聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

お盆『先祖崇拝と自然崇拝』について、

2022-08-11 | スピリチュアル

今回は聖地・パワースポットの投稿ではなく、「お盆」の時期にちなみプライベートなご先祖様のお話しで😌す。

そもそもプライベートな事を思いのまま書くのがブログですが😅💦

後半は思いのまま加筆してます。
😌🙏(画像少なめ)


北陸某所のとある浄土真宗のお寺さん

入口の脇にお地蔵さまがある。

 

生き地蔵と云われ、囲いを作って安置されている。

 

お地蔵さまは人々の身近で見守っている仏さまだが、境内で人々が囲いを作ったのには云われがあった。

 

 

 


【洪水から村を救ったお地蔵さま】

 

今から200年ほど前、おそらくは江戸時代の天保年間のこと、、

『ある時、大雨が続き川の水かさが増していました。

三日目の夜中、

「土手が切れるぞー!」と

村の人々を起こして周る者がいました。

びっくりして起きてきた村人達は、切れかけた土手を見つけ、杭を打ち土俵を積み土手を守りました。


翌朝、泥だらけになったお地蔵さまが見つかり、

村人たちを起こして周ったのは、このお地蔵さまだったという事が分かり、

「もう二度とお地蔵さまが流されないように」と

囲いを作り、お地蔵さまを祀りました。』

 

 

私の七代前のご先祖様のお話しということ。

 

 

何故この話しを知ったかというと、『本当にいるのか分からない遠い親戚』に巡り合い教えて貰えたからで😌


「遠い親戚に○○の人がいるらしい」、、など、

親から噂に聴くことはあっても、現実に会えたり確かめたりする機会はまず無い。

近しい親戚で疎遠になる昨今、遠い親戚となれば、普通は生涯出会うことの無い親戚だ。

たとえ出会えたとしても「は?」

という感じかもしれない。

 

ある時、

私はご先祖様のことを知りたいと思い家系図を作ったことがあった。

ご先祖さまが代々住んでいた『本貫地』というのが誰にでもありますが、
武家でもないので当然家伝の巻物などはなく何処かは分かりません😅

 

まず本家筋の伯父さん(父の兄)にお願いして
『原戸籍』という聞き慣れない戸籍を役所から取り寄せて貰った。

祖父以前に遡り、残存する限りの(出生)死亡記録が書かれている。

これで7代前までのご先祖さまの名前が分かった。

江戸時代寛永年間、実に200年前。

 

明治時代の役人が江戸時代から残る記録を転記してくれていたのだと思うが、ペンではなく筆で書かれ、
昔の住所表記で今の住所だと何処に当たるかがさっぱり分からなかった。

地元であれば郷土史研究をしている人から聞けばわかりそうなものだが、
その土地がどこかもわからないので
仕方なく国会図書館に行って

(古い何かでも多分あるだろーという勝手な憶測😅)

(議事堂右向かいに図書館が鎮座する)


昔の地図などを調べたりしてなんとか

「多分ここだろう?」という場所を探しだした。

 

そのエリアのお寺巡りをし、
家系図を頼りにご先祖さまのお墓を探してますという旨を伝え
「こういう方のお墓はありますか?」
と尋ねて周り、

(厄介な来訪者や😅🙏)

たまたま、5代前のご先祖さまの名前の屋号が使われていた為、
『本当にいるのか分からない遠い親戚』の方に巡り合うことが出来た。

そして家系図の間違っているところやお地蔵さんのお話しも教えて頂き、
約200年前からのご先祖さま代々が眠るお墓に一緒にお参りすることが出来た。🙏🙏🙏

江戸時代は人の移動は禁じられてたので、基本的に江戸時代まで分かれば400年前くらいのご先祖さまはそこいた事になる。


普段の自分からは、父母という一組のカップルしかみえないので世代の時の流れを考えることもない。

七代前からだと、200年間で😮ナント
128組のカップルが子供を生み育ててくれてきたお陰で
今の自分が存在しているという事になる🤔


家系図を作ろうと思ったきっかけは、
沖縄にいた頃、ユタさんのような方に先祖供養を勧められた事があったからだ。

沖縄の人は、お墓の前にブルーシートを敷いて皆で食事を持ちより、
ゆんたく(お喋り)しながら1日中(ひっちー)ご先祖さまと一緒にすごす。中国式の紙のお金を燃やしたりなど、中国傘下だった琉球時代の習慣が色濃く残るお盆。台湾に近い。


(💴あの世でご先祖さまが使うためのお金。紙のお金は横浜中華街の関帝廟でも使われていた)

先祖を敬い、
一族の始祖を祖神として大切に祭っていたのは本土の日本人も同じ😌

 


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

【日本人は木や岩、自然全てに神が宿ると信じていた】、、という嘘😱

について書いてます、、😑

興味のある方はご覧下さい。🙏✨


昔の日本人は、

先祖や祖神が宿る依り代の

木や岩、或は埋葬した山に

祖霊(神)が宿ると信じていただけで

何も『木や岩、自然全てに神が宿る』と、、信じていた訳ではありません。😔

自然を敬うのは当り前の事ですが、

これはイギリス人のタイラーさんという学者が思いついた『アニミズム』という考え方で、

私達日本人の先祖を敬うという信仰からはだいぶ外れています。

なぜこのような間違いが起きてしまったかと言うと、

西洋一神教では『先祖崇拝』が禁じられていて、特に敬虔なキリスト教では
死後の世界観も含めて2000年近く禁じられてきたので、

先祖崇拝?が理解できず、木や岩、山そのものを崇めていたと勘違いした様です。

 

「全治全能の唯一神ヲアガメナサーイ」的な一神教にとって、

人々が過去に実在したであろうご先祖様・祖神を崇めることは極めて危険で

祖先崇拝はあってはならなかった。

 

ただ、

『日本人は自然を敬い木や岩、山、自然全てに神が宿ると信じていた』

という美々しい言葉の響きは日本の学者にも受け入れられ、今では枕言葉の様に使われている為、

大切に受け継がれてきた先祖崇拝が、→ 自然崇拝に置きかえられて

定着してしまった感があり😔

残念に思うので、

くどい様ですが今一度、主張します😢


日本人は自然を敬ってましたが、

木、岩、山、自然全てに神が宿ると信じていたというのは間違い

宗教が生まれたのも、自然崇拝からでなく

猟師は山、漁師は海、
農民は大地と天、

食を得るための感謝と安全の祈りから。

先祖崇拝も

埋葬した場所の木や岩、山

或いは祭祀を行う木や岩、山

依り代に祖霊・祖神を祭っていただけ。

(両墓制=埋葬する場所と祭事を行う場所が違うパターンもあります😌☝️)

 

そもそも『自然を敬う』、、、と言っても、

日本には自然という言葉はなかったのだ。

ありのままで在るものを西洋人の様に、わざわざ人と切り離した対象として考える発想自体😵‍💫なかった。

仕方なく、英語のネイチャーに(ありのまま)という仏教用語の『法爾自然』を対訳に当てた西洋言語だ。

人も自然の一部でありその当たり前の事を、何故わざわざ

西洋人は人と切り離した対比的な存在『自然』と考え、

切り離した上で、崇拝するなどという事を考えつくのか?😵‍💫

西洋人は、個が強め文化なので
自己中心的な考えに極端に片寄ることで、自己と切り離された他者が生まれ対象(自然)として考える様になったのだろうか、、?🤔

タイラーさんが、日本を理解するには精神性が違いすぎたのかもしれない、、、😅

また、古代から中世へと移りゆく大化の改新の前、少なくとも大和王朝には120以上の氏族が属していた。それぞれが祖神を祭っていたとはすれば氏族の数だけ、神々が存在することになり、

日本の学術的にも由緒が多元的であるより、「自然」に一元化しておいた方が何かと面倒がないのかもしれない。🤔

 

阿部氏 大彦命
安曇氏 綿津見命
葛城氏 天高彦
尾張氏 天火明命
大伴氏 天忍日命
中臣氏 天児屋根命
田辺氏 伯太命
諏訪氏 建御名方命
佐伯氏 天忍日命
壱岐氏 月読命

、、etc 氏祖神をあげれば😅きりが無いですが、

日本人は家紋や苗字から遡れば、必ず

八百万の神々の何方様かに起源があたります。

 

「古墳」とは王墓のことですが全国で16万基もあり、

それぞれ氏族や部族の始祖や王が、数多く存在していたという証しでもある。

大和朝廷が日本を統一してからは、各部族の王墓は姿を消し、かつて

王のいた部族も大和朝廷の中の一氏族という形で帰属する様になって

祖神を祭るのみの存在となっていく。

東洋人は
ご先祖様への崇敬信仰

西洋人は
唯一神への崇拝信仰

と考えた方が現実的で、何より

西洋人目線の
「自然崇拝→八百万神」説で、

ご先祖様との本来の繋がりを、
崩されてしまう事も無い。

八百万神は自然崇拝から発生した神という訳ではなく、
私達のご先祖様(始祖神)なのだから。

 

平安時代になると神別氏族として
400氏族ほどに出自分類されますが、


飛鳥時代はまだ八百万の神々と末裔の氏族は近しく(私が200年前の七代前のご先祖さまがお地蔵様として祭られていると知り得た様に😌)、

それぞれ祭りごとがあり結びつきがあった。

遡るほど、複雑化するのは確かに面倒そうですので、

学術的にはアニミズムを採用し、

「全てに神が宿ると信じていた為、八百万の神々が信仰された」

と、しておいた方が無難そうだ🤔

 

アカデミズムでの事情はさておき、、

 

私たち市民は

神社に行った時の懐かしい雰囲気や

ホッとする気分を感じるだけで充分かもしれません😌✨🙏

 

 

ともかく、、

昔の日本人は、山だらけの日本列島の中で、

神聖な場所、祭事を行う聖地を定めるのがとても上手でした。

渡来人も、中国の気学風水を知る人々にとって、先祖を祭る場所によって子孫が繁栄しますので、どこの山に祭るかはとても大切にしていました。


西洋人の学者曰く😔☝️

日本人の自然崇拝は木や岩に神が宿ると信じていて、これは子供が人形に話しかけるのと同じ幼稚な行為であると言う事です🙄
(もしかしてだいぶ上から目線?😅)

が、


自然崇拝でなく

先祖崇拝ですから、

(木)=神籬、
(岩)=磐境、
(山)=神奈備山

に祖霊・祖神を祭っていただけで、

全ての木、岩、自然を崇拝していた訳ではないのです。祟りを恐れた訳でもありません。

現代人が、お仏壇に手を合わせるのと同じ、、😌🙏

仏壇や位牌に神が宿ると信じてる訳ではなく、

祟りを恐れたり崇拝している訳でもなく、

私達、日本人は、ただ

ご先祖さまを敬い感謝し

お祈りしているだけです。🙏✨✨


昔も今もそう。

仏教の寺院に墓地が附置され、
亡くなった人を弔ったり埋葬したりするのは今でこそお寺の役割となってますが、それはここ何百年かのことで
それまでその役割を担っていたのは
神社でした。

そして古神道祭祀の弥生時代より

更に遡り


縄文時代でも、
人々の生と死の祭祀や様式は存在し、

聖地(生)
霊地(死)

があった。

イギリスや中国遼河文明と同様のストーンサークルを、埋葬地に祭る。

(生殖活動の斎や場所も存在していたと思われます。ねぶた・もあしび等かすかな残滓感😌)


5000年前、一万年前、ずっと昔から

日本列島には、亡くなられた方への思いやりと祭祀が

ただありました。

 

 

聖なる国✨✨日本の先人達✨

 

 

 

私達の命をこの世におくりだしてくれた

先祖の方々への感謝と皆様のご冥福を

心よりお祈り申し上げます🙏✨

 



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