奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

定期十字架

2016年02月26日 15時16分06秒 | 奇跡講座.奇跡のコース.ACIM勉強会/学習会
「定期健診」という言葉が、この世界にありますが

あれは「私は、この世界に住んでいる肉体なんだ。」

と、自分と兄弟に教え合うための儀式の一つのように、今では思えます。

(それ自体は悪ではないし、してもしなくてもニュートラルですが、自我の目的はそのあたりだと感じています)


それと同じように、分離を信じている心は定期的に十字架刑が自分には必要なのだ。

と、無意識レベルで本気で信じている。

連続的に永遠に、ではないけれども、定期的に必ず十字架刑が必要だ。と信じている。

しかも隠されたまま秘密裏に頻繁に、、。


その処刑台に、自分と兄弟をくくりつけることで、自分が救済されるのだ。

と、本気で信じている。びっくりだ。


ここらへんは、奇跡講座の心理学的側面「罪悪の魅力」を徹底的に学び実践してくると

だんだんと、明らかに、書物による頭での理解ではなくて

体感からの、実体験からのリアルな理解になってゆくようです。


形而上学的原理「世界はない。私はいない。」


だけでは、、、とてもじゃないけれど真の目覚めは ほど遠いのが頷ける。

このあたりも、ワプニックさんが淡々と語り続けてきてくださったことの重要な一つだろう。


定期十字架刑。その処刑台への連行。

その発作は、顕在意識でも、ほとんど気が付けないくらい瞬間的にずっと行なわれてきているが

無意識レベルでのその動きは、まったく見逃されている。


聖霊から、「それを見逃すな。」と、言われている感じがしています。

しかし、「私」は見逃したいんです。とてもとても。

そんなことに気が付くつもりがないわけなんですね。


定期的に、意味なく何かを裁き、咎め、否定し、殺害する。

通常は、心の中の想いで、あるいは言葉で、まれに行動で行われる。



奇跡講座テキスト編 P658(中央アート出版社)
第24章 特別性のルール
セクション4 特別性と無罪性

特別性とは、自分以外のあらゆる人に対する信頼の欠如である。
信がただ自分だけに注がれる。
それ以外の一切は、恐れて攻撃すべき、危険きわまりない不倶戴天の敵となり、
破滅のみにふさわしいものとなる。
それが差し出す優しさはいずれも偽善にすぎないが、その憎悪は本物である。
滅亡の危機に瀕している特別性は、必ず殺そうとする。
そして、あなたのほうでは先手を打ってそれを殺すためにそれに引き寄せられる。
そして、罪悪の魅力とはこうしたものである。
ここでは死が救済者としてあがめられる。
今や十字架刑が救いとなり、救済とは、あなた自身を除いた
全世界の滅亡を意味するものでしかなくなる。

(T-24.4.1)


↑すさまじいことが書かれているなあ。と、どこか他人事のように
私も、3年くらい前は思えていました。
しかし、、やはり、その通りなのだ。ということをしっかり認めることができてきています。

認めるからこそ、この仮想空間中毒症を、十字架刑中毒症を、、、やめられるんですね。

まずは、その病状を、認めなければなりませんね。




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