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戦争と戦場の2本の旗「父親たちの星条旗」

2006年11月20日 | 映画
 クリント・イーストウッド監督「父親たちの星条旗」を観る。イーストウッドらしい俯瞰のラストショットは、さながら溝口健二監督「山椒大夫」のラストを思わせ、つかの間の戦場の幸福な時間を描いて美しい。

 原題は「Flags of Our Fathers」。flagsと旗が複数形になっていることがこの映画のすべてを語っている。イーストウッドは「国家の戦争」と「兵士の戦場」を、この複数形の旗、硫黄島の摺鉢山のてっぺんに立てられた2本の星条旗のエピソードをモチーフにして見事に映像化してしまった。戦争には勝敗がある、正義と悪も必要だ、ヒーローもつくらなければならない。だが、戦場には兵士の生と死があるだけだとイーストウッドは言っているのだ。

 ひしゃげたゾウリムシのようなちっぽけな島、硫黄島を取り囲むアメリカ太平洋艦隊の大船団を俯瞰でとらえたワンショットは、この島で何が起きるのか、この戦いのアメリカと日本の力関係を一目で理解させる。さっさと終わりにして家族や恋人のもとへ帰ろう、誰もが簡単にこの戦いが終わると思っていたのだ。だが、実際の戦場は違った。兵舎のラジオから甘く流れる「あなたの帰りを待ってるわ」とうたうラブ・ソングを聞きながらうつむく若い兵士たちのショットで戦場の絶望感を描くイーストウッド。この映画では、敵である日本兵はほとんど出てこない。地中の要塞からの攻撃や闇夜の奇襲でその影がみえるくらいだ。映画の若いアメリカ兵たちは誰と闘っているのかも分からない。見えない敵と戦いながら、カードに興じた戦友たちの首が飛び、手足がちぎれ、腸が飛び出して死んでいく。これが戦場なのだ。

 摺鉢山の写真の兵士たちをヒーローにすることで、「兵士の戦場」は「国家の戦争」として記憶され、1枚の戦勝写真としてのみ歴史に残されていく。だが、「国家の戦争」と「兵士の戦場」の映像は決して重なり合うことはない。摺鉢山に立てられた2本の星条旗が重ならないように。

「父親たちの星条旗」は、戦争映画でもなく戦場を描いた映画でもない。スタジアムを彩る花火、カメラマンたちが焚くフラッシュ、交差する列車同士が放つストロボのような車内灯の光、これらの閃光よって硫黄島のヒーローになった3人の兵士たちは、照明弾や弾丸が炸裂する悪夢のような戦場へフラッシュバックする。国家の戦争ショーの舞台と兵士の戦場を何度も行き来しながら、「国家の戦争」と「兵士の戦場」が決して重なり合うことはないことを示して見せた映画なのだ。

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