関口カテドラルのマリア大聖堂
先月、9年間住んでいた東京から引っ越しをした。
東京から離れる前に一度行ってみたかった、文京区にある関口カテドラルのマリア大聖堂に行ってみた。
【関口カテドラル】は【カトリック神田教会】【四谷イグナチオ教会】と共にマリア・トライアングルと呼ばれ、人気の都内巡礼コースのひとつだ。
【関口カテドラル】を頂点とし【カトリック神田教会】【イグナチオ教会】それぞれの教会を結ぶと綺麗な二等辺三角形となり、それぞれの御御堂が他の教会に向うよう正確な角度で配置されている。
この三ヵ所は市ヶ谷駅をハブ起点とすると、関口(有楽町線・護国寺)イグナチオ(南北線・四谷)神田(新宿線・神保町)と全て地下鉄で周れる。早稲田の予言カフェなどもまわれば、東京スピ散歩ツアーといったところだろうか・・・
入口駐車場から
トライアングルは周らず、どうしても行ってみたかった関口カテドラルだけ車で行ってみた。駐車場も結構広く、一般の参拝客でも立ち寄り易い。
正面
正面から見るとわからないが、マリア大聖堂を上空からみると十字架の形になる。
グーグルでもしっかりとクロスを見ることができる。
上空から見た大聖堂。聖堂内から天井を見上げてもこの十字架が見える。
一歩中へ入ると、空気が変わる。
目の前に荘厳な聖堂が広がる、幻想的な空間だ。
大聖堂内部
他に参拝者は居なく、御御堂の正面からやや光が差し込むほのかな薄暗さが、瞑想を誘う。
そして、その空間いっぱいにパイプオルガンの雄大な音色が響きわたっている。
にも関わらず、不思議と凛とした静けさすら感じる。
聴く瞑想にまた意識が変わってゆく。
何か神事の最中ですか?と尋ねると、練習で弾いているだけとのこと。
関口カテドラルのマリア大聖堂のパイプオルガンは
「コンサートホールとは異なる本来の宗教的かつ霊的な音楽を奏でる。音色はクリアで濁りがなく、この大聖堂の長い残響の中にあって美しく響く」と言われるだけあるが、
或いは、それ以上のものかもしれない。
美しく、優しく、悲しくもあり、全てを包む慈悲がある。
https://youtu.be/uyFv-8rOQhY?si=GJJEUrHUzxKMD54G
ユーミンの「翳りゆく部屋」のパイプオルガンにも使われている事でも知られる。
正面礼拝檀の十字架
私は正面に座り感謝の祈りを捧げる。
涙が溢れてきた。
閊えていた何かが外れた様に、涙がどんどん溢れてきて止まらない。
ちらほらと他の参拝者が増えてきたが、
正面で肩を震わせて号泣している私に気を使ってか、後ろの方に座ってくれていた様だ。
暫く、涙が流れるままにしていた。
不思議な癒しの時間だった。
アチューンメントに近い感覚かもしれない。
ルルドの泉
一度、大聖堂から出て駐車場の奥にある【ルルドの泉】を見にゆく。
フランスにある本物のルルドの泉と全く同じものがここに造られている。
ルルドの泉マリア像
再び大聖堂の中の入口にあったオブジェを見学しにゆく。
イエスの亡骸を抱く聖母マリア、
ビエタ像・ミケランジェロ作(レプリカ)
ビエタ像の前には、参拝者が置いていったであろう献花がいくつか並んでいた。
それが、全く2000年の時を感じさせず、
まるでつい昨日亡くなられた方に手向ける様に、捧げられているのだ。
マリアトライアングルの、二等辺三角形の底辺の中心には靖国神社があり、
マリア様の被昇天(アセンション)が8月15日であることと、
終戦の日が同じ8月15日であることから、マリア様の導きを感じている人達もいる。
(勿論カトリック・神道ともにこうした考えは受け入れ難いことなのだろうが…)
私は、無宗教なので、信じることよりも感じることを大切にしたい。
亡くなられた方達の魂を、
限りなく大きな愛が、優しく、優しく、大切に包んでいる様に感じた。
四連の鐘塔
日ユ同祖論ではないが神道の【社ヤシロ】の語源が【ヤハウェのシロ】であるという異聞や、神道とユダヤ教の多くの共通点を知って、私はさほど違いを意識せずとも神社ばかりを遠出して周っていたが、東京にこのような場所があったことに、今更ながら驚かされた。
気学風水でいうと今年は9年に一度廻ってくる中宮に五黄土星がある年。
大凶方位がなく、自分のいる場所がむしろ凶?になる9年に一度の引っ越しに適した年。
奇しくもちょうど9年前、沖縄から東京へと引っ越してきた。
東京の9年間に感謝と、最後にこの大聖堂に来ることができたことに感謝。
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