旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

自然との折り合いか・・・

2010-04-04 23:02:44 | 最南端
7Generationswalkで葉山に住む真砂さんの畑とギャラリーを訪ねた。
真砂さんは音楽(インディアンフルート)、絵、文章を書く人で、ライスペーパーという
大きな規模のフリーペーパーのライターとして僕は会う以前から知っており、一度、直接
会って話がしてみたかった人物の一人だった。

あの時は確かギャラリーで水彩画についての話を映像と音楽をかけながら聞かせてもらった時だったと思う。
真砂さんの言葉と、なんというか雰囲気に僕は飲み込まれていったことを良くおぼえている。

以下、そんな真砂さんの春の報告メール。

・・・ここで田んぼをするようになって、もう11年目、  
冬期湛水にして耕さなくなって6年目。

ここには森の腐葉土と少量の糠以外、肥料を入れていない。
でも毎年ほぼ同量のお米を、ここからいただいた。
・・・森の片隅でガーデニングをしているようだ。

まったく経済的な行為ではないが、自然との折り合いを感じることができる。
何より自分のいのちが喜んでいる。

経済って何だろう。

・・人間の生活に必要な活動の結果、形成される社会関係。
であるなら、経済を論ずる前に、まず自分が本当に望んでいる有機的な生活をつくることが先だろう。
有機的って何だろう。

・・生きているということ。
いのちという関係。

森は、誰が計画したわけでもなく、ひとつひとつの命が、一本一本の樹が、  
輝いて生きぬくことで自然に多種多様に共生し合い、生い茂って成長している。
僕たちも個を輝かせ、有機的な世界を生き始めているのだろう。・・・                    
真砂秀朗 Essayより

河掃除

2010-04-04 22:01:06 | 静岡
今日、僕が住む島田市は朝から近所の人と河ざらいといって用水路の掃除をした。
生活排水を流す用水路の草や水草、泥や石などを取り除く市内に住む市民はみんな用水路を掃除をする日だ。
平川家の男は子供の頃から、この日の朝はどこにも行けず、強制的に手伝う事になっている。
思いコンクリートを持ち上げたり、くさかったりと良いことなんて何もない。

でも、子供の頃僕はこの用水路の掃除がとても好きだった。
用水路から取り出された水草やコケの中からたくさんザリガニが出てきて、
それを捕まえ、突いて怒らせると爪を大きく持ち上げて威嚇するのが面白しく、
それは、子供の頃の楽しい行事だった。
ザリガニだけじゃない。
その用水路にはたくさんの生き物がいた。
そのころのそれは、用水路なんかじゃなくて、たくさんの生き物がいる、それはまだ川と呼べるものだった。
少なくとも僕がまだ小さい頃はそうだった。

今日、ゴミ袋に水草を入れながらザリガニを探したけど、どこにもザリガニはいなかった。

川はただの用水路になっちまって、つまらない用水路の掃除になっちまった。