風が少しありましたが、今日もよいお天気でした。
先週の今日、12月18日にハッピーは天国へと旅立っていきました。
病院から帰宅したその日の、20時45分ごろで、今日と同じ星の瞬く夜でした。
帰宅してからも、ハッピーは水以外何も口にしませんでした。
いつも点滴を受けると食欲が出ていたので、缶詰をあげようと様子を見に行きました。
『ハッピー』と声をかけると、最初は甘えるように頭を動かして、水を少し飲んだ後、
激しく頭を2、3度動かしたかと思うと、天を仰ぐように苦しみだしました。
瞬間『ハッピーは死ぬんだ』って悟って、涙が溢れ出て母を呼びました。
母が急いでリビングから出てきて、ハッピーの元に座り込んで、
私は隣の部屋にいる父も呼んできました。
苦しむハッピーに『ハッピー、もういいよ、もう苦しまなくていいよ』と叫んで
目と口を開けたまま、ハッピーの呼吸は止まりました。
多分、子供時代を除いたら、私が家族の前でこんなに泣いたのは初めてかもしれない。
『ハッピー、よく頑張ったね。えらかったね。これからもずっと一緒だから安心して天国いっていいよ。』
そう言いながら、目を閉じさせようとしましたが、大きく見開いた目は完全には閉じることができませんでした。
口元も少し開いたままになってしまいましたが、
鼻の辺りまでタオルをかけてあげると、穏やかに眠っているようでした。
一晩そのまま静かに置いて、霜が解けた翌朝10時ごろに、庭の東側に埋葬しました。
庭に放すと一番にその場所に走っていった、ハッピーの一番好きな場所でした。
お墓には、首輪とリード、大好きだったおやつも一緒に入れました。
午後になり、母から『今日、出かけるんじゃないの?』と聞かれました。
そう、19日はlynch.のツアーファイナル、しかも私にとっては最後のインディーズでのlynch.。
すごく楽しみにしてた日です。
それでも、(亡くなってしまうのが)今日か明日かという状態で、
ハッピーがこのまま頑張っているなら、キャンセルするつもりでした。
『ハッピーが生きてたら行かないつもりだったけど、死んじゃって、
こんな気持ちで行くのもなんか・・・』と迷う私に
『楽しみにしてたんでしょう?ハッピーが作ってくれた時間だと思って、行っておいで』
と、ライヴに行くことに、初めて母から勧めてくれて行くことにしました。
『ハッピーが私のために作ってくれた時間』と言い聞かせて、心を奮い立たせて会場へ。
いつもならどんなに番号が遅くても前にしゃしゃり出てしまうんだけど
どうしても、心が前にいかず、中間より後ろの位置で観ることにしました。
それでも、やっぱりlynch.のライヴはすごかったし、楽しかった。
インディーズラストのツアーファイナルにふさわしいライヴだと思いました。
なのに、ありえないくらい、いたたまれない気持ちになって、
あともう少しでライヴが終わるというのに、私は会場から出てしまいました。
本当にこんな特別な日に最後まで観ないなんて、メンバーさんや集まったすべての人々に
申し訳ない気持ちだったのですが、
明徳さんが正式にlynch.のベースになったと聞いて、糸がプツンと切れてしまった。
lynch.結成当初からいなかった、正式なベース。
決まって、良かった。嬉しかった。
それだけで満足してしまった私でした。
翌日からこの1週間、私の生活は崩れっぱなしでした。
ハッピーはもういないのに、尿だしのために毎朝5時半に起きてたのが習慣となって
5時半に起きる。
でも、いないということを実感して泣いては2度寝する。
そうして寝過ごす。
母と分担していた家事をやらなくなる、部屋の中は散らかり放題。
日中はいつもと変わらず人と接していても、一人になると涙ぐんだり。
夜は泣き疲れて寝る、ということが続きました。
ちゃんと心の整理をつけないままライヴに行ったりしたから、
こんなに悲しいんだ、罰があたった、とまで思いました。
ペットをなくしたのは初めてじゃないのに、こんなに辛かったかと自分でも驚くくらいでした。
それでも、少しずつ少しずつ、徐々に落ち着くようになりました。
ハッピーが我が家にきてから楽しかったことばかり。
すごい吠えるくせに、寂しがりや、甘えんぼ。
そして、いつも同じ食事だと食べない、結構わがままな女の子。
お散歩が大好きなのに、忙しいのを言い訳に毎日行ってあげられなくてごめんね。
もっと、いろんな所に行きたかったよね。
もっと、遊びたかったよね。
最後まで歩かせてあげられなくて、ごめんね。
10歳と8ヶ月の生涯。
寂しい思いも沢山させました。
でも、最後の2ヶ月間は、飼い主のエゴなのかもしれないけど、
介護も大変だったし、寝たきりになってしまったのが可哀相で泣いてばかりでも、
一緒にいられて幸せな時間でもありました。
ハッピーが病気になった頃、私はそれまでとは違って土日は必ず家にいるようになり
癌とわかってからは、平日は朝から夕方に家をあけ、土日休みという、
いわば普通のOLさんと同じような生活になり、
1日の多くの時間をハッピーと過ごすことができました。
先生から、あと2,3日の命かもしれない、と言われて初めて覚悟ができて
食べなくなってから、神様がお迎えにくるのが今日か明日か、と思うと
知らない間に逝ってしまうのが嫌で、最後の1週間はあまり眠れない日々が続きました。
それでも、ハッピーはすごい頑張ってくれて
亡くなるその日、先生からは『顔に余裕があるし、今年いっぱいもつかもたないか』とまで言われました。
私としては、殆ど食べなくなってから結構経つので、
あと、2,3日かもしれない、って思ってましたが。
そうして、最後は家族みんなで看取ることができました。
今日、動物病院へ、ハッピーが亡くなった報告と今までのお礼に挨拶に行ってきました。
先生は、
『(病院へくるのは、ハッピーを思い出して)辛かったでしょう』
と、言ってくれましたが、ここの先生方のおかげで、
ハッピーと、それまでよりも一緒の時間を過ごすことができたのですから。
ハッピー。
今日、先生のところへ挨拶にいってきたよ。
先生は、ハッピーのこと、すごい頑張り屋さんだったって褒めてたよ。
そのうち、私が必ず迎えに行くから、いい子で待っていてね。
先週の今日、12月18日にハッピーは天国へと旅立っていきました。
病院から帰宅したその日の、20時45分ごろで、今日と同じ星の瞬く夜でした。
帰宅してからも、ハッピーは水以外何も口にしませんでした。
いつも点滴を受けると食欲が出ていたので、缶詰をあげようと様子を見に行きました。
『ハッピー』と声をかけると、最初は甘えるように頭を動かして、水を少し飲んだ後、
激しく頭を2、3度動かしたかと思うと、天を仰ぐように苦しみだしました。
瞬間『ハッピーは死ぬんだ』って悟って、涙が溢れ出て母を呼びました。
母が急いでリビングから出てきて、ハッピーの元に座り込んで、
私は隣の部屋にいる父も呼んできました。
苦しむハッピーに『ハッピー、もういいよ、もう苦しまなくていいよ』と叫んで
目と口を開けたまま、ハッピーの呼吸は止まりました。
多分、子供時代を除いたら、私が家族の前でこんなに泣いたのは初めてかもしれない。
『ハッピー、よく頑張ったね。えらかったね。これからもずっと一緒だから安心して天国いっていいよ。』
そう言いながら、目を閉じさせようとしましたが、大きく見開いた目は完全には閉じることができませんでした。
口元も少し開いたままになってしまいましたが、
鼻の辺りまでタオルをかけてあげると、穏やかに眠っているようでした。
一晩そのまま静かに置いて、霜が解けた翌朝10時ごろに、庭の東側に埋葬しました。
庭に放すと一番にその場所に走っていった、ハッピーの一番好きな場所でした。
お墓には、首輪とリード、大好きだったおやつも一緒に入れました。
午後になり、母から『今日、出かけるんじゃないの?』と聞かれました。
そう、19日はlynch.のツアーファイナル、しかも私にとっては最後のインディーズでのlynch.。
すごく楽しみにしてた日です。
それでも、(亡くなってしまうのが)今日か明日かという状態で、
ハッピーがこのまま頑張っているなら、キャンセルするつもりでした。
『ハッピーが生きてたら行かないつもりだったけど、死んじゃって、
こんな気持ちで行くのもなんか・・・』と迷う私に
『楽しみにしてたんでしょう?ハッピーが作ってくれた時間だと思って、行っておいで』
と、ライヴに行くことに、初めて母から勧めてくれて行くことにしました。
『ハッピーが私のために作ってくれた時間』と言い聞かせて、心を奮い立たせて会場へ。
いつもならどんなに番号が遅くても前にしゃしゃり出てしまうんだけど
どうしても、心が前にいかず、中間より後ろの位置で観ることにしました。
それでも、やっぱりlynch.のライヴはすごかったし、楽しかった。
インディーズラストのツアーファイナルにふさわしいライヴだと思いました。
なのに、ありえないくらい、いたたまれない気持ちになって、
あともう少しでライヴが終わるというのに、私は会場から出てしまいました。
本当にこんな特別な日に最後まで観ないなんて、メンバーさんや集まったすべての人々に
申し訳ない気持ちだったのですが、
明徳さんが正式にlynch.のベースになったと聞いて、糸がプツンと切れてしまった。
lynch.結成当初からいなかった、正式なベース。
決まって、良かった。嬉しかった。
それだけで満足してしまった私でした。
翌日からこの1週間、私の生活は崩れっぱなしでした。
ハッピーはもういないのに、尿だしのために毎朝5時半に起きてたのが習慣となって
5時半に起きる。
でも、いないということを実感して泣いては2度寝する。
そうして寝過ごす。
母と分担していた家事をやらなくなる、部屋の中は散らかり放題。
日中はいつもと変わらず人と接していても、一人になると涙ぐんだり。
夜は泣き疲れて寝る、ということが続きました。
ちゃんと心の整理をつけないままライヴに行ったりしたから、
こんなに悲しいんだ、罰があたった、とまで思いました。
ペットをなくしたのは初めてじゃないのに、こんなに辛かったかと自分でも驚くくらいでした。
それでも、少しずつ少しずつ、徐々に落ち着くようになりました。
ハッピーが我が家にきてから楽しかったことばかり。
すごい吠えるくせに、寂しがりや、甘えんぼ。
そして、いつも同じ食事だと食べない、結構わがままな女の子。
お散歩が大好きなのに、忙しいのを言い訳に毎日行ってあげられなくてごめんね。
もっと、いろんな所に行きたかったよね。
もっと、遊びたかったよね。
最後まで歩かせてあげられなくて、ごめんね。
10歳と8ヶ月の生涯。
寂しい思いも沢山させました。
でも、最後の2ヶ月間は、飼い主のエゴなのかもしれないけど、
介護も大変だったし、寝たきりになってしまったのが可哀相で泣いてばかりでも、
一緒にいられて幸せな時間でもありました。
ハッピーが病気になった頃、私はそれまでとは違って土日は必ず家にいるようになり
癌とわかってからは、平日は朝から夕方に家をあけ、土日休みという、
いわば普通のOLさんと同じような生活になり、
1日の多くの時間をハッピーと過ごすことができました。
先生から、あと2,3日の命かもしれない、と言われて初めて覚悟ができて
食べなくなってから、神様がお迎えにくるのが今日か明日か、と思うと
知らない間に逝ってしまうのが嫌で、最後の1週間はあまり眠れない日々が続きました。
それでも、ハッピーはすごい頑張ってくれて
亡くなるその日、先生からは『顔に余裕があるし、今年いっぱいもつかもたないか』とまで言われました。
私としては、殆ど食べなくなってから結構経つので、
あと、2,3日かもしれない、って思ってましたが。
そうして、最後は家族みんなで看取ることができました。
今日、動物病院へ、ハッピーが亡くなった報告と今までのお礼に挨拶に行ってきました。
先生は、
『(病院へくるのは、ハッピーを思い出して)辛かったでしょう』
と、言ってくれましたが、ここの先生方のおかげで、
ハッピーと、それまでよりも一緒の時間を過ごすことができたのですから。
ハッピー。
今日、先生のところへ挨拶にいってきたよ。
先生は、ハッピーのこと、すごい頑張り屋さんだったって褒めてたよ。
そのうち、私が必ず迎えに行くから、いい子で待っていてね。