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大分県宇佐市安心院✨【妻垣神社】と【三女神神社】

2021-12-12 | 古代ミステリー

宇佐神宮から車で30分ほど、大分県宇佐市安心院町のスポットの紹介。

安心院と書いて「アジム」と読む。


朝霧の地 妻垣山(共鑰山)【妻垣神社】


日向(宮崎)より東征に向かった神武天皇が、ここに立ち寄ったことが由緒とされる。


神武天皇が「朝霧が素晴らしい」といった伝承のとおり、朝霧に包まれ幻想的でした。

 

安心院といえば安心院ワインとスッポン料理、松本清張の小説ですが、

松本清張の古代ミステリーの様に謎めいてます。

(妻垣神社 社殿)

 

神武天皇が東征で立ち寄った妻垣山、

阿曇一族(海神族)の足跡が残る龍王山、

ストーンサークル佐田京石や佐田神社など不思議なスポットが点在しています。

(神門)

 

 


ご祭神 

比咩大神(玉依姫)

八幡大神(応神天皇)

神功皇后

 

 

 

【足一騰宮】
ご祭神 比咩大神(玉依姫)

妻垣神社の本宮。少し離れた所から山路を上がっていく。拝殿はなく岩があるのみ。

神武天皇は朝霧の素晴らしいこの地を気に入り、

母后の玉依姫さまの御霊を祭ったところ、岩の上に御姿を現わされ


「信心を忘れぬ様に岩に足一つの印を付けておく」と告げられ、

一気に山に騰られた為『足一つ騰がり宮』という。

 

神武天皇の東征を、宇佐で迎えたのは宇佐津彦・宇佐津姫兄妹二人でした。

神武天皇が、宇佐津姫を侍臣の天種子の妻にして比咩大神(玉依姫)の宿る『足一騰宮』の守護を命じたことが、こちらの妻垣という名称の由来。

 


参道の山路はかなり急勾配です。

下に車を止め15分ほど登ったでしょうか、

 

ようやく見えてきました。

(目印のように光が差し込んでくれていて✨先ほどの朝霧が嘘の様な晴れ)

 

 

(妻垣神社の本宮😌🙏)

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△

756年に、

八幡大神と比咩大神(玉依姫)が語り合い天皇の勅使に「既にこの山に示現しているので社殿を祭れ」との神託を下し妻垣神社の社殿が創建され、比咩大神を主祭神に八幡大神、神功皇后をお祭りしたとのこと。

 

🤔🤔🤔ここでちょっとした疑問なのですが、

何故、

神武天皇の東征から何世紀も後になってから神託と勅命によって祭られることになったのだろう、、

既にこの世になく、神となっていた存在です、、。

756年には、応神天皇も玉依姫さまも、八幡大神、比咩大神という神になられ全国各地に祭られていました。

古事記・日本書記の東征神話にも、神武天皇のこちらでの事は記されてますし、大和朝廷が大和朝廷を開いた初代神武天皇の母后玉依姫の事を祭り忘れていたとは考え難いですし😅

(『信心を忘れぬ様足跡を残す』と告げられたのに社殿造り忘れてた?😳)


安心院のという地名の由来は、

比咩大神がこちらの院に腰掛けて、
霊界で修行中の応神天皇(八幡様)と民を救済させる利生を語らい「安心した」からだそうですが、

この伝承ですと、

「玉依姫さま(比咩大神)がまだ人として生きていて、この世に生まれてくる前の応神天皇と語らっていた」


という感じもします、、🤔

😅時代が交錯してる?

もしかすると、

八幡大神と比咩大神と呼ばれているのは、

=応神天皇と玉依姫様ではなく、

別の神様が封印されているのかもしれません🤔

八幡宮は、応神天皇が弓矢の名人だったことから
「弓矢八幡」と崇敬され武家社会で広がりましたが、

八幡=応神天皇ではない説もあります。

元々は、武家の神様ではなく、海の神様だった八幡様。

すると、756年に現われた八幡大神とはどんな神様だったのでしょう、、

武神、海神、、または別の神様か?🤔

 

 

【三女神社】

ご祭神 宗像三女神

 

(参道)

 

、、、話しがそれますが、神社あるあるです↓

 

(ここからは本文と画像は関係ありません😌☝️)


これは、知られてるようであまり知られてない神社あるあるなのですが、

表向き神社で祀られている神様と、

実際に祀られてる元々の神様が違う場合があります。

元々の神様が抜けてしまって、他の神様が入ってる様な神社もありますが、、

 

一番よく知られているのは、神仏習合の時代に神社の神様が全て仏教の守護神に変えられてしまった事。

(スサノオ→牛頭天王、豊受大神→馬頭観音など)

次に、明治の神仏分離の時に、古い古い神々は天之御中主神や国常立大神に変えられていきました。

特に朝廷に服さなかった神々は名をあげることなく別の神様の名前で祭られています。

 

例えば、、

大和朝廷のヤマトタケルの東征・征西で帰服した(祭ろうた)神々たち。

全滅させられた訳ではないので、子孫や一族はその後も残り密かに祖神様を祭ってましたが、堂々とその名をあげ祭る事は出来なかったため、
その奥さんを比売神様として祭っていたりします。

女性の神様が祀られてる神社なのに、男性的なエネルギーを強く感じたり逆に

男性の神様が祀られてるはずなのに、優しい女性的なエネルギーを感じたりするのもこの為かと思います。

鰹木や千木によっても違いが分かるので、それが唯一の表現かもしれません。

 

(三女神神社)

 

【妻垣神社】と【三女神神社】

こちらの神々は、神代から人の世にかけての伝承がまたがっていたりして、不思議な伝承が残ってますが、足跡を知る為の大切な存在が鎮座されている気がします。

一度行ったくらいでは伺い知れない

繋がりたいスポット。

 

 



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