昔、「ウェスの親指」を想像しただけでイッちゃいそうになるなんて娘がいたけれど、ピックを使わずに親指だけでピッキングするウェス・モンゴメリーの、ファンキーでメロウなギタープレイを聴くと、確かに一体どんな親指してるんだいと思わずにはいられないのだが(「フルハウス」のジャケットにはギターを抱く右手が写っている)、つとに名高いオクターヴ奏法もかの指があればこそだろうと、ひさびさに「スモーキン・アト・ザ・ハーフノート~ウェス・モンゴメリーwithウィントン・ケリートリオ」(赤ジャケのVol.2のほうです)を聴いて妙に新鮮な気分だった。妙にというのは、新しさを感じたわけではなくて、オクターヴ奏法で奏でられる音とウェスとの親和力とか喜びみたいなものがひしひしと伝わってきたからだった。
僕らが学生の頃のジャズのギター弾きは、フルアコでオクターヴやらなきゃジャズにあらずなんて感じで、そのオクターヴ奏法の驚異的なテクニックにばかり感心していたような気がするのだが、今の超速弾きテクニック全盛の時代に改めて聴くと、リフっぽいフレーズの繰り返しで演奏されるオクターヴ奏法は、単純なのだが、それゆえに強烈なドライヴ感とファンキーな雰囲気を作りだしていて、「ノー・ブルース」や「インプレッションズ」での疾走感、「ウイロー・ウィープ・フォー・ミー」や「ミスティ」のバラードにおけるメロウなフレーズと響きには、一つの表現手段を生み出した男の喜びが伝わってくるのだった。
リズム隊の3人がすばらしいのはいうまでもないが、とくにバックに回ったときのウイントン・ケリーは絶妙なフレーズをたたき出す。ある短い期間だけに音楽との幸福な出会いをミューズが与えたにちがいない、そんなことを感じるアルバムなのだった。
僕らが学生の頃のジャズのギター弾きは、フルアコでオクターヴやらなきゃジャズにあらずなんて感じで、そのオクターヴ奏法の驚異的なテクニックにばかり感心していたような気がするのだが、今の超速弾きテクニック全盛の時代に改めて聴くと、リフっぽいフレーズの繰り返しで演奏されるオクターヴ奏法は、単純なのだが、それゆえに強烈なドライヴ感とファンキーな雰囲気を作りだしていて、「ノー・ブルース」や「インプレッションズ」での疾走感、「ウイロー・ウィープ・フォー・ミー」や「ミスティ」のバラードにおけるメロウなフレーズと響きには、一つの表現手段を生み出した男の喜びが伝わってくるのだった。
リズム隊の3人がすばらしいのはいうまでもないが、とくにバックに回ったときのウイントン・ケリーは絶妙なフレーズをたたき出す。ある短い期間だけに音楽との幸福な出会いをミューズが与えたにちがいない、そんなことを感じるアルバムなのだった。
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