセッション100人に余裕あると言うので、すぐにその会場に案内してもらいました。
ライマンさんの話を、通訳の方に訳してもらって聞きました。
①道化は王様に付いているものだから、リア王がただの人になってしまうと、消えてしまう。
②道化は語りで演じさせる。少し歌う部分もあるが「役者が歌っている様に」演じさせる。その時、道化の声はオーケストラに負けてしまうから、静かな弦楽四重奏にしている。
興味深い話を聞いて、ますます楽しみになる。
私はライマンさんに聞いてみたかった。1978年の初演の時の音楽と、今日の音楽は同じものなのかしら?変えたところはあるのかな?
「現代音楽」でこのオペラはできていて、一つも心地よいメロディは無いのです。
でも贔屓の峰先生の歌うところは、なぜだか心地よく上手に聞こえました。
腰越さんに目をつぶされてしまうなんて!!ショッキングな出来事でした。
休憩後、猛烈な拍手が下の階で聞こえ出し、作曲者のライマンさんまでが立ち上がって、後ろを向いて拍手していました。
舞台終了後もまた拍手。
あとで分りましたが、天皇皇后両陛下がおいでになっていたそうです。
オペラの前に少し早く上京して、新橋で下車。
芝増上寺と東京タワーです。
最近東京タワーの形が変わったと思うのは私だけでしょうか?
メタセコイアや樟の木々の下を、気持ち良く歩きます。
「見せたいものがある」と言ってどんどん行く人を追いかけて、付いていくと…。
ここは、慈恵大学病院でした。
慈恵は叔母が土浦二高を卒業後、入学した看護学校です。
その後大半を調布の慈恵第三病院で看護教育に携わりました。
そして、定年退職の直前はこの本院で、「企画室」に勤務しました。
ああ、ここが叔母の青春を送ったところ…。
寛子ねえちゃん。きょうは良い所に行って来ましたよ。お友達が、この看護婦像を見せたいと連れて行ってくれました。
慈恵にかかわりの無い人は気にも留めない事でしょう。家に帰って来て、私は寛子姉ちゃんの若い時を思って、泣いています。
連れて行ってくれたお友達に感謝です。
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叔母はクリスチャンで、教会のクリスマス行事に、家々を回った夜、「今日は御馳走ですよ」とおよばれしたと言う、お蕎麦の話。
新橋で遅い昼御飯に食べた私のお蕎麦です。