世界の常識を信じている「私」なのか?
世界の常識を信じていたい「私」なのか?
信じる以前に、必ず願望・欲望がある。
信じていることすら、普段は隠されている。
そして、信じていることに光が当たれば
その奥の願望・欲望が隠されていることに
いずれ気がつくだろう。
私たちは、望んでいないことを信じることは不可能だ。
だからこそ、何を望むのか?
自分の心の中心で統一 . . . 本文を読む
最近、何かが決壊してきている。
なんだろう?防衛の無意味さか、
「自分」「私」という自己概念の無意味さか、
そういうものが決壊して、神の愛が雪崩れ込んでくる感じ。
マザーは、行為者として何かを為してなどいなかった。
マザーは神の手のひらの中の鉛筆に過ぎず
鉛筆は鉛筆だけでは何もできない当たり前さを受け入れていたからこそ
神が、なんでもなさってくださっていた。
彼女に自由意志が . . . 本文を読む