はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
今このブログがごちゃごちゃしているのは、
現在の状態と過去の状態がばらばらだからだと思います。
現在進行している状態を投稿し、
過去にあったことをまとめる作業も同時に行っています。
とても見難くなっていますがすみません、ご勘弁を~。
友人にぽつりとつぶやいたのだけど、
本当に過去をまとめる作業は意外と辛い。
どちらかというとすっかり忘れている嫌なことを思い出してしまうという場面の方が多いからだ。
同時に過去の私はこんなにもダンナに依存して支配されていた、
というのにも気付いてびっくりした。
今の私とは全く違う考え方の私がそこに居る。同じ自分なのにね。
2005年からのことをまとめている。
本当は色々な奇妙な点はずっとその前からもあった。
考えてみれば結婚する前から既にその兆候はあったのに。
またそれは落ち着いたら簡単にまとめようと思う。
とにかく今は過去をまとめる作業を進めてなんとか現在に結びつくところまで
まとめなきゃと思っています。
思い出したので記録しておく。
「一番嫌だったのは、おもちゃを捨てられたこと。」
子ども達の部屋にどんどん膨れ上がるおもちゃ。
いくら収納を考えても細かいおもちゃは恐ろしいほど多い。
私たちは子ども達に好きなだけ、好きなおもちゃを与えているわけではない。
誕生日、クリスマス、それ以外はたまにおじいちゃんおばあちゃんが買ってくれるくらいだ。
子ども達もその特別な日を楽しみにしていて
わがままに欲しがるタイプでもない。
それでもおもちゃはどんどん増える。
おもちゃというものは、その年齢に応じて変わっていくものだと思う。
ダンナは私が役目を終えた子ども達のおもちゃを処分していくのが
とても許せなかったと言う。
「捨てないで欲しかったな、思い出として全部とっておいて欲しかった。」
ダンナの実家にはそうして捨てられなおもちゃがいっぱい置いてある。
私の考えはこうだ、
おもちゃを捨てると言うのはその成長によって与えるものが変わっていくということだ。それは子どもの成長を促す意味もある。
・・・はっとした、そうだ、おもちゃに対するこの強すぎるこだわりはそのまま
ダンナの心の成長がストップしていることを意味するのではないかと。
以前から子どものおもちゃの処分に関してはだんなは異常なまでの拒否反応を示してきた。
でもおもちゃを捨てることは思い出を捨てることではない。
もちろん思い出のあるおもちゃは取っておけば良いと思う。
だけど全てのおもちゃを取っておくことは不可能なのだよ。
おもちゃというのは年齢に応じた物を与えないといけない。
それも成長の一つだよ。
もちろん、おもちゃの処分には子どもと納得の上で処分をしていると。
捨てるだけではなく、人に譲るなどしている。
それでもやはり納得はしていないのだ。
それだけ思考の歪みがあるということでもある。
ダンナとあったこれまでの色々なこと、
それと自分の心の中で整理したいというのもあって
このブログは今までの出来事を、そして今現在起きていることを
同時進行で投稿していきます。
順番に見て行くには、日付順に見ていけばわかりやすいですが、
ただ、今までの出来事はまだまだ整理中ですので少しずつしか
投稿できません。