お彼岸を過ぎると、日中は暑い日もあるものの、夜はだいぶ涼しくなりました。
今、台風で外は暴風で荒れてます。
今月は、精神的にも体力的にも消耗した感じが強いです。
わずか3日間で2名の入居者様を見送りました。
勤めている施設は看取りもやっています。
3日間で2名は、老健やホスピスからすると少ないのかもしれませんが…
施設はひとつの階に、2フロアあり、各10名の入居してるユニット型です。
亡くなったのは、私がいる階だけど私が担当していないフロア。
でも、夜勤や入浴、食事の介助で接するので、大きな喪失感があります。
知的障害があったSさん(男性・60代後半)が亡くなったのは朝の4時少し前。
その日、私は早番で6時に出勤。
1時間前に巡視した時にはいつもと変わらなかったのに、次に巡視したときには顔が青白くなっていたと。
夜勤時は職員が1名しかいないし、4時頃から忙しくなるので、夜勤の方もげっそりしていました。
30分後には、葬儀会社の方が来て、ご遺体を運んでいきました。
すでに布で覆われていて、お顔を拝見することはできなかったけど
状況から、苦しむことなく眠っているうちに亡くなったのだろうということでした。
今年に入ってから、急に活気がなくなり、ぼーっとすることが多かった。
血圧が急低下することもあったし、職員の間では『いつか急変するんじゃないか』と話していた。
その翌々日に亡くなったのが、Sさんの隣部屋のAさん(女性・80代)
その日も早番で、夜勤者からの申し送りで、特別異変はなし。
フロアのすべての方を起こして、お茶を飲ませていた7時過ぎ。
隣のフロアの職員さんが『○○さん(私のこと)、Aさんが喀血してるんです!!』
と飛び込んできました。
急いでAさんの居室に行くと、ベッドが血の海で。
20分前に排泄交換した際には変わりなかったのに、ふと見たら喀血してたと。
真っ白になったAさんの顔を見て、瞬時にもう息はしてないと思ったけど
『息、してないですよね??』って脈をみると、やはり呼吸してない。
2人で手分けして、『まだ宿直の人、いるよね?』『今日の1番目の看護師さん、誰だっけ?』って
連絡して。
すぐに宿直の職員さんが1階から来てくれて、家族の方に連絡してくれた。
施設の朝は忙しい。
とりあえず、他の入居者様のお世話をしなければならないので、フロアに戻ると
入居者様同士で、大声での口喧嘩をしていた。
間もなく、施設長やドクターが来て、ご家族の方が見えました。
9時過ぎに、『Aさんの準備ができたので、差し水してあげて』と言われ
Aさんの娘さんに挨拶をして、差し水させて頂きました。
血で汚れた顔をきれいにしてもらったAさんの顔はとても穏やかで
顔色を除くと、いつものようにただ寝ているだけにしか見えませんでした。
その30分後に、葬儀社の方が来てAさんを連れて行きました。
Aさんは、2年近く胃瘻。明確な発語はなく、体も拘縮し、皮膚ももろく、
何かに少しぶつかっただけでも、簡単に皮膚剥離をおこした。
ご自分で体を掻き毟ることも多く、そのせいでの傷も多かった。
怖くなかったといえば、嘘になるかも。
血の海なんて初めて見たし、その日の入浴中に湯船で気が抜けて、
ぼろぼろ涙が落ちてきた自分を考えると。
でも、自分でも驚くほど冷静で、その日の業務を淡々とこなせたのは
Aさんが看取りだったこと、他の入居者様がいつもと同じく不穏だったこと、
そして、その時対応してたのが、自分一人じゃなかったこと。
私一人だったら、あんなに冷静にできなかったし、誰かがいてくれてよかった…
2人とも家族間の関係が希薄だったように思える。
Sさんは、看取りではなかった。
ご家族の方に、これからどうお世話させて頂くか確認を取っていたけど
看取りにするのか、最後まで延命していくのか、はっきりした回答はないまま最期を迎えてしまいました。
Aさんは、ご家族の面会も年に1回あるかないかで。
3人いる子供のうち、連絡が着くのは娘さん1人だけで
あとの2人は連絡が全然取れなかった。
腹部に大動脈瘤があり、2週間前に胃瘻でも嘔吐するようになり、何度か娘さんに連絡の上
看取りになりました。
けれど、最後の最後まで、他の2人のお子さんはAさんに会いに来なかった。
Aさんは喀血こそすれ、ドクターの診断では殆ど苦しむことはなく逝ったとのことでした。
どんなに考えお世話させて頂いたとしても、意思表示がない方のお世話には
(意思表示があったとしても)やはりどこか、もっとこうすればよかったのではと思うもの。
でも、苦しむことなく、穏やかな死であったのなら、少しはこちらも救われる感じがするのです。
施設にいれば、私達が家族のようなもの。
その方らしく、1日1日の積み重ねの先に最期があるような、そんな穏やかな最期を迎えられるように
寄り添っていければと思います。
今、台風で外は暴風で荒れてます。
今月は、精神的にも体力的にも消耗した感じが強いです。
わずか3日間で2名の入居者様を見送りました。
勤めている施設は看取りもやっています。
3日間で2名は、老健やホスピスからすると少ないのかもしれませんが…
施設はひとつの階に、2フロアあり、各10名の入居してるユニット型です。
亡くなったのは、私がいる階だけど私が担当していないフロア。
でも、夜勤や入浴、食事の介助で接するので、大きな喪失感があります。
知的障害があったSさん(男性・60代後半)が亡くなったのは朝の4時少し前。
その日、私は早番で6時に出勤。
1時間前に巡視した時にはいつもと変わらなかったのに、次に巡視したときには顔が青白くなっていたと。
夜勤時は職員が1名しかいないし、4時頃から忙しくなるので、夜勤の方もげっそりしていました。
30分後には、葬儀会社の方が来て、ご遺体を運んでいきました。
すでに布で覆われていて、お顔を拝見することはできなかったけど
状況から、苦しむことなく眠っているうちに亡くなったのだろうということでした。
今年に入ってから、急に活気がなくなり、ぼーっとすることが多かった。
血圧が急低下することもあったし、職員の間では『いつか急変するんじゃないか』と話していた。
その翌々日に亡くなったのが、Sさんの隣部屋のAさん(女性・80代)
その日も早番で、夜勤者からの申し送りで、特別異変はなし。
フロアのすべての方を起こして、お茶を飲ませていた7時過ぎ。
隣のフロアの職員さんが『○○さん(私のこと)、Aさんが喀血してるんです!!』
と飛び込んできました。
急いでAさんの居室に行くと、ベッドが血の海で。
20分前に排泄交換した際には変わりなかったのに、ふと見たら喀血してたと。
真っ白になったAさんの顔を見て、瞬時にもう息はしてないと思ったけど
『息、してないですよね??』って脈をみると、やはり呼吸してない。
2人で手分けして、『まだ宿直の人、いるよね?』『今日の1番目の看護師さん、誰だっけ?』って
連絡して。
すぐに宿直の職員さんが1階から来てくれて、家族の方に連絡してくれた。
施設の朝は忙しい。
とりあえず、他の入居者様のお世話をしなければならないので、フロアに戻ると
入居者様同士で、大声での口喧嘩をしていた。
間もなく、施設長やドクターが来て、ご家族の方が見えました。
9時過ぎに、『Aさんの準備ができたので、差し水してあげて』と言われ
Aさんの娘さんに挨拶をして、差し水させて頂きました。
血で汚れた顔をきれいにしてもらったAさんの顔はとても穏やかで
顔色を除くと、いつものようにただ寝ているだけにしか見えませんでした。
その30分後に、葬儀社の方が来てAさんを連れて行きました。
Aさんは、2年近く胃瘻。明確な発語はなく、体も拘縮し、皮膚ももろく、
何かに少しぶつかっただけでも、簡単に皮膚剥離をおこした。
ご自分で体を掻き毟ることも多く、そのせいでの傷も多かった。
怖くなかったといえば、嘘になるかも。
血の海なんて初めて見たし、その日の入浴中に湯船で気が抜けて、
ぼろぼろ涙が落ちてきた自分を考えると。
でも、自分でも驚くほど冷静で、その日の業務を淡々とこなせたのは
Aさんが看取りだったこと、他の入居者様がいつもと同じく不穏だったこと、
そして、その時対応してたのが、自分一人じゃなかったこと。
私一人だったら、あんなに冷静にできなかったし、誰かがいてくれてよかった…
2人とも家族間の関係が希薄だったように思える。
Sさんは、看取りではなかった。
ご家族の方に、これからどうお世話させて頂くか確認を取っていたけど
看取りにするのか、最後まで延命していくのか、はっきりした回答はないまま最期を迎えてしまいました。
Aさんは、ご家族の面会も年に1回あるかないかで。
3人いる子供のうち、連絡が着くのは娘さん1人だけで
あとの2人は連絡が全然取れなかった。
腹部に大動脈瘤があり、2週間前に胃瘻でも嘔吐するようになり、何度か娘さんに連絡の上
看取りになりました。
けれど、最後の最後まで、他の2人のお子さんはAさんに会いに来なかった。
Aさんは喀血こそすれ、ドクターの診断では殆ど苦しむことはなく逝ったとのことでした。
どんなに考えお世話させて頂いたとしても、意思表示がない方のお世話には
(意思表示があったとしても)やはりどこか、もっとこうすればよかったのではと思うもの。
でも、苦しむことなく、穏やかな死であったのなら、少しはこちらも救われる感じがするのです。
施設にいれば、私達が家族のようなもの。
その方らしく、1日1日の積み重ねの先に最期があるような、そんな穏やかな最期を迎えられるように
寄り添っていければと思います。