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【小袋岩】諏訪七石の一つ。
諏訪大社・本宮と諏訪大社・前宮の間ぐらいにある小袋石(おふくろいし)というスポットへ向かった。脈絡なく、『縄文』→『ミシャグチ』→『諏訪大社』と、この地方の歴史をザックり触れつつ書き進めていきます。
日本列島を圧し折っているフォッサマグナと中央構造線が交わる特別な場所にある😅長野県諏訪市と茅野市の境界付近。
ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界でもあり、そこに関東から九州を貫く世界最長クラスの活断層が横切る。活断層の十字架の中心部だ。
諏訪大社「上社本宮」
諏訪大社には上社と下社があって
上社本宮・上社前宮、
下社秋宮・下社春宮、
合わせて四社を諏訪大社というが、上社本宮が一番大きく賑わっている。
諏訪大社「上社前宮」の拝殿下の風景(途中、外に出てから更に上がってく…)
他の諏訪七石は、諏訪大社・上社本宮などに点在しているが、
普通に見ることが出来るのはこちら😌
諏訪大社・上社本宮の【御沓石】
古くから東日本には、諏訪大社のある長野県を中心に『ミシャグチ』という信仰が存在していた。
弥生人が渡来してくる前の時代、
古事記・日本書紀に由来する西日本の歴史が始まる遥か遥か昔、
5000年前の東日本の山梨~長野にかけては縄文文化の中心地があった。
更に遡れば23000年前の旧石器時代から人が住んでいた地域だ。
長野県諏訪へ向かう途中で、突然思い立ち、手前の山梨県にある釈迦堂遺跡博物館に寄ってみた。
土器土偶など出土品は日本最大級。
かつては、東日本の中心地として栄えた場所らしいが、今はいつ来ても誰も居ない😅
黒曜石の産地で、東日本の土器流通拠点だったようだ。
黒曜石は鋭く加工しやすく、金属器が登場するまでは石器の刃物として使われていた。
今から約5000年前縄文時代中期の土器や土偶が展示されている。
縄文人のボディピアスは、なんと00ゲージ以上の特大サイズ😳
(どうやって空けたんだろう🙄)
耳飾りも多数出土している。
5000年前の【住居跡】
東日本には、西日本の古事記・日本書紀に綴られてる天孫族の歴史とは別系統の歴史が、多元的に存在している。
(だいたい歴史は遡るほど多元的になるもの🙃川も上流にいくと支流が増えてくるのと同じ)
イザナミ・イザナギ、天照大神がこの日本列島に現れる一万年前、
縄文人は、祭事はあっても神や宗教を持たなかった。
おそらく直接的な根源との繋がりを、パラダイムとして持っていたと思われる。
宇宙のエネルギーの繋がりと独自の死生観を持っていた様だ、、🤔
それはあくまで
パラダイム(考え方)であって、
レリジョン(宗教)でも、フェイス(信仰)でもない。
逆説的だが、むしろ『神や宗教』とは、そうした意識や精神性が不安定だったからこそ発生したと言えるかもしれない。🤔
水煙土器。(長野を北上し新潟へいくと火炎土器に)
私たちはその縄文人の死生観(サナトロジー)さえ伺い知ることは出来ず
壊された土偶と埋められた場所などからその意味を想像することしかできないが、
その文化の中で彼らは、食を絶やさず子孫を絶やさずに1万年も生き続けてきたことだけは確かだ。
現代人は太古のパラダイムや精神性を、現代より劣ったものとして常に見下す傾向があるが、一万年というサスティナブルな文化は現代の文化が及ぶものではなく、現代人の常識を外して考えなければならない事に配慮せざるを得ない。
宇宙のエネルギーと繋がる(或いは空を覆っている電離層から)儀式は
天地母神への祭祀というより、アーシング、グランディングという意味があったのかもしれない。
こうした宇宙の摂理に対する不思議な感性は、現代のわたし達が伺い知ることが出来ない分野だ。
🙃巨石信仰という言葉も、縄文のテクノロジーやパラダイムが理解できない為、仕方なく「信仰」という言葉に当てはめているにすぎない。😔
【小袋石】
【ミシャグチ】については諸説あり、私は知識がなさすぎるが・・・😅🙏
ミシャグジ信仰も神への信仰ではなく、エネルギーそのものを下ろす信仰だと言われている。
このエネルギーはマナ、プラーナ、レイキ、フォース👽、コズミックエナジーなど様々な呼び方の例えはあると思うが、
ミシャグチというのも神ではなく、そのエネルギーの呼び名に関連するのかもしれない🤔。
【1つ目の祠】
小袋石まで上がる途中、四つの祠があり、この祭り方になんとなくミシャグジ感を感じる、、😮
ミシャグチ=木を依り代としてエネルギーを下ろし、その場所に石柱を埋めたり祠を祀る。
【2つ目の祠】
こちらの祠は小さいながら、諏訪大社と同じように四隅に柱が立てられていた。そして祠の後ろには依り代と思われる木🌲が、、
【3つ目の祠】
石柱や祠はアンカリングか、目印だろうか🤔。年月を歴て損壊・喪失があっても、新しい物に代えられ連綿とランドマークの役割を果たしてきたようだ。
【4つ目の祠】
玉尾社の右にある巨石が、小袋石
諏訪大社の想念が集まるという不思議なスポット。背後に守屋山、、
なんと!!
突然、謎の青い光が現れた。😳
(不思議な光👇ちょっとビックリ)😮
「ここです!」
と言わんばかりに祠へと下がり
・・・・😑
何かの偶然だとしても出来すぎている・・・
😑
ミシャグジ=という信仰は、
『木をつたって天降る神霊が、石に降り宿る』
というもので、木と岩(石祠・石棒)がセットになっているが、
まるでその様を見させられた雰囲気だ。
😑😑😑
参道入口は看板があるのみで目立たない山道
【小袋石】側面
諏訪大社や石をメインに考えず、背後の「守屋山」を中心にしてみた場合
ちょうど鬼門の方角にそれらが配置されている感じだ。👹
諏訪大社【上社前宮】の十間廊
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小袋石は別名『船つなぎ石』とも言う。
かつて、諏訪湖の水面がこの高さまであり船を繋いでいたという伝承が残る。
諏訪盆地は活動的な断層地帯で、諏訪湖自体も1000mは沈下してるらしいが埋まるのも早かった様だ。
縄文人が住みだしてから二千年後の
約9500年前から現代まで、諏訪盆地には大規模な地盤変動が七回あったらしい。
もともと、フォッサマグナ(=大地の裂け目)で地盤降下地帯ではあるが、
佐久や諏訪など、八ヶ岳周辺の盆地が太古では湖水に被われていただろう事は容易に想像できる。
映画『君の名は』では、新海監督は逆に湖ができたストーリーにしてるのが面白い。実際に長野県佐久市の新海神社に行ってみると(やはりかつては湖だったのでは?)と、感じてしまうほど見事な盆地だった。🤔
山なのに『船』😳ですか?
という地名は全国にあるが、
大概は、天鳥船に乗って降臨したという日本神話による伝承。
渡来ユダヤ人を起源とするケースでは
洪水の後、ノアの箱舟がアララト山頂きに漂着したという故事にあやかり
『山に船を』となる。
しかし、実際に「船を繋いでいた」という伝承が残る山は珍しい、、😮
全国でここだけかもしれない。
流石、地盤変動がAクラスの諏訪盆地だけある。
岩石は古磁気を残し、
この地方の地質学的な変化を知る手掛かりになっている。
縄文文化では、岩石の磁性を利用した縄文ピラミッド(環太平洋ピラミッド)などが知られているが、
ミシャグジの石柱もそれに近しいものなのかもしれない、、🤔
ミシャグジも
小袋石も深堀りしても、
容易に謎が解ける事はないと思うが
諏訪には小袋石を大切に思い、大事にしている方々がいるらしい。
私が行った時も、老夫婦の参拝者とであった。😮
(Sugar Babe のジャケットから飛び出したような、おしゃれな方達だった😮)
不思議な国 日本の『諏訪』✨🙏
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