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伊都国=糸島市(福岡県)
【細石神社】
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ご祭神 磐長姫、木花咲耶姫、
伊都国の中心だったという場所にある小さな神社。
伊都国の王墓【三雲南小路遺跡】のすぐ近くに祭られている。伊都国は魏志倭人伝など中国の史書に登場する古代日本列島の玄関口だった国。
交易の拠点で、中国歴代王朝の使者は、必ずまず伊都国に立ち寄った。
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由緒の割には訪れる人も少なく、ひっそりとしていて静かだ。
磐長姫を祭る神社は少なく
父・大山津見神と姉妹で祭られている神社はあるが、磐長姫と木花咲耶姫が
姉妹お二人だけで祭られている神社は
寡聞にして知らない。
(日本唯一?!)
少なくとも福岡県ではこちらだけで、
古事記にあるお二人のエピソードを憚り
木花咲耶姫の象徴である富士山がある関東ではあり得無い、、
凄い稀な神社だ😳
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摂社・末社が4社鎮座されている
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こちらで玉虫に出会えたら相当ラッキーです
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細石神社は小さな神社だが、知る人ぞ知る神社で遠方から参拝に来る方も多い。(古くは佐々禮石神社という)
一帯は、古代のパワースポット。
真東を向き(サンロード)太陽の道にあり農作物の育ちが良く、糸島野菜は糸島の海産物共々、美味しい。
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神社の創建は不明だが、
細石は【君が代】の歌詞に
『千代に八千代に細石の巌となりて、苔の生すまで』と歌われている小さな石で、
福岡には君が代を神事で奉納する志賀海神社があり、その君が代の起源から考えれば、
二千年近く前になるだろうか、、?
(弥生時代が終わり古墳時代が始まる頃🤔)
近くの『三雲南小路遺跡』も二千年程前の王墓で、元々は細石神社の境内にあったらしく、こちらがその祭祀場だった。
ちなみに、
志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印は元々、細石神社の御神体だったとの説があります。
三雲南小路遺跡で偶然出会った中村先生😂
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大学教授で糸島を紹介する本を出されていて(知っとうかいな糸島)ラジオ番組もやっている。
毎日、境内をお掃除されてらっしゃるらしく運が良ければ、先祖代々こちらに住み守りをなさっている中村先生に会えるかもしれない、、
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△▼△▼△▼△
『天孫降臨の日本神話』
高天原より降臨してきた天孫ニニギの命は、
「ここは韓の国が見え朝日が射し夕陽が照らす良い土地だと」笠沙岬に向かい宮を建てた。
そして、笠沙岬で美しい木花咲耶姫と出会い一目惚れをする。
父・大山津見神(大山祇神)に求婚の使者を遣わせたところ、大山津見神は木花咲耶姫の姉・磐長姫も共に差し出した。
しかし、姉・磐長姫は醜いと返されてしまった。
それを恥じた大山津見神は、
「御子の命が岩の様に揺るがなくなる様に姉の磐長姫も嫁がせました。
木花咲耶姫は木の花が咲き乱れる様に栄える意味があります。
姉・磐長姫を戻し木花咲耶姫だけを留めたならこれから、天の御子の寿命は花が散る様に儚いものになるでしょう」
と言った。
▲▽▲△▲▽▲
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この二人を憚って、
『木花咲耶姫と磐長姫は、同日にお参りしない』という習慣が最近まであった。
当然、お二人を一緒に祭る神社も少ない、、
伊都国は弥生時代の王都。
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卑弥呼女王とは別に、伊都国には王がいて「世々王有り」と魏志倭人伝に記されている。
【三雲南小路遺跡】
約二千年前の王と女王が埋葬されていた墳墓跡。
弥生時代は、その後の古墳時代と比べるとそれほど巨大古墳はないが、
弥生時代の古墳としては最大級
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しかし、跡地に案内の看板があるのみで他には何もない😳
田園風景の脇にポツンとあるただの空き地にしか見えない、、案内看板はうっかりすれば「売り地」看板として見落としてしまいそうな、くらい簡素なもの。
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さして観光地化もされていないので、
「えっ?ここが伊都国の中心?」
というほど、何もない😳
足を踏み入れれることもできるが、
畏む気持ちで。
手前が1号墳・王墓で、奥が二号墳・女王墳墓。
数々の銅鏡、銅剣、勾玉や副葬品が発見された。江戸時代に出土し多くの秘宝が持ち出されてしまったが、今日まで研究が続いてる謎多き古墳。
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ニニギ命と木花咲耶姫の墳墓とのこと。
( ゚д゚ )彡こちらの空き地が!?
木花咲耶姫の父・大山津見神の古墳は九州日向の国にあるので、日向街道を越えてきたこちら側にその子孫の墳墓があっても不思議はないが、、
あまりにも、さり気なさすぎる😳
ニニギ命は、初代伊都国王となりこの地を治めた。後に、息子のヒコホデミ命が母・木花咲耶姫と共にこちらに埋葬した。
日本神話にある「神武の東征」=
(ニニギ命の曾孫にあたる神武が九州から東へ遠征して国々を統べ、奈良で大和王朝を開き初代神武天皇となった)
これで、西日本は一つにまとまった。
政治の中心は九州から奈良の大和へ拠点が遷り、多くの有力者は移動してていったが、王墓を守る為にこちらに残った子孫達もいた。
この辺りには、その王族の子孫の方が静かに暮らしている。
『筑紫の日向の橘の、』と、神道の祝詞にも謳われ、古事記にも登場する神々の地。
近畿の大和王朝と九州を結ぶ、糸島市【二見ヶ浦】
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中村先生の力作『しっとうかいな糸島』
伊勢神宮参拝の前に禊参りをする三重県
『伊勢志摩の二見ヶ浦』、
福岡県伊都市にある『伊都志摩の二見ヶ浦』
近畿・九州とも同じ
二見ヶ浦という名称で海上に【夫婦岩】が祭られている。
夏至の日の朝陽は伊勢志摩の二見ヶ浦にある夫婦岩の間から登り、
伊都志摩の二見ヶ浦にある夫婦岩の間に沈んでいく。🌅
サンロードが繋ぐ古代のパワースポット✨😮
三重県【伊勢志摩】二見ヶ浦・夫婦岩
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福岡県【伊都志摩】二見ヶ浦・夫婦岩
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800㌔以上離れた伊勢と伊都、
祖先の方は、この場所を同じ名で呼んだ。
ニニギ命、
ヒコホデミ命、
ウガヤフキアエズ命は、
『日向三代』と云われ、神の代(古事記)の終わりであり、
ウガヤフキアエズの子・神武天皇が東へ遠征し、
近畿までを統べて奈良に大和王朝を開き、
これより人の代(日本書記)が始まった。
九州から奈良へ、神代から人代へ、
伊都国は、神話から歴史の移り変わりを大切に偲ぶスポット。
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