今日、お世話させて頂いていた、じーちゃんが退所しました。
じーちゃん=(現役時代の職業で)『局長』(と私達が呼ぶと笑顔を見せていた)で
去年の年末ごろから急激に認知が悪化した人です。
実は、私は現役時代の局長を知っていました。
かつて、メーカーのOLをしていた時、私用である支局を訪れて
そこで受け付けてもらえなくて、別の支局に行った際に
奥から局長が出てきて、受付の人に「受け付けなさいよ」と言ってくださったのが
すごく心の中に残っていたのです。
その後、社用も含めて何度かその支局を訪れた際に、時折局長を見かけていました。
20年以上の時を経て、局長が勤務している施設に入居してきたのは
2年位前だったでしょうか。
入居前情報を観て、すぐにその時の人だとわかりました。
入居した時は、認知がひどかったけど
環境に慣れるにしたがって、だんだん落ち着くようになり、
元々の性格もあったのでしょう。
世話好きで、寂しさからしょっちゅう不穏になる他入居者様の話し相手をして下さったり
洗濯物を畳むのも、すごくきちんと畳んでくれました。
転倒して、肋骨7本を負った時もあったけど、不思議なほどレベルの低下もなかった。
私が観てきた限りですけど、大抵は、徐々に認知症が進んで悪化していくか
転倒で頭打った、骨折や持病の急変などで入院して、体が動かせなかった等で
急激に認知症が進んだ、なんですけど
局長の場合はどれもあてはまらなくて、
ただ一つ、隣のフロアまで歩いていき、換気用に空けていた窓からベランダに行き
1階まで降りて行ってしまった、ことがきっかけだったでしょうか。
その日を境に、さまざまな面で異常行動がみられるようになりました。
入居した時も帰宅願望があったから、その面が強く出て
昼夜問わず、「帰る」「仕事に行く」と言っては、窓を開けようとする、
カーテンにぶら下がって転倒しそうになる、
経管栄養者の居室に入って、点滴台につまづく、
経管栄養中の人を揺さぶる、居室のテレビのコードに足がひっかかる、などなど。
他入居者様の居室に入っちゃう場合は、その部屋の方に断って鍵をかけるのですが
夜中に扉をバンバン叩いたり、がちゃがちゃさせるので、その部屋の方もおびえます。
職員がそばにいて、傾聴していれば、落ち着く方は多いんですけど
そばにいても、じっとしていることができず、
身長180cm近くのやせた高齢者が椅子やテーブルの上に昇ろうとするので
動くのは早いのに、足元はふらついてるので、自殺行為ですよ。
「修理する」と言っては、テレビを持ち上げる、コードを無理矢理引っ張る、
テーブルをひっくり返そうとする、といった破壊行為。
業務用のパソコンにも、お茶をかけられて水没・・・
丸2日どころか、3日も寝てないことも度々で、よく動けるなと、
逆に感心するほど。
もちろん、排泄の方も・・・です。
職員1人で10人、夜間は20人をケアするので、一切業務ができない状態でした。
局長のご家族も度々面会に来て下さり、現状を観ては「すみません、すみません」と
謝罪を繰り返され、
「こんなんだったら、寝たきりになってくれた方がいいわよね」と涙がらに話され
「いやいや、一番困惑して辛いのはご本人ですし、これが私たちの仕事ですから」
「動けるのは、体力もあって体が元気な証拠です。大丈夫ですよ」と
気にしないよう返答するのですが
目に見えて、精神的にも参ってしまっているのがわかりました。
局長に影響されて、普段はそれほどでもなかった他の入居者様も不穏になり
転倒事故も増えていました。
そんな状況が2か月近く続き、対応策も出尽くし、職員の疲労感もピークに達したころ
局長は精神病院に入院することになりました。
入院する少し前、徘徊する局長に声をかけ、手をとって戻る際に
現役時代の局長を思い出して、泣きそうになっちゃって鼻をすすった際に
局長が「今日は寒いなぁ」と言ったのが、局長と交わした最後の会話でした。
認知症が悪化して徘徊がひどくなり、精神病院に入院すれば
その後どうなるか、私はある程度知っている。
運よく、施設に戻ってきたとしても、もう以前の局長でないことも
予想できていました。
でも、その予想が、施設に戻ってきてくれたらいいなぁ、とわずかな希望でしたが
局長は、戻ることなく、今日退所になりました。
今の状態は、施設では対応できない状態とのことでした。
このコロナの状況で、ご家族は施設に入ることができません。
外で荷物を受けることになりました。
たまたま、私は1階に用事があって出た際に、ご家族に窓越しに会うことができて
最後の挨拶とお礼を言うことができました。
「直接、皆さんにご挨拶できなくてすみません。どうぞよろしくお伝えくださいね」
と、ご家族。
私達は、少なくとも私達職場の介護士は、
ここが終の棲家と思って、安心して最後まで暮らせるように
そして最後を看取ることができるように、日々接している。
局長とは最後まで、一緒にいたかった。
じーちゃん=(現役時代の職業で)『局長』(と私達が呼ぶと笑顔を見せていた)で
去年の年末ごろから急激に認知が悪化した人です。
実は、私は現役時代の局長を知っていました。
かつて、メーカーのOLをしていた時、私用である支局を訪れて
そこで受け付けてもらえなくて、別の支局に行った際に
奥から局長が出てきて、受付の人に「受け付けなさいよ」と言ってくださったのが
すごく心の中に残っていたのです。
その後、社用も含めて何度かその支局を訪れた際に、時折局長を見かけていました。
20年以上の時を経て、局長が勤務している施設に入居してきたのは
2年位前だったでしょうか。
入居前情報を観て、すぐにその時の人だとわかりました。
入居した時は、認知がひどかったけど
環境に慣れるにしたがって、だんだん落ち着くようになり、
元々の性格もあったのでしょう。
世話好きで、寂しさからしょっちゅう不穏になる他入居者様の話し相手をして下さったり
洗濯物を畳むのも、すごくきちんと畳んでくれました。
転倒して、肋骨7本を負った時もあったけど、不思議なほどレベルの低下もなかった。
私が観てきた限りですけど、大抵は、徐々に認知症が進んで悪化していくか
転倒で頭打った、骨折や持病の急変などで入院して、体が動かせなかった等で
急激に認知症が進んだ、なんですけど
局長の場合はどれもあてはまらなくて、
ただ一つ、隣のフロアまで歩いていき、換気用に空けていた窓からベランダに行き
1階まで降りて行ってしまった、ことがきっかけだったでしょうか。
その日を境に、さまざまな面で異常行動がみられるようになりました。
入居した時も帰宅願望があったから、その面が強く出て
昼夜問わず、「帰る」「仕事に行く」と言っては、窓を開けようとする、
カーテンにぶら下がって転倒しそうになる、
経管栄養者の居室に入って、点滴台につまづく、
経管栄養中の人を揺さぶる、居室のテレビのコードに足がひっかかる、などなど。
他入居者様の居室に入っちゃう場合は、その部屋の方に断って鍵をかけるのですが
夜中に扉をバンバン叩いたり、がちゃがちゃさせるので、その部屋の方もおびえます。
職員がそばにいて、傾聴していれば、落ち着く方は多いんですけど
そばにいても、じっとしていることができず、
身長180cm近くのやせた高齢者が椅子やテーブルの上に昇ろうとするので
動くのは早いのに、足元はふらついてるので、自殺行為ですよ。
「修理する」と言っては、テレビを持ち上げる、コードを無理矢理引っ張る、
テーブルをひっくり返そうとする、といった破壊行為。
業務用のパソコンにも、お茶をかけられて水没・・・
丸2日どころか、3日も寝てないことも度々で、よく動けるなと、
逆に感心するほど。
もちろん、排泄の方も・・・です。
職員1人で10人、夜間は20人をケアするので、一切業務ができない状態でした。
局長のご家族も度々面会に来て下さり、現状を観ては「すみません、すみません」と
謝罪を繰り返され、
「こんなんだったら、寝たきりになってくれた方がいいわよね」と涙がらに話され
「いやいや、一番困惑して辛いのはご本人ですし、これが私たちの仕事ですから」
「動けるのは、体力もあって体が元気な証拠です。大丈夫ですよ」と
気にしないよう返答するのですが
目に見えて、精神的にも参ってしまっているのがわかりました。
局長に影響されて、普段はそれほどでもなかった他の入居者様も不穏になり
転倒事故も増えていました。
そんな状況が2か月近く続き、対応策も出尽くし、職員の疲労感もピークに達したころ
局長は精神病院に入院することになりました。
入院する少し前、徘徊する局長に声をかけ、手をとって戻る際に
現役時代の局長を思い出して、泣きそうになっちゃって鼻をすすった際に
局長が「今日は寒いなぁ」と言ったのが、局長と交わした最後の会話でした。
認知症が悪化して徘徊がひどくなり、精神病院に入院すれば
その後どうなるか、私はある程度知っている。
運よく、施設に戻ってきたとしても、もう以前の局長でないことも
予想できていました。
でも、その予想が、施設に戻ってきてくれたらいいなぁ、とわずかな希望でしたが
局長は、戻ることなく、今日退所になりました。
今の状態は、施設では対応できない状態とのことでした。
このコロナの状況で、ご家族は施設に入ることができません。
外で荷物を受けることになりました。
たまたま、私は1階に用事があって出た際に、ご家族に窓越しに会うことができて
最後の挨拶とお礼を言うことができました。
「直接、皆さんにご挨拶できなくてすみません。どうぞよろしくお伝えくださいね」
と、ご家族。
私達は、少なくとも私達職場の介護士は、
ここが終の棲家と思って、安心して最後まで暮らせるように
そして最後を看取ることができるように、日々接している。
局長とは最後まで、一緒にいたかった。