聖なる国 日本

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淡路国一宮【伊弉諾神宮】

2025-01-19 | 古代ミステリー

【伊弉諾神宮】

兵庫県淡路市多賀740

日本神話で国生みをしたイザナギ・イザナミを祭る。

淡路国一の宮

(エリアで一番の社格の神社)

 

神社の紹介ですが、今回は古代ミステリーでの投稿です😌🙏

 

 

伊弉諾神宮の創建は、

神世の時代とされる。

 

 

伊弉諾神宮が祭られている場所は兵庫県の淡路島にあり、レイライン・陽の道と言われていて同じ緯度に

⛩️東に伊勢神宮、

⛩️西端は対馬国一の宮「海神神社」(わだつみ神社)が祭られている。

 

 

春分・秋分の日には伊勢神宮の方から陽が登り、海神神社の方角に陽が沈んでいく。

 

 

夏至の日は、諏訪大社の方から陽が昇り、出雲大社へ陽が沈み

冬至の日に、熊野那智大社から陽が登り西の高千穂神社に向かって日が沈んでいく

 

伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行は、中心地であった事を物語っているかの様だ。

 

ゼロ磁場のパワースポットでもあり、参拝した後に不思議なことが起こるなど、ご利益は絶大らしい。

 

(ゼロ磁場・磁気のN極とS極が拮抗し打ち消しあい磁力が無い状態でプラスとマイナスの大きなエネルギーが均衡のとれた状態であるためパワースポットと呼ばれる。)

 

(天照大神・月読命を祭る左右神社)

 

古事記・日本書紀を創作した8世紀当時の日本人の歴史認識は三世紀までと言われ、それ以上前の弥生時代は「神世の時代」として神話化して記されている。

 

 

弥生時代、縄文人達がいた日本列島に渡来してきた弥生人のうち、イザナギ・イザナミ夫婦は初めて列島に国らしい国を生み出していった渡来部族の始祖神なのかもしれない。

 

伊弉諾神宮はイザナギが余生をすごしたと言う『幽宮』の跡地に祭られ、

現在の本殿は、イザナギの御陵を整地してその上に建てられたらしい、、

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△

古代ミステリー✨

【政治と宗教と信仰と】

 

本来、宗教と信仰は別物であり、

ここからは、宗教と政治のお話しですので興味のある方だけご覧下さい。🙏😌

 

こちらの伊弉諾神宮は、

宗教とは「政策的なものだった」と言う歴史的なリアルが最も感じられる神社だ。

平安時代より、力を持っていた類稀な神社であった様子が伺える。

 

中世の神仏習合の時代、神社は仏教の配下に置かれてしまい宮司を独自で決める事も出来なかった様な時代で、

私達のご先祖さまである始祖・神道の祖神さま達は、インド人が考えた仏教の神であると無理やり宗旨替えさせられていた中でも、

寺家側と対立する程の事が可能だった、極めて稀な、強い神社なのだ。しかも、寺家側に対して宗旨替えまで迫った事もあった。

領主は、坂上田村麻呂の子孫で、神社を再興させ宮司にもなった。

 

現在の伊弉諾神宮の宮司さんは、

安倍元総理とも親交があった方。

ロビー活動を行う政治団体

「神道政治連盟」の役員も務められていて、神道の精神性を国に反映させようと邁進されている様だ。

伊弉諾神宮で検索していると、『右翼』と出てきてしまうほど😅 

(政教分離って何だっけ?)

 

 

淡路国の地方神であった伊弉諾尊の神話が、大和朝廷の神話に組み込まれたのは7世紀中頃以降で(大化の改新〜古事記編纂の頃)、9世紀中ごろになって正式にイザナギが皇祖神の近親者とされたとする説もある。

 

魏志倭人伝に「和国百余国の大乱」と記されているとおり、弥生時代から古墳時代に渡来してきた部族は百を超え、八百万の部族達はそれぞれが始祖神を祭り、独自の元号と首長が存在していた。

7世紀の大和王朝はそれ以前から存在していた124部族らの神々を一系にまとめて、古事記・日本書紀の中に編纂する必要があり、イザナギの神話を組み込み神世の時代に編纂していったのだ。

 

古典(古事記・日本書紀)では、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、これが伊弉諾神宮の起源とされている。

 

禁足地であった御陵の前に本殿が置かれていたが、明治14年に御陵を整地してその上に移築された。

古来よりイザナギの終焉の地として信仰され禁足地にされてきたのが、突然そのイザナギの陵墓を削ってしまい上に本殿を建てるなど考えられない事だが、きっと何か格別の封印する為の理由があったのだろう。

伊弉諾神宮は官幣社であり、官幣社とは朝廷・国・宮内庁がお金を出す(物品を奉納する)国との関わりの深い神社で公設の影響を受ける神社のことだ。

 

伊弉諾神宮の近代〜

明治3年、県よりご祭神はイザナギのみとされた。

明治18年、 官幣大社に昇格

明治33年、宮内庁がイザナギの墓所を島根県松江に特定した。

昭和5年、 イザナギ・イザナミ両神を祭る許可を申請。

昭和7年、 内務大臣より許可があり正式に二神を祀る。

昭和29年、伊弉諾神社から現在の伊弉諾神宮に改称。

 

△▼△▼△▼△▼△

宗教とは元々、政策的なもので、

人々が自然にもっている死生観や信仰心など精神性を統括統治する為に発明された民族教育的なもので、人々の心を統べる政策的な手段だ。

強い神、根源的な神であるほどコントロールは強い。

そして、

宗教が政治に影響力をもってコントロールする存在である事は、

今も、古事記の時代もそう変わらない。

昨今の出来事をみても、もはや日本の伝統と言えるかもしれない💦

 

宮内庁はイザナギ・イザナミの墓陵を

岩坂陵墓参考地(島根県松江市八雲町日吉)に治定している。

治定とは「治める為に定める」行為で、ここを皇室ゆかりの墓として特定した根拠は考古学的な証拠がある訳ではなく権威的な決定であり、神話から遠く疑問が多い為にミステリーファンの注目を集めることになっている。

 

神話の世界でイザナミ・イザナギが国を生み・神々を産み出したので、イザナギとイザナミ始祖二神を祭る神社は全国に沢山ある。

ヤマトタケルも東日本を制覇しながら、イザナギ・イザナミを祀る神社を各地に建立して行った。国土開発をしながら国生みの神二神を祭るのはしごく当然のことだが、

埋葬は別である。

 

最終的にイザナギとイザナミは対立して別れたため終焉を共にしたことはなく、墓は別々に埋葬されているはずなのだ。そもそも宮内庁が両神を同じ場所に埋葬していると言う事には決め手がない。

イザナミの墓は広島県比婆山、イザナギの墓は兵庫県淡路島に、古事記に記されるとおり袂を分かち、神としての役割を終えた後それぞれ別々に眠られているのだろう。

 

次ぎは島根県の神納山(かんなやま)・比婆山久米神社(安来市比婆山)・岩坂陵墓参考地などの

宮内庁推奨ルートも辿ってみたい。

恐らくはイザナギの墓であった伊弉諾神宮の幽の宮地を削り、イザナミ・イザナギ夫婦を祭る普通の神社にしてしまったのは、その辺りに行けば事情も推察できるのかもしれない。 

 

 

✨✨✨✨✨

宗教政策的な一面は別にして

全くの無宗教である私は、

 

守給へ幸い給えと、

かしこき弥生時代の祖神さまを思う心で参拝します。⛩️🙏

心は宗教に非ず、祖神さまと共に。

神道は宗教に非ず、人々と共に。

なんてね😉✨

 

神道は、宗教の三大条件

・教祖様がいる

・ご本尊がある

・教義経典がある

を満たしてないので、宗教よりも、信仰に近いもだと思いますが、

政治的なパワーバランスの中で、紆余曲折を経てきた現在の伊弉諾神宮のあり様にも、無類の畏敬を感じます。

 

最後までご覧下さりありがとうございました。✨✨✨✨✨



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